第144話 灯花庵の前菜
灯花庵の三品が、いよいよ女神たちの前に並ぶ。
私たち四人が銀糸で繋がり、
多腕の料理神として動き出したあの瞬間──
すべては、この時のためだった。
そして今度は──
私たちの料理で、女神たちを驚かせる番だ。
◆
沙良が静かに“楼蘭干し果実とザクロの宝石盛り”の一皿を差し出した。
女神たちは、花のように咲く乾燥果実と、
宝石のように散るザクロの赤い輝きに目を奪われる。
虹麗が首を傾げ、目を細めて静かに言葉を発した。
「いいわね。私好みよ」
そう言って沙良へ視線を移し、にっこり微笑む。
「ねえ沙良、私の前に置いてもらえるかしら」
沙良は優しく頷き、皿を両手でそっと持ち上げた。
虹麗の横に立つと、静かにテーブルへ置きながら口を開く。
「冬の市で女神たちに供される、絹の道風の前菜──」
いったん言葉を切り、皿がテーブルに触れる小さな音が響く。
――コトッ。
「楼蘭の干し果実とザクロの宝石盛りです」
虹麗は前に置かれた一皿を静かに見つめる。
沙良は続けた。
「ふっくらと柔らかく戻した楼蘭の干し葡萄と干し杏が淡く輝き、
和田の羊乳チーズを小さな象牙色の角切りにして添えています」
虹麗がそっと沙良の瞳を見つめ、続きを促す。
その静かなやり取りはコロシアムのスクリーンに映し出され、
観客を静かに魅了していた。
「ザクロの赤い粒は宝石のようにきらめき、
黄金色の蜂蜜が細いリボンのように光をまとって流れ落ちます。
砕いたロースト胡桃が香ばしい食感を添えています」
虹麗は静かに頷き、視線を皿へ落とした。
「魔法の冬の光が皿を照らし、空気には柔らかな光粒が舞います。
温かみのある異国情緒と、儀式料理らしい優雅さを再現しました」
虹麗はスプーンとフォークを手に取り、
赤く散りばめられたザクロの粒をそっと一掬いした。
虹麗は口に運んだ瞬間、そっと瞳を細めた。
「……なるほど。干し果実の柔らかさと、ザクロの弾ける食感。
この対比が、とても心地よいわ」
赤い粒を舌の上で転がしながら、静かに続ける。
「甘さが強いわけではないのに、深い余韻があるのね。
冬の光を閉じ込めたような……そんな味がする」
調理を続けながら、琴葉を通して虹麗の反応が頭の中に流れ込む。
私たちは思わず顔を見合わせ、そっと頷き合った。
気をよくした私たちの手は、さらに神がかったように動き始める。
一方、女神の舞台では──
虹麗が一度スプーンを置き、沙良へ視線を向けた。
「丁寧に戻した果実の柔らかさ。蜂蜜の細い光。
どれも祈りを感じるわ。儀式料理として、とても美しい」
その言葉に、観客席がざわりと揺れた。
虹麗の評価が届いた瞬間、私たちは同時に口元をほころばせる。
「「「当然よ」」」
小さく、しかし確かな誇りを込めて呟いた。
その様子を見ていた郭淮の瞳に、わずかな焦りが宿る。
琴葉はその変化を見逃さなかった。
虹麗の言葉を聞き、次に美優がにっこり微笑んで琴葉に声を掛けた。
「琴葉ちゃん、お母さんに二皿目の料理を運んでくれるかしら」
琴葉の心が弾むのが、私たちにも伝わってくる。
「はい、お母さん。今持っていくね」
琴葉は母の横に寄り添うように立ち、美優の前へ皿を置いた。
「秋収穫のオリーブとフェタのギリシャサラダだよ」
美優の瞳を見つめながら、琴葉は誇らしげに説明を始める。
「これはね、冬の祭りで女神たちに供される、
ギリシャ風の冷菜前菜をイメージしたサラダなの」
「あら、どんなところが“女神に供される”のかしら?」
美優の問いに、琴葉は鼻を鳴らして答えた。
「うん、例えばね。十一月に収穫されたばかりの新物オリーブ油を使っているんだよ」
「なるほど。感謝の意味を込めて新物を供するわけね。
オリーブ油が艶やかに輝いているわ」
「でしょ。それに白いフェタチーズが小さなサイコロみたいに散りばめられてるでしょ。
お母さんたち、ギリシャの女神はチーズ大好きでしょ?」
美優は少し困ったように微笑んだ。
「うーん、そうとも言えないけれど……ここにいる女神たちは皆好きね」
美優が他の女神へ目配せすると、皆が苦笑いを浮かべる。
「こ、これは依怙贔屓というものでは……」
郭淮の従者が言いかけた瞬間、美優の鋭い視線が飛び、
従者は慌てて口をつぐんだ。
そのやり取りを見ていた愛麗が、ため息をつきながら間に入る。
「もう、二人とも。親子で何をしているの?
