24.審理の庭Ⅱ
気が付いたら、辺り一面暗闇の中にいた。
どちらが上なのか下なのかもわからない、光のない世界。
それでもそんなに不安を感じないのは、今までの展開に動じなくなったのか……。違う。これは香りのせいだ。
草花の湿気を含んだような香りが、私の鼻孔をくすぐる。
踏みしめた足元の感触は、柔らかな芝生だと気が付いた。
目の端に、明かりが灯ったのを捉えた。私はその光に向かって歩く。
飛んで火に入る夏の虫にならなければいいんだけど。まあ、他に目的もないから仕方なかった。
暗闇を歩くのは足取りがおぼつかなくて、ふだん目に頼って生活しているのを実感する。恐る恐る進んでいくと、突然明かりに照らされた。
そのまぶしさに、私は思わず目をつぶった。
「エミコさん! やっぱりあなたもこちらに来ていたんですね」
「え? もしかして、エミル?」
「はい。お久しぶりです」
「……じゃあ、ここは審理の庭?」
「どうやらそのようです」
恐る恐る目を開けて、エミルを見た。
鮮やかな金髪のイケメンが立っていた。そして私は思わず自分の両手を見る。50年慣れ親しんだ、自分の小さくて少し荒れた手がそこにあった。
明かりの近くまで来て、それが魔法で作られた光球だろうと気が付いた。今は東屋の中央で静かに光をたたえている。
エミルはそっと手を差し出して、私を東屋に迎え入れた。
この前と同じように、ベンチに並んで腰掛けて再会を喜んだ。
「もう会えないのかと思ってた。会えてうれしいよ」
「だいぶ時間が経っていますしね。ご無事なようでなによりです」
艶やかな笑顔は相変わらずだ。
私もこんな風な笑顔を浮かべてるのかなー。
最近、外装はエミルで生きてるけど、いまいち自信がない。
「この光の球はエミルが作ったんでしょ? 今日は真っ暗なのね。でも、この東屋も周りの草花も前に来た時と同じ。やっぱり審理の庭だわ」
「はい。ここは魔素が多くて魔法が安定します。審理の庭ならでは、なのでしょう。……ところでエミコさん、今日、そちらは新月の日ではありませんか? 日本は新月でした」
「え? そういえば新月で月明かりがなくって暗いからって、リッカが言ってたよ」
「やはりそうでしたか。そして、前回ここに来た日は満月でした。おそらくですが、審理の庭に来られるのは、新月の日と満月の日なのでしょう。2つの月が交わる場所という伝承にも合致しているように思います」
私は月の満ち欠けにはそんなに詳しくないけれど、もしエミルの仮説が正しいのなら月に2回くらいの頻度で審理の庭に来られるということになる。次からは月齢についても気にかけておこう。
「そうか。今日は新月だから、ここも真っ暗なのね」
「はい。そう考えるのが自然でしょう。月光がありませんから、月待花も光りませんし」
「つきまちばな?」
「ああ、私もあなたの世界で花の名前を知らなくて苦労しているのに、配慮が足りずすみません。この東屋の周りに咲く花のことです。月を待つ花と書いてつきまちばなと言います。月光を集めて、淡く光るのです」
「え? 光ってたの? 前に来た時、もっとしっかり見ておけば良かったわ」
そういえば光ってたような気もする。あの時は完全に夢だと思っていたし、いろいろあったからそれどころではなかった。
次にここに来られるのは満月の日の可能性が高い。今度よく観察してみよう。
「エミコさんは、本当に花が好きなんですね」
エミルは優しい笑みを浮かべていた。
私たちはそれぞれの世界の情報共有をした。
玲香も健琉も相変わらずで安心した。パートのことはとりあえず休み扱いで安心したけれど、戻る手だてがわからない今、残念だけど退職するしかないかもしれない。
「エミコさん、試験をクリアされたんですか!? すごいです!」
