氷結剣アブソリュートゼロ
目覚めの瞬間というのは憂鬱なものだ。
今日やらなくてはいけない予定と向き合わなくてはいけない、朝の支度が面倒くさい、まだ眠たくて動きたくない。そんな理由から、"二度寝"という選択を取る人も多いだろう。
だが俺は、それらとは全く別の理由で目を閉じる事にした。それは、
——現実逃避の為だ。
この視界に広がる木々も、揺れる葉も、絡む枝も、見たことのない虫も。その全てが嘘で、悪い夢なのだと思いたかった。
しかし、目を閉じても背中に伝わる湿った土の感触は消えない。
「ここは、何処だ?」
記憶を辿ろうとして、気付く。記憶がない。直近の記憶だけではない。名前も、生まれも、誰と生きてきたのかも、自分が何者なのかも分からない。
それなのに、知識は残っている。こういった木々の群生地を森と呼ぶことも、朝の目覚めは憂鬱なものだという感覚もちゃんと理解出来る。だが、それは俺自身の経験から来るものじゃない。
試しに、この辺りの地理を思い出そうとしてみる。が、駄目だ。国名も、街も、何一つ浮かばない。辛うじて、この地域一帯が、"ヨロッタ”と呼ばれていた。そんな曖昧な感覚だけが残っていた。
「これは、記憶喪失という奴……なのだろうか」
そうボヤきながら立ち上がる。そして周囲を確認した。やはり何度見ても見ても緑しかない。
ここが何処かも自分が誰かも分からない絶望的な状況。俺が吟遊詩人だったらもう全てを諦め、森の木にでも寄りかかりながら、余生を辞世の歌作りに全て費やす覚悟を決めていたかもしれない。
……まあ俺がかつて吟遊詩人だった可能性は普通に残っているのだが。
しかし少なくとも今の俺はまだ諦めようという気持ちにはならない。ここにずっと居てもしょうがないので、とにかく歩いて森からの脱出を試みようかと、そう思った瞬間。音がした。
少し離れた茂みの奥で何かが動いた音だ。それは止まらず、一歩、また一歩と、確実にこちらへと近ずいてくる。
逃げようかと考えた時にはもう遅かった。茂みの中から、それが姿を表した。
灰色の毛並み。獣じみた細い体。口元から覗く鋭い牙。そして額には、小さな黒い角が一本だけ生えていた。
「……なんだ?あれは」
俺は思わず呟いた。大きさはイノシシほど。けれど、その目だけが異様だった。
その目はあまりにも赤く輝いていた。生き物としては不自然な程赤く、“敵意そのもの”と言った目をしていた。
その獣、いや俺はあんな獣を知らない、ここは魔獣とでも呼ぶべきだろうか。その魔獣は低く唸る。
ぐるる、と喉を鳴らしながら地面を掻き、じりじりと距離を詰めてくる。俺は後ずさった。その瞬間、足元の枝がぱきりと鳴る。
魔獣の目が細くなった。次の瞬間には、灰色の影が地面を蹴って飛び出していた。
「ぐっ!?」
俺は転がるように横へ飛んだ。直後、さっきまで頭があった場所を牙が噛み砕く。
魔獣はすぐに体勢を立て直し、低く唸りながら再び距離を詰めてきた。俺は夢中で後ずさったのだが、背中に硬い感触が当たった。それは木だった。
万事休す。そう頭に過ぎった。魔獣が地面を蹴り、灰色の毛並みが視界いっぱいに広がる。
「来るなっ!」
俺は無我夢中で足を振り抜いた。鈍い衝撃を感じる。そして次の瞬間、魔獣の体が激しい勢いで吹き飛んだ。
「……え?」
魔獣は数メートル先の木に叩きつけられ、そのまま地面を転がった。細い悲鳴のような鳴き声を上げ、ピクピクと体を震わせている。
森が静まり返る。俺は固まったまま、自分の足を見た。
