勇気と恐れ-秘密のマギストス-
“英雄が現れスネックボトムは蘇るだろう。マジックスはそう予言し、我々は英雄の到来と共にスネックボトムにマギストスの輝きが戻ることを信じた。だが、その約束はなぜだろうか。果たされることはなかった。マジックス一流の悪戯であったのだろうか。だが当時の我々からしてみれば” 魔族王戦記より
「嘘だ!」
そう叫ぶのは自称大マジックス。彼にとってマーズさんが語る結末は信じられないものだったらしい。
お互いの距離を埋めるのには沢山の言葉が必要だった。
彼曰く星民の在りように従い同じように去り行くマジックスたちは取り残される者をその流儀に従いゲームにより決めようとしたという。そうしてその者は魔族王がその領域を拡張しようとするとき英雄へ協力することが使命として定められていたそうだ。それで、その全て彼が知人であるエーズとシュミズという名のマジックスを待っていたころの話しだという。
「魔族王テウソと勇者の時代だって? ヌメヌースですらないのかい。そんなもの」
急に弱弱しくなる口調。勇者イクセスを盗み見るとそれから瞳をそらして、のろのろとした動作で剣を返す。沈黙。そして重たげに口を開く。本当に君が英雄、勇者なのか、と。返答は即答で、勇者の周囲に警戒したまま集う私たちがうなずくと、ようやく何かの結論を下した自称マジックスは勇者に向かってたずねる。
「そう。つまり、魔族王と戦う戦力に困って僕のところに来たわけだね?」
「ううん。遺跡の隠し部屋を調べていただけだよ」
正直なのも考えものだ。悲しそうにうなだれる自称マジックスに警戒を崩さないでいるのがだんだんと難しくなってくる。どうしたらいいかな、と相談されて対峙する相手に答えを求めてくる姿は、怪物の擬態にしても上手いものだ。そうやって皮肉をもって見つめようと努力する私は警戒をまだ崩さなかったのだけど、ヒトヤさんが、『あなた、あの書簡を残した伝説のマジックスなの』とたずねるに及んで、ついにこの自称マジックスの一部を信じる必要に迫られつつあった。
「誘惑石を量産してマジックス仲間のつまはじきにあった」
ヨギが誘惑石を探していると聞いて私が憤ったその理由。マジックスの秘石に関わるある伝説。伝説上の登場人物。
『ミラー=ラーク!』
私と勇者イクセス様の声が重なって、名前を呼ばれた自称マジックスは瞬きを繰り返して困惑する。ミラー=ラーク。大マジックス列伝の中間部に位置し、あの愛のマジックスの主人公。誘惑石を用いあまたの愛に明け暮れた彼は最後には真実の恋に誘惑石の力に頼らずに挑むのだ。だけどミラー=ラークが誘惑石を用いることをしないために彼女の心はなかなか開くことはなくて。
「ね、どうなったの、あの後?」
「勇者様、あの話は彼がこの状況に閉じ込められた後で作られたものだと思うの、だからね、」
ヒトヤさんが興奮して尋ねる勇者様を抑え気味になだめるのを見ながら同じようなことをたずねようとした自分が少しだけ恥ずかしくなる。どうしてそんなものに頼ろうとするのとそうたずねる相手を違えたままたずねそうになっていた自分を留めてもらったような気がしてヒトヤさんに心の中で感謝する。
そう騒ぎ出した私たちの動きをよそに、彼、自称大マジックス、ミラー=ラークは、「誘惑石、何それ」との困惑顔で、そんな“彼”に私はやはり警戒を解かなくてよかったとそう思う。
「あの厳重に覆われた箱にあった、」
「あ、霊魂連結石のこと?」
屈託もなくそう言う“彼”は、急に真剣な表情で考え込む。「マジックス仲間でつまはじき、か。つまり」まだ少年とも言える容貌に似つかわしくは無い成熟した表情。ある文書で見たマジックスの憂鬱顔と表現されているのは、たぶんこのことを言うのだろう。
「大体の事情は分かった、僕の工房で創るアレのせいだね、たぶん。あ、ところで勇者様、魔族王と会うのにちょっと僕も」
そう言って口ごもるとやがて気づいたように、私たち従者の方に向き直りすまなそうに笑う。
