第五十二話 『綾』
年下の女子から見つめられ、「お話いいですか」などと言われたら、誰であっても緊張するだろう。ヒカルがちょうど良い例だ。こんな経験は今までにないため、心臓がバクバク鳴っている。何と答えたら良いかわからず、ただ見つめ返すことしか出来ない。
「あの……、大丈夫ですか?」
そんなヒカルを見て、少女が心配そうにきいてくる。
「あ、うん。話って、何かな」
「えっと……、ただ世間話がしたいなって思って」
彼女の返答を聞き、ヒカルは我を取り戻した。それにしても、異性から話しかけられただけでこんなに緊張するのは、流石にどうなのだろうとヒカルは我ながら恥じた。しかし、ここでは周りが騒がしく、良は完全に酔っ払って大声を張り上げたりしている。これでは気が散って、話どころではない。
そこでヒカルは、明日の朝食の買い出しを兼ねて、彼女をコンビニに誘うことにした。そう彼女に提案したところ、彼女も快く了承してくれ、二人は店から出た。出ていく際、何気に後ろをふり向いてみたが、良たちは気にしていないようだった。というより、気づいていたかどうかも怪しい。
夜の道を歩きながら、ヒカルは彼女と話した。彼女は、綾という名前らしい。本名かどうかはさておき、ヒカルは綾に合コンに参加した理由をきいてみた。
「どうして、君は合コンに参加しようと思ったの?」
すると、綾がこんな話を始めた。
「実は私、父が有名な商社の取締役人なんです。だから、家にはそれなりの資産があって、高校卒業まで裕福な家庭で育ちました」
それがどういう風に合コンに繋がるのか不明だったが、ヒカルは黙って彼女の話を聞いていた。さらに、彼女は話を続けた。
「そのせいで、中学や高校の時は恋愛しようと思っても、うちと釣り合う家柄じゃないとだめだって父から言われていたんです。私、それがどうしても納得出来なくて、ほとんど家出状態で東京に出てきました。父とは、それ以来連絡を取り合っていません。私は私、誰にも選択の邪魔はさせないっていう気持ちがあるから……」
話を聞きながらヒカルは、それを自分と重ね合わせていた。彼女も、思うように恋愛が出来なかったのだろう。それは、過去のヒカルにも当てはまることだ。ヒカルも以前は、彼女と同じような気持ちだった。その話を聞き、自分だけではなかったのだという安心感、そして彼女に対する親近感が湧いた。
「あ、ごめんなさい。今日初めて会ったのに、こんな話するべきじゃないですよね」
綾は、申し訳なさそうに話した。しかし、ヒカルは何も答えない。そうすると、彼女はまた不思議そうな視線を送ってくる。
「あの、どうしたんですか?」
声をかけられ、ヒカルはふっと我に返った。
「あ、ごめん。君が、俺に似てるな~って思ったから」
「似てる……?」
少し躊躇われたが、相互発語としてヒカルも彼女に話すことにした。
「実は俺、ちょっと前までサークルに入ってたんだ。俺も恋愛したくて、入学したての頃、二十歳までに彼女を作るって目標立ててさ。そんな時、友達にサークルに入らないかって誘われたんだ。それで、いいきっかけになるんじゃないかと思って入ることにしたんだよ。でもそのサークル、ちょっと変わっててさ。恋愛出来ない連中の集まりみたいな感じで、一般的にリア充って呼ばれる恋愛成立してるやつらを恨んで、差別して……。人の幸せを蹂躙することばかりやってた。だから学内ではちょっと有名でさ、リア充駆逐隊っていう通り名で呼ばれてた。最初俺も知らなくて、知ってすごく後悔したな……。なんで、こんなとこに入部しちゃったんだろって……」
「……辞めなかったんですか?」
彼女の疑問は尤もだ。しかし、ヒカルにも明確な理由があった。他人からすれば屁理屈のように思われるかもしれないが、ちゃんとした理由があったのだ。
「怖かったんだ。そこにいる連中は、自分は恋愛なんか出来ないって最初から諦めてるやつばかりだったから。どうせ、お前も同じなんだろって、そう見られてた。だから、なかなか言い出せなかったんだよ。もし言ったら、絶対に邪魔されると思ったから」
「そうだったんですね……」
綾は下を向き、ヒカルに同情しているような表情を見せる。しかし、彼女のその反応は逆にヒカルを傷つけた。可能なことなら、無反応でいてほしかったと思った。
「でも、きっと大丈夫ですよ。私も、そう思って今日の合コンに参加しましたから」
綾は顔を上げると、ヒカルを励ますように微笑んだ。その笑顔は、氷河期になっていたヒカルの心に、春を誘わせた。それが彼女の気遣いだとわかり、
「ありがとう……」
と、ヒカルは言った。やはり、彼女は優しい。先程の反応も、大目に見てやろうという気持ちになった。