「……今の、俺がやったのか?」
全く自分に関する記憶がないのだが、どうやら俺は思った以上に戦闘力が高めな人間だったのかもしれない。
少なくとも吟遊詩人だった可能性は薄くなったようだ。だがまだハーブを片手で担いで演奏していた脳筋吟遊詩人であった可能性は残っているので、まだ決めつけるには早いだろう。
そう思っていたら、魔獣が震える足で立ち上がりこちらを睨みつけてくる。しかし、力尽きたようでその場でバタりと倒れてしまった。
次の瞬間、俺は不思議な光景を見た。
その魔獣の身体が赤色の煙となって霧散したのだ。そこにさっきまで立っていたのが嘘のように、魔獣の身体が綺麗さっぱり消え去る。
そのかつて魔獣だった赤色の煙は、風に揺れて俺の元へと向かってきた。その煙が体内に入ってしまったら、身体に悪影響が出そうだったので口と鼻を手で覆い目を閉じた。そうして、煙が俺の耳の横を通り過ぎるその瞬間、何かが聞こえた。
─────災聖剣を…
それは女性の声だった。低く澄んだ、凛とした声だった。どこか冷たいのに、不思議と耳を離れない。まるで誰かがすぐ後ろで囁いたみたいに鮮明だった。
俺は勢いよく振り返ったが、誰も居ない。木々の隙間を風が抜けるだけだ。
やはり、さっきの魔獣を倒した時の煙が関係してるのだろうか。
災聖剣、それが何かは分からないが、俺に何か関係しているのか?もしかしたら、それが俺が何者かを知るヒントになるかもしれない。さっきのような魔獣を何体か倒せば、その続きが聞けるのだろうか。
何体もあんな奴がこの辺に居るのかは分からないし、そんなに居たら居たで困るのだが、もしまた見つけたらもう一度戦って見てもいいかもしれない。
そう考えながら、俺はこの暗い森の中を歩き始めた。
□
俺はあれから何体か似たような魔獣を倒してきた。
猿のように木を飛び回る魔獣や、蛇の体に不自然な足がついたような魔獣など様々な魔獣がいた。どの魔獣も共通して目が赤く、敵意に満ちていた。
たまに反撃を喰らいそうになったが、何とかこのやけに強靭な身体で殴る蹴るなどして傷一つ負わず全員倒すことができた。
その度に魔獣は煙となって消え、俺の耳を通る度にあの声が聞こえてきた。その聞こえた声を順番に並べると、
『災聖剣を』『探し出せ』『西の』『方』『に』
と言ったものだった。段々と聞こえる文字数が減っていき、最終的には魔獣を倒しても何も聞こえなくなってしまった。
「西って言っても何処が西か分からないな……」
太陽が登る方角を見ることで方角を知るという方法もあるが、残念ながら太陽はのっぽな木に覆われてよく見えない。
「せめて太陽の位置だけでも知りたいところだ」
俺は近くにあった一本の大木を見上げた。幹の太さだけで俺の身長くらいありそうだった。見上げても頂上が遠い。たぶん三十メートルとか、それくらいある。
「……やはり、これを登るしかないようだな」
あまりにも無謀に見えるが、今俺が持つ唯一の情報である、『西』という情報を使うにはこれしか方法がない。俺は覚悟を決めて幹に手をかけた。
「うおおおおおっ!!」
半ばやけくそで登り始める。足をかけ、腕に力を込める。意外だった、思ったより体が軽い。ぐっと力を入れるだけで、体が簡単に持ち上がる。
自分でも驚くくらいの速度で登れてしまう。
枝を掴み、さらに上へ。風が少しずつ強くなり、地面が遠ざかっていった。気づけば、森の天井みたいだった枝葉を突き抜けていた。
「——おお」
