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14クラッシュ 「オタクたちの地母神」

 住吉美卯はオタサーの姫ではない。


 なぜなら彼女は『既婚者』なのである。


 それもすでに結婚四年目に入ろうかというところだ。


 子どもはまだいないが、ゆくゆくは、と思っている。

 この事実を知っているのは、両親とごくごく少数の友達しかいない。


 といっても、隠しているわけではないのだ。


 美卯はどこへゆくにも、結婚指輪を常に身に着けている。

 炊事などを除いて、日常生活ではまず外すことはない。

 だから、カンのいい人の中には彼女が既婚者であると気づく者も、まあそれなりにはいた。


 しかし、この『プリンセスオブオタサー』の舞台においては、誰ひとり気づかなかった。

 去年なんて、ウェディングリングをつけたまま優勝し、そのままだ。


 観客が何十万人といる大会だ。

 誰も気づかないはずがない。。

 実はみんな気づいてスルーしているのかな? なんて美卯は思ってたりもした。

 既婚者だからって別に大したことはないのかな、って感じだ。


 だから、今さらあまり誰も気にしないだろうって思っていたのに。


 ――それは間違いだった。


 気づいていなかったのだ。

 オタクどもは、正真正銘、全員、誰も、たったひとりも、それがウェディングリングであると気づかなかったのだ。

 ウェディングリングなんて知らなかった。そんなの聖剣や魔法と同じように、フィクションの中の小道具だと思っていたのだ。


 気づいた今、彼らは怒り狂っていた。

 それはまるで、大地を駆け巡る王蟲の群れのようだった。



 そして現在――。

 住吉美卯は壇上でぷるぷると兎のように震えていた。


 どうしてこんなことになったのか。

 血色のよい美卯も、青い顔だ。


 こんなの誰も得をしないじゃないか。

 血を吐きながら続ける悲しいマラソンだよ、これは。


 そんなことを叫びたいけれど、オタクたちの声がする。

『謝罪ー! 謝罪ー!』と叫び続けている男たちだ。

 

 なにを謝ることがあるのか!

