三度目があるのなら
「こいつは“ぶちのめして身ぐるみ剥ぐ”と言いましたが、装備品にシステムからの保護がかかっている万魔殿で身ぐるみ剥ぐには、PKするしかありません」
冷静そうに見えて、しかしまだキレたままのギルド『紅の旅団』マスター親衛隊隊長、オズウェルが言う。
「つまりこの連中はあなたを殺そうとしたわけですから、おれがうっかり手をすべらせるには十分です」
システムのデスゲーム化宣言を信じるなら、現在のVRMMORPG『万魔殿』でプレイヤーを殺す行為は、現実での殺人と等しいわけだが。
ハートレスが一言命じればすぐにでも“手をすべらせる”つもりだろうオズウェルには、それについて気にする様子などまったく無かった。
なぜなら今の彼にとって重要なのは、足元に転がしている『万魔殿踏破軍』の連中が自分の守るギルドマスター・ハートレスを殺そうとしたという許しがたい行為であり、彼らの最初の攻撃を防いだのが自分ではないという猛烈に腹の立つ事実だったからだ。
しかも剣を合わせた結果、彼らはまるで歯ごたえの無い相手であるとすぐにわかってしまったため、自分より弱い相手を殺さない程度に痛めつけるという、何の喜びもない行為をしなければならなかったオズウェルは余計にストレスをためている。
けれど、そんな彼に対してハートレスは。
「オズは手をすべらせたりしない」
彼が問題にしているものとはまったく別の、的外れとさえ思えることをさらりと言って、ひとかけらの肉片も残さずきれいに平らげた鉄串を皿へ置いた。
そして、オズウェルをまっすぐに見すえて言う。
「私が決めるべきことなら、私がやる」
それは彼らを殺すと決めたなら自分の手でやるから、お前達は余計な事をするな、という宣言であり警告。
これら二つの言葉はまったく気負いのない自然体で、当たり前のことのように告げられた。
近くで見ていたフェイが、いきなり片手で胸を抑えて「くっ」とうめく。
「さすがだな、レス……。今のは俺の心臓にも“きゅん”ときたぜ」
えっ? 今のどこに“きゅん”ポイントがあったんだ? と顔を見合わせたのはエディとリドだけだ。
ハートレスの視線を真っ向から浴び、その言葉を受けたオズウェルなど、珍しく頬を赤くしてうなるように小声で言う。
「そういうのは卑怯ですよ、レス。あなたという人は、どうしてこんな時に不意打ちで惚れ直させるんだ……!」
心なしかギルマス親衛隊パーティの面々も、いつもの彼らからは想像もつかない表情で、微妙に視線をそらしている。
えっ? 今のどこに(以下略)と思ったエディは、リドを見て首を傾げた。
リドの心臓にも“きゅん”ときた? という無言の問いかけ。
訊かれた彼は大急ぎでぶんぶん首を横に振って否定したので、二人は戦闘狂達の“むねきゅんポイント”は謎だ、という結論に達する。
きっと、一般人には理解できないところにあるのに違いない。
一方、他人の感情に鈍感なハートレスは、自分の発言が彼らにどう受け止められたかなど知りもせず、テーブルを離れてオズウェル達の方へと歩いていく。
それを見てようやく我に返ったオズウェルが、片方の剣を鞘へおさめると空いた手で彼女を制止した。
「待ってください、レス。あなたの考えはわかりましたが、だからといって手を下させるつもりはありませんよ」
「どうして?」
自分が決めるのなら、自分が手を下すべきだ。
当たり前のこととしてそう考えていた彼女が訊くのに、オズウェルが答えて言う。
「ちょうどいい機会なので言っておきます。おれはあなたをドクロ付きにするつもりは無いので、その必要がある時はおれに回してください」
ドクロ付きとは、プレイヤーがプレイヤーを殺すと名前の横にドクロのマークが付くことから、PKプレイヤーのことを指す。
つまりオズウェルはハートレスをPKプレイヤーにさせるつもりはない、と宣言したわけで、彼女はますます不思議そうな様子でまた「なぜ?」と訊ねた。
彼はかすかに緊張した様子で答える。
「あなたがドクロ付きになるということは、そこまで相手の接近を許したってことです。ようするに親衛隊リーダーとしてのおれの手落ちです。認めるわけにはいきません」
