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第二十九章 二人で刈るんだよ

第二十九章 二人で刈るんだよ


 年が明けても、二人の技には名前がなかった。


 橋本真也と花嵐一美。


 1986年を通じて、二人はタッグとして試合を重ねた。


 橋本が蹴る。


 花嵐が突く。


 そして――二人で同時に足を刈る。


 理屈そのものは、すでに二人の中では固まっている。


 橋本の蹴りで相手の姿勢を崩す。


 花嵐の突きで、相手の上体を起こす。


 その一瞬。


 相手の両足が揃う。


 そこで二人が左右から同時に大外刈りへ入る。


 倒れた相手の上に、二人もそのまま体重を乗せる。


 単純に見えて、タイミングが少しでもずれれば成立しない。


 だからこそ、二人は何度も練習していた。


 ただ――。


「名前、どうする?」


 橋本が言った。


 道場での練習が終わったあとだった。


 汗を拭きながら、橋本が花嵐を見る。


「だから、まだ決めなくていいって」


「でも、新聞が困るだろ」


「新聞が困る?」


「だって、記事にする時に困るじゃん」


 花嵐は少し考えた。


「じゃあ、説明すりゃいいんじゃないか?」


「説明?」


「蹴って」


「うん」


「突いて」


「うん」


「二人で刈る」


 橋本が止まった。


「……それ、技の名前じゃん」


「いや、説明だよ」


「いやいや」


 橋本が笑う。


「それ、完全に技名だろ」


「そうか?」


「そうだよ」


 そこへ、少し離れたところで話を聞いていた記者が口を挟んだ。


「今の、もう一回いいですか?」


 二人が同時に振り向いた。


「……聞いてたんですか?」


 花嵐が苦笑する。


「聞いてましたよ」


「どこから?」


「『蹴って、突いて、二人で刈る』のところから」


 橋本が頭を抱えた。


「ほら!」


「何が?」


「もう記事にされるぞ!」


 花嵐は笑った。


「まさか」


「いや、こういうのは本当に記事にするんですよ」


 記者は楽しそうだった。


「だって、本人が言ったんですから」


「いやいや。正式名称じゃないですよ」


「分かってます」


「本当に?」


「分かってますって」


 そう言いながら、記者は手帳に何かを書き込んだ。


 花嵐はそれを見て、少し嫌な予感がした。


「……何を書いてるんです?」


「技名です」


「だから、正式名称じゃないって」


「仮でいいじゃないですか」


「仮って」


 橋本が笑いながら横から覗き込む。


 そこには、大きくこう書かれていた。


 ――『二人で刈る』。


「……おい」


 橋本が笑う。


「本当に書いてるじゃねえか」


「だって分かりやすいでしょう?」


「分かりやすいけどよ」


 花嵐も苦笑する。


「もっとこう……格好いい名前とかあるでしょう」


「例えば?」


「……」


 花嵐は黙った。


「ないんだろ?」


 橋本が笑う。


「ないな」


「じゃあ、これでいいじゃん」


「いや、だから正式には決めてないんだって」


「でも俺たち、何て呼んでる?」


「……二人で刈る」


「ほら」


「……」


 花嵐は何も言えなくなった。


 そして数日後。


 二人のもとへ新聞が届いた。


 橋本が一面を開く。


「おい」


「何?」


「これ」


 花嵐が新聞を見る。


 そこには、二人の写真とともに大きな見出しが躍っていた。


 「橋本&花嵐の新必殺技『二人で刈る』!」


「…………」


 花嵐が黙る。


「…………」


 橋本も黙る。


 しばらくして。


「……本当に名前になっちゃったな」


 橋本が言った。


「なっちゃったな」


「どうする?」


「どうするも何も」


 花嵐は新聞を畳んだ。


「もう、こうなったら使うしかないだろ」


「だな」


 二人は顔を見合わせる。


 そして、同時に笑った。


「二人で刈るんだよ」


「そういうことだな」


 最初は、ただの説明だった。


 技をどう説明すれば分かりやすいか。


 それだけの話だった。


 だが、プロレスの世界では――。


 リングで何度も繰り返された動きには、いつしか名前が必要になる。


 そして一度、新聞に名前が載ってしまえば。


 それはもう、観客の中では立派な技名になる。


 花嵐は新聞をもう一度開いた。


 自分たちの写真。


 橋本の蹴り。


 自分の突き。


 そして、二人が左右から同時に相手の足を刈っている瞬間。


「……まあ」


 花嵐が言った。


「悪くないな」


「だろ?」


 橋本が笑った。


「正式名称じゃなかったはずなんだけどな」


「プロレスって、そういうもんだろ」


 橋本の言葉に、花嵐は少しだけ考えてから頷いた。


「そうだな」


 名前は、自分たちが決めるものとは限らない。


 リングで使い続けて。


 観客が覚えて。


 記者が書いて。


 いつの間にか、誰もがそう呼ぶようになる。


 それもまた、プロレスだった。


 そして1987年。


 橋本真也と花嵐一美のタッグには、いつの間にか一つの名前が定着していた。


 ――二人で刈る。


 二人にとっては、何気ない雑談から生まれた名前だった。


 しかしその技は、この先二人のタッグを象徴するものとして、少しずつ知られていくことになる。


 花嵐は新聞を折り畳み、道場へ向かった。


「橋本」


「ん?」


「今日もやるぞ」


「何を?」


「二人で刈るんだよ」


「おう」


 二人はリングへ向かった。

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