第六十一話「引き分け」
『警告! 闘技場が襲撃を受けています! 衛兵は直ちに急行してください!』
ダチーと光は衛兵たちの後を追い、物見高い競技者たちと共に闘技場へ駆けていった。
通りでは、慌てた何人ものドワーフが足をもつれさせ、次々と転んでいる。
ダチーたちが闘技場へ到着したとき、衛兵が続々と内部へ突入していた。
だが次の瞬間、その全員が強烈な力の波に弾き返された。
「あれは……?」
ダチーには心当たりがあった。
ヴァプロン、プリスマー、レイロンが一人ずつ姿を現し、闘技場の門前へ並ぶ。
また一人、衛兵が三人の横を飛び過ぎ、鈍く痛々しい音を立てて地面へ叩きつけられた。
「あの娘ですな」
ヴァプロンが告げる。
「例の世継ぎです」
「どうする?」
プリスマーが訊く。
「とうの昔に済ませておくべきだったことをする」
レイロンが答えた。
「あの娘を処刑する。念のため、残りの二人もな」
「なりませぬ」
ヴァプロンが即座に退ける。
「我らは規則に従う。主がそう教えられたとおりに。……ここはウェニレに任せなされ」
光が三人を押しのけるようにして通り抜け、ダチーも慌ててその後を追った。
闘技場へ飛び込んだ二人が目にしたのは――
「逃げろ! あの女、狂ってやがる!」
十五人もの衛兵が、一人の姫へ折り重なっている光景だった。
直後、その十五人全員がまとめて宙へ吹き飛ばされる。
灯里は一人を蹴り飛ばして壁へ叩き込み、そこへ巨大な亀裂を走らせた。
さらに別の一人の首を掴み、片手で宙へ吊り上げる。
「私の隊だ」
灯里が命じる。
「私の隊はどこにいる。……貴様らの頭目は、あの者たちをどこへ送った?」
「し、知らない!」
光が前へ飛び出した。
「灯里! こっちよ!」
灯里は即座に男を放り捨て、ダチーと光のもとへ駆け寄った。
「二人とも! 無事だったか? ほかの者たちはどこだ?」
「わからないの!」
光が答える。
「みんな散り散りにされて、見つけられたのはダチーと、頭のおかしい女が一人だけ。それ以外はまだ――」
「そこまでです」
ウェニレが闘技場の中央へ姿を現した。
その全身から緑色の煙に似た雲が噴き出し、三人を激しい咳の発作へ陥れる。
「あなたの登場は、まったく歓迎されておりませんよ、姫殿下」
ウェニレが声を尖らせる。
「ですが、私は公正な興行主です。ゆえに、あなたにも機会を差し上げましょう」
灯里が即座に力の弾を放った。
だがウェニレは緑の雲へ溶けるように消え、その一撃を躱す。
次に姿を現したときには、頭上にある自らの席から姫を見下ろしていた。
「組へ加わるには、予選を通過しなければなりません」
ウェニレが説明する。
「もちろん、器と戦わせるわけにはまいりませんので、別のお相手を御用意しております」
「相手?」
灯里が眉をひそめる。
「女。貴様が何の遊びをしているのかは知らん。だが今すぐ私を解放しろ。……さもなくば、貴様の大切な市を塵一つ残さず平らげてやる。貴様ごとな」
ウェニレが指を鳴らす。
再び緑の雲が形を成し、ダチーと光を包み込んだ。
それが晴れた頃には、二人は衛兵に囲まれた状態で観客席へ移されていた。
雷の障壁が立ち上がり、二人と闘技場の床を隔てる。
『さあ、王者! 最高の標的ですよ! あなたが憎むと公言してきた貴族――その極みとも呼ぶべき者を、今こそ仕留める好機です!』
闘技場に黄色い門が形を成した。
そこからアオキが跳び出し、灯里へ背を向けたまま片膝をついて着地する。
「ああ、まずい」
ダチーが小さく漏らした。
光が雷の障壁を叩き、逆にその全身へ痺れを走らせる。
「ちょっと! ここから出しなさい、この女! 灯里に手を出さないで!」
アオキがゆっくりと立ち上がり、振り返る。
それに合わせて、観客たちが歓声を上げ、手を叩き始めた。