「なるほど」
ハートレスは頷いた。
もしもここで「あなたがギルドマスターだからです」と言われていたら、彼女は納得しなかっただろう。
肩書きひとつで自分の戦闘を制限されるなど、戦うためにこのゲームを始めた彼女には、とてもではないが受け入れられない。
しかし、オズウェルは彼が自負する役割ゆえに、ハートレスをドクロ付きにするわけにはいかない、という。
それはおそらく彼のプライドに関わるもので、尊重すべき点である、ということは彼女にも理解できた。
だからこそ、彼の言葉に納得してゆだねる。
「わかった。その時はオズに任せる」
満足げな笑顔で「ありがとうございます」と答えるオズウェルに、ハートレスが続けた。
「でも、今はいい。エディ」
「……うぃっす?!」
いきなり名を呼ばれて挙動不審に応じたエディに、指示を出す。
「この人たちの名前とクラス、レベルを見て、どこかにメモしておいてくれる?」
「ハイっす!」
彼女が何をするつもりなのかはわからなかったが、エディは即座に従った。
普段は額の上にあげてあるゴーグルを装着し、彼のクラスの専用スキルである〈分析〉を発動。
エディが見抜いた『万魔殿踏破軍』のギルドメンバーたちの名前、クラス、レベルを、隣にいたリドがメール画面に書きとめ、そのままハートレスへ送った。
「レス。そんなもんチェックして何に使うんだ?」
フェイが訊ねるのに、彼女が答えようとした、ちょうどその時。
急に外が騒がしくなり、間もなくどやどやと自警団NPCが踏みこんできた。
「騒ぎを起こしてるのは誰だ!」
厳しい声が響きわたるのに、反射的に旅団メンバーが身構える。
自警団NPCは問題を起こしたプレイヤーを牢屋に入れることがある、とガイドブックに載っていたのを思い出したのだ。
しかし。
「そこで寝てる人たちが騒いでましたよ~」
突然、店の奥からのんびりした声が響いて、自警団NPCたちの注意を引いた。
食べかけの骨付き肉を片手に持った青年が、カウンターの奥からひょいと立ち上がって答えたのだ。
何者だ、と鋭い口調で自警団NPCから問われるのに、彼は慣れた様子で応じる。
「たまたまここで食事してた旅人です。いやぁ、彼らがその人たちを片付けてくれて助かりました。いきなりそこのお嬢さんに短剣投げつけたりして、さっきまですごい大暴れでね~」
暴れていたのはケンカを買った旅団メンバーもだったが、あえてそこには触れずに破軍メンバーが事の発端であると強調している。
当然ながら、こいつはいったい何のつもりか、という警戒の視線が集中したが、つかみどころのない笑みを浮かべた青年は自警団NPCとばかり話していて、旅団メンバーたちとは目を合わせようとしなかった。
そうしてハートレス達が様子を見ている間に、自警団は仕事を進める。
彼らはまず、目撃者として証言した青年が、騒動を起こしたプレイヤー達とまったく関わりのない第三者であるかどうかを、フレンドリストの履歴などから調査。
間もなく本当に関わりのない第三者であるという確認がとれると、店の奥に隠れていた食堂のおばちゃんNPCの証言と合わせて状況を把握。
その結果、青年とおばちゃんNPCの証言によって旅団メンバーがケンカを仕掛けられた方であることが分かると、自警団NPCたちは破軍メンバーだけを捕縛して牢へと連れて行った。
ケンカを買った旅団メンバーは、いきさつを問われるのに事の経緯を説明した後、これからは騒ぎを起こさないように、との注意をされただけでお咎め無し。
「こりゃ驚いたな。騒ぎを起こすとまとめて捕まって牢にぶち込まれる、って聞いてたんだが」
「今のはちょっとした裏技だよ」
破軍メンバーを連れていく自警団NPCを見送ってフェイが言うと、危ないところを助けてくれたらしい青年が答えて忠告した。
「目撃者と騒動を起こした人につながりがあるかどうかのチェックはかなり厳しいし、いつもこんなに上手くいくとはかぎらない。ふつうはケンカ買っただけでも、反撃した時点で同罪だと判断されてみんな牢屋へ連れていかれるから、今度からは気をつけた方がいいよ」
