第17話 白銀の街の危機
空から降ってくるのは、冷たい雪というより、凍結された「時間」の断片のように思えた。
ラピス・ポートを後にした一行が辿り着いたのは、サタン領、北方の最果てに位置する常冬の街『スノー・グレイス』。
夜の闇が深まるほどに、雪片は淡いコバルトブルーに発光し、街全体を幻想的な青い光で満たしていく。地面に積もった雪は音を吸収し、街全体を静寂が包みこんでいた。
「すごーい! 私、魔導雪って初めて見ました。ひとつひとつが発光するんですね。蛍みたいですごく綺麗!」
「文献で読んだことはあったけど、私も実際に目にするのは初めて。雪が自ら魔力を放射してる。面白いね……でも、寒いのは嫌い。どこかお店に入ろうよ。」
「そうだね。じゃああそこの雰囲気のある喫茶店に入ってみようか。」
エターナの淡々とした催促に、エルムは苦笑しながら、広場に面した茶房『銀世界』の扉を開いた。
† † † † †
店内には、暖炉で燃える薪の弾ける音だけが響いていた。運ばれてきたのは、この街の特産『凍芽茶』。一口含めば、氷を噛み砕いたような清涼感が鼻を抜け、その直後に喉の奥からじんわりと燃えるような熱さが広がっていく。
「……面白い。お湯を注いだ瞬間に茶葉が周囲の熱を吸収して、カップの中に『微細な循環』を作ってる。……ふーん。意外とやるね、ここの店主。」
エターナが感心しながらお茶の余韻に浸ろうとした、その時だった。 店の重厚な扉が勢いよく開け放たれた。
「あーっ! いたいた! 見ーつけた、エルちゃーん!」
店内の静けさをぶち壊す、場違いな明るい声。現れたのは、深紅の毛皮を羽織り、大胆に足を露出した美女だった。艶やかな黒髪を高く結い上げ、その手には、白銀の骨組みに深紅の薄絹を張った、豪奢な「扇」を携えている。
「ミレイユ……!? どうしてここに」
エルムの顔から余裕が消える。ミレイユは風のような速さで肉薄すると、彼の首に腕を回し、その豊かな胸にエルムの顔を力任せに押し付けた。
「どうしてじゃないわよ! 連絡もなしに旅に出ちゃって、お姉ちゃん寂しかったんだから! ほら、元気にしてた? ちゃんと美味しいもの食べてる? 痩せたんじゃないの?」
「わ、わかったから……苦しい、ミレイユ、離して……」
じたばたと暴れるエルムを、エターナはカップを口元で止めたまま、無表情で見つめていた。まるで、極めて非効率で低俗な生き物を観察する学者のような、冷ややかな視線。
「…………ふーん」
彼女はゆっくりと、動揺を悟られないよう、カップをソーサーに置いた。カチャ、という小さな音が、店内に響く。
(とんでもない魔力量……この女、何者? 抑えてるつもりだろうけど、自然と漏れ出る量から化け物って分かる)
「……エルム。その、布地の面積が著しく不足している人は誰? ……まあ、誰でもいいけど。お茶の味が落ちるから、そういう節操のないやり取りは場所を変えてくれない?」
「ち、違うんだ、エターナ! 彼女は、その……」
「あらぁ? こっちの可愛い銀髪ちゃんが、噂の『第一賢者』様? 確かに、エルちゃん好みの、ツンとした美人さんねぇ」
ミレイユはエルムを抱えたまま、扇を優雅に広げた。その扇から放たれる微かな熱気が、店内の冷気を一瞬で中和する。
「私はミレイユ。この子の『姉』みたいなものよ。……ああ、そうそう。今は仕事で『第7魔王』なんて肩書き背負ってるけど、気にしないでね。アスモデウスって名前、重苦しくて嫌いなの」
「「…………えっ!?」」
「本当に、あの、第7魔王…アスモデウス…閣下なのですか?!」
腰を抜かしながら、ベルが恐る恐る口を開く。
ベルが椅子から転げ落ちそうになる横で、エターナは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに「……ふーん」と元の無表情に戻った。
「……第7魔王、アスモデウス……ベル。本当だと思うよ。その下品なくらい馬鹿げた魔力は、魔王なら納得。でもまあ、何で他の魔王の領地で油を売ってるのかは謎だけど。」
「嘘じゃないわよ。ほら、これ」
ミレイユが扇を閉じ、卓上にコン、と立てかけて見せる。そこには、特殊な加工で第7魔王を意味する紋章が刻まれている。他の魔王が自分が持つ最高の武器にこの紋章を刻む中、ミレイユは『可愛いから』という理由で、お気に入りの扇に紋章を刻んでいる、という噂は世間では有名な話だった。だが、その実、この扇こそが彼女の最高の武器でもあった。
