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第45話(最終回)

 早川に最後の別れを告げた翌日、家中(いえじゅう)の掃除を終えた美沙はオーストラリアへ出掛ける為のボストンバッグを片手に沢山(たくさん)思い出が詰まった書斎へやってきた。


 隆がいつでも帰れるようにと細く開けたままにしていた窓から空を見上げて、

「隆、必ず行くから待っていてね。今度は私が支えになれるよう精一杯頑張(せいいっぱいがんば)るから」()()れとした表情でそう言った後、そっと閉めて鍵を掛けた。


   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 早川の(もと)に『引取人様へ』と題されたメールが届いたのは12月16日で美沙の誕生日の9日前だった。

 そこには日付と動物保護施設の名前しか書かれていないが、早川は変身した美沙の引き取り日とその場所である事をすぐに理解する。


 クロトラと会って変身に対する想いを変えていた早川は、最後のデリバリーで美沙のゆるぎない決意(けつい)を聞いて、ひとまず引き取り人になることを承諾(しょうだく)していたのだ。

 引取人になった後も引き取りに行くべきかどうかを決められずにいたが、それは以前のように卑怯(ひきょう)なものには協力しないという信念からではなく、どちらを選んでも美沙の将来が悲劇であることに変わりないからだった。


 早川が引き取りに行けば変身は()()げられるがクロトラが悲劇(ひげき)だと語った野良の生活へ美沙を送り込むことになってしまう。

 一方、引き取りを断れば変身は未完に終わり、美沙は引き取り手のない変身ネコとして()()を見ることなく(やみ)(ほうむ)られてしまうのだ。

 父親が最期に残した、『変身術など必要としない強さを持たねばならない』という言葉に従うなら後者(こうしゃ)を選ぶべきかもしれないが、自分の恩人(おんじん)見殺(みごろ)しに出来る筈もなく、最善(さいぜん)の答えは見つけられなかった。


 そうして悲劇と殺処分(さつしょぶん)のどちらが美沙にとって良いのか悩み抜いた結果、その人生の行方を本人の運命に(たく)す事にしたのだった。




 9日後、早川は指定された動物保護施設でアメリカンショートヘアに変身した美沙を引き取ったが、望んでいた通りデリバリーの公園へ連れていく事はしなかった。


「…私がしてあげられるのはここまで………、ごめんなさい……」


 近くの公園で翻訳機と共に美沙を地面に下ろした早川は苦しそうに告げた。


 そこは隆と再会を約束したデリバリーの公園からはかなり遠く、ネコになりたての身体では辿(たど)()く前に()(だお)れるか、何処(どこ)かで取り締まりドローンのパルス照射を受けてしまう可能性が高かった。

 美沙が沢山(たくさん)の愛情をくれたお(かげ)で今の自分があると良く分かっていた早川の心はこれまで感じたことがない程痛んだが、決めていた通り全てを本人の運命に(たく)したのだった。


 早川の苦しそうな表情から、これが2人にとって最善(さいぜん)の方法だと理解した美沙はここまでしてくれただけで十分だと思っていた。


 何も言わずに去って行く早川の後ろ姿に、

「長い間ありがとう。いつまでも元気でいてね…」と鳴き声にならない小さな声で言い、ドローンが西の空へ飛び去り小さな黒い点となってもまだ、名残惜(なごりお)しそうに見送っていた。



 冬の風が吹きつけてその小さな身体をよろめかせると、美沙は我に返る。


 ここがどこなのか手掛かりを探して(あた)りを見廻(みまわ)すが、目に入るのは知らない景色(けしき)ばかりだった。

 どうしたら約束の公園に辿(たど)()けるのか見当(けんとう)も付かないが、引き取り場所は自宅より東にあると手術前、まだ人間だった時に聞いたその記憶を頼りに西へ進むことにする。


 覚悟(かくご)を決めた美沙は(しず)み始めた夕日に向かって立つと(おもむろ)に翻訳機を(くわ)え上げ、ネコになったばかりのおぼつかない身体でよろよろと歩き出した。


 その日は12月25日、美沙の50歳の誕生日で隆と再会を約束した日だった。


   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 あちこち(よご)れて(きず)ついた身体を寒さで(ふる)わせながら、美沙はようやく見慣(みな)れた公園へやって来た。

