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赤眼の聖剣士  作者: ヤクルト2億
影の村
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花葬の厄災

「お師匠様ッ!!」


 ヒョウガの悲鳴にも似た叫びが響く。俺は目の前の光景を見て、理解した。――あの“影の檻”を破壊したのは、間違いなくあの少女だ。

 アリスの身体は、無数の赤い花弁となって宙を舞っていた。人間が、こんなにも容易く崩されるなんて。あの少女は、アリスの影だけじゃなく、人の命そのものすら、指先一つで壊せるというのか……!?

 だが次の瞬間。宙へ拡散した花弁が、まるで意思を持つみたいに再び集まり始める。花弁は絡み合い、重なり合い、やがて人の輪郭を形作っていく。そして――

 アリスが、再びその場へ姿を現した。


「アリスさん!!」


 俺が叫ぶと、仮面の少女が静かに口を開く。


「……聖力を持つものは、花弁へ変えても、すぐ勝手に元の形へ戻ろうとする」


 感情のない声だった。抑揚も熱もない。ただ事実だけを読み上げるみたいな声音。


「くっ……!」


 突然、アリスが片膝をつく。呼吸も荒い。額には脂汗が滲み、明らかに様子がおかしい。


「――だから、“再構築”する時に体内へ直接()()()()()を混ぜた」


 ぞくり、と背筋が冷えた。何をされたのか、その全てを理解できた訳じゃない。だが、アリスの身体の中へ、直接毒を混ぜ込まれた――それだけは分かった。

 このままじゃまずい。そう思った瞬間。


「……はぁッ!!」


 アリスが叫ぶ。少女の背後の影が盛り上がり、剣を握る黒い腕へ変化した。影の刃が、一瞬で少女へ振り下ろされる。

 ――だが。刃が触れる寸前。少女の身体が崩れた。

 その全てが、無数の赤い花弁へと分解される。

 ついさっき、アリスの身体に起こった現象と全く同じものだった。

 斬撃は空を切った。舞い散る花弁は即座に再び人の形へ集束し、少女はその姿を再び表した。


「……無駄な抵抗。どうせアナタは、もうすぐ死ぬ」


 少女は淡々と告げると、アリスの額を指先で軽く弾いた。その瞬間。糸が切れた人形みたいに、アリスの身体から力が抜ける。


「お師匠様ッ!!」


 ヒョウガの叫びも虚しく、アリスはそのまま地面へ倒れ込んだ。

 少女を切ろうとした影の腕も。ドラシルを拘束していた影の檻も。全てが力を失い、黒い泥みたいに崩れ落ちていく。

 アリスは動かない。静かに瞼を閉じたまま、ぴくりとも反応を見せなかった。


「いやあ危なかった危なかった。助かったよ、ありがとう」


 ドラシルは心底楽しそうに笑う。


「……油断しすぎ」


 少女は相変わらず感情のない声で返した。まるで今、人が一人倒れたことなど、本当にどうでもいいみたいに。


「き……貴様らァッ!!!」


 ヒョウガが怒号を上げる。凄まじい殺気だった。握られた剣から、青白い冷気が噴き出している。

 俺もまた、少女へ向かって駆け出した。

 ――あいつだけは、許してはいけない。

 二人同時に剣を振るう。だが、刃が届く寸前、少女の身体が再び崩れた。肉体そのものが花弁へ分解され、俺達の斬撃は虚しく空を裂くだけに終わる。

 舞い上がった花弁は、ひらりと宙を漂い――

 次の瞬間には、俺達の背後で再び少女の姿へ戻っていた。やはり、攻撃が当たらない。


「うおおおおおおおッ!!!」


 ヒョウガが理性を失ったみたいに叫ぶ。

 再び少女へ突っ込もうとするが、その進路を地面から伸びた黒い根が遮った。


「つれないなぁ。もっと僕にも構っておくれよ」


 ドラシルがニヤリと笑う。


「クソッ!!」


 ヒョウガは歯を食いしばり、そのままドラシルへ向き直った。その隙に、俺は少女を睨む。そして静かに、剣を鞘へ戻した。今度は能力を使用する。

 ――身体を花弁へ変える前に、一瞬で仕留める。

 それに対し、少女は近くにあった岩へ手を添えた。

 次の瞬間。 岩が、赤い花びらへと変わった。無数の花びらがこちらへ飛来する。俺は反射的に腕を顔の前へ出して防御した。


「ッ……!!」


 鋭い痛みが走る。花びらが腕へ突き刺さっていた。  柔らかな花弁のはずなのに、その硬度はまるで岩石そのもの。形だけが花になった“岩”が、弾丸みたいに襲い掛かってきたのだ。