 だって別に美卯は嘘をついていたわけではないのだ。ただ、黙っていただけで。


 パネルに寄りかかっていた椿が、その場でこそこそとメイクを直しながらつぶやく。


「だってそれ、ツバキちゃんもだしー」

「椿ちゃんは姫って名乗ってたじゃん!」


 叫ぶが、しかし椿はともかく、オタクたちが聞き入れてくれなかった。


 先に告白した椿は、どことなくスッキリとした顔をしている。

 彼女(彼)はこれまで通り、オタサーの姫を続けてゆくわけにはいかないだろう。

 男性だとバレたのだ。ちやほやしてくれる人たちにとっても、敷居が高い存在になったに違いない。

 こんなに可愛い男の娘は、まるで腫物のように扱われることもあるかもしれない。


 だが、それでも椿は晴れやかだった。


「ほらほら、ミウちゃん、言ったらスッキリするよー。女は度胸だよー」

「それは椿ちゃんが受け入れられたからでしょー……」


 まったく、椿みたいなケースはレアなのだ。

 彼女は結局「可愛ければいいじゃん」的なアレに助かっただけなのだ。


 恐らく、美卯は違うだろう。

『男の娘』と『人妻』では、まるで違う。

 美卯はきっと許されないはずだ。


「うう……」


 壇上で、美卯はマイクを渡された。

 両手に握り、口元に近づけてゆく。


『えー……』


 美卯がマイクに喋りかけると、潮が引くように男たちが静まり返っていった。

 視線はまるでレーザービームのようだ。


 痛む胸を押さえながら、語りかける。


『実は、住吉美卯は、結婚しています……』


 どこかで怪鳥の鳴き声のようなものが聞こえた。


 発狂した男が口から泡を吹いてタンカで運ばれてゆく。

 まさしく人外魔境。

 一日に二度もそんな告白をされて、オタクたちの心臓はもう虫の息だ。


 美卯のブロマイドが破かれて、宙を舞う。

 ツイッターには住吉美卯の罵倒が鬼のように書き連ねられていった。

 今この瞬間、Twitterのトレンドは『住吉美卯 既婚 クソビッチ クレイジーサイコビッチ』で埋め尽くされる。


 なぜスポットライトを浴びながら、こんなことをしなければならないのか。

 美卯は暗澹たる気持ちであった。


 公開処刑だ。


 だが、それを椿に促したのは、自分である。

 ここで逃げれば、椿に負けたような気持ちになってしまう。

 ならば、やり遂げなければならないだろう。


『えー……。美卯は、十六才になって、高校一年生で結婚しました……』


 あちこちから『ビッチ! ビッチ!』の大合唱である。

「やめろ! それ以上言うな! 耳が腐る!」と叫ぶ男もいれば、「どうりで処女膜から声が出ていないんだと思ったよ!」と言い出す者もいた。


 中には打って変わって、「椿ちゃんが至高!」だとか「椿ちゃんしか俺たちにはいない! 椿ちゃんの優勝で決まり!」と椿を褒め称える発言が連呼された。


 なんでこんなみじめな思いを味わわないといけないんだ。


 美卯は俯きながら、今にも泣きそうな顔でマイクにぼそぼそつぶやく。


『ダーリンは、とっても優しくて、かっこよくて、年収一千万円あります……。美卯はとっても幸せです……』


 絹を裂くような絶叫である。

 地獄の鬼の心臓を一突きしたところで、このような声は出まい、という勢いであった。


 男たちは泣きわめいた。

 もはやこの世から一切の安寧が消え失せてしまったかのように。

 芥川龍之介の蜘蛛の糸さながらの地獄絵図だ。


 住吉美卯はすっかりと汚れてしまった。いや、違う。

 最初から汚れていたのだ。皆は騙されていた。

 こいつは夫の稼ぎを勝手に使い込んで、昼間は高級ランチにいってエステに通うような、そんな女なのだ。


 年収一千万円のチャラいイケメンサラリーマンに口説かれてコロッと落ちる金に目がくらんだクソ女。

 そんなレッテルが――まるで悪霊を封印するお札のように――美卯の全身にペタペタと張り付けられる。


 今までこの女をオタサーの姫だと思ってチヤホヤしていただなんて。

 オタクたちは次々とサイリウムをへし折った。フォーチュンバニーの横断幕は悲鳴をあげるように引き裂かれた。


『なんか、はい……あの、ごめんなさい……。ダーリンだいすきです……』


 どんどんと小さくなってゆく美卯。

 そんな彼女に近づいてゆく三つの影。


 それは今にも目から血の涙を流しそうな、三人の男であった。


 そう、電子映像研究会の面々。

 ――ガリ崎、デブ山、四条河原野宮。

 今までずっと美卯のそばで、彼女を見つめて続けていた男たちだ。


「あ、あのさ、住吉さん」

『はい……』


 美卯は影を背負った表情だ。


 ああ、この期に及んで、三人の友達も失ってしまうのか。

 他の誰にどう思われても構わないけれど、でもこの三人に罵倒されるのだけは嫌だ。

 ようやく見つけた、住吉美卯の大事な居場所だったのに……。


 だが、仕方ないことなのかもしれない。

 だって自分は、黙っていたのだから。――いや、正確には聞かれなかったから答えなかっただけなのだが。


 胸を痛める美卯。

 そんな小さな姫に、四条河原野宮は問う。


 驚きの、その言葉を――。



「――じゃ、じゃあさ、住吉さんって『若妻』ってこと?」



 会場がシンとした。


『……へ、若妻?』


 美卯の声がマイクを通じて会場中に響き渡った直後。

 まさに電撃が走ったかのように、あらゆるオタクたちが顔をあげた。


 若妻――。

 その名が、オタクたちの心臓に火を注ぐ。


 彼らオタクたちは一斉に目をこすった。

 曇りなき眼で、改めて住吉美卯を見つめ直すために――。


 そのとき。

 四条河原野宮の肩を掴み、デブ山が言う。


「違うデブ! 住吉ちゃんは『幼妻』デブ!」

『幼妻……?』


 さらに電撃が走る。

 多くのオタクたちの目に光が宿る。


 幼妻――。

 まさかあの、二次元の中にしかいないと思っていた、幼妻、だと――!?


