第137話 戦乱を忘れて
たらい船で水竹筒を使った水合戦、“周る回る”は激闘の末、
私たちが一位、二位が許褚と郭淮率いる“黄河の猪親子”で幕を閉じた。
私たちは最後の決戦の場となるコロシアムへと向かった。
「ねえ、どうせなら運河をたらい船で行かない?」
私が皆に尋ねると、琴葉が嬉しそうに頷いた。
「行こう、行こう! 今度は私が漕ぐ番だよ」
私は何か企んでいそうな琴葉の顔を見て、苦笑しながら頷く。
「琴葉が漕いでもいいけど、変なことはしない約束よ」
琴葉は頬を膨らませつつも、目は楽しそうに笑っている。
「変なことって何よ。私のことを信用していないの?」
「もう琴葉ったら、何でそこで膨れるのよ」
そう言いながら、柔らかい琴葉の両頬を引っ張って笑う。
「星愛の方が変なことしますねー」
琴葉は目を細め、にやりと笑った。
私たちのやり取りに、碧衣が割って入ってきた。
「時間もないから、たらい船で行くなら急ぎましょう」
皆が頷き、たらい船を止めた埠頭へと足を進めると、
許褚が声をかけてきた。
「おお、主らはたらい船でコロシアムまで向かうのか」
隣にいた郭淮が私たちに頭を下げ、言葉を継いだ。
「たらい船で行くとは、よほど気に入ったようですな……
コロシアムまでは急がねば間に合いませんぞ」
沙良がにこやかに微笑みながら郭淮に声をかけた。
「郭淮殿、ご忠告ありがとうございます。
にしても、あのたらい船戦での撤退の判断、見事でした」
沙良に感心され、悪い気がしないのか郭淮はにこやかに頭を下げた。
「戦局を見極めるのは私の仕事ですので……
例え遊びでも、常に真剣ですぞ」
郭淮の言葉が終わると、許褚が郭淮の肩を抱き、大声で笑う。
「主の頭の中は、相変わらず堅いのう」
と言いながら、肩をたたいた。
「いやいや、敵ながら的確な判断でしたな」
(うん? どこかで聞いたことのある声)
嫌な予感が過りながらも、声の主の方を振り向いた。
(あっ、やっぱり。周瑜さんや魯粛さんのことでしつこく聞いてきた、長江のナマズだ)
声の主は、諸葛瑾と馬岱、関平を率いた、ほのかに顔が赤い程普だった。
「また、そのような顔をしおって……
星愛殿、周瑜殿や魯粛殿は亡くなったと信じていますぞ。
そんなに警戒しなくても良いのではないですか」
(いやいや、あれだけしつこく言われれば警戒しますよ)
私は苦笑いを浮かべ、軽く会釈した。
「ごきげんよう、程普さん。もう顔が赤いようですが……」
「ははは、今日は冬の市、そして智遊歳の最終日ですぞ」
顔が少し赤い諸葛瑾も、程普の言葉を継いで話す。
「さよう、楽しまなければ損ですな。
冬の市が終われば、いや夢咲襄陽府を出れば再び戦乱……
こうやって曹操殿や劉備殿の重鎮と話すこともなかろう」
関平が頭を左右に振り、口を開いた。
「いえ、皆様は重鎮と言って過言ではありませんが、
私はまだ若輩者。皆さまと肩を並べるなど……」
馬岱が関平の肩を叩く。
「関平殿は生真面目すぎますぞ」
と言うと、関平は照れたように頭を下げ、ニコリと笑った。
曹英が私に寄り添い、耳元で囁く。
「そろそろ出立しないと、間に合わないわよ」
私は静かに頷き、将たちに声をかける。
「私たちは、たらい船でコロシアムまで行きますので、
そろそろ向かおうと思います」
許褚が思い出したように口を開いた。
「おお、そうでしたな……では決勝の場でまたお会いしましょう」
郭淮も頭を下げ、
「決勝でも手加減はしませんぞ」
と言って微笑んだ。
程普が竹筒を持ち上げる。
「われらは、ほれ、酒を飲みながら観戦させてもらいますぞ」
諸葛瑾が含みのある笑顔で口を開く。
「決勝、楽しく観戦させてもらいます」
関平が「灯花庵の偉い人のご武運を祈っています」と言うと、