そういう話は家でしてくださいな……。
誰が見ても、これでは贔屓していると思われるわよ」
観客席も無言で頷いた。
琴葉が頬を膨らませ、美優が不服そうに言い返す。
「あら、そうかしら。そんなことはないと思うけど」
「もう、親子してそっくりですね。ここからは私が引き継ぎます」
愛麗が亜衣を呼び、自分の前に皿を置かせた。
「あら、熟したトマトと胡瓜が鮮やかな彩りを添えているわね。
それに、香り高いオレガノがふわりと舞っている」
亜衣が静かに微笑み、言葉を添える。
「今年搾ったばかりの新油のオリーブオイルが、
黄金色の光をまとって全体を包み込んでいます。
清らかな地中海の色彩と、秋の実りの温かさが同居する一皿です」
愛麗はフォークを手に取り、熟したトマトをそっと刺した。
その動作だけで、観客席の空気がわずかに揺れる。
「……まあ。口に入れる前から分かるわね。
この香り、今年の新油でしょう?」
トマトを唇に運んだ瞬間、愛麗の表情がふわりとほどけた。
「ん……。これはいいわ。
トマトの瑞々しさと、胡瓜の清らかな歯ざわり。
そこに新油の柔らかな香りが重なって……」
愛麗は目を細め、舌の上で味を転がすように続けた。
「オレガノの香りがふわりと立ち上がって、
まるで地中海の風が吹き抜けたみたい。
秋の実りの温かさと、冬の祭りの厳かさが同居しているわね」
フォークを置き、愛麗は満足げに微笑んだ。
「これは……祈りというより祝福ね。
食べる者の心を明るく照らす味だわ」
その言葉に、観客席から小さなどよめきが起こった。
美優と琴葉は思わず顔を見合わせ、胸を張るように微笑んだ。
一方、郭淮は唇を噛みしめ、視線を逸らす。
愛麗の評価が、確実に会場の空気を変え始めていた。
「では、次の料理を用意してくれるかしら」
(あっ、この口調と声は……華蓮様ね)
――あら、私で不服でもあるのかしら?
(い、いえ。不服などありませんけど……公平に採点してくださいね)
――まあ。まるで私がいつも不公平みたいな言い方ね?
(華蓮様と星愛は、いつもこんな会話をしていたんですか)
曹英の心話が割って入ってきた。
――そうでしたわね。そちらの舞台の料理人は銀糸で融合していましたわ。
言葉には気をつけなさい、星愛。
(そのセリフ、そのままお返しします)
(ちょっと、お二方。今は言い争いをしている場合ではありません。
もう、華蓮様の前に料理が運ばれていますよ)
燈灯が慌てて二人の間に入り、言い争いを止めた。
亜亥が華蓮の前に、湯気をまとったスープをそっと“据えた”。
――あら、この子……星愛のことを気に入っている子ね。
星愛のどこがいいのかしら。ふふ、何も言わないでおこうかしら。
(えっ、華蓮様、いったい何を言っているのですか)
――あなたって、本当に鈍感よね……。他にも、あなたの思い人はいますわよ。
うふふ。そこの二人、愛麗に橋渡しをお願いしてみてはいかがかしら。
頬を染めたのは曹英と、燈柚、燈灯、燈澄だった。
その光景を見た瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられるような痛みが走る。
(な、なんなの……この感覚。意味わからないのだけど)
――あなたはいつまでお子様なのかしら……。
と言うより、新たな思い人までできていましたのね。うふふ。
燈灯が、何かを隠すように声を荒げた。
(もう、何度も言わせないでください! 華蓮様の前に料理が運ばれています!)
