尻軽女と仄暗い部屋
お祖父ちゃんの家は活気のある小さな商店街のタバコ屋さんだった。
正確にはタバコを売るのはお祖母ちゃんで、お祖父ちゃんは作業スペースのあるストックヤードで時計の修理や電池交換を請け負っていた。
私は大人しくて店番代わりに置いておいても悪さをしない幼児だったので、お客さんたちに随分可愛がってもらった記憶がある。
小学生にあがる少し前くらいに母親が夕方から働くようになり、私もお祖母ちゃんに算盤や裁縫を教えてもらいながら、タバコ屋の手伝いや家事の手伝いをするようになった。
お祖父ちゃんのいるストックヤードからこれとこれを何箱持ってきてとか、ご飯前に食卓を拭いてとか、そういう簡単な手伝いだったけれど。
でもふたりは些細なお手伝いでもすごく喜んでくれて、私にお駄賃をくれた。
小学生になるとお手伝いできることが増えて嬉しかったなあ。
もっと友達と遊びなさいって言われたけれど、みんな保育園とか幼稚園からの仲良しで固まっていて、どちらにも行ってない私はいじめられたりもしなかったけれど特別仲良くするとかもなく学校で過ごしていたから、お手伝いしているほうが楽だった。
仲良くしたいなあって気持ちがないわけではないから、クラスで流行ってるものに耳を澄まして会話のきっかけにしたりもしてたよ。
週刊少年漫画誌を買っていたのもその頃だね。「パズルラブハイスクール」もそのときに読んだの。
でも雑誌が毎週出てるなんて最初は知らなかったから、買うのは飛び飛びだった。
本屋のおじさんはお祖父ちゃんの友達で、私のことも覚えていてくれたから、私が雑誌を買いに行って前の号を買ってなかったときは店の奥で前の号を読ませてくれてストーリーが飛び飛びになったりはしなかったけれど。
お祖父ちゃんの友達とはいえ、他の子より親切にしてくれたのは、やっぱり顔に傷があったからからかなあと思う。
本屋のおじさんは私の家族のことを色々教えてくれたな。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんはお見合いで結婚したけれど、結婚当時からずっと仲良しだとか。会ったことはないけれど母には弟がいて、おじさんの子供と仲良しだったとか。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは本当に仲良しだったから、私もお見合いで結婚したいなあって思ったの。
お見合い結婚がなにかなんて全く知らないのにね。
「ってことは前世の鹿波さんは前世の私より年下なのね。私が小学校の高学年から中学卒業するくらいまで連載してたはずだから」
「思ったより離れてたね。近くに住んでいたとしても接点なさそう」
「うちは商店街とかない田舎町だったから近くでもないね」
お祖母ちゃんから料理も習って、それなりにひとりでも家事ができるようになった頃だったかな。
私も大きくなってきたし、母も仕事が安定してきたから、この家を出て近くに部屋を借りてふたりで暮らそうって言われたの。
今思えば家事が一通りできるようになるのを待っていたのかもしれない。
私にとってはお祖父ちゃんたちの家が育った家だったから離れるのは嫌だったけど、放課後今まで通り手伝いにきたり遊びに来てもいいと言われたから、強く抵抗はしなかった。
母のこともその頃は好きだったから、わがまま言って困らせたくなかったし。
私にとっては優しい母だったの。
でもきっと、お祖父ちゃんたちにとってはいい娘ではなかったのね。
親の目がなくなった母が恋人を家に連れ込むのにそう時間はかからなかった。
ある日紹介されたその人は母よりは年下だったと思う。だけど職場で知り合ったというその男性にいい印象は抱けなかった。
母に似ず醜い傷跡があってブスだと言いながら、小学生にしては発育のいい私の体を品定めするように見てきたから。
その人が泊まる夜は広くないワンルームでふたりの睦み合う声を聞かされながら必死で寝たふりをしなければならなかったし、あらかじめ来るとわかっているときはお祖父ちゃんの家に泊まらせてもらったりした。
突然来ることも多かったから、いつも今日は来ませんようにと祈っていた気がする。
それから中学生になって、その日はお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも午後から病院へ行くので手伝いに来なくて大丈夫って言われて、母は仕事で遅くなる日で、いつもより早く家に帰ったら、そこに母の恋人がいたの。
私は伸ばされた腕から逃げることができなかった。
薄暗い部屋で乱暴に組み敷かれながらも、いつか来るかもしれないと正体もわからず怯えていたものは、これだったと納得する。私の運命にはこんなにひどいことが待ち構えていたんだね。
もう、将来お見合いをして優しい人と結婚して穏やかな夫婦になりたいなんて望んではいけないんだと思ったら、すごく悔しかった。
でも騒いだり抵抗したりしたら、この首を絞める手に力が入って、きっと私は殺されてしまう。
もしかしたらそのとき殺してくれていたほうがよかったかもしれない。
硬い蕾を一通り弄んで割り、満足したらしい男から言われたわ。
誰かに言ったり逃げたりしたら、私の大切な人を殺すって。
それからずっと、恋人の浮気を疑って予定より早く帰った母に発見されるまで、私は自分の心を殺し続けるしかなかった。
不幸中の幸いだったのは、毎回避妊だけはしっかりされていたことね。
母と恋人は別れ、私を言葉で責めたりはしなかったけれど、私のせいで別れたと思っていたみたい。
ボロボロの私を見る目はとても冷たかった。
誰にも知られないようにと溜め込んだ心労で学校に行けなくなった私と、失恋した母の間に埋められない溝ができたのは多分このときだ。
かくして母の2度目の恋は、私の心に消えない傷を残して終わった。
心の中に隠しておく分には大したことではないけれど、人に話すとなるときついな、と思う。
極力悲惨に聞こえないようにしたけれど。
「もし……そのとき殺されていたら、この世界でこうやって鹿波さんと会えなかった気がするの。だから、もう死んでるのにおかしいかもしれないけど、生き延びてくれてありがとう」
「……うん」
私もそんな気はしてる。
あそこで死んでたら、私は鹿波になることはなかっただろう。
「ねえ、そろそろ夕飯のこと考える頃合いだと思うのだけど、今からバニラアイスとチョコレートアイスの業務用サイズとトッピングを色々買ってきて、夕飯後にアイスクリームパーティしない?」
「アイスクリームパーティ?」
「そう。シロップをかけたり砕いたナッツをかけたり、自分好みのパフェを作ってみたり、クリームソーダを作ってみたりするの。それで今度は幼女に生まれ変わった成人男性が四苦八苦してなんとかお嬢様になる話を聞いてちょうだい」
「楽しそうだね。やろうか」
夕飯はなにか辛いものにしようかな。熱々で辛いものを食べた後のアイスってすごく美味しいよね。
そんなことを考えていたら、心に閉じ込めていたあの頃の私が少しだけ笑ってくれたような気がした
アイスクリームは癒し