思わず声が漏れる。空が見えた。どこまでも広い青空、眩しい太陽。そして、その下に広がる森。緑の海みたいだった。果てが見えない。
「……なんだ、あれは?」
森の遥か向こう、地平線の近くに黒い何かが見えた。最初は山かと思った。だが違う、形が不自然過ぎる。それは半球体の、まるで巨大なドームのようなものだった。
真っ黒なそれは、太陽に照らされているはずなのに表面の質感がまるで見えてない。そこだけ景色に穴が空いてるようだった。
その光景に気を取られながらも、本来の目的を思い出し、太陽の位置を探す。太陽は、頭上より少し右に寄っていた。
太陽は朝は東から昇り、昼は南に寄る。……で合っていたはずだ。
今は昼過ぎくらいに見えるので、太陽のある方が南寄りだろう。俺はゆっくり向きを変え、遠くの黒い半球へ視線を向けた。
「ちょうどあそこが西か」
あそこに向かえと、あの声の主はそう言っているのだろうか。そこに何か重要なものがあるのだろか。
どちらにせよ、あそこ以外には特に何か目立ったものも見つけられなかった。そこに向かうしかないだろう。
しかし、見たところかなり遠い。恐らく半日は歩かないと辿り着かなそうだ。
「……これは骨が折れそうだな」
遥か遠くで異彩を放っているその黒い球体を尻目にそう呟いた。
□
どれくらい歩いただろう。昼過ぎだったはずの空は、気づけば赤く染まり、やがて夜になった。暗い森の中を、俺は半分意地みたいに歩き続けていた。
途中で何度も魔獣が出た。最初は戸惑いながら攻撃していたが、戦う度、体が勝手に動くようになってきた。
どの魔獣も俺が一度殴ったり蹴ったりするだけで倒れていく、同じように煙となって消えていくが、どの魔獣を倒しても、あの声はもう聞こることはなかった。
そして、いつの間にか夜も終わっていた。木々の隙間から朝日が差し込み始める。あれから半日程歩いたという事だろう。普通ならとっくに足が動かなくなってる。なのに、息は少し上がっている程度だった。足も重くない。
「本当に、俺は一体何者なんだろうか……」
しかし、いくら身体面が無事でも精神面はその限りでは無い。どこまで歩いても変わらない景色、勝てる相手とは言え何時魔獣に襲われるか分からない環境、話し相手も居らず孤独な状況。それらは俺の精神を削るのに充分だった。
俺の見立てではそろそろ辿り着くとは思うのだが、このままではそれまでに心が折れかねない。そこで、俺はある事を始めた。
まずは腕を天高く上げ、そして息を大きく吸い⎯⎯⎯
「人間最高〜♪ 人間最高〜♪
俺たちは生〜きてる♪しぶとく生〜きてる♪
生を受けた喜び〜♪噛み締め、生きてる〜♪」
そう、それは己に捧げる、人間賛歌である。
どんなに辛くても、生きてるだけで素晴らしい。
人間として生まれ、この世界を歩き、呼吸し、大地を踏み締めている。それだけで尊いのだ。と自分に言い聞かせる。
腕をブンブンと振りながら、森を進んでいく。生きるモチベーションがグングンと上がっているを感じていく。
人間賛歌の一番を歌い切りそろそろ二番のラップパートに入ろうかとした時、ガサッと茂みから首の長い四足の魔獣が飛びかかって来た。
「おっと」
俺は軽やかに回避した。避けられた魔獣は隙だらけの身体を晒すが、今回は倒さない。何故なら、今の俺は人間賛歌シンガー、略してサンガーだ。
命は奪わず命の尊さを歌う。それがサンガー。
魔獣はギャアギャア鳴きながら後ろを追ってくる。