 だが、耐えられない程ではない。俺はすぐにウデを剣の柄に伸ばす。その間にも、花びら達はふわふわと上空へ舞い上がっていった。

 ――無視していい。

 そう判断し、抜刀しようとした瞬間、頭上から嫌な気配を感じた。反射的に視線を上げる。

 そこには――先程花びらへ変化していたはずの大きな岩が、そのままの姿で俺の真上へ再構築されていた。


「まずっ――!!」


 咄嗟に頭だけは逸らせた。だが避け切れず、岩が肩へ直撃する。凄まじい衝撃に、俺は地面へ膝をついた。


「ガハッ!!」


 ヒョウガの嗚咽が聞こえた。横を見ると、ヒョウガがドラシルの根に叩き付けられ、吹き飛ばされていた。


「ハッハッハ!無駄だよ!さあ、このまま全員殺して、さっさと剣を探しに行こうじゃないか!」


 ドラシルが愉快そうに笑う。すると少女が、静かに首を横へ振った。


「……その必要はない」


 仮面越しの視線が、真っ直ぐこちらへ向けられる。


「何故なら、その“剣”は、今彼が持っているそれだから」


 少女は、俺を指差した。

 ――こいつ、そんな事まで見抜いているのか。


「はぁ!? じゃあ、アレが災聖剣ってことかい?」


「違う……あれは、ただの古い剣。私達が探しているものじゃない。むしろ、異常なのは彼の方。ただの古い剣だったアレを、自分の力で“聖剣”へ変えている」


 背筋が冷える。まずい、こいつは俺のことを見透かし過ぎている。


「聖剣に変えてるだって?」


「それに――よく見て、彼の目。聖剣を使っているのに、片方だけ赤い……明らかにおかしい」


「えぇ? おや、本当だ。人の顔なんてちゃんと見てなかったから気付かなかったよ」


「この事をあの方へ報告したところ、“生かして捕らえろ”と。……だから剣はもういい。殺すのは、彼以外」


「ふむ、なるほどねぇ。よく分からないけど、じゃあとりあえずコイツを殺せばいい訳だ!」


 ドラシルが、ヒョウガへ向かって根を放つ。


「させるかッ!!」


 俺は剣へ手を掛けた。


「君は大人しく捕まってなよ!」


 同時に、俺の足元から黒い根が飛び出す。

 だが――


「同じ手は食らわない!」


 俺は咄嗟に身を捻り、その拘束を回避した。


「うおおおおおおッ!!」


 そのまま俺は、地面から伸びた根を両手で掴み、全力で引き抜く。

 地面から引き剥がされた黒い根は青白く光る。そう、根が聖剣へと変わったのだ。さらに、聖剣の斬撃を飛ばす能力は『引き抜く』ことが条件。俺の予想が正しければこれも――


「くらえっ!」


 抜き放った瞬間、彼らの元に斬撃が届く。


「はぁ!?」


 ドラシルの胴体が再び真っ二つに裂けた。一方、少女は斬撃が届く寸前で身体を花びらへ変え、当然の如く回避する。赤い花弁が宙を舞い、その向こうでは、上下に分かれたドラシルの身体がぐらりと傾いた。


「馬鹿な!僕が災力で生み出した根だぞ!?」


 ドラシルは驚愕の声を上げる。その後、下半身の断面から枝のような根が伸び、空中へ吹き飛んだ上半身へ絡み付き、そのまま引き寄せ、宙ぶらりんな状態のまま再接続していく。


「……やはり彼は異常」


 花弁を元の姿に戻しながら、少女が淡々と呟いた。

 ドラシルは身体を元へ戻し終えると、すぐに余裕ぶった笑みを浮かべる。


「……ハハッ!少し驚かされたが、現状は変わらないさ!君達二人では、僕達には勝てないよ」


 ……実際、その通りだった。

 俺達には、奴らへの決定打がない。今の攻撃だって、確かに想定外ではあったはずだ。だが結局、ドラシルは再生し、少女には避けられた。

 切断ではない、ヒョウガの氷結能力ならドラシルの再生にも対抗出来るかもしれない。だが、少女の方に関してはそもそも剣が触れられない。触れる前に花びらとなって回避される以上、まともな攻撃手段が存在しない。

 一体、どうすれば――


「……二人?」


 横から、静かな声が聞こえた。


「誰か一人、忘れてない?」


「――!」


 振り向く。そこには――先程まで倒れていたアリスが、膝を着きながらも立ち上がっていた。


 □


「お師匠様!!」


「アリスさん!」


 ゆっくりと立ち上がった私を見て、二人は叫ぶ。

 まだだ。まだ私がやるべき事は終わっていない。

 きっと皆、私が今ようやく意識を取り戻し立ち上がったのだと思っているだろう。

 ――だが違う。私は、最初から()()()()()()()()()()()