――そうでしたわね。料理対決も大切でしたわ。
華蓮と私たちの心話に気づいていない亜亥が、
湯気をまとったスープを静かに据えた。
その仕草は、まるで祈りを捧げるように丁寧で、
私たちは思わず息をのんだ。
「バグダッドの香辛料ハリース・秋仕立てです。
小麦と羊肉の濃厚スープにシナモン、カルダモン、クローブ。
そして、秋の棗とクコの実を追加しました
秋の薬膳としての滋味と、バグダッドの異国情緒が同居した一杯。
お楽しみください」
じっくり煮込まれた小麦と羊肉がとろりと溶け合い、
深い琥珀色のスープが静かに湯気を立てている。
シナモン、カルダモン、クローブの香りが温かく立ち上り、
秋の棗とクコの実が宝石のように浮かぶ。
華蓮はスープの表面に揺れる光を見つめ、
ゆっくりとレンゲを手に取った。
亜亥はすかさず言葉を加える。
「バグダッド風の儀式的な香辛料スープを描いてみました」
華蓮は蓮華の上で湯気の立つスープを見つめ、呟くように言った。
「……ふふ。見た目は控えめだけれど、香りは誤魔化せないわね。
これは癒しの力を持つ子が作った味よ」
一口含んだ瞬間、華蓮の表情がわずかに和らぐ。
「優しいだけじゃない。芯があるわ。
飲み込んだあと、胸の奥がふっと軽くなる……。
これは、戦いに挑む者の心を整えるための一皿ね」
華蓮はレンゲを置き、意味深に微笑んだ。
「癒しとは、ただ甘やかすことではなくてよ。
必要な場所に、必要な強さで触れること。
この子はそれを分かっているわ」
観客席がざわりと揺れた。
そして華蓮は、わざとらしく星愛の方へ視線を向ける。
「……ねえ星愛。あなた、さっき胸が痛そうだったけれど、
このスープのせいかしら。それとも──」
続きを飲み込み、華蓮は楽しげに微笑んだ。
華蓮の言葉が響いた瞬間、観客席がざわりと揺れた。
「癒しの一皿……?」
「心が軽くなるって、どういう……」
「さっきの虹麗様、愛麗様の反応といい、これは本物だわ」
ざわめきは次第に熱を帯び、会場全体が期待に満ちていく。
一方、郭淮の席では従者たちが顔を見合わせていた。
郭淮自身も、わずかに眉を寄せている。
「……まずいな」
「三品とも評価が高すぎます」
「このままでは……」
郭淮は唇を噛みしめ、視線を逸らした。
その横顔には、焦りと苛立ちが混ざっている。
そんな空気が伝わってきたのか、胸の奥がまたきゅっと痛んだ。
(……なんで、こんなに苦しいの。
華蓮様の言葉のせい? それとも……)
自分でも理由が分からないまま、胸の奥がざわつく。
スープの湯気が揺れるたび、そのざわめきが強くなる気がした。
華蓮はそんな私を横目で見て、ふっと微笑む。
――星愛。あなた、まだ気づいていないだけよ。
でも……気づく時はすぐそこに来ているわ。
意味深な心話が落ちてきた瞬間、会場のざわめきの色が明らかに変わった。
次の料理が運ばれる気配が、空気を震わせる。
観客席が息を呑む。
許褚が堂々と、黄河の猪親子の主菜を掲げて舞台へと歩み出た。
郭淮の視線が鋭くなる。
胸のざわめきが、さらに強く脈打つ。
そして──
許褚が舞台に上がった瞬間、観客がその料理を見てどよめいた。
「いつまでも主らの天下ではないぞ。
今度は儂らの至極の主菜を、存分に味わってもらおう」
その豪胆な所作には、計り知れない自信が宿っていた。
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