第二十八章 土俵を降りた男たち
第二十八章 土俵を降りた男たち
ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦。
橋本真也と花嵐一美の快進撃は、最後まで続いた。
だが――。
優勝には届かなかった。
リーグ終盤。
前田日明と木戸修。
その二人を相手にした一戦で、橋本と花嵐は敗れた。
前田の蹴り。
木戸の組み技。
二人の連携は、橋本と花嵐が想定していた以上に隙がなかった。
花嵐が前へ出れば木戸が足を取る。
橋本が蹴れば前田が距離を外す。
そして、こちらがタッグとして形を作ろうとした瞬間には、すでに相手の攻撃が入っている。
「くそっ!」
橋本がマットを叩いた。
花嵐も起き上がる。
最後まで抵抗した。
だが、届かなかった。
試合終了。
橋本・花嵐組のリーグ最終順位は――四位。
優勝ではない。
それでも二人の名前が、この一年で一気に知られるようになったことだけは間違いなかった。
◆
控室。
橋本は椅子に座り、汗を拭いていた。
「四位か……」
「はい」
「悔しいな」
「悔しいです」
花嵐は素直に答えた。
「でも」
「でも?」
「前田さんと木戸さんには、今の俺たちじゃ勝ち切れなかった」
橋本が顔を上げる。
「認めるのか?」
「認めます」
「簡単に言うなよ」
「だから、次は勝てるようにします」
橋本はしばらく黙っていた。
そして笑った。
「そういうところ、お前らしいな」
花嵐も笑った。
四位。
優勝を逃した。
それでも二人は、タッグとして確実に前へ進んでいた。
橋本の蹴り。
花嵐の突き。
そして二人で刈る大外刈り。
まだ名前のない技。
それでも、観客はその技を覚え始めていた。
◆
年末。
プロレス大賞の発表が行われた。
橋本と花嵐は、特別に期待していたわけではなかった。
リーグでは四位だった。
優勝したわけでもない。
だからこそ。
受賞の知らせを聞いたとき、二人とも一瞬だけ言葉を失った。
「最優秀タッグ賞――」
その名前が読み上げられる。
橋本真也。
花嵐一美。
橋本が花嵐を見る。
「……俺たちか?」
「俺たちです」
「マジかよ」
「マジですね」
二人は顔を見合わせた。
そして、笑った。
リーグ優勝は逃した。
それでも、一年間のタッグとしての活動そのものが評価された。
橋本の蹴り。
花嵐の突き。
そこから生まれる独特の連携。
そして、左右同時の大外刈り。
単なる大型選手同士の組み合わせではない。
二人で一つのタッグを作った。
そのことが評価されたのだった。
そして。
同じ発表の中で、もう一つの大きな名前が呼ばれた。
「最優秀選手賞――天龍源一郎!」
会場から拍手が起こる。
花嵐は思わず振り返った。
「天龍さん……」
その名前には、花嵐自身も納得するものがあった。
一年間、リングで存在感を示し続けた男。
そして今、この場で一年間の戦いを評価された男。
「天龍さんもMVPか」
橋本が言った。
「はい」
花嵐が笑う。
「一緒にお祝いできますね」
さらに。
花嵐にとって特別な名前もあった。
輪島。
元横綱。
そして、プロレスラー。
この年、輪島も特別賞を受賞していた。
花嵐は、受賞者として並ぶ輪島を見つめた。
土俵で自分を見ていた男。
そして土俵を降り、自らもプロレスのリングへ上がった男。
その輪島と、自分が同じプロレス大賞の場にいる。
不思議な感覚だった。
◆
授賞式。
橋本と花嵐が壇上へ上がる。
トロフィーを受け取る。
橋本は嬉しそうに笑っていた。
花嵐はトロフィーを両手で持つ。
「……重いですね」
「お前、それだけかよ」
橋本が笑う。
「いや」
花嵐も笑った。
「嬉しいですよ」
そして二人は、客席へ頭を下げた。
その後。
花嵐は輪島のところへ向かった。
「輪島さん」
「おう」
輪島が振り返る。
「最優秀タッグか」
「はい」
「やったじゃねえか」
「輪島さんこそ、特別賞」
