尻軽女でも気は遣う
窓の外にはうるさいくらいに夏が広がっている。
どこの世界でも夏というやつは人間の都合など関係なく存在するのだな。
明日から夏休みなので今日の学校は午前のみで終わるのだけど、この日差しの中を歩きたくない気持ちで夕方まで学校に居座ろうと手芸部の特別活動申請書はあらかじめ提出済みだ。
宿題一式と注意喚起のプリントを鞄に詰め込んで、さっさと活動場所である技術室に向かうことにした。お昼ご飯もそこで食べてしまおう。
「……芦川さん」
立ち上がろうとしたところで自席に麦野さんがやってきた。
最近は唯花ちゃんと一緒に居るところを見ることがなく、男子に囲まれてわいわいしているイメージが強い。
「あの、手芸部の、私幽霊部員だけど、今日だったら参加できそうだから行ってもいい?」
ああそうか。今日は早帰りだから麦野さんは日課の家の用事まで時間に余裕があるのね。
さて返事はどうしよう。
部員各位には、活動らしい活動はしないかもしれないけれど技術室に集まるのはできるよ、と伝えてあるので幽霊部員といえど断る理由はない。
ただ唯花ちゃんや北原君は露骨に麦野さんと距離をとっているから、活動中にトラブルになるなら避けたい。
いくら性根が好きではないとは言え、現在の麦野さんがマンガの通りに動くことはできない気がする。
小動物みたいで男子には人気はあるけれど、唯花ちゃん以外の女子とはそこまで親しい様子もないので、クラスメイトを扇動してなにかするということも考えにくい。
「今日は特に活動らしい活動はしないし、各々作業するのも宿題をするのも自由な感じになるけど、それでもいい?」
「うん大丈夫」
心底ほっとしたような表情になったので、断られると思っていたのかもしれない。
今日は自由参加だし、ふたりが来ない可能性もあるけれど、いたとしても毎日同じ教室で過ごしているのだからなんとかなるでしょう。
というかまだ唯花ちゃんとの仲に亀裂が入った詳細を知らないのよ。
唯花ちゃんと北原君からはトラブルがあったくらいのふわっとした話しか聞いてない。
クラスメイトとしては個人間の問題なのだし知る必要はないけれど、部長としては把握しておいたほうがいいよね。
「じゃあ一緒に技術室に行こうか。初参加だしね」
途中購買に寄って飲み物を買い、職員室で技術室の鍵を受け取る。
絵麻さん同様ふたりも徒歩通学だから、参加するにしても一度家に帰って荷物を置き、お昼を食べてから来るのだろうと思う。
技術室に着いてからぎこちなくお弁当を広げ、プライベートなことだから言いたくないならいいけれど、と前置きをしてからトラブルのことについて尋ねてみた。
意外にも渋ることなくぽつりぽつりと、あのバレッタが迎えた最期を教えてくれた。
それは想像より激しいトラブルだったし、多少考えなしだったとはいえ麦野さんはそこまで悪くなかったし、唯花ちゃんが距離をとるのもそれはそれで仕方ないな、という感じだった。
麦野さんからの視点なので、唯花ちゃんの視点との齟齬はあるかもしれないけれど、嘘を言ったり誤魔化してるような様子はない。
いずれ時間が経って和解できたとしても、前のように親しくはできないのだろうな。
「今日はどうしたい? いつもどんな活動をしているのか体験したいのなら私が付き添うし、唯花ちゃんに少し歩み寄りたいなら放っておくけれど」
「芦川さんは怒らないの? バレッタのこと知ったのに」
「唯花ちゃんが大事にしてくれたのは嬉しいし、壊れてしまったのは残念だけど、トラブル自体は私とは関係ないもの。怒る理由も必要もないわ。聞いたのは部長として部員同士のトラブルを未然に防ぎたいからよ」
唯花ちゃんがそのとき感じた怒りは唯花ちゃんだけのものだ。伝聞した私が横から手を出すようなものじゃない。
部活中のトラブルなら仲裁するけど。
「じゃあ今日は色々教えて。あと、夏休み中に弟に家事を仕込むことになったから、夏休みのあとは週2回くらいなら部活に参加していいって言われたの。今更かもしれないけれど、正式に部員として参加してもいいかな?」
「勿論」
キャラクターの行動がまた変わってしまった。
麦野さんは卒業するまで放課後は家のことで忙しいキャラだったのに。
時間ができて自由度が上がったけれど、もうふたりの仲に割り込んだり、唯花ちゃんを煽ったりできるような立ち位置ではなくなってしまったから、警戒しなくてもいいのかな。
親しくない者同士の多少ぎこちない昼食は、お互いのおかずをひとつ交換するくらいには歩み寄れた。
程度と環境の差はあれど家事を担っている者同士ではあるので、多少の親近感から私と麦野さんの関係もいずれ違うものになっていくのかもしれない。
あと生姜をがっつりきかせた唐揚げはまた食べさせてあげよう。
家に小さい子がいると生姜とか唐辛子とか沢山使うメニューは難しいよね。優しい味付けのミニハンバーグをいただきながら、そんなことを思った。
今期は刺繍強化期間だったと説明しながら、麦野さんに制作物を見せていると、絵麻さんがやってきて、状況がわからないのか首をかしげてみせた。
「今日は時間があるから、ちょっと参加してみるんだって」
「そう。あまり話したことないけどよろしくね麦野さん」
今まで絵麻さんが麦野さんに対してどういうスタンスなのか聞いたことないな。
あまり気にしてないのかもしれないけれど。マンガでもあまり絡まないし。
挨拶の返事を待つことなく、絵麻さんはトートバッグから文庫本を取り出した。
「先に読書感想文やるの?」
「目についた本を乱読してみて、これだと思ったら取り掛かろうかと思って。幸い家には腐るほど本があるし」
「私はしばらく本屋行ってないし、休みに入ったら探しに行こうかな。今どんな本が流行ってるのかも知らないや」
「鹿波さんもうちに本読みに来る? 新旧重いのも軽いのも揃ってるよ」
「本屋で読みたい本が見つからなかったら頼むよ」
絵麻さんとやり取りして、ふと麦野さんを見ると鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
なにか変なところあっただろうか?