「いいぞ! 殺し合え、狂った女ども!」
「俺は姫に賭けるぞ!」
「いや、あの狂った剣士が叩きのめす! 見てろ、あいつは殺すために生きてる女だ!」
アオキが灯里をじっくりと見定める。
「ふうん。本当に存在していたのね。……妙だわ。あの男によく似ている」
「貴様は誰だ。なぜS-1の軍装を着ている?」
灯里もアオキを見返す。
「その肌……ヴォルティアナ族だな。だが、なんと薄汚い」
アオキは答えなかった。
その瞳を見た灯里が、不意に顔色を変える。
「貴様! ダチーが話していた娘か! あの狂った女!」
「あなたにとっては、副将軍・天讃アオキよ」
アオキが訂正する。
「それから、私の隊に姫など要らない。……怪我をする前に去りなさい」
灯里はしばらくアオキを見つめ――やがて声を上げて笑い出した。
「自分を何様だと思っている。……今、この隊の将軍は私だ! 私に去れだと?」
灯里の瞳が鋭く光る。
「小娘。私がその気になれば、貴様など処刑させられるのだぞ。……去るのは貴様だ。その小さな刃を、首ごと折られる前にな」
アオキの額に血管が浮き上がった。
「誰に向かって口をきいているのよ」
観客たちが一斉に立ち上がり、声を揃えて叫び始める。
「戦え! 戦え! 戦え!」
ウェニレが拡声器を唇へ運んだ。
『戦士の皆様、お聞きください! お二人とも、器を自分の隊に置きたいのでしょう? ……では、取り引きをいたしましょう!』
灯里へ手を向ける。
『灯里姫殿下! この戦いに勝てば、あなたがアオキに取って代わり、アオキは脱落となります! ……ですがアオキが勝てば、脱落するのはあなたです!』
ウェニレが一度、咳払いをした。
『望むのは正々堂々とした一戦! 殺しは禁止! 不正も禁止! 外部からの助力も禁止! ……どちらかが戦闘不能となるまで、存分にやり合いなさい!』
角笛が鳴り響く。
『それでは――始め!』
灯里が片手を腰へ当てた。
「はっ。貴様に指図される覚えは――!」
次の瞬間、灯里はアオキの刃を素手で受け止めていた。
その切っ先が、首へ届く寸前で止まっている。
「そして貴様! 己の姫の首を刎ねようとするとは何事だ! 下がれ!」
強烈な力の波が、闘技場全体を揺らしながら走り抜ける。
だが、灯里の正面にアオキの姿はなかった。
灯里が即座に盾を形成する。
直後、そこへアオキの刃が深い裂傷を刻んだ。
アオキは灯里の横を駆け抜けながら、何度も盾へ斬撃を浴びせていく。
連撃に耐えかね、灯里はついに盾を解除した。
(速いのか)
灯里が思う。
(可愛いものだ)
アオキがその背後へ現れる。
灯里は回転し、その頭を蹴り抜こうとした。
アオキが刃で受け止め、そのまま灯里の片足を斬り落とす。
灯里は即座に足を再生させた。
その勢いのまま後方へ宙返りし、胸を狙ったアオキの斬撃を寸前で躱す。
着地と同時に地面を踏み鳴らし、闘技場を揺らしてアオキの均衡を崩した。
だがアオキは刀を地面へ突き立て、自らの体をその場へ繋ぎ留める。
ダチーと光は、観客席から二人の攻防を凝視していた。
「うわ」
ダチーが漏らす。
「重量級同士がやり合うと、こうなるのか?」
「どうして、あの娘は灯里についていけるの?」
光が問う。
「あれは一体何なの。属性すら持っていないのに!」
アオキの刃が、灯里の片腕を斬り落とした。
だが失われた腕は瞬く間に再生していく。
アオキがその光景を見つめている間に、灯里が力の弾を放った。
直撃を避けたアオキは闘技場の壁へ跳び上がり、刀を突き立ててそこへ留まる。
その片手に黄色い札が現れた。
「――脈動!」
アオキが札を地面へ投げつける。
巨大な黄色の衝撃波が闘技場を駆け抜け、頭上の照明がことごとく消えた。
同時に、灯里を覆っていた力も一瞬だけ途絶える。
(ほう……電磁の衝撃か?)