「えー、でもエミルの怪力頼みでごり押しだよ? それじゃあエミル的にも不本意でしょ?」
「ふふふ。それはまあ、そうなんですが、私もその場面を見てみたかったです」
「そうー? でも、まさかエミルが私の元の世界で魔法使えるとは思わなかったわ! 治療院とか開いたら繁盛しそう」
「それ、タケルさんも言ってました。レイカさんに止められてましたが」
「その情景が頭に浮かぶよ」
私たちはお互いに盛り上がって、夢中になって話をした。
異世界の、自分の子供よりも小さい(体はでかいけど)相手に、私は友情を感じていた。もちろん、リッカにも、ジョシュアにも、ノエルにも。
大変なことにはなったけど、案外悪くない。
不安は尽きないけれど、状況を楽しめなくなったらそれは終わりだ。
私はどこにいても私らしく生きてるなと、他人事のように思った。
「……エミコさん、すみません。私は今の暮らしがとても楽しいです。楽しくて、時々このままでもいいと思ってしまうことがあります」
突然、エミルが申し訳なさそうに小さな声で言った。
なんだかとても切なくなった。
「あはは。なんで謝るの。確かに現代は便利だし、おいしいものもたくさんあるし、エミルにとっては新鮮で楽しいよね。でもさ、私だってなかなか楽しい毎日を送ってるよ! 若いイケメンの友達もできたし、そもそも自分がイケメンだし。50年も生きたのに、まだまだいっぱい学ぶことも発見もあるとか最高!」
「エミコさん……」
じっと私を見つめるエミルの目に涙がにじむのが見えた。
でも、嘘は言ってない。私だって、不安はないとは言わないけれど、なかなかに今の人生を楽しんでる。
でもね、やっぱり今のままじゃいけないと思う。
私はエミル・シュトーの若さを、その輝きと可能性を奪いたくない。
「でもさ、エミル、私の体のままだと不便でしょ。どこそこ痛いし、なにせ長生きできないよ。とりあえず元に戻る方法と、あわよくばお互いに行き来できる方法探そう。私も元に戻って、友達に会えなくなるの悲しいから」
「そんな方法あるんでしょうか?」
不安そうに聞くエミルの背中を、私は思い切り叩いた。
エミルの体で思い切り叩いたら壊れちゃうけど、私の本来の体は残念ながらひ弱なゴリラだから、ここは思い切りいかせてもらった。
「私たちは入れ替わりだけど、他に転移した人とかもいるんでしょ? それなら、ワンチャンあるくない?」
「ワンチャン……あるでしょうか?」
「あるある、きっとある。そういえばメトスさまが言ってたよ。魂と肉体は引き合うから、肉体をともなったまま審理の庭に行けたら元に戻れるかもって。まあ入れ替わりが戻ったところで、世界の行き来は不明だけど。情報的にはこっちのが多そうだし、調べてみるね」
「はい。お願いします」
エミル、ワンチャンって自然に使ってるな。
なんか現代に毒されてきてるね。
私は思わず笑って、そしてエミルの顔を見た。
「っていうか、エミル、ガチでイケメンだよね。玲香が好きそうなタイプ」
「え? ……そ、そんな。レイカさんは私にもったいないです!」
エミルの顔がぶわっとすごい勢いで真っ赤になる。
あれ? なんか始まってるっぽくない? 面白そうなことになってきたよ!
でも元の世界にいるエミルって私の体だからな……。
これは何としても元に戻らないとだわ。
「ああ、明るくなってきましたね」
赤くなったのをごまかすようにエミルが言った。
この審理の庭は時間の経つのが早い気がする。
それとも、ここに来るのが夜明けの少し前なのだろうか?
白んでくる空を眺めながら、エミルに話しかけた。
「大変だと思うけど、玲香と健琉のこと、お願いね。私も学校生活がんばるから」
「はい。こちらこそお願いします」
エミルの姿が、情景が、じんわりとぼやけて溶けてゆく。
もう、この世界が終わってしまう。
新しい朝が来る。