 確かに甘ロリ姿の美卯は、どこからどう見ても幼妻だ。

 あっ、幼妻だ!

 ほんとだ、幼妻だ!

 

 最後に、ガリ埼がデブ山を押しのけて、口を開く。


「そうじゃないよ! 住吉ちゃんは新妻で『奥さまは女子大生』だよ!」

『新妻でおくさまはじょしだいせい……?』


 美卯の発言を聞いて、オタクたちは拳を天に突き上げた。


 そう、彼らは気づいたのだ。

 自分たちの前にいるのが、いかに稀有な存在であるかを。


 住吉美卯はビッチなどではなかった。

 断じて違う。

 そんなものと一緒にするなどありえない。


 彼女は、住吉美卯は――。

 ――若妻で、幼妻で、新妻なのだ!



『ウオオオオオオオオオオオオオオオオ!』と男たちは吼えた。

 それはまさしく、卑弥呼の跡を継ぐ壱与を初めて見た邪馬台国の男たちのようであった。



 そうだ、いったいなにを見ていたのか。

 女子大生で奥様だなんて。

 そんなのは、――萌えるに決まっているじゃないか!


 あるオタクが地下幕張メッセの二階席から叫んだ。


「そ、それは付き合って何人目の人と結婚したんですか!?」


 すごい突っ込んだ質問であった。

 美卯は恥ずかしそうに顔を赤らめ、それでも義務のように答える。


『ひ、ひとり目です……。ダーリンが、運命の人だと思ったから……』


 質問の答えを得たそのオタクは「イヤッホウ!」と叫んだ。

 隣に同じように立っていたオタクが「おいおい、はしゃぎすぎだぜジョニー!」と満面の笑みを浮かべて親指を立てた。


 住吉美卯はビッチではなかった。むしろ真逆だ。一途だったのだ。

 そんじょそこらのオタサーの姫とは違う! あいつらはホイホイと男を乗り換えて、サークルの男を食い漁ったりするし! まったく違ったのだ!


 さらに二階席の右翼にいた男が手を挙げた。


「み、美卯ちゃんはどの程度、家事をしているんですか!?」


 それがなんの関係があるんだろうと思いつつも、美卯は丁寧に返す。


『え、えっと……。朝ごはんを作って、ダーリンのお弁当も作って、夜は早く帰ってきてごはんを作ります。洗濯もお掃除も、毎日しています……。料理はもともとそんなに得意じゃなかったんだけど、でもだーりんのためにがんばりました』


 それを聞いた男は、両手を固く組み合わせながら「おお、ジーザス……!」と祈りながら席に着いた。

 満ち足りた表情であった。彼の精神は今、神の啓示に立ち会った神父のようだった。


 なんて健気な少女なんだ。

 しかも努力家だ。

 椅子の上にふんぞり返って、少し手を伸ばせば届くようなポッキーすらオタクに取らせる姫とはまるで違う。全然違う。


 会場は興奮の渦に包まれてゆく。

 藤井ヒナは相変わらず「きゃーきゃー! 美卯ちゃんきゃー!」とはしゃいでいる。

 それはともかく、今や住吉美卯を非難するものは、ただのひとりもいなかった。


 ツイッターの炎上はストップした。

 それどころか今この瞬間、Twitterのトレンドは『住吉美卯 幼妻 若妻 新妻 最高』で埋め尽くされる。


 ある男がさらに手を挙げた。


「み、美卯さん! 僕、こないだ友達としぶりん派か、しまむー派かで、取っ組み合いの喧嘩になってしまいました! お願いします美卯さん! こんな僕を叱ってください!!」

『え、ええー……?』


 美卯はこれ以上ないほどの困惑の表情を浮かべた。

 それでも、求められたことに対して律儀に還す。


『え、えっと……。誰にでも好き嫌いはあるから、仕方ないと思う、よ? でも、自分が悪いことをしたと思ったら、ちゃんと謝ろうね。気まずいかもしれないけど、勇気を出して。アニメは長くても2クールかそこらで終わっちゃうし、その情熱は覚めちゃうかもしれないけれど、でもアニメのことを一緒に語れる友達は、来季もその次もずっとずっと続く一生のお友達だよ。ね、大切にしてあげてね』