その後、ヒカルは綾と他愛もない話をした。子供の頃にやっていた遊びや、趣味などの話をしているうちに、コンビニが見えてきた。ヒカルはそれから、そのコンビニで明日の朝食用にパンや牛乳などを買い込んだ。綾も、ヒカルにつき合って何か購入しているようだった。
コンビニを出ると、元の店に帰ろうという話になった。
「ごめん、つき合わせちゃって……」
ヒカルが謝ると、綾は笑顔で答えた。
「いえ、誘ったのは私ですから」
「それで、君は何買ったの?」
「内緒です」
綾は笑った。何故秘密なのか、ヒカルは疑問に思った。特に隠すことでもないと思うが、しつこくきいて嫌われてもあれなので、深くは追求しないでおくことにした。
「あ、あの……」
すると綾が突然、何か言いたげな様子を見せた。
「良かったら、番号交換しませんか? 私、もっとあなたと喋りたいです!」
異性から、こんなことを言われたのは初めてだ。不意をつかれ、ヒカルはしどろもどろになってしまった。
「え……、いや、あの……」
「そう、ですよね……。急にそんなこと言われたら、困っちゃいますよね。すみません」
「そ、そうじゃなくて……。ごめん、俺こんなこと初めてで……」
そう言いつつも、結局綾と電話番号を交換することにした。二人は店に戻るため、再び歩き始めた。その途中、また綾が尋ねてきた。
「そう言えば、ヒカルさんはなんで参加しようと思ったんですか?」
「えっ……」
「なんか、聞いてなかったから。無理にきいているわけじゃないので、言いたくなかったら気にしないでくださいね」
ヒカルは、先程から彼女に忖度されている気がしてならない。ヒカルも良に誘われ、特に断る理由がなかったので参加することにしたのだ。しかし何故か、それを話したら彼女にがっかりされるような予感がした。
「お、俺も、恋活がしたくて……」
「私と一緒ですね!」
彼女は、また優しく笑ってくれた。それを見ると、またヒカルの鼓動は高鳴った。
「さっき話してた、サークルはもう辞めたんですか?」
またしても、彼女から勘繰られているような言葉が飛び出した。辞めたというよりも、良によって解散したのだ。
「俺も、やっと自由になったんだ」
「良かったですね。私も、まだ父から認めてもらったわけじゃないけど、でもいつか必ず認めさせてみせます!」
彼女は強気だった。その気持ちは、ヒカルの心にも伝播してくるようだ。彼女に自分の夢を叶えてほしい、ヒカルは思った。
しばらく歩くと、店が見えてくる。それとほぼ同時に、店の中から良たちが出てきた。二人を見つけた英子が、手を振っている。様子を見る限り、もうお開きのようだ。
「いい話、出来たかよ?」
良がヒカルに近づいてくるなり、揶揄うように言った。
「うるせーよ」
ヒカルも、それを軽く流した。ふと横を見ると、綾が恥ずかしそうに顔を埋めている。良が言うには、これから二次会をやるらしい。ヒカルも誘われたが、ヒカリのことが頭の中を過ぎったため、断ることにした。良も理由を理解したのか、皆を連れていった。綾にもきいてみたが、彼女も帰るのだという。
夜も遅いので、ヒカルは綾を送っていくことにした。綾は最初断ったが、こんな夜道を女子大生が歩くのは少しばかり心配だと、ヒカルは彼女に伝えた。そして、ヒカルが綾を送っていくことになった。
綾は、合コンが行われた店から徒歩で十分程の、下町のアパートで暮らしているという。彼女は歩きながらヒカルに、
「もしかして、あの人ですか? ヒカルさんを、サークルに誘った人って」
と、きいてきた。綾が言っているのは、恐らく良のことだ。ヒカルが、何故わかったのかというような顔をしていると、彼女は言った。
「やっぱり、そうなんですね。今日のやり取りを見てると、そんな気がして」
綾が言うので、ヒカルは上を見ながら呟いた。
「そんなにわかりやすかったかな……」
ヒカルが何気に綾の顔を見ると、彼女の口許が僅かに動くのがわかった。
「えっ……?」
ヒカルは思わず、声を漏らした。しかし、綾はそれから何も言わず、ただ前を見つめていた。彼女は自分に何を伝えようとしたのだろう、ヒカルはモヤモヤした気持ちになった。綾に尋ねようと思った時、
「あそこです!」
と言いながら、彼女は前を指さした。見ると、そこには団地が立ち並んでいる。その中に、古いアパートが見える。あれが、綾の住んでいるアパートだろうか。綾は立ち止まると、ヒカルに言った。
「ここで大丈夫です。今日は、色々ありがとうございました」
綾が一礼すると、向こうへ駆けていった。それはまるで、あどけない少女のようだった。結局、あの時彼女が何を言ったのか聞き出せなかった。仕方なく、ヒカルも駅に戻ることにした。
それを遠くから、綾も見ていたのだ。そして、彼女はまた呟いた。「ありがとう」と。