「いや、ミレイユ。君が魔王になったのは知ってるけど……。どうしてこんなところまで来たんだよ。君の領地はもっと南だろ?」
「やっぱりそう思うよね〜 ここだけの話だけど、最近の魔界、なんだかキナ臭いのよ。管理局と裏で繋がって、秩序を乱してる『黒幕』がいるみたいでね。私は他の魔王たちの領地を観光っていう名目で回って、誰が尻尾を出しているか調査中なのよ。で、今はここを治めている『サタン』に挨拶しに来た帰り道ってわけ。」
「第三魔王サタンか……実力主義で、冷酷な男だと聞いているけど。」
エルムの言葉に、ミレイユは「はぁ……」と深いため息をついて扇を煽いだ。
「冷酷……ね。あの子、本当に何を考えてるのかさっぱり分からないのよ。私が挨拶に行っても、一言も喋らずに、ただ冷たい目で私をじーっと睨みつけるだけ。最近は管理局に好き勝手にやらせてるらしくてね、この街の『魔導雪』を独占して利用しようとしてるみたい。一体何考えてるんだか……」
ミレイユは扇を「パチン」と閉じ、窓の外を指差した。
「ほら見てよ。魔導雪を神聖な神の贈り物としている付近のリザードマンたちが、猛反対して押し寄せてきちゃってるんだから……サタンの右腕のマルコちゃんまで出てきちゃって、もう一触即発って感じ。」
エルムは、眉をひそめて窓の外を見た。 神秘的な雪が降りしきる銀世界の向こう。街の外の境界線には、管理局の最新鋭魔導重戦車が立ち並び、その中心には、苦渋の表情を浮かべたマルコシアス総督の姿があった。
「このままじゃ、明日にはスノー・グレイスは、『死の灰』が降る街になるわね。」
「ミレイユ……君が止められないのか? 君なら、魔王として介入できるだろ……」
エルムの問いに、ミレイユは寂しげに、そして冷徹な政治家としての顔で首を振った。
「無理よ、エルちゃん。私もこの素敵な街が気に入ったから、できるならそうしたいんだけど、私たち魔王の間には『相互不干渉の条約』がある。他の魔王の領地の内政に武力介入すれば、それは魔界全土を巻き込む大戦に繋がるわ。……個人的な感情で動くわけにはいかないのよ。」
ミレイユは扇でエルムの胸元を軽く叩いた。
「でも、あなたは違う。あなたは魔王でもなければ、管理局の人間でもない。ただの『お茶好きの旅人』……でしょ? だったら、誰の制約も受けずに行動できる。このタイミングでエルちゃんがこの街に到着したのは超ラッキーね……」
第7魔王アスモデウスは、エルムを試すように微笑む。
「……僕に、仲裁しろっていうの?」
「そうよ。この事態を収められるのは、あなたしかいないじゃない。……エルちゃん、あなたが動かないなら、私はここでこの街が消えるのを見届けるしかないわ。……あ、でもエターナちゃんが管理局の戦車を全部スクラップにするっていうなら、お姉ちゃん、見逃してあげてもいいけど?」
話を振られたエターナは、窓の外の軍勢を眺め、それからエルムを見た。
「……どちらかが戦闘不能になれば争いは止まるから、その女が言うことは合理的だね。気が進まないけど、あれを鉄屑に変えることは簡単だよ。まだこの街のスイーツを味わってないし、早く済ませたいな。……エルム、君はどうするの?話し合いなんてできるで状態じゃないよ、アイツら」
「あ、エルちゃん、お姉ちゃんから一つだけヒントあげる!」
そこには、エルムにとっては懐かしい、昔からエルムが困った時に助け舟を出してくれる『姉』ミレイユの笑顔。
「あの氷のトカゲちゃんたち、あなたがペットにした古龍、グラキエス・レックスを神と崇めてるらしいの。」
「……なるほど、そういうことか。ありがとう、ミレイユ。でも今回はちょっと疲れそうだな……」
「さすがエルちゃん!楽しみ〜 鈍ってないところ、お姉ちゃんに証明して見せてね」
エルムは、ゆっくりと立ち上がった。その背中から、今まで一度も見せたことのない、「重圧」が漏れ出す。 ミレイユが、手に持った扇を再び優雅に広げ、楽しそうに目を細めた。
これから起こることを予感したのか、ただの偶然なのか、彼女自身はわからなかったが、立ち上がるエルムを見て、エターナは一瞬身震いをした……
しんしんと降り積もる青白い雪。 その静寂を切り裂くように、街の外縁から、一発の魔導砲の轟音が響き渡った。