ハートレスが素直に頷いて、礼を言う。
「そうする。助けてくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
忠告を素直に受け入れられただけでなく、きちんと礼を言われたことが嬉しかったらしく、青年はゆるい笑顔で答えた。
「噂の女王さまの戦いが見られなかったのは残念だったけど、いい食べっぷりだったね。さすが“おにく、おいしい”の人だ。……と、そういえばまだ自己紹介してなかったな。ぼくはギルド『グルメマニアクス』のメンバーで、ユキヒコっていうんだ。ちなみに『グルメマニアクス』はいろんな店を食べ歩いて、どんなものが美味しかったかレポートを書くのが好きな連中の集まりなんだけど」
さっと手を差し出す、彼女の動きは素早かった。
「私はギルド『紅の旅団』のマスター、ハートレス。よろしく」
「こちらこそ、よろしくね」
ユキヒコがへらりと笑ってその手を握り返すと、二人はそれぞれの目の前に表示されたフレンド登録画面を操作した。
ハートレスのフレンドが一人、久しぶりに増える。
「今度、肉料理の美味しいお店とか、教えてくれる?」
「もちろん、いいよ。じつはぼくの方からもちょっと頼みたいことがあるんだけど、この後お茶しながら話すとか、どう?」
「話したいけど、今日はこれから行くところがある」
ハートレスは残念そうに断り、二人は明日の朝に会う約束をして別れることになった。
ユキヒコがタウン内にある別の食堂へ案内し、そこで食事をしながら話をする、という約束だ。
「明日の朝、ギルドハウスまで迎えに行くよ」といって食堂を出ていくユキヒコに、「楽しみにしてる」と答えて見送り、ハートレスは二人の会話が終わるのを待っていたギルドメンバーに向き直った。
「レス。今日はこの後、どこかへ行く予定は無かったはずですが」
「状況が変わった」
オズウェルに訊かれ、ハートレスは答えて言う。
「これから破軍のギルドハウスへ行く」
ざわりと周りがどよめく中、フェイが期待に満ちた眼差しで真っ先に訊く。
「殴り込みだな?」
プレゼントの箱を開けようとしている子どものような、わくわくした無邪気な顔で訊かれるのに、ハートレスはきょとんとして答えた。
「最終的には殴ることになるかもしれないけど。その前に一度、破軍のギルドマスターと直接会って話がしたい。できればさっきの人たちが牢屋に入れられてるうちに」
「話をする? まぁ確かに、話し合いで叩くなら今が絶好の機会だろうが。でも、いいのか? レス。そんな似合わねぇ平和的な解決法で。もともとケンカ売られたのはお前だっていうじゃねぇか。連中の親玉とっつかまえて、ぶちのめしてやりてぇんじゃねぇの?」
あからさまにあおってくるフェイへ、しかしハートレスは冷静に返す。
「もうすぐ50階で遊べるのに、こんなところでアイテム無駄遣いしたくない」
「……あー、そりゃ、アレか。破軍の連中より、50階のモンスターの群れの方が優先ってことか?」
思わずあきれたような口調になった彼に、彼女はことりと小首を傾げる。
「フェイは楽しみだと思わない? あのフィールドいっぱいのモンスターと、ようやく遊べるの」
「うーむ。まあ、ここんとこずっとその準備ばっかしてたからなぁ。気持ちは分からんでもないが」
腕組みをして応じるフェイに、ひとつ頷いてハートレスは言う。
「装備品は今作れる中で一番性能の良いものを揃えたし、回復薬とかもいっぱい用意した。でも、今ここで破軍と対人戦するようなことになったら、たぶんアイテム無駄遣いすることになる。そうしたらきっと、シウにまた準備ができるまで行くのを延期しましょうって言われるだろうから、イヤ」
「あのメガネならそうなるだろうな。アイテム不足のままボス戦突入とか、絶対しねぇタイプだ」
ハートレスと話しているうちに毒気を抜かれたフェイは、どうする、と問うように仏頂面のオズウェルを見た。
ギルドマスターに売られたケンカを親衛隊長として横からかっさらい、相手をぶちのめした彼はそれでも「まだ足りない」という顔をしていたが、当の女王が「今は破軍と事構えたくない」という。