「俺はまあ……長くやってきたからな」
輪島が笑う。
「でも、お前が取った方が嬉しいな」
「どうしてです?」
「俺はもう、横綱だったこともある」
輪島は肩をすくめた。
「お前は、相撲から出て、プロレスで自分の名前を作っただろ」
花嵐は黙った。
「それは大したもんだ」
「……ありがとうございます」
そこへ、別の男が近づいてきた。
「おいおい」
天龍だった。
「二人で何をしんみりしてんだ」
「天龍さん」
花嵐が笑う。
「MVP、おめでとうございます」
「おう。そっちも最優秀タッグ、おめでとう」
天龍が花嵐の肩を叩く。
続いて橋本にも手を伸ばした。
「お前もな」
「ありがとうございます」
橋本が頭を下げる。
「今年はお互い、よくやったな」
天龍が笑った。
すると輪島が言った。
「せっかくだ。飯でも食うか」
「いいですね」
花嵐が答える。
「俺の昔のタニマチが、祝勝会を開いてくれるらしい」
「俺も行っていいのか?」
天龍が笑う。
「MVPが行かなくてどうする」
◆
その夜。
花嵐が店へ入った瞬間。
「……え?」
足が止まった。
そこにいたのは輪島だけではなかった。
「おう、花嵐!」
石川。
そして――。
「お前、賞取ったんだってな」
ラッシャー木村。
「おめでとう」
天龍。
「よくやったな」
田上明。
「花嵐さん、おめでとうございます!」
維新力。
さらに何人もの相撲出身者が集まっていた。
元力士。
元関取。
そして、現在はプロレスラーとしてリングに立つ者たち。
まるで、土俵を降りた男たちの同窓会だった。
「……なんでこんなにいるんですか」
花嵐が呆然とする。
輪島が笑った。
「俺の昔のタニマチだからな」
「だからって……」
「今日はお前だけじゃねえ」
天龍が言った。
花嵐が振り返る。
「天龍さんも?」
「俺もだ」
天龍は笑った。
「MVPなんだからな」
その一言で、店内から拍手が起こった。
「おめでとうございます!」
「天龍さん、MVP!」
「花嵐さんも最優秀タッグ!」
「輪島さんも特別賞!」
次々に声が飛ぶ。
天龍が照れ臭そうに頭を掻いた。
「こういうのは慣れねえな」
ラッシャー木村が笑う。
「俺たちも似たようなもんだろ」
石川が酒を掲げた。
「じゃあ、まとめて乾杯だ!」
グラスが上がる。
「天龍さんのMVP!」
「橋本・花嵐の最優秀タッグ!」
「輪島さんの特別賞!」
「乾杯!」
グラスが一斉にぶつかった。
カチン、カチン、と音が響く。
◆
その隣で。
橋本は少し居心地が悪そうにしていた。
「……俺、いていいのか?」
花嵐が振り返る。
「何言ってるんですか」
「いや、俺は相撲出身じゃねえからな」
するとラッシャー木村が笑った。
「お前、花嵐のタッグパートナーだろ」
「まあ、そうですけど」
「だったら座れ」
天龍も笑った。
「今日はプロレスラーの宴だ」
田上が続ける。
「相撲出身じゃなくても関係ないですよ」
橋本は少し戸惑いながら、席についた。
「……じゃあ、お邪魔します」
「堅えなあ」
天龍が笑う。
「今日はそんなこと気にする日じゃねえ」
輪島が酒を注ぐ。
「相撲取りだった奴もいる」
花嵐を見る。
「相撲取りじゃなかった奴もいる」
橋本を見る。
「でも、今はみんなリングにいる」
橋本が笑った。
「それなら、俺もいただきます」
グラスを受け取る。
◆
宴は、すぐに昔話になった。
「花嵐、お前、相撲の頃からあんなに突っ張ってたか?」
天龍が聞く。
「もっと真っ直ぐでしたよ」
「今は斜めに打つだろ」
「佐山さんに教えてもらったんです」
「なるほどな」
天龍が頷く。
「相撲の突っ張りを、プロレスの打撃にしたわけか」
「そんな感じです」
田上が聞く。
「で、最後は二人で大外刈り?」
「はい」
「柔道やってた二人だから出てきた技だな」
花嵐は頷いた。
「最初は二人で投げようとしたんですけど、持ち上げると相手の重心がずれるんです」