灯里が理解する猶予はなかった。
アオキの刃が風のような軌跡を描き、空を斬り裂いて迫る。
灯里は前腕でそれを受け止めた。
傷口から血が滴り落ちる。
それでも灯里は身じろぎ一つしない。
そのままアオキの顎を突き上げようとしたが、アオキは寸前で一歩退いた。
続く灯里の拳が、その脇腹を捉える。
アオキの体が床の上を滑っていった。
『ドン!』
ウェニレが歓声を上げる。
『王者の、すでに傷ついていた肋へ直撃! ……あれは何度も耐えられる一撃ではありませんね?』
アオキの鋭い一睨みが、ウェニレを黙らせた。
その隙に灯里が、螺旋を描く力の弾を一斉に放つ。
無数の弾が、アオキの頭部を狙って殺到した。
アオキの瞳が赤く閃く。
その手に四枚の赤い札が現れ、同時に爆ぜた。
爆発が力の弾を呑み込み、闘技場の床を広範囲にわたって崩していく。
灯里はその狙いを察し、地面へ拳を叩き込んだ。
床の亀裂がさらに広がり、アオキの足場を崖際まで削り取る。
アオキは宙返りし、わずかに残った安定した場所へ着地した。
(これで崖っぷちだ)
灯里が思う。
(私の隊を奪うだと? ……後悔させてやる!)
アオキが一歩踏み出した。
次の瞬間には、灯里の正面へ肉薄している。
振り下ろされた刃を、灯里が回転しながら眩い閃光で弾き返した。
その頭上に光の球体が形成され、アオキへ無数の光条を撃ち込んでいく。
アオキは光条を跳び越え、落下と同時に灯里の肩を刺し貫いた。
灯里が突き刺さった刀を握り締める。
そして血を噴かせるほどの拳を、アオキの顔面へ叩き込んだ。
アオキは口内の血を吐き捨て、そのまま灯里の両目を斬り裂く。
灯里が新たな盾を形成し、強引に間合いを広げた。
視界が再生していく最中、アオキが空高く跳び上がる。
そのまま魚雷のような勢いで急降下してきた。
激突を受けた盾は辛うじて持ちこたえたが、表面へ大きな亀裂が走る。
灯里は自ら盾を解除し、拳へ力を集中させた。
同時に、アオキが赤い札を投げつける。
札が二人の間で爆ぜ、灯里とアオキを反対方向へ吹き飛ばした。
「よし」
ダチーが立ち上がる。
「もう、このくだらない争いは十分だ」
光が慌ててその腕を掴んだ。
一瞬、えずくような声を漏らしながらも、必死に引き止める。
「待って! 何をする気なの!」
「器殿」
衛兵の一人も制止する。
「お座りください! 危険すぎます!」
ダチーは答えず、灯里とアオキの戦いを見つめた。
二人は壁から壁へと駆け、互いの攻撃を正面から相殺し続けている。
その過程で、灯里の両腕へ幾つもの切り傷が刻まれていった。
それでも姫は前へ出続け、ついにアオキの膝を打ち抜く。
引き換えに、灯里の片腕が斬り落とされた。
衛兵が止めるより早く、ダチーは雷の障壁の上へ跳び乗った。
渾身の力で障壁を殴りつける。
強烈な雷光がダチーの全身を駆け抜けた。
それでも歯を食いしばり、もう一度拳を叩き込む。
その間も、少女たちは戦い続けていた。
異変に気づいたウェニレが顔を上げる。
『器? 一体、何を――?』
「今すぐ、この試合を止めろ!」
ダチーが叫ぶ。
「二人とも俺の隊に入れる!」
『何ですって? しかし――!』
灯里が地面へ叩き落とされた。
倒れながら放った力の一撃が、闘技場の壁を雷の障壁ごと引き裂く。
灯里が顔を上げ、障壁の上に立つダチーへ気づいた。
アオキも同時に視線を向ける。
「聞こえただろ!」
ダチーが続ける。
「今すぐ試合を終わらせろ! でなきゃ俺は、この大会を降りる!」
少女二人が戦いを止めた。
観客たちも声を失い、呆然とダチーを見つめる。
光も立ち上がり、声を張り上げた。
「ちょっと! そこから降りなさい!」
衛兵たちがダチーを捕らえようと障壁へ登り始める。
だが接触した途端、その全身に電撃を浴びて弾き落とされた。
ウェニレが席から立ち上がる。
その両手が、ほんの一瞬だけ震えた。
(まったく、どうすれば……? いいえ。規則は規則です。あの娘を、何の予告もなく好き勝手に参加させるわけにはいかない。……アオキを勝者にすれば、あの娘を追い出す。姫を勝者にしても、アオキを外す……)
ウェニレの顔に笑みが戻った。
(ああ、そうだわ!)
