第12話 路銀は十分稼いだよね
白亜の都市メルシナ。その中心に聳える冒険者ギルド『銀翼の天秤』の最上階、貴賓室には、黄金が積み上がっていた。
「……以上が、今回のフォレスト・オーガ殲滅、および古龍グラキエス・レックス鎮静化に伴う、ギルドからの特別報酬となります。……計、金貨千枚です」
ギルドマスター・オーソンの声は、もはや恐怖と敬意が混ざり合い、奇妙な高揚感さえ帯びていた。金貨千枚。それは一生遊んで暮らせる金額であり、並の冒険者であれば、その輝きに目が眩み、人生を見失うだろう。だが、ベルはその黄金の山を前にして、冷静に魔法の家計簿を広げた。
「確認いたしました。……金貨千枚、確かに受け取りました」
ベルが魔法のアイテムバッグをかざすと、黄金の山は吸い込まれるように消失した。エルムとエターナは、その様子をどこか他人事のように眺めている。
「実は、ギルド側からもう一つ、非常に重要な要請があります」
オーソンは居住まいを正し、真剣な眼差しで三人を見据えた。
「今回の偉業を受け、ギルド本部はパーティー『BEE』に対し、特例としての『Sランク』昇格を打診しています。ですが、この都市を管轄する魔王サタン様の右腕――マルコシアス総督が、直々に実力の確認と面談を行いたいとの意向を示されています。
総督がこちらに到着するまでの約一週間、メルシナに滞在していただきたいとのことです。もちろん、その間の宿泊場所や食事は手配させていただきます。」
「1週間か。みんな、いいよね? それより、ギルドの依頼、何でも請けられるようになったんだよね。」
エルムが目を輝かせる。エターナは、浮遊魔法で椅子ごと数センチ浮いたまま、古ぼけた魔導書から目を離さずに答えた。
「別にいいよ。まだゆっくり魔道具店や魔導書専門店をゆっくり巡れてないし。」
エターナにとって、Sランクという称号や魔王の右腕との面談などどうでもよかった。 こうして、Sランクパーティー『BEE』の自由時間が始まった。
† † † † †
それからの数日間で、パーティー『BEE』の名はメルシナ中に響き渡った。路銀の心配から解放された三人は、ランクや報酬に縛られず、自分たちが「面白そう」だと感じた依頼を片っ端から引き受けた。
ある日は茶葉の木の害虫駆除、またある日は、希少魔物の密猟組織の撲滅、古くなった魔道具のメンテナンス等…
化け物じみた強さの噂が先行し、当初は彼らを恐れていた市民たちも、圧倒的な力があくまで「日常のささやかな幸せ」のために振るわれる様を見て、次第に親しみを抱くようになった。
最終的には街を歩けば感謝の言葉が絶えず、エルムの元には茶葉が集まり、エターナの元には変わった魔道具やスイーツが山積みになる。気づけば彼らは、白亜の都市メルシナの「隠れた守護聖人」として、絶大な人気を博していた。
滞在五日目。三人は、報酬が金銭ではなく、街の名物菓子である『太陽のレモンピール』という一風変わった依頼を引き受けた。
依頼主は、この道五十年の頑固な老職人。内容は、彼が大切に育てている「潮風の絶壁」のレモンの木の周りに、毒を持つ羽虫の魔物が巣を作ってしまい、収穫ができないので駆除してほしいというものだった。
依頼自体はエターナの魔法で瞬時に片付いた。
報酬は、最高級のレモンを使い、老職人が一週間かけて天日干しし、魔力を微調整しながらじっくりと仕上げたレモンピール。
早速一口食べたエターナの動きが止まる。
じっくりと噛み締め、その複雑な甘みと、時間の経過だけが生み出せる深い酸味を味わう。彼女の藍色の瞳が、わずかに細められた。
「……君、天才なの?」
エターナは老職人を真っ直ぐに見つめて、続けた。
「管理局が推奨している『高速熟成術式』を一切使わずに、太陽の光と時間の経過を見ながら魔力の波形を合わせ続けてる。職人の仕事だね。美学を感じるよ。…これ、一年分もらうよ」
「ええっ!? エターナ様、一年分って保管はどうするんですか!」
ベルが悲鳴を上げるが、エターナは聞く耳を持たなかった。
「私が古代魔法をアレンジして作った保存術式なら、完璧に劣化を防げるから問題ないよ。」
「わ、分かりました。」
(古代魔法の使い方…)
† † † † †
一週間後。
漆黒の重装騎兵団を引き連れ、総督マルコシアスがメルシナに到着した。
サタンの右腕、統治と軍事を司る冷徹な戦略家。彼は魔導馬車の中で、部下から届けられた報告書に目を落としていた。
(もはや伝説となっている、琥珀の森の『第一賢者』。相当の美女らしい。そして、古龍を一撃で黙らせた謎の青年、エルム。彼はお茶マニアらしい。ヴァレリウス殿と同じ系統の御仁か。…いずれにせよ戦うなど論外だ。この報告書の記述が事実なら、軍勢などただの紙屑に過ぎん。……第一賢者は美女なのか…早くお会いしたい…いや、マルコシアス!そんな邪念は忘れろ!仕事なのだ…)