 倒れ伏したあの瞬間から、ずっと待っていた。たった一つだけ残された最後の手段。それを成立させるために。


「へえ、まだ動けるんだ。でも、もう限界ギリギリだろう?その証拠に――目すら開けていないじゃないか!」


 男は笑う。たしかに、私の瞼は未だ閉じたままだ。

 だが、そんな事は関係ない。私は剣を片手に持ち替え、小さな影の剣を一本生成した。


「はっ!」


 影の剣を投擲する。だが次の瞬間、響いたのは敵を貫く音ではなく――ガシャンッ!!と硬い何かが砕ける音だった。

 近くに置かれていたランタン。投げた影剣は、それに命中したのだ。


「はっは!ほら見た事か、狙いも定まってないじゃないか!」


 ドラシルは嘲笑する。……だが少女だけは、まだ警戒を解いていなかった。


「……気をつけて。彼女の"聖力解放"は、まだ終わっていない」


 私の身体から今なお溢れ続ける聖力を見てか、少女が静かに警告する。

 ――その通り。私の聖力解放は、まだ続いている。

 そして今の投擲も、決して失敗ではない。

 むしろあれこそが、“最後の一手”を完成させるために必要だった、()()()()()()


「それがどうした!実際彼女は何もできていないじゃないか!」


 ドラシルは苛立ったように叫ぶ。直後、ニョキニョキと地面を裂く音が響く。……根を伸ばしているのだろう。


「さっさとトドメを刺して終わらせてあげるよ!」


 男が勢いよく吠える。

 きっと、横で見ているヒョウガやアスターからすれば、この状況は絶体絶命に見えているのだろう。

 でも、――大丈夫。準備は、もう整っている。これで、私達の勝ちだ。


 次の瞬間。私は、影を解き放った。

 気絶している()()をしながら、密かに構築し続けていた巨大な影。それが一気に広がり、ドーム状に空間を覆い尽くす。瞬く間に、この場一帯が完全な闇へ沈んだ。

 ――それは、小規模な“影の檻”。

 確かに、私が瞬時に生成できる影の量には限界がある。だが、時間を掛けて構築した影なら話は別。

 実際、村全体を覆っていた“影の檻”も、一時間以上掛けて作り上げたものだった。

 今回は、それを戦闘用に小型化して再現したのだ。

 完全な暗闇。光は一切存在しない。

 ――そして私は、そこで初めて意図的に閉じ続けていた目を開いた。

 本来なら、何も見えない空間。だが、私はずっと目を閉じていた。その間に視界は闇へ順応している。輪郭程度なら、十分に捉えられる。


「一体何を――!?」


 ドラシルが動揺した声を上げる。

 一方で少女は、何かに気付いたのだろう。仮面の奥から、冷静な――だが僅かに焦りを滲ませた声を漏らした。


「……さっき言ったでしょう。彼女はまだ、“聖力解放”を使っている」


 少女は静かに告げる。


「それが何だって――」


 ドラシルが言い返そうとした瞬間、少女はそれを遮る。


「聖力解放中の彼女は、あらゆる“影”を腕や剣へ変えていた」


 そして。


「……この空間は、完全に光が遮断されている。つまり――ここでは、“全て”が影」


 その通りだ。今の私はこの暗黒そのものを支配している。空間全てが、私の武器。それに気付いたところで、もう遅い。

 既に二人の周囲には――今までで最も巨大な“影の腕”が、静かに握り潰さんと待ち構えていた。


「……ッ!!まず――」


 ドラシルが焦った声を漏らす。だが、その時にはもう遅い。巨大な影の腕が二人を握り潰すように閉じられた。

 ――だが。直前、二人の身体が赤い花弁へ変化し、影の隙間から散開する。辛うじて回避された。

 だが、それすら想定内。私は即座に次の影を生成する。宙へ舞い散った無数の花弁。その両側へ、今度は二つの巨大な影の手が出現した。

 まるで、祈るように。あるいは処刑台で罪人を挟み潰すみたいに。

 二つの掌が、勢いよく合わさる。バァンッ!!と空間を震わせる轟音。逃げ場を失った花弁達が、漆黒の掌の間へ押し潰された。


「野蛮な災厄(ディザスター)共、この冥く広大な影に呑まれて――往ね」


 二つの影の掌へ、更に力を込める。押し潰すだけでは終わらない。掌同士を、強く擦り合わせる。

 決して逃がさない。決して、生かさない。花弁へ変わろうと意味はない。逃げ場など、この空間には存在しない。