許褚が「わしらの武運は祈らぬのか!」と笑いながら言い、
関平が困った顔になる。
馬岱が代わりに口を開いた。
「私は麗しい女性の味方です。
誰がむさくるしい男を応援するのですか」
郭淮が笑いながら言う。
「われら黄河の猪親子にも麗しい女性はおりますぞ」
「いやいや、我ら長江のナマズには人魚のような麗しい……」
曹英が肘で私の脇腹を小突いてきた。
振り向くと、皆が白けた顔で六将を見つめていた。
(あわわ……そりゃあ、白けますよね)
私は苦笑いを浮かべ、
「あのー、私たち急ぐのでこの辺で……皆さん、ごきげんよう」
「あっ、待たれよ星愛殿……」
程普がまだ何か話そうとしたので、私は大声で手を振りながら、
「さよならー! またコロシアムでー!」
と声を張り上げ、その場を後にした。
私たちは急ぎ足でたらい船の埠頭へと向かった。
「あれ、誰かいるよー!」
燈澄が指をさしながら言った。
「ほんとね……あれ!?
あれは玄さん一族ではないかしら」
碧衣が目を細めながら言う。
曹英が心配そうに口を開いた。
「また、何か企んでいるのかしら」
「敗退しているのだから、何もないと思いますよ」
恬香が自信に満ちた目で私を見る。
「そうよね。今までのこと、謝るつもりかしら……」
私が思案していると、玄さんの大声が響いた。
「おーい! 待ってましたぜー!」
あまりにも棘のない声に、私たちは顔を見合わせ、
驚きと安心が入り混じった表情になった。
「玄さん、こんなところで何しているの」
私が声をかけると、玄さんは今まで見たことのない表情で
深く頭を下げた。
「今まで、申し訳ありませんでした!」
そして周りにいた一族と思われる子どもから年寄りまで、
皆が一斉に頭を下げた。
(何よ、急にしおらしくなって……調子狂うんですけど)
「ちょっと、あなたしっかりおし」
隣にいた奥さんと思われる女性が肩で玄さんをせっつく。
「おっと、すまねえ」
玄さんは地面に座り込み、頭を下げたまま、
まるで額が地面にめり込むんじゃないかという勢いで叫んだ。
「星愛様っ……!
この玄、智遊祭では本当に申し訳なかったっ……!」
奥さんに背中をどつかれながら、さらに深く頭を下げる。
「勝利のためとはいえ……
皆様の答えを盗む行為や、陥れようとした行為……!」
(いや、気付いていたの……まあ、あまり気にはしていないんですけど)
玄さんは肩を震わせながら続けた。
「しかも、最後には星愛様につまらぬ打算を持ち掛け……!」
(うん、あの時はほんとイラっとしたから、
顔に水竹筒の水全部かけてやったわね)
奥さんがさらに肘で小突く。
「ほら、ちゃんと言いなさいよ。反省してますって」
玄さんは涙をぬぐいながら震える声で言った。
「反省してますっ……!
私たちは星環府には感謝しています。
今の生活があるのも、こうして祭りを楽しめているのも……!
ど、どうか、どうかお許しを……!」
周りの一族も一斉に頭を下げる。
「「「申し訳ありませんでしたーー!!」」」
(いや、謝罪の圧が強すぎるんですけど……)
「顔を上げて、皆さん」
ゆっくりと一族の者たちが顔を上げる。
「智遊祭ではいろいろありましたが、祭りの範疇です。
皆はその祭りを盛り上げてくれました……
それに、こうやって何の壁もなく府民の皆さんと触れ合うことができたのです。
どうか気にせず、祭りの最終日を楽しんでください」
再び玄さんたちは深く頭を下げた。
そんな中、じっとしていられなくなったのか、
一人の女の子が私の方へ駆け寄ってきた。
「これ、玲玲!」
どこからともなく大人の制止する声が飛ぶ。
女の子は私の手を取り、にっこり笑った。
「お姉ちゃん、私ずっとお姉ちゃんたちを応援していたんだよ!
