第四十七話 『再会』
朝、ヒカルは身体を起こした。どうも、床で眠るのは慣れていない。横を見ると、まだヒカリは眠っている。なるべく起こさないように、ヒカルは布団から出た。外が冷え込んでいるせいで、室内もかなり寒い。
(冬かよ……)
とはいえ、カレンダーを見るともう十一月だ。その時、ヒカルは思い出すことがあった。あと半月ほどで、誕生日が来る。
大学に入学したての頃、「二十歳の誕生日が来る前に彼女を作る」という目標を立てた。その期限が、もう間近に迫ってきている。それを考えると、ヒカルは焦りを隠せずにいた。自分は今まで、何をしていたのだろう。そればかりが、自らを混乱させている。
ヒカルは女心を学ぶために、別の世界線に行った。そしてそれ相応のスキルを身につけ、帰ってくる予定だった。それなのに、以前と状況は特に何も変わっていない。それならば行かなければ良かったと、ヒカルは内心は強く思った。結局、貴重な時間を棒に振ったのと同じことだ。ヒカルはまた、深い溜息をつくと台所に行って朝食の準備を始めた。
最近は、ヒカリのために料理の勉強をしようかと考え始めているのだ。
(適当に目玉焼きでも作っとくか……)
以前は、朝食は食べない日がほとんどだった。ヒカリも、言ってしまえば異世界線のヒカルだから、そこまで気を遣わなくても良いとわかっているが、それでもどうしても異性なので気を遣ってしまう。
ヒカルが朝食を作っていると、ヒカリが起きてきた。
「おはよう」
それを見て、ヒカルが声をかける。しかし、ヒカリは無言のまま洗面所に行ってしまった。ヒカルに心を開くのは、まだ先の話になりそうだ。この状態では、本当に心を開いてくれるのか皆無なのだが。そんなことを考えながら、ヒカルは皿に目玉焼きを乗せた。
「久々に作ったけど、結構上手に出来たな……」
ヒカルは、ヒカリの分と自分の分をテーブルの上に置いた。ヒカリが顔を洗って戻ってくると、二人はそれを食べ始める。
「美味いか?」
「……うん」
「良かった……」
まだ、少しだけ気まずい。他の話を振らなければならない。
「そうだ。今日、昨日言ってたように服買いに行くの、一緒に来てくれるか?」
ヒカルが尋ねると、ヒカリは頷いた。この家に来てから、まだヒカリが笑っているのを見ていない。どうにかして笑わせようと、ヒカルはその時、新しい目標を立てた。そしてその日、二人は街に足を運んだ。
商店街に行けば、ある程度のものは揃っている。ヒカルは逸れないようにと、ヒカリの手を引いて歩いた。だが、ヒカルは少し後悔した。どうも、まだ何となく落ち着かない。近親者以外で、誰かの手を握ったことなど、ほとんどないからだ。昨夜、ヒカリが自ら手を握ってきたあの感覚を、ヒカルは鮮明に記憶している。心臓が飛び出しそうなくらい、動悸が激しかったことも。身体中の血が、一ヶ所に集まっていると錯覚するくらい、今のヒカルの顔は熱くなっている。
それでも、今手を離せば本当に逸れてしまいそうだ。後ろをふり返ると、ヒカリもまた、顔を赤く染めながら黙ってついて来ている。ヒカルと目を合わせず、地面の辺りを見つめている。恋愛をしたことのない人がする仕草の骨頂だ。
ヒカルは洋服屋を見つけ、そこに彼女を連れて中に入った。そこには、女性用の衣服も数多く並べられている。
「どんなのがいい?」
「……」
「黙ってちゃ、わからないんだけど……」
流石に、勝手にヒカルが決めるわけにもいかない。どんな服が好みかは、ヒカリ本人にしかわからない。ヒカルは、周りが気になり始めた。ヒカリが一緒にいるとはいえ、女性用のコーナーに居続けるのは辛い。ヒカルは、心の中で早く決めてくれと叫んでいた。
そこに、店員らしき女性が話しかけてくる。
「何か、お困りですか?」
「あ、いや……」
「もしかして、彼氏さんですか?」
「えっ?」
女性に尋ねられ、ヒカルは何と答えようか迷ってしまった。本当のことを言うわけにはいかない。それ以前に、信じてもらえるのか怪しい。
「あ、いえ。と、友達です」
ヒカルは、適当に答えた。彼氏だと言っても良かったが、そうすると頼りない彼氏だと思われてしまいそうだ。それも、ヒカルにとっては嫌だった。
「そうですか。では、どんな服がいいのかな?」
女性は、今度はヒカリに尋ねた。勿論、ヒカリは答えない。