 何かに遭遇(そうぐう)する度、逃げたり隠れたりしたせいでかなり時間が掛かってしまい、約束の公園に辿(たど)()いたのは6日後の12月31日だった。


 冷たい突風(とっぷう)があちこちで土埃(つちぼこり)の渦となって()うのを公園の入口から見ていた美沙は、隅の小高(こだか)い場所に横たわっているものが気になり始める。

 それが何かを確認する為によろよろしながらそちらへ歩いて行くと、だんだんネコのように見えてくる。

 さらに近づくとそこに寝そべっているネコの身体にアメリカン・ショートヘアの柄があることに気付いた。


 その瞬間、美沙は(あわ)てて走り出すが()れない身体とこれまでの疲労で大きくよろめき、

「あっ、」と言いながら冷たい水たまりの中に(たお)()んでしまった。


 半身がずぶ濡れになった身体で起き上がりフラフラしながらネコとは思えない足取りで20メートルの所まで近づくと、その見覚(みおぼ)えある身体の模様(もよう)で美沙は確信する。


「たかし! たかし!!」美沙は再会が(かな)った(うれ)しさで泣きながら叫んだ。


(人間の記憶は消されなかったのね! 約束した通り、私を迎えに来てくれたのね!)と心の中で叫びながら無我夢中(むがむちゅう)()()った。




 そこに横たわるアメリカン・ショートヘアは痩せ細り、その鼻を地面に付けたまま息絶(いきた)えていた。

 そして、その口は傷だらけの翻訳機が付いた見覚えのあるベルトを(くわ)えている。


「あぁ……、たかし……」実際に涙が出る事はなかったが亡骸(なきがら)の前で美沙は泣き崩れた。


 汚れて切れてしまった、その変わり果てたベルトを見て、

「私がもう少し早く来ていれば…、私のわがままな願いを背負(せお)わせなければこんな辛い目には…、ごめんなさい…本当にごめんなさい、隆…」と泣きながら叫び続けた。



 どれくらい()ったのか、あたりは暗くなり始めていた。

 泣きながらあまりの悲しみで気を失いそうになっていると、キュルキュルと油の切れたホイールの音を(ひび)かせながら公園の清掃ロボットがやって来る。


 ロボットは美沙の横を通り過ぎて止まり、収集機(しゅうしゅうき)のアームを伸ばし始める。

 その先に取り付けられたちりとりのようなもので目の前にある隆の亡骸をすくうようにして乗せ、ゆっくり持ち上げた。


 その作業を呆然(ぼうぜん)と見ていた美沙が正気(しょうき)を取り戻して、

「たかし! 隆をどうするの! 隆を連れて行かないで──!!」と必死で叫び始めるがロボットは亡骸(なきがら)を後ろのゴミコンテナに入れようとアームを水平に動かす。


 そのアームに飛びつこうとして失敗した美沙は、

「やめて─!、連れて行かないで──!!」と横に倒れたまま声の限りに叫ぶことしか出来なかった。


 収集機が(かたむ)けられ、亡骸がゴミコンテナの中に(すべ)り落ちて消える寸前(すんぜん)にその口が力なく開き、(くわ)えていた翻訳機が隆のいた場所にポトンと落ちた。

 ロボットは隆の亡骸を回収するとアームを折り畳み、来た時と同じようにキュルキュルとホイールの音を響かせながら冷たい風の吹く夕闇(ゆうやみ)に消えた。


 何も出来ずにただ(うら)めしそうな目でロボットの後姿(うしろすがた)を見送った美沙はそこに残された汚れて傷だらけの翻訳機に気付く。

 亡骸が回収されてしまった今、それが隆を感じられる唯一(ゆいいつ)のものだった。


 美沙が翻訳機に近づくと人間の耳では決して聞こえないほど(かす)かなジーというノイズ音が発せられ、ベルトからは今まで()いだことのない土や草の(にお)いがしてくる。


 時々、高くなったり低くなったりするノイズを聞きながら、美沙はどれだけネコになった隆の事を理解していなかったかを悟った。

 そして、切れて汚れたベルトから(ただよ)う土や草の(にお)いを()いで、野良のネコとして生きることがどんなに過酷(かこく)だったかを思い知る。



 変身した隆は人間だった自分には決して聞こえない音や(にお)いを感じ、人とは違う感覚で人とは違う時間を生きていたのだという事を美沙はたった今、理解したのだった。

 支えて欲しいという理由だけでネコに変身させ、人間と同じ環境で人と同じ時間を生きなくてはならないようにしたことがどれだけ罪なことだったかと思った。

 野良になれば危険と隣り合わせの日々を生きねばならないというのに、再会というわがままな願いまで背負(せお)わせ、その命を終わらせてしまった自分を美沙は()め続けた。