決勝も頑張ってね!」
私は女の子の頭を撫で、腰を低くして瞳を見つめ、微笑んで頷いた。
「うん、頑張るから……お姉ちゃんたちを応援してくれるかな」
玲玲は満面の笑みを湛えて抱きついてきた。
「うん、応援するね!」
私は後ろを振り向き、沙良や曹英に目で合図を送る。
「行きましょう」
皆は微笑み、静かに頷いた。
結局、玄さんたちは私たちがたらい船に乗るまで頭を下げたままで、
ほとんど顔を見せなかった。
私は玲玲の頭を撫で、最後に声をかけた。
「名前は何て言うの?」
「玄玲玲! お姉ちゃんたち頑張ってね!」
「うん、しっかり応援してね」
玲玲は、私たちの姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
たらい船が埠頭を離れると、運河の水面がゆっくりと揺れ、
ついさっきまで激戦を繰り広げた水面は、豊かな水を湛えながら静かに流れていた。
閉じられていた水門が開かれ、いつもの穏やかな流れに戻っていた。
「わぁ……みんなコロシアム目指して移動しているよ」
琴葉がたらい船を足で漕ぎながら、子どものように目を輝かせる。
「琴葉、前を見て漕いでよ。落ちたら大変なんだから」
そう言いながらも、私はその横顔に笑ってしまう。
戦乱の世の将たちと笑い合い、玄さんの突然の謝罪があった直後とは思えないほど、
この時間は穏やかだった。
沙良が私の隣で、そっと水面を覗き込む。
「星愛、見て。緑に揺れる水藻に交ざり、魚たちが泳いでいる……
なんだか、戦いのことを忘れちゃいそう」
「忘れていいのよ。今だけは」
そう答えると、沙良は嬉しそうに微笑んだ。
後ろで曹英が腕を組み、ため息をつく。
「あなたたち、のんきにしてるけど……
あのコロシアム、もう歓声が聞こえてきてるわよ」
耳を澄ませると、確かに遠くから
どよめきのような音が運河を伝って響いてくる。
観客の熱気が、昼前の穏やかな陽光に温められた空気を震わせていた。
「ほら、急がないと。決勝の主役が遅刻なんて洒落にならないわ」
琴葉が振り返り、にやりと笑った。
「じゃあ、スピード出すよー! しっかり掴まって!」
「ちょっ、琴葉! 絶対に変なことしないって言ったでしょ!」
たらい船がぐらりと揺れ、
私たちの悲鳴と笑い声が運河に響いた。
揺れが落ち着くと、琴葉が少し照れたように笑う。
「だってさ、こういうのって楽しいじゃん。
戦いとか、難しいこととか、全部忘れられるし」
「……そうね」
私は運河の先に見えるコロシアムの白く反射する光を見つめた。
巨大な円形闘技場が、陽光に白く溶け込んでいる。
「戦乱の世の将たちが、あんなふうに笑っていられるなんて……
ほんの一瞬でも、戦乱を忘れられる時間があるのね」
沙良のたらい船が私のたらい船と並走する。
「星愛、あなたがそう思えるなら……
きっと、今日の冬の市は成功ね」
「うん。華蓮様はこういう景色を望んで襄陽府を作り上げたのかしら」
私は小さく笑い、櫂を握る琴葉の背中を見つめた。
曹英がふっと笑う。
「あなたたち、本当に平和ね。
でも……こういう時間があるから、戦えるのよ」
「曹英、なんか今の名言っぽい」
琴葉が振り返って笑うと、曹英はわざとそっぽを向いた。
「ぽいは余計だと思うけど、事実を言っただけよ」
運河の流れが少し速くなり、
コロシアムの歓声がはっきりと聞こえてきた。
「着くよー! 星愛、沙良、準備して!」
琴葉の声に、私たちは姿勢を正した。
――ほんのひととき、戦乱を忘れて。
でも、次の戦いはすぐそこだ。
たらい船は、光に包まれたコロシアムの桟橋へと滑り込んでいった。
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