一度咳払いをする。
『よろしい! どうやら、この勝負は引き分けのようです!』
観客たちが一斉に呻き、激しい野次を浴びせ始めた。
ヴァプロンがウェニレの傍らへ姿を現す。
「賢明な判断とは思えませんな、ウェニレ。……少年に命じられたからと規則を曲げるなど、偏向そのものですぞ」
「ほんの少し、規則を撓めるだけです」
ウェニレが返す。
「それに、器を完全に疎外すれば、その時点で我らの負けですから」
「ふむ。それは正しい。……ですが、ほかの競技者たちはこの判定にひどく憤るでしょうな」
「好きにさせておけばよろしいのです」
ウェニレの笑みが冷たくなる。
「器をこちらへ引き込める見込みが一パーセントでも上がるのなら、それはあの者たちの命をすべて合わせたものより、遥かに重い」
雷の障壁が消える。
ヴァプロンは闘技場へ降り、二人の少女の間に立った。
「決着が宣言されました! この勝負――引き分け!」
「試合を続けさせろ!」
灯里が要求する。
「これは引き分けなどではない! あれを見ろ!」
灯里がアオキを指す。
アオキは血塗れになりながらも、刀を手に真っ直ぐ立っていた。
「あなたこそ、自分の姿を見なさい」
アオキが冷たく返す。
その瞬間、灯里の両腕が同時に音を立てて外れ、床へ落ちた。
首も折れていたのか、頭が不自然な角度へ垂れ下がる。
直後、その損傷が一斉に再生し始めた。
「どうやって――?」
灯里が目を見開く。
アオキは答えず、刀を鞘へ収めた。
「それで、次はどうするの、下郎。この娘を外すの? 外さないの?」
ヴァプロンが咳払いをする。
「外すことはできませぬ。試合は引き分けと宣言されました」
そして、ウェニレへ鋭い視線を送る。
「ゆえに、安里灯里はアオキ隊の一員となります。……おめでとうございます」
観客席から、さらに激しい野次が飛んだ。
アオキの顔が露骨な渋面へ変わる。
「嫌よ。拒否する。……前にも言ったとおり、S-1にもアオキ隊にも、戦う腕すらない気取った姫など要らない」
「腕がないだと?」
灯里のこめかみに血管が浮かぶ。
「貴様は片脚も半分しか残っていないのだぞ、この埃まみれの下郎が! ……鐘に救われたことを有難く思え。でなければ今頃、肉の塊になっていたところだ!」
「次は、首が曲がらないよう気をつけなさい」
二人が再びぶつかるより先に、ダチーがその間へ降り立った。
「ともかく! これで決まりだ」
両手を広げ、二人を押し留める。
「これで四人揃った。ちゃんと公正な試合に出られる。……道徳のない後援者どもが許す範囲での公正さだけどな」
「ダチー、この女は何者だ?」
灯里が問い詰める。
「なぜこれの肩を持つ。……このような、薄汚いものは要らん」
「こいつは、この場所を知ってる。……それにマラチーがどこかにいるんだ。ほかのみんなもな」
ダチーがアオキを手で示す。
「それに、ここにいる連中はみんな、こいつを怖がってる」
「違う」
アオキが割り込む。
「私がこの隊を仕切っているからよ。……あなたたちのどちらでもない」
「貴様は何一つ仕切っておらん!」
光が観客席から飛び降り、仲間たちのもとへ駆け寄った。
「私は親友の味方よ! だから、この子に文句があるなら、私たち二人に文句があるということよ!」
「子供じみているわね」
アオキが鼻を鳴らす。
ダチーはウェニレへ向き直った。
「それで? 正式な判定は?」
ウェニレが観客席から身軽に跳び降りる。
『アオキ隊、ついに完成です! アオキがこの地へ来て以来、初めて四名全員が揃いました!』
「もう殺して」
アオキが小さく漏らした。
観客席から躊躇いがちな拍手が幾つか上がる。
その一方で、なおも野次を叫び続ける者たちもいた。
『それでは皆様、明日に向けて支度を整えてください! 第二回戦が正式に始まります――その名も、双牢です!』