「どうしたの?」
「いや、高梨さんの喋り方が、普段と違って新鮮だったから」
ああそういえばわりと丁寧におっとりとした感じで喋るキャラだったね。
最近はキャッチボールをしているみたいにぽんぽん投げて喋っていたから忘れていた。
「鹿波ちゃんは私にとって特別だからつい素が出てしまうの。みんなには内緒にしてね」
ふんわり微笑んで平然とそんなことを言っているけれど、あなたが目に入っていませんでしたよ、みたいなテロップが見える。気のせいかな。
気軽に考えていたけれど気付いたら手芸部内は火種だらけとかになっていないだろうか。
原作通りなら気持ちの矢印が全員ひとりの男子に向いてる状況なので火種どころの話ではないと思うけれど。
刃物の管理には気を付けよう。
麦野さんは言外テロップに気付くことなく、仲良いんだね、とだけ反応した。
さて、見るだけじゃつまらないだろうし、そろそろ実践に移るか。
「絵麻さん、これからあっちの隅で麦野さんと刺繍するから、もし唯花ちゃんが来たらお願いしてもいい?」
「来ても気付かなかったらごめんね」
「そのときは何読んでたのか教えて。参考にするから」
入口から離れておけば唯花ちゃんといきなり接触することもないだろう。
唯花ちゃんだし、そんなに過剰な反応はしないと思うけれど。
危なっかしいところはひとつもなく、滑らかに針を刺していく。この様子だと麦野さんは普段から縫い針を持っているのだろう。
練習用の簡単な図案とはいえ、下書き通りにすいすいと進めていっている。
「刺繍は初めてなんだっけ?」
「小学校の授業でクロスステッチを習ったくらいかな」
「上出来。さっさとステップアップしてスタンプワークやってみない? ワイヤーを使った立体的な刺繍で、金具と組み合わせればアクセサリーを作れたりするのよ」
「やってみたい!」
「じゃあ専用の図案集出してくるね」
あまり認めたくはないけれど、もしかして麦野さんは気が合うタイプなのでは?
いや、ちょっと小馬鹿にして優位性を保とうとしたり、なにかを褒めるために他を下げるタイプなので苦手は苦手なんだけれど。
しかし人間性を十割肯定して付き合える人のほうが稀なのだから、結局は片目をつぶって欠点を許容できるかどうかの話。
判断を急ぐこともない。
図案集を出しに手芸部専用のキャビネット棚へ向かうと、いつの間にか唯花ちゃんが来ていたらしい。ひとりということは北原君は来ないのかな。
じっとりとした視線をこちらに向け、いつぞやの機嫌が悪い北原君を連想するような表情だ。
幼馴染みだと仕草も似てくるのかしら? まるで兄妹みたい。
「どうして?」
「絵麻さんから聞かなかったの?」
「聞いたけど、鹿波ちゃんだって好きじゃないでしょ?」
「今は部長モードだから、来るもの拒まずだよ。それに入部のきっかけを作ったのは唯花ちゃんだったと思うけど」
「そうだけど、でもなんかやだ」
珍しい表情が見られて私は楽しいけれど、唯花ちゃんとしては面白くないか。
「今日はうち来る? 来るなら唯花ちゃんの分も夕飯作るけど」
「行く」
「わかった。何食べたいか考えておいてね」
やり取りが聞こえたのか絵麻さんが本から顔を上げ、こちらを観察していた。
目が合うと、大変そうね、とでも言うような顔をしてくる。
面白がっているなあ。
目的の図案集をキャビネットから取り出して、戻りながらため息が出た。
休みが明けて麦野さんが参加するようになったら、手芸部はなかなか大変そうだ。
せめて共同作業が増える文化祭の準備で多少関係が改善すると良いなあ。
なにもなかった夏が気付けば終わってる