 そして、隆との最期(さいご)がこれほどまでに辛く悲しいものになったのは、自分の(あやま)ち対する(ばつ)以外の何ものでもないと感じていた。



 時々音程(おんてい)を変える翻訳機のノイズがいつも聞いていた言葉のように思え、美沙はそこにまだ隆が生きているような感じがしてきた。

 隆がしていたように爪を使って自分の翻訳機のスイッチを入れると、少しだけ違う音程でジーという(かす)かなノイズを発し始める。


 美沙は自分の翻訳機を咥えて、隆のものの隣に置いた。


 2つの翻訳機が交互にノイズの音程を変えると、まるで2人が言葉を交わしているように聞こえてくる。

 美沙はもう(かな)う事のない会話を(おも)(えが)きながら、並んだ翻訳機を大切な物のようにして両腕で抱え、隆がいたその場所に伏せた。


 そこはとても(あたた)かかった。


 目を(つぶ)ると、ここで起こった事が走馬灯(そうまとう)のように頭の中に(よみがえ)り、柳瀬とのネコ缶配りやクロトラとの出会いが(はる)か遠い昔のことのように思えた。

 (まぶた)の裏で隆が人間だった頃の暮らしが古いアルバムの写真のように色褪(いろあ)せて見え、ネコに変身したことや家を出ていったことなどが新鮮な色で映し出される。


 今の美沙には思い出ごとに(よみがえ)る喜びと悲しみの両方が、ただ懐かしく思えて心が(やす)らいだ。



 しばらくすると、美沙はその目を大きく開いた。


 ゆっくり顔を上げ特別な思いでその公園を見廻すと、隆が()った場所でこのまま死んで同じ所へ行こうと再び目を(つぶ)った。


   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 デリバリーの最終地点にやってきた早川は、先ず公園の隅にある小高(こだか)い場所に目を向けた。

 6日前からそこにいてデリバリーを見ているだけのネコが、同じ柄の少し小さいネコと入れ替わった事に気付く。


 複雑な表情で長いため息をついた早川は

(これが……、その運命………)遠くの雲に(かす)かに残る夕焼けを見詰めながら心の中で(つぶや)いた。


 そのネコの方は見ないように公園の真ん中辺りまで行くと、デリバリーに集まってきた野良ネコ達にネコ缶を配り始める。

 大人しく座って待つ30匹位のネコ達にひとつずつネコ缶を置いていきながら、再び小高い場所のネコを横目で見ると伏せたままでこちらへ食べに来る様子(ようす)はない。


 全てのネコに配り終えた早川は帰路(きろ)に着く為に乗ってきたドローンに向かって歩き出す。

 伏せたまま動く気配のないネコを時々横目で見ながらいつもよりゆっくり歩き、ドローンへ半分程歩いた所で立ち止まった。


「やっぱり、私には出来ない…」


 観念(かんねん)したように(つぶや)き、伏せているネコに向かって足早(あしばや)に歩き出した。


 小高い場所まで行くと早川は何も言わずに膝を突き、濡れて汚れたアメリカン・ショートヘアの頭をそっと撫でる。


 (やさ)しくされるのを(こば)むかのように(かた)く目を閉じ、身じろぎもしないネコを両手でそっと抱き上げる。


 そこに残された2つの翻訳機も拾い上げて、

「こうなるのも…、運命…」暗くなった空を見上げて呟いた。


 再びドローンに向かって歩き出した早川は、途中ですれ違う清掃ロボットのゴミコンテナに2つの翻訳機を投げ入れて、

「さあ、一緒に温かいお家へ帰りましょ!」と胸の中で固く目を閉じたままのネコに声を掛けた。


 その閉じられた目には絞り出されるように一粒の涙が浮かんでくる。


 涙は徐々に大きさを増し、やがて鼻の横を転がるようにして地面に落ち、小さな染みとなって消えた。




                                                         終わり。


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