マルコシアスは、極めて理性的、そしてミーハーな男だった。部下の調査により、エターナが同行していると知った時点で、彼の中に「武力衝突」という選択肢は消えていた。
だが、それでも彼は確認せずにはいられなかった。自分の主であるサタンが君臨するこの世界で、その理の外側に立つ者が、どれほどの重みを持っているのかを。
ギルドの貴賓室。
マルコシアスが入室した瞬間、室内の空気は物理的な衝撃を伴って軋んだ。
彼が放ったのは、魔王の右腕としてのプライドを賭けた、全力の殺気――『覇気』。
傍らにいたギルドマスターのオーソンは、一瞬で呼吸を奪われ、膝から崩れ落ちた。
だが。
「……ああ、総督閣下。ちょうどお湯が沸いたところですよ。一杯、いかがですか?」
エルムは、その荒れ狂う嵐の真っ只中で、凪いだ海のように平然としていた。彼の手元では、沸騰したばかりの透き通ったお湯が、一点の揺らぎもなく、完璧な放物線を描いて茶葉へと注がれている。
エルムの周囲の僅かな空間だけが、マルコシアスの覇気を物理的に拒絶し、そこだけが別の空間であるかのように静止していた。
(…………馬鹿な)
マルコシアスの背中に、初めて冷や汗が流れた。
自分の全力が、認識すらされていない。嵐に向かって投げた小石が、風に流されることすらなく無視されたかのような絶望的な実力差。
エルムはニコリと微笑み、琥珀色に輝く茶を差し出した。
「総督閣下。お茶は、心が静かな時に飲むのが一番美味しいですよ」
マルコシアスは、深く吐息をつくと、纏っていた覇気を一瞬で霧散させた。
彼は深く椅子に座り直し、震える指先で茶を受け取った。
「…初対面での無礼な振る舞い、大変失礼した。確認するまでもなかったようだ。古龍が大人しく従った理由、理解した…」
マルコシアスは、真摯な敬意を込めてエルムを見据えた。
「本当に失礼だな。お茶が不味くなるじゃん。」
こちらもマルコシアスの覇気に、表情ひとつ変えなかった銀髪のエルフ——エターナ・ルミナス。
(彼女が神話の世界の賢者殿か。やはり規格外だな。一瞬で隣の少女の前に防御術式を展開して守る余裕…そして、確かに美しい…しかし、私ごときが気軽に声をかけられる方ではないな。しかし!確かに美しい…いや、マルコシアス!任務中だぞ!)
「エ、エルム殿、そしてエターナ殿。……貴殿らの功績は、もはやギルドの枠に収まるものではない。我が主サタンに代わり、その偉業を称えよう。……サタン様にも、貴殿らのことは伝えておく」
差し出されたのは、燦然と輝く白金のプレート。
Sランク。冒険者の頂点、伝説の証。
それは、三人が「ただの路銀稼ぎ」として始めた一週間の労働が、世界の歴史に刻まれた瞬間だった。
† † † † †
旅立ちの前夜。
メルシナの宿で、三人は荷造りをしていた。
「ねえ、エルム、ベル。これ、見て」
エターナが、街の古道具屋で見つけたという一冊の古い画集を広げた。それは、羊皮紙が茶色く変色するほど古いものだったが、描かれている風景には、言葉を失うほどの生命力が宿っていた。
「わあ!綺麗な絵…」
後ろから覗き込んだベルが思わず息を呑む。
「作者の名前は……『フィア』。聞いたこともない無名の画家だけど、この絵の中に流れている光の捉え方とか、使われている顔料や天然素材を使った膠とか、こだわりも腕も超一流だね。何より、すべてのページの風景が美しい。」
画集には、サタン領の各地の風景が描かれていた。
鏡のような湖面に映る月の都、七色の霧が立ち込める渓谷、そして――一面のジャスミンが咲き誇る、幻想的な水の都。
「…本当だ。感性が鋭いし、この作家は、この地を愛している、繊細で心が優しい人なんじゃないかな。」
「ベル。路銀は十分稼げたよね。せっかくだから、この絵にある土地を回って実物を見てみようか。この『フィア』という人が見つけた、美しい風景を辿る旅だ」
「はい、十分過ぎるほど。水の都アクア・ルナ……。ヴァレリウス様からも、紹介状を頂いています。そこには、魔王サタン様が直接管理される『聖なる泉』があるとか」
ベルが、すでに行程表を帳簿に書き込みながら、期待に目を輝かせて頷いた。
「異論なし。」
早速レモンピールをかじりながらエターナが呟く。
翌朝。
白亜の都市を背に、馬車が走り出す。馬車の窓から流れる景色を見つめながら、エルムは静かに思った。
(次は、どんな出会いがあるだろうか。)
物語は、画集の風景を追い求め、神秘の水が眠る「水の都」へと、その歩みを進めていく。




