第1話
ノルズヴァン王国の首都ミュールは円形状の都市で、中央に向かって小高い丘になっている。
丘の頂上には豪華絢爛な王宮がそびえ立ち、それらを取り囲むように壮麗たる塔、優美な大邸宅の数々が立ち並んでいた。
外敵を寄せ付けぬ強固な城壁、隅々まで完備された清潔な水道、市民に新鮮な娯楽を提供する競技場……それらすべてがミュールには揃っている。
監獄島崩壊の翌日の昼すぎ。アリアたち五人と一匹の姿を、王都最北端の貧民街の人混みの中に見ることができる。
『貧民街』と呼ばれはするものの、年季の入った立派な建物がところ狭しと軒を連ね、市場や通りは人々の活気で満ち溢れている。
「王都の貧民街から、どんどん人が消えてるって聞いたんだけどな」
驚いた様子で人々を眺めるシーナは、看守の制服を適当に着崩している。
「これだけの人間をどうやって消すというんです。彼等こそ都人。この街から人影が消えるときは、王都の灯が消えるときですよ」
そう得意気に語るユダを筆頭に、アリアもマックスもフードを目深に被って顔を隠してた。
しかしすれ違う通行人は、そんな怪しげな集団や狼やオークを気に留めもしない。
逆に、時おり見かける非人間族たちの姿がシーナの目を引いた。
「他人様の顔をそうジロジロと見るな」
「いやだって、トカゲみたいな顔の人が……あ、今度は猫人間だぞ」
「お前が田舎者だってのは十分わかったから、前見て歩け」
シーナの頭を小突いて前を向かせるブルータス。アリアが、くすりと笑い声を漏らした。
「お嬢の家は、あの辺り?」
シーナが指差すのは、遥か遠くに見える丘の頂上近くである。
「ええ。王宮からは少し離れたところだけどね。私もこの区画に来るのは初めてだから、新鮮だな」
「当然です。お嬢様が来るようなところではありませんよ。ここはあまりに人間臭すぎる」
マックスが忌々し気に、顔をしかめながら口を開いた。
「あのさ、先生。前から言いたかったんだけど、お嬢も人間だよ?」
「愚問だな人間。美人は別に決まっている」
「何か……凄いね。先生って」
シーナとアリアは引き気味に笑う。
ユダはうんうんと頷き、ブルータスは軽蔑の眼差しをマックスに送っていた。
「ようこそ、闇ギルドへ」
ユダが案内してくれたのは、通りから少し外れた、二階建ての寂れた酒場であった。
「誰もいないんだな?」
「しばらく使ってなかったからな。俺も来るのは久しぶりだ」
ブルータスは懐かし気に店内を見回している。
「ああ~つっかれたぁ……」
テーブルに突っ伏して、シーナが大きく溜息を吐いた。
「クリーグの街から歩き通しだったからね。モウブレー様に貸して貰った馬車も、宿に置いてきちゃったし……」
「団長がそのうち回収してくれるでしょ。それより、これからどうするよ?」
「どう、しましょうか……」
アリアが苦笑いを浮かべる。彼女の顔にも疲労の色が浮かんでいた。
しばし、静寂に包まれる酒場。
沈黙を破ったのは、「私に考えがあります」というユダの声であった。
「なんと実は、こんなこともあろうかと――」
そう言って彼はバーカウンターの酒棚を漁りだす。
振りかえったユダの手には、酒瓶が握られていた。
「――いい酒を取っておいたんです」
「あの酒、どこ行ったかと思ってたら……」
口惜し気に呟いたのはブルータスである。
「酒場に来て、どうするもこうするもないでしょう。私と兄弟はここを片付けます。お嬢様たちはこれで食料を買ってきてください。追加の酒もね」
ユダはそう言って、まるまる太った金貨袋を投げてよこした。
「俺のヘソクリまで……」
呟いたのは勿論、ブルータスである。するとスコールがやってきて、彼を見上げながら二三言、吠えた。
「ああ、そうですね。いずれ、そのつもりです」
ぶつぶつとスコールに答えながら、ブルータスは殺気のこもった眼でユダを睨んでいた。
アリアとシーナは、賑わう市場の端から端まで見て回った。幸運にも軍資金は潤沢である。
シーナはついでに、衣料品店で看守の制服を売り払った。
代わりに紺のダスターコートを羽織るシーナを見て、アリアが嬉しそうに笑っていた。
「シーナはそうでなくっちゃ」
大量の食材と酒を抱えて戻ると、酒場は綺麗に片づけられ、マックスとブルータスが早速酒盛りを始めていた。
「美味い酒だな。何て銘だ?」
「『俺が一人で飲もうと思ってた酒』って銘だよ」
「ああ、どうりで美味いわけだ」
ケラケラと笑うマックスを、ブルータスが鬼の形相で睨んでいる。
厨房に火が宿り、包丁の音が聞こえてきた。
腕を振るうのはユダである。
「ああ、だから料理人って名乗ってたのか」