 ――このまま。原形すら残らなくなるまで徹底的にすり潰す。


 そう思っていた、その瞬間だった。


「……ッ」


 不意に、身体から力が抜ける。私はその場へ膝をついた。急激に息が苦しくなり、視界が揺れる。

 毒が、限界まで回ったのか――

 ……いや、違う。これは、()()()()だ。

 聖力は、生命維持を補助する役割も持つ。

 だからこそ私は、本来ならとっくに死んでいてもおかしくない状態で、ここまで戦い続けられていた。

 だが――聖力解放は、体内へ留めておくべき聖力を外へ放出し、更なる力へ変換する奥義。

 当然、その代償として聖力は凄まじい速度で消費されていく。長時間の維持。巨大な影の生成。広域支配。そして今の総攻撃。その全てが、私の聖力を限界まで削り取っていた。

 もう、身体を支える為の力すら、残っていない。


「――あ……」


 指先から感覚が消えていく。次の瞬間、せっかく構築した“影の檻”が、音もなく崩壊した。

 二人を押し潰していた巨大な影の腕も、闇へ溶けるように消えていく。

 完全な暗闇だった世界へ、再び光が差し込む。

 そして私は――そのまま、意識を手放した。


 □


 突然、俺達の周囲をドーム状の黒い影が包み込んだ。

 ――あれは間違いない、アリスの“影の檻”だ。

 視界が完全に閉ざされて、何も見えなくなる。だが、それでも理解できた。

 アリスが、何かとてつもない逆転の一手を打ったのだと。空気そのものが変わっていた。まるで、この空間全てがアリスの支配下へ置かれたような――そんな圧迫感。

 しかし少し経った後、不意に闇が晴れた。“影の檻”が消えたのだ。

 戻った視界の中で、最初に目へ飛び込んできたのは――倒れ伏すアリスの姿だった。

 そして、その近くを舞う赤い花弁。どこか、力なくふらふらと宙を漂っている。


「お師匠様!!!」


 ヒョウガが叫び、アリスの元へ駆け寄る。俺もそちらへ向かいたかった。だが、どうしても目を離せなかった。あの花弁から。恐らく、ドラシルと少女が変化した姿。

 ……けれど、先程までとは動きが違う。

 鈍い。弱々しい。生命力が感じられない。

 願わくば、このまま地面へ落ちて、煙みたいに消えてくれ――

 だが、俺の願いとは裏腹に花弁はゆっくりと集まり始める。赤が渦を巻き、人の輪郭を形成していく。

 そして再び、二人の姿が顕現した。

 ……ただし、その姿は明らかに満身創痍だった。ドラシルは肩で息をし、少女も僅かに身体を揺らしている。


「あの女……最後まで巫山戯た真似をしやがって……」


 ドラシルが忌々しげに吐き捨てる。だが次の瞬間には、無理矢理笑みを浮かべた。


「だが、残念だったねぇ!痛手は負った……けど結果はどうだ?」


 両手を広げ、ドラシルが倒れたアリスを見下ろす。


「立ってるのは僕達だ。あの女は負けたんだよ!!」


 その言葉に、胸が冷える。確かに。アリスは倒れた。奴らは、まだ立っている。


「君達二人如き、この身体でも十分さ!さあ――続きを始めようじゃないか!!」


 ドラシルが根を蠢かせながら構える。

 そんな。アリスの最後の一手すらも、届かなかったのか。俺達は、ここで負けるのか――そう思った、その時だった。


「……駄目」


 少女が静かに口を開く。ドラシルが眉をひそめた。


「どうやら、報告を受けた街の聖剣士達がもう近くまで来ている……今の状態で、新手と戦うのは危険」


 少女は空を見上げながら淡々と告げた。それを聞いた瞬間、ドラシルが露骨に舌打ちする。


「チッ……」


 苛立たしげに髪を掻き上げ。そして、諦めたように吐き捨てた。


「――ここまで、か。……撤退するしかないみたいだねぇ」


「――待て!!逃げるつもりかッ!!」


 アリスの傍らにいたヒョウガが怒号する。だが、少女は一切気にした様子を見せなかった。

 静かにドラシルの肩へ触れる。すると、二人の身体が再び赤い花弁へ変わり始める。そして、完全に花弁へ変わり切る直前。

 少女だけが、こちらを見た。仮面越しで表情など分からない。それでも何故か、確かに“視線が合った”と理解できた。


「……また、()()