その魔獣から逃げていたら、さらに途中で小型の四足獣と鳥型の魔獣まで参戦した。
先頭で人間賛歌を熱唱する俺。
後ろには殺意満々な魔獣三体。
三者三様の鳴き声が森に響き渡る大合唱。
まるで何かの童話の主人公にでもなった気分だった。もう一人じゃない、愉快な演奏家達もついてる。
それだけで、少し安心した。気づけば俺は、この森に来て初めて笑っていた。
「……あれは」
ふっと木々が途切れる、目の前が開けた。その瞬間、俺は思わず足を止める。黒いドーム。ようやく、その目の前まで辿り着いていた。
近くで見るそれは、想像より遥かに巨大だった。町一つ飲み込めそうなほどの、黒い半球。朝日を浴びているはずなのに、表面はほとんど光を反射していない。まるで“影”そのものだった。
いや、それだけじゃない。周囲だけ、不自然なほど静かだった。
風の音が弱い。鳥の鳴き声も聞こえない。森に満ちていた気配が、この場所だけぽっかり抜け落ちている。
巨大な影が、世界に穴を空けている。そんな錯覚すら覚えた。
俺が呆然と立ち尽くしていたその時、背後から追いついてきた愉快な演奏家達が、一斉に飛びかかってくる。
「おっと、危ない」
振り向きざまに一匹を殴り飛ばす。
横から突っ込んできた鳥型魔獣を蹴り落とし、最後の一匹の顔面を掴んで地面へ叩き付けた。
魔獣達は赤色の煙となって消えていく。だが、その光景すら今の俺にはどうでもよかった。
意識は、目の前の黒い半球へ完全に奪われていた俺はゆっくり近づき、恐る恐る手を伸ばす。が、触れてもそこには一切"感触がなかった"。試しに叩いてみるが反応はない。
ならばと、俺はこの森で数多もの魔獣を吹き飛ばしてきた自慢の脚を振り抜いた。鈍い衝撃が足に返る。だが、ビクともしない。傷一つ付いていなかった。俺は思わず黒い表面を見上げる。
近くで見ると、それは余計に不気味だった。何で出来ているのか全く分からない。まるで景色の一部だけ切り取られているみたいに、現実感が薄い。
「ここまで来て……何も出来ないのか?」
胸の奥へ、じわりと嫌な感覚が広がっていった。すると、何かの音が聞こえてきた。また足音だ。しかし今までの魔獣の足音とは訳が違う。あまりにも音が重い。
何かが、真っ直ぐこちらへ近づいてくる。やがて茂みを押し分けるようにして、そいつは姿を現した。
「なんてデカさだ……」
思わず声が漏れる。赤黒い眼、捻じれた角、獣のような四肢。まるで熊より遥かに大きい巨体が、荒い息を吐きながらこちらを睨んでいた。
地面を踏み締めるたび、鈍く土が揺れる。今までの魔獣とは、明らかに格が違った。魔獣は低く唸りながら、一歩、こちらへ踏み出す。
その後、巨体に似合わない速度で距離を詰めてくる。俺は咄嗟に横へ飛んだ。直後、さっきまで立っていた地面が抉れる。
「嘘だろ……!?」
今までの魔獣とは動きが違う。考える暇もなく、そいつは再び突っ込んできた。俺は迎え撃つように拳を叩き込む。だが、魔獣は止まらなかった。まるで効いていないみたいに、そのまま腕を振り下ろしてきた。咄嗟に両腕を交差させて受ける。
「がっ……!?」
体が吹き飛ぶ。地面を転がり、背中を木に打ちつけた。初めてだった。ここまでまともに攻撃を通されたのは。
魔獣はゆっくりこちらへ近づいてくる。赤黒い眼が、獲物を見るみたいに細められていた。
「……マズイな」
立ち上がるが間に合わない。魔獣が腕を振り上げ、赤黒い爪が真っ直ぐ俺へ振り下ろされる。
これは避けきれない。そう思った瞬間——。
——ズバンッ!!