(いや、俺がきいてもだめなんだから答えるわけないだろ)
ヒカルも心の中で言ったが、自分で言っているうちに悲しくなってきた。ヒカリはこれから先、誰にも心を開かないつもりなのだろうか。そう思うと、ますますバイトの面接が心配になってくるのだった。
すると、女性は一枚の洋服を出してきた。
「では、これなんかどうですか? これからの季節、ぴったりだと思いますよ。中もあったかいですし」
それは、その女性のお勧め商品のようだ。女性は、ヒカリにそれを当てた。そして鏡の前に連れてくると、
「ほら、ピッタリですよ!」
と、やや興奮気味に話した。その後、試着室に行き、ヒカリはその服を着て出てきた。ヒカルも、それを見て似合うと思った。いつまでもここにいたくないということもあり、ヒカルは彼女に強くそれを勧めた。そして結局、それを購入することになった。その後も何軒か見て回り、衣服を何枚か買った。
金は全部ヒカルが出したので、思ったよりも出費が痛かった。ヒカルは払っている時、裏の世界線で遊園地に行った際、崇大にすべて払ってもらったことを思い出した。あの時の金を、ヒカルはまだ返せていなかった。結局、あの世界に未練が残ったままだったのだ。
「はぁー、これだけ買えば十分だろ。もう昼過ぎだし、何か食って帰るか?」
歩きながら、ヒカルはヒカリに尋ねた。が、至って返事はない。他の店でも、彼女が何も言ってくれないのでかなり難儀してしまった。ヒカルは、最初は「仕方ない」と捉えて我慢していたが、もう感情を抑えきれなくなりそうだった。
「何か言ってくれよ。じゃないと、お前が何考えてるかわかんねーんだよ」
ヒカルは足を止めて、後ろを歩いていたヒカリの方をふり向いた。彼女も、まじまじとヒカルを見つめてくる。
「俺だって本当はこんなこと言いたくないけど、違う世界の自分だからって言わなくても何でも通じると思ってないか? まぁ、ある程度のことはわかるかもしれねえけど……。でも、俺だって普通の人間だよ。エスパーじゃねえんだよ。だから、口で言ってくれないとわからない時もある。だから、ちゃんと言ってくれよ」
ヒカルに怒られ、彼女はまた下を向いてしまった。ヒカルはそれを見て、少し言い過ぎてしまったことを反省した。果たして、こんなに人を叱ったことがあっただろうかと考えてみた。過去に、雪也や良がふざけた行動をとった時などに、きつく当たることはあったが、異性に対して怒ったことはない。それだけに、ヒカルは複雑な心境になった。
二人の間に、不穏な空気が漂い始める。ヒカルは次に何を話そうか迷っていると、後ろから誰かに声をかけられた。
「ヒカル!」
どこかで聞いたことのある声だ。ヒカルは、恐る恐るふり返ってみた。するとそこには、男性の姿をした良が立っている。
「良……?」
ここに良がいるということは、良も無事この世界線に帰って来られたのだ。ヒカルは嬉しくなり、良の前に行った。
「良、お前男に戻ったんだな!」
安心したヒカルは喜びの意を表すが、良は何のことだかさっぱりわからないと言わんばかりの顔をする。
「何のことだよ」
「だって、お前……。この世界線に、帰ってきたんだろ?」
ヒカルも、その時の良の反応に違和感を覚えた。しかし、良の視線は明らかにヒカルの方に向いていない。良の視線を辿ると、ヒカルの後ろに立っているヒカリに辿り着いた。
「じゃあな」
良は素っ気なく言うと、またどこかへ歩いていった。まるで魂が抜けたような顔をしていた。呼び止めても、ふり向きそうになかった。何故良があんな反応を示したのか、その時のヒカルには皆無だった。少し気になったが、特に気にせず、ヒカルは彼女の方に向き直った。
「じゃあ、帰ろうか」
しかしヒカルが言うよりも先に、彼女は背を向けて走り出した。ヒカルは、驚いて声も出せなかった。やはり、さっきの言葉が彼女を傷つけてしまったのだろうか。それとほぼ同時に、ヒカルの携帯が震えた。ヒカルはメールフォルダを開くと、それは良からだった。『爆発しろ』、とだけ書かれている。
先ほどの様子を見て、ヒカリがヒカルの彼女だと勘違いしてしまったらしい。追い討ちをかけるようなメールに、ヒカルはひどく落胆する。もはや、何から手をつけたら良いかわからなくなっているのだ。取り敢えず、ヒカルは彼女を探しに行くことにし、歩き始めた。




