第12話
そんな、馬鹿な。これまで太刀脇と過ごしてきた"銀行屋"としての思い出がまるで走馬灯のように僕の脳裏を駆け抜けていく。
太刀脇は今の今まで僕たちがどんなことがあっても信頼できる大切な仲間だと思っていた、それは嘘だったのだろうか?
「泉?」
背後から太刀脇の幼さを感じさせるハスキーボイスが聞こえてきた。
すぐに手紙を封筒の中に押しこみ、ズボンのポケットに隠す。そんな僕の様子を不審げにみつめていた太刀脇だったが、しばらくして薬缶を火にかけ始めた。
煮沸し終わった小川の水を太刀脇はコップに注ぎ、僕に手渡ししてくれる。それを僕はおっかなびっくり受け取った。
手紙を盗み見たことはどうやらまだ気づかれていないようだ。僕はいっさいの動揺を表に出さないよう注意しながら、できるだけ普段通りに振舞おうとした。
熱い熱湯を飲み干す。息を吹きかけて冷ましてから隣で同じようにお湯を飲んでいる太刀脇は、どこをどうみても裏切り者とは思えなかった。
いや、あれだけ同じ時間を過ごしてきた太刀脇が裏切り者なのだとは僕には到底思えない。僕はここで今すぐに太刀脇を問い詰めたい衝動に襲われた。
隣りに座る太刀脇を伺う。ほんとうに太刀脇は僕たちを裏切って清流寺と内通しているのだろうか。
そう喉まで出かかった言葉を無理やり飲みこんで、僕はすぐさまこの場を離れることにした。どちらにしろ、太刀脇が清流寺と秘密裏にやり取りを交わしていた衝撃の事実は僕の手に余る。
いつもは煩わしく感じていた、数奇院の常に人を見下しているような余裕ぶったあの笑みを今や待ち焦がれている有様だ。はやくこんな悪夢みたいな妄想を笑い飛ばしてほしい。
僕はあくまで自然を装って立ち上がり、太刀脇に別れを告げた。
「それじゃ、僕はもう高校に戻るよ。昨晩は泊めてくれてありがとうね。」
かすかに頷く太刀脇に礼を告げてから、隠れ家を離れ、森の中に足を踏み入れる。しばらく歩いて、太刀脇の視界から逃れたことをしつこいぐらい確認したのち、僕は駆け出した。
「はぁっ、はぁっ……。」
息を切らしながら慣れない山道を走っていく。一刻も早く数奇院にこのことについて尋ねなければ……。
鎖がのばされた岩場で、僕はようやく立ち止まった。いくらなんでもここは慎重に降りていかなければ、大怪我をしてしまう。
膝に手をあて、荒れた息を整えていた時だった。ふと、自分がなにかを忘れている気がして嫌な怖気が背筋を伝っていく。
いや、僕はこの山に封筒のほかは着の身着のままで何も持たずに来たはずだ。確かに不用心なことだけれど忘れ物なんてするはずが、
「あっ、封筒!」
そういえば、僕はまだ封筒を制服のズボンのポケットにつっこんだままだった。恐る恐るポケットをまさぐると、指先に紙の固い感触が伝わってくる。
馬鹿か、僕は! どうしてあの隠れ家に残してこなかったんだ、これじゃあ太刀脇が封筒の中身を見られたことに気がついてしまうじゃないか!