 その言葉だけを残し。二人は、赤い花吹雪となって空へと消えていった。

 ゾワリと背筋を嫌な感覚が撫でる。けれど、今はそれを気にしている場合ではない。


「アリスさん!!」


 俺はヒョウガの元へ駆け寄る。ヒョウガはアリスの身体を抱えながら、青ざめた表情で叫んだ。


「――まだ息はある!だが、このままでは……!!」


 確かに、呼吸はしている。だが微かだ。腹を貫かれた傷からの出血も酷い。さらに、あの少女が言っていた通りなら、体内には毒まで入れられている。

 一体、どうすれば――そう考えた、その時だった。

 後方から、ドタドタと土を蹴る激しい足音が聞こえる。振り返ると、二頭の馬に乗った男女がこちらへ駆けて来ていた。

 どちらも見慣れない形の剣を携えている。そこで思い出す。奴らが最後に残した言葉。『街の聖剣士達が近くまで来ている』。

 ……つまり。あの二人が、その聖剣士なのだ。


「――君達!」


 先頭の、眼鏡を掛けた青髪の男が声を張る。

 きっちりとした服を着ており、顔はいかにも真面目そうな顔だった。


「ここで聖剣士がディザスターと交戦していると報告を受けました。――状況は?」


 男は馬から飛び降り、真っ直ぐこちらへ駆け寄って来る。俺は息を整える暇もなく、今起きた事を出来る限り簡潔に説明した。能力を持つディザスター二体が現れたこと。そして、最後まで命を削るように戦い続けたアリスが、今瀕死状態にあること。


「……成程。ご説明感謝します」


 男は冷静に頷く。

 そして、倒れるアリスへ視線を向けた。


「ですが……まだ息があるのなら、良かった。――まだ、間に合うかもしれません」


 そう言って、後ろにいた女性を見る。

 肩まで掛かったピンク色の髪を揺らしながら、アリスを見下ろしていた。ナースのような服をしており、気怠げなタレ目と泣きぼくろが印象的な女性だった。


「ん〜、おっけ。ウチに任せて〜」


 あまりにも軽い口調。その次の瞬間、彼女は迷いなく剣を抜いた。その剣は、あまりにも異様だった。

 鍔の部分は、注射する時に指を引っ掛けるあの出っ張りみたいな形になっており、そこから伸びる刀身は細長く、先端は鋭い針みたいに尖っている。柄の後ろ側も、薬液を押し込む部分のような造形をしていた。