 その微笑みを見て、質問した男は「あああああ」と声を震わせながら涙を流した。

 男の体からなにか黒い影のようなものが抜け出てゆき、微笑みの光に照らされて影が消え去ってゆく光景が、他のオタクたちには見えていたことだろう。

 彼の闇は浄化されたのだ。


 優しくオタクを叱る住吉美卯。

 その神々しさに、誰かが「ママ……」とつぶやいた。

 その直後、さらにひとりのオタクが「美卯ママ……」と口走る。

 次々と美卯を呼ぶ声は「ママ、ママ」と重なり合い、大きくなってゆく。


 今この瞬間。

 美卯は母性の権化となったのだ。


 だが――。


「は、はい! 美卯さん! はい!」

『な、なんですか?』


 そのオタクは、若くて血気盛んな、だが向こう見ずな男であった。

 彼は決定的な一言を投じる。


「――旦那さんは、どんな人ですか!」


 今まで叫んでいた男たちはぴたりと、まるで地蔵のように口をつぐんだ。


 来た。

 もうそんな質問をしてしまった。

 まだちょっと幻想を見ていたかったのに。

 空気読めよ、ホントお前、これだからオタクは。俺たちもオタクだけど。

 とにかくだめだ、もう。

 男たちは絶望の渦に沈み込んだ。


『えーと……』


 美卯は恥ずかしそうに照れた顔をしている。


 オタクたちはそのありあまる過剰防衛本能で、美卯の旦那を妄想した。

 同じ学校の先輩だ。間違いない。

 イケメンで、部活のエースで、高身長で、社長の息子で、スポーツカーを乗りまわし、食事はいつでも高級レストラン、そして女の扱いがうまくて、美卯をとっても大事にしていて、自分たちオタクが百年かけても勝てないような、そんな相手なのだ。

 男たちは絶望した。そして一思いに止めを刺してくれと願い、我らが母に祈った。


 我らが母――。

 ――もとい、美卯は恥ずかしそうに頬を染めながら。


 語る――。


『美卯がひとりで夜道を帰っていたときにね、変質者さんに遭ったんだけど……そこで、助けてくれた人なの。もう四十を過ぎているんだ。すっかりおじさんで、頭もちょっとはげかけているんだけど、優しくてとっても頼りになるんだよ。どこかパパにも似てて、美卯はそんなダーリンのことが、大好きなの』


 男たちはそこに至上の美を見た。

 はにかみながら微笑む美卯こそが、この世界を創造した地母神であると確信を抱いた。


 百点満点どころではない。

 一兆点ぐらいの回答であった。


 ――男は顔ではない。

 ――男は年齢ではない。

 ――男は、優しさなのだ。


 オタクたちは自分たちがそれ以外にも一兆個ぐらいの欠点を持っていることをあえて無視し、そして万歳三唱をした。


 男と女の間にかかる橋の名は、やはり『愛』なのだ。


 人々は住吉美卯を称えた。


 彼女こそがオタサーの姫の中の姫。

 いや、もはや姫と呼ぶのもおこがましい。

 その愛にあふれた彼女は、姫を超えた存在。

 すなわち、『オタサーの母なる神』だ。


 オタサーの長老、小田桐伝蔵は両手を広げ、そして目を見開き涙を流していた。


「これぞ、古事記に書いてあった、世界創生の翼――。世界はそれを、愛と呼ぶのじゃ――!」



 住吉美卯と白鳥椿。

 ふたりの名を呼び続ける声は、とどまることなく、永遠に続くかのようだった。


 王国建立対決など、もはやなんの意味もない。

 今さらそんなものは野暮だ。(椿はずっと抗議していたが)


『男の娘』と『幼妻』、どちらが真のプリンセス。

 すなわち、プリンセスオブオタサーにふさわしいか。


 それはこれから、――全オタクによる投票で決着がつくことになった。

 



 こうして、一時間後。

 プリンセスオブオタサー地下トーナメントは、全日程を終了し――。


 投票による優勝者は、オタサーの姫の頂点に立ったのであった。


 22時にエンディングを投稿します。

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