自分のあまりにもの不注意に、臍を噛む。しかし、こうなってしまっては後の祭りであることに変わりはない、今はとにかく高校まで少しでも早く戻らなければいけなかった。
岩場の鎖に手をのばす。かがみこんだ僕の肩に、そっと誰かの手が添えられた。
「……泉。追いついた。」
どうやら、急ぐとか急がないとかの前にとうの昔に僕は詰んでいたらしい。太刀脇の気配をすぐ後ろに感じながら、僕は絶望した。
「封筒、もらう。」
僕の手から封筒が背後に抜き取られていく。僕は、これから自分が太刀脇にどんなことをされるのか想像して身震いした。
「読んだ、中身?」
今さら誤魔化そうとしたって無駄だ。太刀脇の半ば答えを確信したような問いかけに、僕は頷かざるを得ない。
「アブリル、どうして"銀行屋"を裏切ってよりにもよって清流寺なんかに裏切ったんだい?」
もう取り繕う必要もなくなった僕は、太刀脇のほうへと振り返りながら問いかけた。太刀脇はいたって普段通りのように見える。
「金。」
「は?」
「金、いっぱい、くれる。数奇院、たくさん、でも、清流寺、数倍。」
一周回って実にこの神子高校らしい理由だった。当然といえば当然だ、金払いのいいほうにつくのは社会でもよくあること、太刀脇もその例外でなかったというだけの話なのだろう。
ただ、僕は悲しみとも怒りともつかない感情で心がぐちゃぐちゃになっていた。今までの"銀行屋"の思い出も、結局は金次第というわけだ。
「泉、提案。」
裏切りを認めたも同然の言葉。それを紡いだのと同じ口で太刀脇は僕にとんでもない誘い文句を続けた。
「泉、同じく、裏切る。待遇、数奇院、倍、下回る、絶対にない。」
「……まさか、アブリルは僕にも数奇院を裏切れっていうのか?」
太刀脇は静かに頷く。本気かよ、僕は思わず天を仰いだ。
「ちなみに、そのお誘いを断ったら僕はどうなるのかな。」
「安全、保証、ない。裏切り、知られる、あってはならない。行方不明者、隠滅。」
乾いた笑いを漏らす。どうやらこれは提案でも勧誘でもなく、単なる脅しであったらしい。
確かに、今ここで僕が数奇院を裏切れば清流寺の勝利はほぼ確定するだろう。三人しかいない"銀行屋"、そのうちの二人が寝返ったとなればさしもの数奇院も打つ手がないに違いない。
黙りこくった僕をみつめる太刀脇は、なにを思ったのか頷いた。
「泉、賢い。どうすべきか、しっかり、知ってる。」
僕は数奇院に胸のうちで謝る。でも、もとはといえば臍を曲げて僕を山へとお使いに出した数奇院が悪いのだ。
「アブリル、ごめんだけれど数奇院は裏切れないや。あんなのでも僕の友達なんだ。」
太刀脇は驚いたように目を見開いて、残念だと呟いた。そして、懐からナイフをとり出す。
太刀脇は嘘をつかない、僕を殺すというのならば僕を殺すのだろう。恐らく、死体の隠滅にも長けているに違いない。
「ただでやられるつもりはないぞ!」
最後の抵抗を試みて、僕は太刀脇に飛びかかった。不意を突いてナイフを叩き落し、太刀脇を押し倒そうとする。
ガッ!
頭に衝撃が走った。目の前で星が散り、僕は地面の上に倒れこむ。
朦朧とする意識の中、僕は太刀脇が血のついたメリケンサックを手から外しているのに気がついた。やっぱり喧嘩慣れした太刀脇を僕が暴力でどうにかしようというのは土台無理な話だったらしい。
ズリズリと太刀脇に地面を引きずられていく。血の跡を残しながら、僕は岩場の淵に転がされる。
どうやら太刀脇は僕を岩場からの滑落死に偽装することにしたらしい。確かに、山に行くといって昨日から姿を見せないのでは、岩場から足を滑らせたのだと考えるのは自然だ。
僅かばかりに残った力で太刀脇の足にしがみつく。そんな僕を、太刀脇は冷たい目で見下すと、あっさりと僕を蹴り飛ばした。
全身が浮遊感に襲われる。青い空がよく見えた。
岩場から蹴り落された僕は風を切りながら一目散に地面に向かっていく。僕の寿命もあと数秒で終わるのだろう。
そう諦めた僕が目を閉じて最期の時を覚悟した瞬間、ふわりとして柔らかいなにかが僕を優しく包みこんだ。
覚悟していた痛みがまったく伝わってこない。いったい僕はどうなってしまったのだろうか? 不思議に思いながら僕は瞳をつむったまま背中の肌が鋭い岩に切り裂かれるのを待ち続けた。
「泉くん? あなたはいつまでそうしてわたしを無視するつもりなのかしら?」
「……なぜ、お前、ここに!? 」
いるはずのない、聞こえるはずのない声が聞こえてくる。驚きのあまり上擦った太刀脇の叫びを聞きながら、僕は信じられない思いで目を開けた。
「ちょうど15時間47分ぶりね、泉くん?」
得体のしれない冷酷な笑みを浮かべた、あの数奇院が静かに僕の顔を覗きこんでいた。