鋭い斬撃音が森に響いた。
「……え?」
魔獣の腕が、肩口から切断される。
黒い血が宙に散った。その直後、切断面が白く染まる。
霜。いや、氷だ。
バキバキと音を立てながら、氷が切断され地面に落ちた腕と胴体の両方へ広がっていく。
魔獣が絶叫した。だが、氷は途中で止まる。肩口から先だけを凍らせたまま、魔獣は強引に後ろへ飛び退いた。赤黒い目が、初めて明確な動揺を浮かべる。
次の瞬間。
——ヒュン。
白い何かが素早く視界を横切った。気づいた時には、魔獣の懐に銀色の影が入り込んでいる。
さらに一閃。今度は胴が深く斬り裂かれる。同時に、白い冷気が爆発するみたいに広がった。魔獣は咆哮を上げる。
だが、その声も徐々に鈍っていく。氷が、今度は止まらない。傷口から全身へ。筋肉を、皮膚を、血をゆっくり侵食していく。
魔獣は数歩よろめき——そのまま凍りついた。完全に白く染まった巨体が、朝日に照らされる。そして。
——パキン。
静かな音と共に、氷に亀裂が走った。次の瞬間、凍りついた魔獣の身体が崩れ落ちる。
砕けた氷片が地面へ散り——その輪郭が、見慣れた赤色の煙へと変わっていく。
煙は風もないのにゆらゆらと揺れながら、空気へ溶けるように消えていった。後には、何も残らない。白い冷気だけが、その場に漂っていた。
そして、その冷気の向こうから一人の青年が歩いてくる。少し跳ねた銀髪髪が、狼の毛並みみたいに鋭く広がっている。
整った顔立ちをしていた。だが、その表情は驚くほど冷めていた。氷みたいな青い目が、感情もなくこちらを見る。手には、白い霧を纏った剣。
俺は呆気に取られながらも、とりあえず口を開く。
「ありがとう。おかげで助か……」
——ヒュンッ!!と白い軌跡が視界を裂いた。
「っ!?」
反射的に体を逸らす。次の瞬間、銀の刃が俺の頬を掠めて通り過ぎた。冷気が肌を焼く。
「おっ、おい!?」
青年は答えない。氷みたいな青い目で、ただ真っ直ぐ俺を見ていた。そして再び、剣を構える。
「ちょっと待ってくれ……!」
叫ぶ。だが返ってきたのは、感情のない声だった。
「……貴様、“災厄”だろう」
「ディザスター……?」
聞き返す。だが青年は剣を下ろさない。
「しらばっくれないでもらおうか。君は、彼奴とおなじ“災厄”だろうと言っているんだ」
そう言いながら先程暴れていた魔獣が暴れていた場所を指差した。 赤色の煙は既に消えかかっている。
……ディザスター。
もしかして、あの魔獣達の事を言っているのか?そして俺が、その仲間だと疑われている?
「ちょっと待ってくれ!」
俺は慌てて両手を上げる。
「俺の姿をよく見て欲しい、どう見ても人間だとは思わないか?」
必死に訴える。だが、その呼びかけも虚しく、青年の視線は鋭さを増すばかりだった。
氷みたいな青い目が、まるで害獣でも見るようにこちらを睨んでいる。
……おかしい。どうやら彼は本気で、俺を“ディザスター”だと思っているらしい。
どうにかして誤解を解かなければならない。俺が人間であること、そして敵意など一切ないことを証明せねば。そこで俺は、ある答えに辿り着いた。
——人間にしか出来ない行為を見せればいいのではないだろうか。
そうだ。つまり今必要なのは、言葉ではない。人間としての“魂”の証明だ。俺はゆっくりと両腕を天へ掲げた。
青年の目が鋭く細まり、剣先が僅かに動く。だが安心して欲しい。俺が今から行うのは、決して攻撃などではない。
そう——。
「人間最高〜♪ 人間最高〜♪
俺たちは生〜きてる♪しぶとく生〜きてる♪
生を受けた喜び〜♪噛み締め、生きてる〜♪」
ただの人間賛歌なのだから。
青年の表情が、初めて大きく崩れた。困惑、警戒、そして「何を見せられているんだ」という感情。
だが、まだだ。まだこの歌の真価は伝わっていない。頼む、聞いてくれ。この歌は、命を称える歌だ。人として生きる喜びを叫ぶ歌だ。
果たしてディザスターとやらに、こんな歌が歌えるだろうか?いや、歌えるはずがない。俺が知るディザスターは、命を奪うことしか知らない目をしていた。
だが、俺は違う。この胸には、生への感謝が満ち溢れている。
頼む、この魂の叫びを聞いてくれ——!