「だから刈る」
「そうです」
田上が笑う。
「面白いな」
その会話を聞いていた橋本が口を挟む。
「でも、まだ名前がないんですよ」
「名前がねえ?」
天龍が笑った。
「最優秀タッグの技なのにか?」
「そうなんですよ」
花嵐が苦笑する。
「新聞じゃ『謎の合体技』とか書かれてます」
「そりゃ記者も困るわな」
ラッシャー木村が笑う。
「じゃあ、ここで決めればいいじゃねえか」
「いやいや」
花嵐が手を振る。
「まだ実戦で試している途中ですから」
「お前らしいな」
天龍が笑った。
「技の名前より、技そのものを先に完成させるか」
「はい」
◆
少し遅い時間になった。
宴の喧騒から離れ、花嵐は輪島の隣に座っていた。
「輪島さん」
「ん?」
「今日、こうして集まってもらって……ありがとうございます」
「俺が呼んだんじゃねえよ」
「え?」
「俺の元タニマチが、お前の受賞を聞いてやったんだ」
輪島は笑う。
「俺も天龍も、みんな呼ばれた側だ」
「そうだったんですか」
「まあ、いいじゃねえか」
輪島は周囲を見た。
石川。
ラッシャー木村。
天龍。
田上。
維新力。
そして花嵐。
その少し離れたところには橋本もいる。
「相撲から来た奴らが、こうしてプロレスで集まる」
「はい」
「不思議なもんだな」
花嵐は頷いた。
輪島は続けた。
「でもな」
「はい」
「お前は、もう『相撲から来たプロレスラー』だけじゃねえ」
花嵐が輪島を見る。
「最優秀タッグを取ったプロレスラーだ」
花嵐は少し黙った。
「……ありがとうございます」
「胸張れ」
輪島が笑った。
「俺たちが相撲取りだったことは消えねえ」
「はい」
「だったら、それを使えばいい」
花嵐は静かに頷いた。
相撲。
UWF。
新日本。
そして橋本とのタッグ。
どれか一つを捨てる必要はない。
全部、自分の身体の中に残っている。
◆
その向こうでは、橋本と天龍が話していた。
「お前、花嵐とはどうなんだ?」
天龍が聞く。
「面白いですよ」
「そうか」
「ただ、あいつ、真面目すぎるんですよ」
「ほう」
「技の名前一つ決めるのにも、まだ完成してないとか言うんです」
天龍が笑う。
「いいじゃねえか」
「そうですか?」
「そういう奴が一人いるから、もう一人が好き勝手できるんだよ」
橋本が少し考えた。
「……確かに」
「来年も組むのか?」
「そのつもりです」
「だったら、もっと暴れろ」
「はい」
橋本が笑った。
「来年はリーグも取ります」
「言ったな」
「言いました」
天龍がグラスを上げる。
「じゃあ、来年に乾杯だ」
橋本もグラスを上げた。
「乾杯」
◆
宴の最後。
全員がもう一度、グラスを掲げた。
天龍のMVP。
橋本・花嵐の最優秀タッグ。
輪島の特別賞。
1986年。
それぞれが違う場所で戦ってきた男たちが、同じ年の賞を手にした。
そして、その祝いの席には。
相撲出身者も。
相撲とは無縁だった男も。
関係なく集まっていた。
「今年一年、お疲れさん!」
天龍の声。
「来年もよろしく!」
輪島の声。
「乾杯!」
全員の声。
グラスが鳴った。
花嵐は、その光景を見渡した。
土俵を知る者。
土俵を知らない者。
UWFを知る者。
新日本を知る者。
全日本を知る者。
それぞれ歩いてきた道は違う。
それでも。
今は同じリングの世界で生きている。
そして自分は、その中で。
橋本真也とともに、最優秀タッグ賞を取った。
四位だった。
優勝ではなかった。
それでも。
1986年という一年は、確かに二人のものになった。
花嵐は隣の橋本を見る。
「橋本さん」
「ん?」
「来年は、本当にリーグ取りましょう」
「当たり前だ」
橋本が笑った。
「その前に――」
「はい?」
「あの技の名前だ」
「まだ言いますか」
「最優秀タッグの技だぞ」
「……考えますよ」
二人の笑い声が響く。
その夜。
土俵を降りた男たちの宴は、深夜まで続いた。