 まるで、“注射器そのものを剣へ変えた”みたいな剣だった。


「……彼女の聖剣、『治療剣マスターシリンジ』。その剣は、あらゆる医療処置を可能とします」


 眼鏡の男は説明する。

 その間にも、彼女はアリスの腕へ針を突き刺し、何かを注入していた。すると、目に見えてアリスの顔色が良くなっていく。


「彼女はどんな薬品でも即座に生成し、どれほど複雑な手術ですら、その場で完遂する。再診要らずの応急処置――まさに、“戦場の女神”」


「……その二つ名、呼ばれんの恥ずいからやめてね〜」


 彼女は嫌そうに眉を下げる。だが、その手は止まらない。アリスの腹部へ淡い光が走る。貫かれていた穴。本来なら致命傷のはずの傷口。それが、見る間に塞がっていく。

 肉が、皮膚が、何事も無かったみたいに再生していく。そしてしばらくして、アリスはゆっくりと瞼を開いた。


「――ヒョウ、ガ……?」


「お師匠様!!!」


 ヒョウガが涙混じりの声を上げる。信じられなかった。ついさっきまで、死んでもおかしくなかったはずなのに。それが、こんな短時間で意識を取り戻すなんて――


「はーい、応急処置完了っと」


 彼女はそう言って、ふぅ、と軽く息をついた。


「……ま、傷自体は治したけど〜、別に怪我そのものが無かったことになった訳じゃないから、しばらくは安静にしとき」


 間延びした口調で、彼女はアリスの状態を説明する。


「お師匠様! 体の調子は!?」


 ヒョウガが慌てた様子で問い掛ける。


「……まだ、あまり思うようには動けない。けど、もう苦しくはないから、平気」


 弱々しくも、アリスはそう答えた。


「良かった……!」


 その言葉を聞いた瞬間、ヒョウガは全身から力が抜けたように、その場へ崩れ落ちる。


「……まあ、今は聖力がほとんど底を尽きてる状態だと思うけど〜、何日かちゃんと休んで聖力が戻れば、そのうち普通に動けるようになると思うよ」


 彼女は気軽な調子で続けた。


「……貴方が、私を治してくれたんですね。本当に……ありがとうございます」


 アリスは静かに身体を起こし、深々と頭を下げる。

 アリスがこんな風に丁寧な口調で礼を言う姿に、俺は少しだけ意外さを覚えた。


「ん〜ん、気にせんでいいよ〜。これも仕事だし」


 彼女はひらひらと手を振る。

 すると、隣で静かに様子を見ていた眼鏡の男が口を開いた。


「……しかし、聖力解放を扱える上に、能力持ちのディザスター二体へ致命傷級の一撃まで与えるとは。中々の実力ですね。このような村に留まっているのが惜しいくらいだ」


 その言葉を聞いた瞬間、アリスの表情が僅かに揺れた気がした。


「どうでしょう。もし良ければ――聖剣騎士団に入団してみませんか?」


「聖剣騎士団……?」


 聞き慣れない単語に、思わず俺が反応する。

 すると横から、ヒョウガが小声で耳打ちしてきた。


「聖剣騎士団は、ヨロッタ全域に存在する対ディザスター組織だ。各地の聖剣士達が、ディザスター討伐の依頼を受けながら活動している」


 ……なるほど。要するに、ディザスター退治を生業としてる組織という訳か。ナース服の彼女のように、ディザスターに襲われた村の救助や復旧を担う者もいるのだろう。


「――まさか、お師匠様が勧誘されるだなんて……確かに、お師匠様ほどの実力なら騎士団でも大きく貢献できるだろうが……」


 嬉しいのか、不安なのか分からない声音だった。  きっと聖剣騎士団から直々に勧誘されるなど、それだけ名誉なことなのだろう。

 だが当のアリスもまた、どこか困ったような顔をしていた。やはり、この村への思い入れが強いからだろうか。


「……私は――」


 アリスが言い淀んだ、その時だった。


「ちょっと〜、アリスちゃん困ってるじゃん。メガネっち、無理やり勧誘すんのやめな〜?」


 ナース服の女が割って入る。


「なっ――別に無理にとは言っていません!というか、その呼び方はやめてくださいと前にも言ったでしょう!」


「仕返し〜」


 女はケラケラと笑いながら手を振る。軽口を叩きつつも、そのままふっと真面目な目でアリスを見つめた。


「ねぇアリスちゃん。ウチらがここ来る前、村の中を走り回ってたんよ。ディザスターとか、逃げ遅れた人がいないか探しててさ」


「……村の中を?」


 アリスが聞き返す。


「そしたら〜なんか村の人達が一か所に集まっててさ。みーんなそこで大人しく待ってんの」


 女は思い出すように続けた。


「『あそこでアリスさんが戦ってる』って教えてくれてね。中には不安そうな顔してる人もいた。けど、それでも誰一人逃げようとしなかった。皆、口揃えてこう言ってんの。“アリスさんなら大丈夫だ”って」


 アリスの目が僅かに見開かれる。


「――それって、スゴくね?普通さ、村にヤバいディザスターが出たって聞いたら、少しでも遠くに逃げたくなるじゃん?でも皆、アリスちゃんを信じて待ってたんだよ」


 アリスは何も言えず、ただ黙ってその言葉を聞いていた。


「ウチはね、そんなアリスちゃんを一人の聖剣士として尊敬してる。村の人達にちゃんと信頼されてて、今回も命懸けで村を守った。それってメチャスゴじゃね?」


 そして、少しだけ悪戯っぽく笑う。


「だからウチは、アリスちゃんはこのまま村にいて、みんなを守り続けるのが合ってるんじゃないかな〜って思ったかな」


「……もちろん、アリスちゃんが騎士団に入りたいって言うなら止めんけどね?」


 その言葉を聞いたアリスは、しばらく静かに俯いていた。やがて、ぽつりと呟く。


「――私は、聖剣士としての責務を……ちゃんと果たせていたのかしら……?」


 先程までの毅然とした態度とは違う。その声は、彼女にしては弱々しいものだった。


「聖剣士なんて勝手に選ばれて、勝手にその立場にさせられるもんだからさ〜。そこに責務なんてあるのか、ウチには分かんないけど」


 女は肩を竦めながら前置きし、真っ直ぐアリスを見る。


「――もし、そういうのがあるんだったら。アリスちゃんはちゃんと全うできてると思うよ。ウチはね」


 その瞬間。 アリスの表情から、何か長い間張り付いていたものが、すっと剥がれ落ちたように見えた。

 どこか、救われたような顔だった。

 だが次の瞬間、ハッとしたように顔を上げる。


「……そうだ、まだディザスターが残っているかもしれない。村の人達を守りに――」


 そう言って立ち上がろうとするが、


「っ……」


 すぐによろめき、再び崩れ落ちそうになる。


「ほらほら、無理しないの〜」


 ナース服の女は慌てた様子もなくアリスを支えた。


「大丈夫。ウチら三人で来たんだけど、もう一人が村の人達の護衛してるから」


 横から、眼鏡の男が静かに付け加える。


「――それより気になってたんだけど〜」


 今度はナース服の女が、じっと俺の顔を見ながらこちらを指差した。


「君、なんでずっと片目閉じてんの?」


「ッ――」


 しまった。ついにそこへ触れられた。俺の目は、ディザスターの証である赤色をしている。幸い、村の人達から深く追及されることは無かったのだが、今度の相手聖剣士。流石に直ぐに異変に気付かれるだろう。ヒョウガの時のように敵と見なされ直ぐに切り掛かられてもおかしくはない。

