尻軽女の戸惑い
細くて小さな手が私に触れるたび、私の中にいくつも穴があいた。
穴は隣の穴と結合して、大きな穴となり、ぱらぱらと崩れたなにかが穴の中へ落ちて消えていく。
消えながらきらきら光るアレはなんだろう。
失ってはいけないもののような気がした。
だけどあれを粉々に崩しているのは私とあの子だ。
砂時計みたいにひっくり返しても、もう戻れないのがただ悲しい。
気分で言えば最悪だ。
私と唯花ちゃんの間にあるものが友愛でなかったなら、もう少しマシな気分だったろう。
例えばそれが憎しみだったなら、最中だって後悔しなかった。
想像するしかないけれど、恋愛だったなら幸せを感じていたかもしれない。
別に行為そのものが悪かったわけではない。
男性とは違う柔らかな触れ合いは新鮮だったし、ちゃんと快楽も得た。
世の男性が女を抱く気持ちがわかった気もする。
でも私にとっては最悪な気分だった。
もう二度と元のふたりには戻れない、そんな一線を越えたくなかったのだと、始まる前に気付きたかった。
そんな気分でも朝はやってくるし、鬱々とした頭でも家事をするために手は動く。
引きこもると時間には余裕ができるので、急かされないのはいいことだ。
現実逃避気味に家事をしているとメッセージ着信の通知があった。
今日は咲き始めのサザンカやシクラメンの写真か。
ささくれ立った今の心を癒すようなきれいな花の写真はありがたい。
花の名を尋ねる文面だったので、おはように添えて返信した。
病室で言ってくれたように、明人君は琴線に触れたものの写真を送ってくれる。
私はそれを少し楽しみにしていて、この前なんて変な表情をしている猫の写真で笑い転げてしまった。
写真を通じて明人君の見ている世界を知ると、私は彼のことを全く知らないのだと気付かされる。
思えば友達すら飛び越えてクラスメイトからセフレになってしまったし、成り行きで現在は恋人になっているけれど、通じるのは体ばかりで心を通じ合わせるような機会が少なかった。
今はまるで友達からやり直しをしているみたいだ。
お互いもっと早く気付くべきだったね。
こんな状態になったからこそ気付けたのかもしれないけどさ。
昼頃来訪の連絡があり、夕方学校帰りの絵麻さんを招き入れると、会って早々土下座をするような勢いで謝られた。
「アイラが唯花ちゃんに吹き込んだことを聞いたの。本当にごめんなさい。あれは放置したらいけないものだったわ」
「私も同じ後悔を昨夜したところよ」
「……手遅れ?」
「まあ、そうね。そういうことになるかな」
「本当に申し訳ない」
とはいえこの件に関しては、絵麻さんが謝ることではない。
アイラさんも悪気無く、聞かれたから教えただけなのだろうと思う。
唯花ちゃんがそういう極端な思考に走ったのは、私が別れるとか言ったせいかもしれないので、突き詰めると自業自得なのかしら。
残念ながら起きてしまったことは仕方ないので、どこかで噛み砕いて無理に納得するしかないだろう。
昨日はアイラさんがいてあまり話せなかったので、他の人がオブラートに包んで私に伝えないであろう学校の様子を尋ねてみる。
「そんなに鹿波さんが悪く言われたりはしてないわよ。一部の男子がいい気味だとかそういうことを言ってクラスの女子全員を敵に回したくらいで」
「へえ」
「夏休み前ならそれに同調する女子もいたかもしれないけれど、見た感じこの前の梁田さん大変身が効いてるわね。鹿波さんが思ったより人が好くて技術もあると知れ渡ったから、打算込みで女子人気が急上昇よ」
「ちょっと照れるね」
「正当な評価でしょ。あと言ってた男子たちは女子に絞られて今は大人しくしているけれど、登校できるようになったら絡まれるかもしれないから気を付けて。具体的には野球部の子たちね」
そう言われてもぱっと思い浮かばない。
わかりやすいように教室でユニホームでも着ててくれないかしら。
想像するとちょっとおかしいけど。
「そうそう、文化祭のメイド喫茶だけど衣装はレンタルでこれに決まったの」
「マンガに出てきたやつとデザイン違うね」
「あれほどのミニ丈は現実には受け入れがたいでしょ。全部丸見えじゃない」
そもそもマンガだとメイドに扮するのは私や唯花ちゃんや麦野さんだったけれど、今回は他の女子に変わってるし彼女たちの好みに合わせて衣装も変わるか。
あの超ミニスカメイドは男子の趣味のような気がするけれど。