「命〜♪ 大好き〜!」
高らかにサビを歌い切る。
——静寂。
だが青年の目は、納得とは程遠かった。むしろ困惑が深まり、僅かに怒りすら混ざっているように見える。やがて青年は、低い声で呟いた。
「……やはり、先程この森でディザスター共を引き連れながら、巫山戯た歌を歌っていたのは貴様か」
「あっ」
しまった、あの光景を見られていたのか。
確かに客観的に考えれば、大量のディザスターを従えながら奇声じみた歌を熱唱して森を練り歩く赤眼の男など、どう考えても怪しさしかない。
むしろ多少話を聞いてくれていたことの方が奇跡ではないだろうか。
「それに、先程貴様は何と言った?『俺の姿をよく見て』……だと?」
青年の目が、僅かに細まった。
「そんなに”赤い目”を光らせて、よくもまあそんな事が言えたものだな!」
「……え?」
そう言って、少年は剣をこちらへ向ける。白銀の刀身、そこに反射した自分の顔を見て——俺は息を呑んだ。
目が、赤く染まっていた。まるであの魔獣達のように。
「……なっ!?」
思わず剣へ顔を近づける。そこでようやく気づく。
……そういえば。俺、自分の顔を見るのは初めてじゃないか?
目覚めてから今まで、水辺も鏡もなかった。だから、自分がどんな顔をしているのかすら知らなかったのだ。刀身に映る男は、俺と同じように困惑した顔をしている。
赤い髪で少し鋭めの目つき、年齢は十代後半くらいか。そして、その両目だけが異様だった。血みたいに赤い。じわり、と淡く光ってすら見える。
「そ、そんな馬鹿な……」
「この世界で"赤い瞳"を持つのはディザスターのみ。
『聖剣士』の私としては、君を見逃す事は出来ない。」
「聖剣士……?」
その単語を聞いた瞬間、頭の奥であの声が蘇る。
『——災聖剣を』
災聖剣。聖剣士。
何か関係があるのだろうか。考えようとした、その時だった。
「お喋りもこれまでだ」
少年が静かに剣を構える。
「——ここで討つ」
「っ!?」
次の瞬間、銀色の斬撃が目前まで迫っていた。
速い。慌てて身を捻る。頬を冷気が掠め、背後の地面が一瞬で凍り付いた。
「ちょっと、待っ——!」
二撃目。三撃目。白い軌跡が立て続けに襲いかかる。避けるので精一杯だった。俺は木へ飛び移り、地面を転がり、剣が掠める度に服が凍り付き、砕け散る。
「その剣は一体なんなんだ!」
「氷結剣アブソリュートゼロ。貴様を斬る聖剣の名だ。覚えておくといい!」
「聖剣……!!」
叫びながら飛び退く。だが、徐々に追い詰められていた。地面は氷に覆われ、逃げ場が減っていく。
「くそっ……!」
半ばやけくそで周囲を見回す。その時、地面から細長い石のようなものが突き出ているのが見えた。
棒状。やや剣の柄みたいな形だ。俺は咄嗟にそれへ手を伸ばす。触れた瞬間、石が淡い青色に光った。
「……なんだ?」
その光に一瞬だけ目を奪われる。遠くで、青年が剣を振りかぶったのが見えた。
まずいと思い、俺は反射的に石を勢いよく引き抜く。鈍い衝突音が森に響いた。
「……え?」
青年の体が、遠くで大きく弾かれる。振り下ろそうとしていた剣ごと、何かに殴り飛ばされたみたいに。
地面を滑りながら、青年が目を見開く。
「何っ……」
俺も固まっていた。今、何をした?石を引き抜いただけだ、なのに。
俺の手の中では、青く光る“石”が低く唸るみたいに震えていた。
氷結剣アブソリュートゼロ
——斬ったものを凍らせる剣