 だから俺は、彼らと対面してからずっと、剣を握り続けて左目を聖剣の力で青く変化させつつ、赤い右目は閉じたまま隠していたのだ。


「もしディザスターに片目やられた〜とかなら、全然治せるけど?」


「い、いや……これはその……」


 どう誤魔化すべきか言葉に詰まる。すると横から、ヒョウガが平然と口を開いた。


「問題ありません。彼が持つ聖剣――“片目剣シングルアイ”の能力は、『右目を閉じることで視力が二倍になる』というものですので」


「……よくその能力でディザスターと戦えたね?」


 ナースの服は一瞬ぽかんとした顔をし、素直な感想を漏らした。

 フォローしてくれたのはありがたいのだが――もっとこう、別の設定は無かったのだろうか。

 眼鏡の男も若干反応に困ったような顔をしている。

 ……この微妙な空気感も、正体を隠す為には必要な犠牲なのだろうか。


 その後、聖剣士達は村人達全員の無事を確認すると、村を後にした。

 村人の中には軽傷を負った者はいたが、幸い死者は出ていない。

 そして俺達はアリスの家へ戻り、アリスは布団の中で静かに身体を休めていた。


「申し訳ございません、お師匠様……今回私は、何もなし得ることが出来なかった――」


 ヒョウガが、自分を責めるように俯きながら謝罪する。だがアリスは、そんなヒョウガを優しい目で見つめた。


「……ううん。貴方は、とっても頑張った。ヨシヨシしてあげる」


 そう言ってアリスは、ヒョウガの頭をそっと撫でる。だが前回撫でられた時とは違い、ヒョウガの表情は晴れなかった。


「……私がもっと強ければ、お師匠様にここまで無理をさせることはなかった」


 悔しそうに、ヒョウガは拳を握る。

 それを見たアリスは、「……そうね」と小さく呟き、何かを考え込むように視線を落とした。


「……ところで、アスター君はこれからどうするの?」


 突然、俺へ話を振る。


「俺は西に向かって、災聖剣を探す旅に出るつもりだ」


 あの“始まりの聖剣士”の言葉に従うべきなのか、今でも分からない。

 だが、ディザスター側にも災聖剣を探している存在がいると知った今、奴らに渡る前に見つけなければならない――そんな思いが今は強かった。


「……成程ね。じゃあヒョウガ、アスター君の旅について行きなさい」


「えっ……!?」


 俺とヒョウガの声が重なる。


「……もちろん、アスター君が良ければだけど」


「俺は構わないが……」


 そう答えると、アリスはゆっくりとヒョウガへ視線を向けた。


「……私が貴方に教えられることは、もう全部教えた。後は外の世界を知って、自分の足で道を歩みなさい。そうすればきっと、貴方はもっと強くなれる」


 そして少しだけ柔らかく微笑み、


「――私を守れるくらいに強くなったら、またこの村に帰ってきてね」


 そう告げた。ヒョウガは目を見開き、次の瞬間には顔を輝かせる。

「わ、分かりました!! このヒョウガ、外の世界で更なる鍛錬を積み、必ず成長して帰ってきますッ!!」


 その声には、迷いなど一切無かった。

 ――だが、その時。

 俺はまだ、二人に話していないことがあるのを思い出す。もしかしたら、この話を聞けば、ヒョウガは俺について来るのをやめるかもしれない。


「――なあ。その前に、一つ話しておきたいことがある」


 それは、あの時ディザスターを倒した後に見た、不思議な光景の話。

 そして――俺自身が、ディザスターである可能性が高いという話だった。

 全てを話し終えた後、部屋には短い沈黙が落ちる。


「……あの伝承の“始まりの聖剣士”が、ね」


 アリスが神妙そうに呟く。


「俄には信じ難い話だ。だが……貴様の顔を見る限り、嘘ではないんだろうな」


 ヒョウガも真剣な顔でそう言った。

 そして、


「……だが、それがどうしたと言うんだ?」


「え?」


 思わず間の抜けた声が出る。


「結局、“ディザスターかもしれない”というだけの話だろう?そんなの、私は最初からそう思っていた」


「その上で――私は、貴様を認めたんだ」


 ヒョウガは堂々と言い放つ。


「改めて礼を言う。あの時、お師匠様を助けてくれてありがとう。もし貴様が居なければ、私は間に合っていなかっただろう」


 それは、俺が最初にアリスの元へ駆け付けた時、ドラシルの攻撃を止めたことを言っているのだろう。


「あっ。それに関しては、私からもありがとね」


 アリスも微笑みながら礼を言った。予想外だった。この話をすれば、少なからず動揺されたり、拒絶されるかもしれないと思っていたのに。


「……なんであっても、アスター君はアスター君ってこと」


 アリスは、当たり前みたいにそう言った。

 ――ああ。俺はもう、こんなにも二人に信頼されていたのか。

  その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていたものがふっと緩み、気付けば自然と笑みが零れていた。

