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黎明魔界のティータイム〜最強の僕は、のんびりお茶を飲んでいたい〜  作者: 七割カカオ
第一章 琥珀の森の引き篭もり賢者

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第1話 琥珀の森の招かれざる客

魔界の最果て、琥珀の森。


そこは、世界から切り離され、地図からも抹消された『遺忘(いぼう)の図書室』が眠る聖域である。


外の世界では、魔法はもはや「神秘」ではなく、人々の生活を効率化するための資源へと転用されていた。


魔導管理局が定める『標準規格』に従い、均一化された魔導回路。それはかつての魔法が持っていた、魂を揺さぶるような色彩を失い、ただ無機質なグレーに塗りつぶされた世界だ。


だが、この図書室だけは、止まった時間の中に「色」を留めている。


宙を漂う書棚は静かに旋回し、銀のインクで書かれた魔導書は、主の指先を求めて生き物のように身をよじる。そんな幻想的な風景の中に、一つだけ、場違いな音が混じっていた。


――カツ、カツ。


「あ…。そっちは行き止まりだよ、ルンダ。三回目」


この図書室の主、エターナは、古びた魔導書から目を上げ、足元を静かに見下ろした。


そこには、円盤状の魔道具が、本棚の角に何度も何度もぶつかっていた。最近彼女が研究している空間認識術式を応用した試作品、『円環清掃機:ルンダ』である。


彼女が細い指先で軽く空を切ると、ルンダは「ピピッ」と頼りない電子音を鳴らし、再び健気に行き先を探して図書室の隅へと滑り出していった。エターナは特に気にする風もなく、手元のノートに羽ペンを走らせる。


「やっぱり物体の検知精度がいまいち。角の反射魔力を計算式に入れ忘れたかな。次は多角的なパルスで、ルンダ自体の存在密度を…」


失敗を淡々と分析し、改良点を探る。それが魔道具オタクである彼女の日常だった。彼女はこの図書室に引きこもり、管理局の提唱する『大量生産可能な魔道具』とは一線を画す、魂の通った道具たちを愛でていた。


エターナは一見、十代半ばの少女のようであるが、床にまで届く透き通るような銀髪と、冬の湖底を思わせる深い藍色の瞳には、あまりに膨大な歳月を積み重ねてきた者だけが宿す、凪のような諦念(ていねん)が沈んでいる。


長寿種族のハイエルフである彼女にとって、世界はすでに読み終え、結末まで知ってしまった一冊の退屈な物語のようなものだ。


しかし、彼女にはまだ、真理に辿り着けていないものがある。いや、そういうことにしているだけなのかもしれない。


スイーツである。


「ここのページ、少し甘い匂いがする。何かの隠し魔法かな…。あ、ただの食べこぼしの跡か…」


彼女は極度の甘党だった。彼女がこの図書館に引き篭もる前の世界では、彼女はありとあらゆるスイーツを食した。新しい魔導書を読みふけるのと同じくらい、甘味を食すのは、彼女にとって至福の時間であった。


それから千年、もしかしたら現代では、自分が見たことも聞いたこともないような極上のスイーツが存在するのではないか?という希望と、とはいえ外に出るのは面倒すぎる、という葛藤が続いた結果、『面倒さ』が勝ち、引きこもり続けて今に至る。


「退屈だね……。師匠、あなたの言っていた通り、長生きはあんまり面白くない。新しい魔導書も見つからないし、甘味の本も全部読み尽くしちゃった。」


彼女はため息をつき、背もたれの高い椅子に深く身を沈め、天窓を仰ぎ見た。


淡いオレンジ色の陽光が差し込み、宙を舞う埃の粒子を黄金の砂のように照らしている。この図書室を包むのは、かつての魔王ですら数百年を費やして突破できなかった『絶対不可侵』の多層防護結界だ。


彼女はこの静寂の中で、あと数百年、あるいは数千年を、ただ「存在」するつもりだったのだが…

――ビキッ!と。

何か大きなものが歪むような、不吉な音が、図書室の奥深くにまで響き渡ったのは、その時だった。


「…………侵入者?」


エターナの表情に、僅かな困惑が走る。


バリバリ、という耳を刺すような衝撃音が続き、図書室全体が激しく震動し始めた。ルンダが慌てたように机の下へと逃げ込み、魔導書たちが一斉に書架へと逃げ帰る。


「この結界を壊すには、神話級の魔法でも足りないはずなんだけど」


彼女が静かに椅子から立ち上がろうとした、その瞬間だった。 頭上の天窓が、まるで薄い氷のように粉々に砕け散った。


強化魔法が幾重にも施されたはずのガラスが粉砕され、図書室全体を激しい光が包み込む。 そして砕けたガラスの雨を切り裂いて、何かが落ちてくる。


轟音。


最高級の石床が、クレーター状に陥没する。立ち込める埃の中で、エターナは静かにそれを見つめた。


「……いっ、てて。やっぱりこの角度だと衝撃を逃せないか。あ…茶器、割れてないかな。」


煤けた上着を払いながら、男がのっそりと立ち上がった。


黒髪に、どこか掴みどころのない穏やかな風貌。その姿には、エターナを警戒させるような「殺気」も「魔力」も、 表面上は一切感じられなかった。しかも、墜落の衝撃をまともに受けたはずの彼の肌には、擦り傷一つない。


「………人間?」


人間がこの結界を破るなど、あり得ない。


「ああ、お騒がせしてすみません。入り口が分からなくて、つい一番脆そうなところを通らせてもらいました」


青年は、こともなげに言った。


「……脆い、ね。私の千年の研鑽も、案外大したことなかったのかな。それとも、私の計算式に致命的な間違いがあったのか……」


エターナは椅子に座り直した。


彼女の指先には、一国を数秒で灰燼(かいじん)に帰すだけの密度を誇る魔力が、音もなく集束し始めている。それは怒りではなく、ただ「掃除」としての動作だった。


「不法侵入者。名乗る必要はないよ。……ただ、君が私の時間をどれだけ無駄にしたか、その身で償ってもらう。……消えたい? それとも、私の研究の検体になる? 好きな方を選んでいいよ。」


エターナの周囲で、魔法術式が光の環となって旋回を始める。


しかし、青年は全く動じない。それどころか、彼は手慣れた手つきで懐から小さな、だが驚くほど精巧な細工が施された携帯用の火鉢を取り出し、実直そのものの笑顔を浮かべた。


「消えたくもないし、研究対象になるのも遠慮したいな…。あ、僕はエルムといいます。お茶を淹れるのが僕の仕事みたいなものです。…それより、いい匂いがしますね。ほら、そこ」


エルムと名乗った青年が指差したのは、エターナが先ほどまで読んでいた古い魔導書。


「食べこぼしの跡」があるページだった。


「……それがどうしたの。ただの古い汚れだよ。もう匂いもしない」


「いいえ。これは、現代ではもう失われたはずの…最高純度のカカオを焙煎した時の香りです。まさかこんな場所で、その本質を理解している人に会えるなんて。今日は運がいい。せっかくですから、今の時代の『最高』も、試してみませんか? 」


エターナの指先に集まっていた魔力が、ふっと揺らいだ。


「……君、その匂いがわかるの? この『香り』の価値を知っているなら、少しだけ話が通じそうかな」


エルムはクレーターの真ん中で、まるで自分の家の庭にいるかのような平然とした所作で、お湯を沸かし始めた。



エターナの退屈な隠居生活は、エルムが差し出す「一粒の甘い衝撃」によって、思わぬ方向へ動き出す。

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