「……仕方がありませんね」
しぶしぶと、本当に嫌そうな顔で頷いたオズウェルは、けれど一つ確認した。
「レス、それでも相手がやる気だったら、どうするんです?」
「その時は三度目になる」
「三度目?」
「さっきの人達は何をしに来たのか言わなかったけど、このタイミングで私の装備品を狙ったということは、たぶん[金冠の雄鶏]が欲しかったんだと思う」
ハートレスが片手を上げて、ほっそりとした手首にしゃらりと揺れる雄鶏の飾りが付いた金鎖のブレスレットを示す。
それは連合軍総司令官であることを示す印であり、同時に地下50階の大戦を開始できる唯一のアイテムでもある貴重品だ。
「でも、それについては一度、破軍マスターから『牙』のセンリを通じて譲ってほしいと言われるのに「断る」と答えてる。それでも今の連中は来て、オズが私の代わりに片付けてくれたけど、つまりこれで破軍から[グリンカムビ]の件でちょっかい出されるのは二度目。次の」
戦闘狂集団のトップ、ギルド『紅の旅団』マスターはかろやかな笑みを唇に刷く。
「三度目があるのなら、それは向こうも覚悟の上とみなす。だからもう、許さなくていい」
それは自分に対しての、そしてオズウェル達に対しての、物騒な解禁許可だった。
オズウェルは一気に機嫌を直し、毒気を抜かれていたフェイも相手の出方しだいで乱闘になるという可能性が出てきたことに、「そうこなくちゃな!」と活気を取り戻す。
彼らがようやく納得したことを見てとり、ハートレスは食堂を出た。
ぞろぞろと彼女について行く旅団メンバーの中で、「本当にこのまま行っちゃっていいのかな?」と不安げな顔をするエディとリドに、前触れなくフェイが声をかける。
「おい、そこの駄犬と、シウのペット」
いいかげん言われ慣れてきたエディが自分を指さして「駄犬?」と首を傾げると、隣のリドは瞳がこぼれ落ちそうなくらい大きく目を見開いて同じく自分を指さし、「シウさんの……、ペット?」とがく然とした口調でつぶやいた。
ハートレスを破軍のギルドハウスへと案内してやりながら、リドのアイデンティティを揺るがしたフェイは軽い口調で「ああ」と頷く。
「音声通信があれば連絡してやるんだが、万魔殿にはねぇからな。今からメール書いて説明すんのも面倒くせぇし、お前らちょっとひとっ走りして、シウに報告してこい」
「えっ」
「えっ」
エディとリドが同時に、すごく遠慮したいです、というふうに驚いて後ずさったが。
「ぜんぶ事後説明になるとたぶんあいつ、すねるぞ。後でネチネチネチネチ文句言ってくるの、聞いてたいのか?」
自分は違うパーティだから逃げられるが、同じパーティである彼ら二人に逃げ道など無いだろう。さあ、どうする? といういさささか意地の悪い質問に、「うっ」と詰まったエディとリドは、弱った顔を見合わせた。
しかし誰かが報告しに行かなければ、後で自分たちがシウのストレス発散用サンドバッグとしてさんざんな目にあうであろうことは確実で。
「ゆっくり! できるだけゆっくり歩いてくださいよ!」
「マスター! すぐ戻るんで、大暴れはその後でお願いしまっス!」
それぞれ叫びながら、全速力で旅団のギルドハウスへと駆けだした。
ハートレスは歩調を緩めることもなくその声を聞いて、オズウェルに訊ねる。
「後でシウに叱られるかな?」
自分では今すべきだと思うことをしに行くだけなので、とくに彼の許可が必要だとは感じていなかったのだが。
どうだろう?
「大丈夫です。その時はおれも一緒に叱られますから」
とにかく破軍に対する腹立ちのおさまらない親衛隊長は、彼女を止めることなく笑顔でそう応じた。
何の解決にもなっていないのだが、彼の物騒な笑顔を見て、それならいいか、とハートレスは頷く。
そして間もなく到着した『万魔殿踏破軍』ギルドハウスの扉を叩くと、対応に出てきたメンバーの青年が自分たちを見て「はー、い゛っ?!」と驚きに固まるのをまるで気にせず、いつもと同じ口調で訊ねた。
「私は『紅の旅団』のギルドマスター、ハートレス。破軍のギルドマスターに会いにきました。彼は今、どこにいますか?」