「それで鹿波さん、レンタル衣装のままだとつまらないしオリジナル要素が欲しいのだけど、例えば予備含めて両手分お揃いのブローチを発注したいと言ったらおいくらくらいになるのかな? これは予算外の私の自己満足だからふっかけていいよ」
「うーん、デザインやサイズにもよるからなあ」
目立ったほうがいいけれど、重たいのはエプロンに着けにくい。
胸元のリボンに引っ掛けるようなものがいいかも。多分作りつけのリボンで形も崩れにくいだろうし。
「喫茶店の名前は決まってるの?」
「ええと確か『喫茶 葡萄の木』だったかな」
なんともメイド喫茶らしくない店名だ。ギャップ狙いなのかしら。
しかし葡萄とはやりやすい。季節にも合っている。
「リボンに引っ掛ける金具、円形ベースからはみ出すようにたわわの葡萄……背景色は臙脂か藍色か、黒も締まりそうだ……同じデザインで何色か作ってみるか」
「必要な材料があれば用意するよ」
「材料が絵麻さん持ちなら制作はタダでいいかな。クラスの一員としての労力提供になるからね」
「それは良くないから、文化祭終わったら良い肉を奢るわ」
それは楽しみだ。
頭の中でデザインをこねくり回しながら、意識が肉に取られてしまう。
引っ張られた意識を引き戻し、なんとか必要そうな材料を書き出して絵麻さんに渡しておく。
「このリストの材料を用意すればいいのね」
「お願い。わからなかったら手芸店の店員さんに見せれば教えてくれるはず」
これは、当日の実務はできないかもしれないけれどなんとか文化祭に私を参加させたいと絵麻さんが考えてくれたのかしら。
だとしたら嬉しいな。喜んでもらえるように頑張ろう。
しばらく談笑していると突然インターフォンが鳴った。
約束もないし通販もしてないので不思議に思いながらモニタを確認すると、唯花ちゃんがぽつりと立って映っていた。
昨日の今日で、正直今は顔を合わせたくない。
でもそれはきっと私のわがままだよね。
気合いを入れるように両手で頬を軽く叩いてから、ドアを開ける。
「いらっしゃい。どうしたの?」
「会いたくて」
「そう、今は絵麻さんが来ているけど、それでもいいなら上がって」
「なんで?」
本当にわからないという様子で首を傾げられたけれど、私もそこでその反応は意味がわからない。
なにに対しての「なんで?」なの?
私が玄関で固まっていると、絵麻さんがリビングから様子を見にこちらへやってきた。
「あら、唯花ちゃんも遊びに来たの?」
「絵麻ちゃんは、どうして鹿波ちゃんと一緒にいるの?」
質問に質問で返している唯花ちゃんは、どうもいつもと様子が違う。
神経が張り詰めていて誰の声も耳に入ってないような状態なのだろうか。
「文化祭の衣装に鹿波さんの作ったアクセサリーを追加したくて相談しにきたのよ。浮気してたとかじゃないから安心して」
「……本当?」
「うん。それで材料の買い出しを頼んだりしたよ」
「そっか」
ぐるり、と中身が入れ替わったように、唯花ちゃんがいつも通りの笑顔に戻る。いやちょっと戻るのも怖いのだけどなんだったの?
何事もなかったようにされるのは、精神の変なところがぞわぞわと蠢いて気持ち悪い。
絵麻さんはなんとなく理解してそうだったからあとで聞いてみよう。
リビングに通すと、いやに唯花ちゃんの距離が近い。というか、ずっと私の後をついてくる。
まるで一時も視界から私が消えないように見張っているようだ。
お茶を用意しながら椅子に座って待つように促しても聞いてくれない。
「そんなに見張らなくても居なくなったりしないよ」
「鹿波ちゃんは、目を離したらそのうち消えちゃうと思う。だから学校なんて行きたくなかったし、昨日も帰りたくなかった」
「思うように外へ出られないのだから消えるなんて無理だって」
いやいやするように首を横に振り、唯花ちゃんは離れようとしない。
何故だろう?
まるで確信を持っているかのように言う。
消える、逃げる……考えてみても家出はしないかな。ドロップアウトはもう今がそんな感じだし。
でもそうだな、この世界から消えるとかなら悪くないような気もする。
飛び出して粉々になって誰の記憶からも消えて……そんなことは叶わないけれど。
叶うなら、私はそれを望むのかしら。
「目を離したら……きっとそうなるよね。お姉ちゃん?」
お姉ちゃん?
思いもよらない呼びかけに、生温い悪寒と困惑を感じる。
一体どうしたというのだろう。
唯花ちゃんの目は真っ直ぐ私を向き、私を見てはいなかった。
段々現実と作中の季節が近くなってきました。日本酒の美味しい時期ですね。