 

 □


 その後俺は、アリスの聖力が回復し、再び“影の檻”を展開できるようになるまで、この村に滞在することになった。

 その間、村の子供たちと遊んだり、タナシマや他の老人たちと共に、俺の知識の中には一切ない野菜を育てている畑の仕事を手伝ったりと、穏やかな日々を過ごしていた。

 ――そして今日も、そんな一日の帰り道。

 村の広場に立つ、“始まりの聖剣士”の石像の前を通りかかった俺は、ふと足を止める。

 当然、脳裏に浮かぶのは、あの夜の邂逅だった。何度見ても似ている。あの時、俺の前に現れた“始まりの聖剣士”を名乗る女は、この石像と寸分違わぬ姿をしていた。

 ……だが、そこでふと違和感が胸をよぎる。

 確か、この石像は二百年前に建てられたと言っていた。そして、“始まりの聖剣士”の伝承そのものは、今から三百年前の話。

 つまりこの石像は、伝承から百年後に作られたものだ。当時を知る人間が残っていた可能性はある。だが、それでも――あの女は、あまりにも“そのまま”だった。

 アリスの話では、まともな物的証拠も存在しないらしい。

 なら、百年後に作られた石像と、俺が見た女の姿が完全に一致しているなんてことが、本当にあるのだろうか。

 ――あの“始まりの聖剣士”が綴る言葉は、一体何処までが真実なのだろうか。


 □


「全く、酷い目にあったもんだねぇ」


 横では、自ら生やした根をベッド代わりにして、ドラシルが寝転がっている。

 私達は災聖剣を探すため、あの黒いドームに包まれた村を襲撃した。だが結果は散々だった。噂に聞いていた剣は、ただ長い年月を経ただけの古びた剣。加えて、村の聖剣士には想定以上の反撃を受け、さらに聖剣騎士団まで駆けつけたことで、撤退を余儀なくされた。

 ――けれど、収穫が無かった訳じゃない。

 右目が赤く、左目が青い男。そして、あらゆるものを“聖剣”へと変える異質な存在。あれは間違いなく、普通じゃない。


「これも全部、あの影女のせいだ。君もそう思うだろ?――リリー」


 ドラシルが足をぶらぶらと揺らしながら、私の名前を呼ぶ。


「……もう彼女はどうでもいい。それより、重要なのはあっちの彼」


「ああ、あの片目が赤い奴か。ほんと、一体なんなんだろうねぇ」


「……分からない。だから、あの方に今回の件を報告する」


 報告しなければならない。我々が仕える存在。四災の一角にして、頂点に立つ男へ。


「そういえば、そいつを捕まえろって命令も来てたんだっけ? ……もしかして僕達、怒られる?」


「……かもしれない。でも問題ない。彼の元には『目』と『耳』を残してある」


 私の能力――『葬花の厄災』。

 触れたものを花びらへと変える力。そしてその花弁は元となった物体の性質を引き継ぐ。それが石ならば花弁は硬く、熱湯ならば熱くと言った具合に。

 ――だが、引き継ぐのは材質だけではない。

 例えば、私自身を花弁に変えた場合。『目』の部分を花弁に変えれば、その花弁は"()()"()()()()()()()()()()()()()()()。遠くへ飛ばそうと、そこから見える景色は全て私へ送られる。

 私は既に、『目』の花弁を一枚、『耳』の花弁を一枚、あの男の近くへ紛れ込ませていた。小さな花弁二枚程度、そう簡単に気付かれはしないだろう。


「……じゃあ、報告する」


 そう呟き、私は意識を遠くへ飛ばす。

 繋げるのは、『口』と『耳』の花弁。即ち、声を発する性質を持つ花弁と音を聞き取る性質を持つ花弁だ。その二枚を飛ばすことで、離れた場所にいても会話をすることが可能になる。

 その先にいるのは――我らが主。私は静かに、今回の件を報告した。


『なるほどなァ……まあいい。そこで引いたのは悪くねえ判断だ』


 低く、重い声が響く。


「……『目』と『耳』は既に仕込んであります。位置も把握済みです。彼が単独になったところを狙い、捕獲します」


 そう告げる。だが返ってきたのは、予想外の言葉だった。


『いや、いい。代わりに、その場所を教えろ』


「……?」


 一瞬、思考が止まる。そして次の瞬間、姿は見えていないのに、彼がニヤリと笑ったのを何故だか確かに感じた。


『――俺が直接行く』

花葬の厄災

――触れた物を花びらに変える力

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