合点のいった様子でシーナが頷くが、呆れ顔のブルータスが「CROOK(詐欺師)のアナグラムだよ」と説明してあげた。
そうこうしている間に、芳しい料理の数々がテーブルに並べられた。
丸パン、スパゲティに野菜スープ、卵の包み揚げにミートパイ、鮭の塩焼きにローストビーフ――どれもシンプルだが、疲れ切った一行にとっては何よりのご馳走であった。
「さ、アーネスト様にお祈りを済ませたらドンドンやっつけてください。まだまだ持ってきますからね」
ユダにうながされ、皆一斉に手を伸ばす。
アリアはごくりと喉を鳴らし、スープを一口すすった。野菜の甘味と隠し味の生姜が、体の芯まで温めてくれるようであった。
続けてパイにスプーンを押し付ける。表面がパリパリと小気味よい音を立てて割れ、中から湯気とともにラム肉のローストが姿を現した。
頬張ると、香草が薫るホクホクのジャガイモと、ジューシーな肉の旨味が口いっぱいに広がった。アリアは思わず、恍惚の吐息を漏らす。
「この香り付け……ヴィリ・シアン風だ。よく知っているな」
二枚貝のスパゲティを忙しなく口に運びながら、マックスは意外そうな表情を浮かべている。
「麗しのハイエルフに手料理を振る舞うのが、長年の夢でしてね。ようやく叶いました」
「……」
ワインを酌してやりながら、誘惑的な笑みを投げかけるユダ。一方、マックスの視線は冷たい。
「ヴィリ・シアンって先生の故郷だっけ。どこにあるの?」
シーナは鮭の塩焼きにがっつきながら、疑問を口にした。
「モノを知らん奴だな……って、そう言えば記憶がないんだったな。ノルズヴァンの北西に小さな島があるんだよ。そこが僕たちハイエルフの生まれ故郷、ヴィリ・シアンだ」
「ヴィリ・シアンのハイエルフは皆、生まれつき魔法に長けているんだけど、最年少で魔道学を修められたマックス先生は島を出て……今は確か、大陸に現存する太古の魔法を探求されているんですよね」
「いえいえ、エルフ史きっての大天才だなんてそんな……否定はできませんが」
アリアに褒められて気分がよくなったのか、マックスはワインを一気に煽った。
「性格が悪すぎて島を追い出されただけじゃないのか」
肉を噛み千切りながら、ブルータスが水を差す。マックスはムキになって言い返した。
「お前こそ何でロォカンに引きこもらず、似合わない都会で闇ギルドなんかやってるんだ。体臭がキツすぎて追い出されたか?」
「ロォカン?」
「隣国キースランドの山岳地帯にある、オーク族の大集落よ」
シーナの疑問に、アリアが丁寧に答えた。
「オークがこのミュールを目指す理由なんて決まっている――『戦槌の魔王』が眠る都を見てみたかったんだ」
「へえ。そりゃ何でまた」
ブルータスのジョッキにウォッカを酌しながら、またもシーナが尋ねる。
「俺たちは寝物語に、アーネストとともに戦った一族の英雄『ラ・ヴォルカン』の武勇伝を聞かされ、戦の前には彼の斧に祈りを捧げる。何よりも武を重んずるオークにとって、一種の信仰対象なのさ。だが俺は思った――そんな英雄でも倒すこと叶わず、封印するほかなかった魔王とはどんな男だったのか、と」
「なるほど、それでミュールに」
シーナは興味深そうに頷いている。
するとユダがベイクドポテトを運んできたので、早速つまんでエールで流し込んだ。
「王都の地下には広大な地下墓所がありましてね。具体的な場所は定かではありませんが、そのどこかに魔王が封印されていると言われているんです。まあそんな曰く付きの場所ですから滅多に人が近寄らず……アジトには最適なわけで」
「そこで、二人は出会ったんですね」
相槌を打つアリアも、いつの間にかワイングラスを持って顔を赤くしていた。
すると、同じく顔を赤くしたマックスが得意気な笑みを浮かべた。
「まあ要するに。オークの英雄さえ敵わなかった魔王も、僕たちエルフの封印術の前には敵わなかったと、そういうわけだな」
「……どういうこと?」
シーナが回答を求め、アリアを見つめる。
「魔王を封印したのは確かにアーネスト様なんだけど、その封印術を授けたのはヴィリ・シアンのハイエルフたちだと言われているの」
「いや、だが実際に魔王を相手したのはアーネストにヴォルカン、ベアトリスの三英雄であって、エルフ共はあくまで――」
というブルータスの言葉を遮って、マックスが高笑いを響かせた。
「はっはっは、苦しい負け惜しみだな。言ってろ言ってろ」
呆れ顔のブルータスに、慌てて機嫌を取るアリア、それを見て苦笑するシーナ。
ユダは上機嫌のマックスにワインを酌し、猫舌のスコールはベイクドポテトに悪戦苦闘している。