「そうそう遺跡の隠し部屋に来たってことは報酬を期待してなんだろうけど。悪いね、どうやらスネックボトムをまともな状態に戻さなくちゃならないのが、ま、僕のとりあえずの仕事みたいだから、まず目途が立たないことには、ね」
そう言って奥へと進む“彼”に離れながらも私は、マーズさんは、距離を取りながら追いかける。と、勇者イクセスとヒトヤさんは何事もないように“彼”の後につき従う。制止しても聞かない二人に諦めて私も普段どおりに追いかける。マーズさんだけは、なぜか離れたまま畏れるように付き従う。そうして奥に進むと突き当たり。霊都の貸家二件分程度の広さがある部屋には様々な朽ちた機器と裁断のときまで残るといわれるDノートの束が並んでいて、そこにいくつも皇樹極光石が露に転がっているのは研究室跡の決まりの光景。昔、ヨギにそう聞かされたことがある。「えっと」“彼”はうなりながら、手に取ったものを確かめて床に置く。そうして幾つも積み重なってゆく山を見比べながら「確か」とつぶやいて小箱を開く。ようやく見つけたものに安堵しながら、揃って眺めていた私たちに向かって語りかける。
「うん。僕が必要とするものはあったからさ、ここにあるものの中から…、あれ、でも、どうしよう。少し待ってくれるかな。そうしたらちゃんとしたものが渡せるだろうから」
言い終えると壊れた機器の前で人差し指を伸ばして“彼”は「逆世に従え」とだけ呟いて、そうして次の機器へと向かう。不思議な光景だった。時魔道。ヨギが使う姿を見たことがあるけど何日もかけた儀式の後でようやく効果を発揮したのに、それが自称大マジックスによると修復が即座に終わるのだ。そのときになって始めて私は気づいたのだ。畏れるように“彼”から距離を離しているマーズさんが奉げる祈り。私の視線に苦笑しながら「畏れを気づかれないようにしているのです」と返る答え。「畏れはマジックスの嘲笑をかう。気づいているでしょう、あの膨大な魔力に」マーズさんと同じように探ってみて、そうして始めて私は自分が対している相手の大きさに気づかされた。マジックス。自称にしても本物にしても隔絶した力に立ち向かうことになるかもしれないのだとようやく悟る。甲高い音が響く。ヒトヤさんがその嘗の内に汗を隠していたことに転がる杖の音でようやく気づく。あらあらと呟いてそうして拾う間にも片方の手で印を崩さない姿に私は驚く。そうしてそれに気づいていても気づかないふりを続ける自称マジックスに対しても。
「あ、そうだ、あの罠を解いたのは?」
“彼”の何気ない言葉に私は畏れを抱いているのだろうか。畏れるよりも興味が、欲求が、激情が、先にある気がしていた覚えがある。畏れ。抱いていた感情はそう表される言葉だったのかな。勇者様が「トウサだよ」と言って私を引っ張る間、漠然としていた緊張感が限界点を超えそうだったのはその言葉で表される感情だったのかな。それとも私が求めていた新しい何かに近いものへの期待感からだったのかな。
「そう。それで、精霊伏樹玉は、あのつまり、魔道核は砕いちゃったのかな?」
砕緻の罠を形作る魔道の流れを絶つために慎重に外した皇樹玉は私の肩からかけるPポケットの中。保契箱に厳重に保管してあった。そっと胸の辺りの袋を開くと箱を取り出してみる。
「あ、あるの。よかった。どうかな。準備が出来次第、それで何か必要なもの用意してあげようか?」
マジックス。日月を友となし、風雨を自在のものとし、思考により全てを勝ち得る、伝説上のミーンナーレ。魂の秘術と共に、星民の世を過ごし、そして同じようにその後消え去った伝承上の存在。マギストスを極めた存在。ルカ工魔道技士が再生を目指そうとする最終技術目標。伝説に従って至高とされている目標へと思い至った私には、自然と出てきる言葉を抑えることが出来なかった。知識を試す、相手を試す、そんな軽い気持ちだったような気もする。
「それならば造化の種と語られる玉梓の樹を頂こうかと」
渋い顔へと変わってゆく。その幼く見えていた顔が苦々しく歪む。一瞬その体に震えが走ったかと思うと大きく上げられたその足が床石を踏み砕く。硬い音が響く。私を見つめるその目が冷やかなものに変わる。
「欲してどうする気だ、お前?」
「笑います?」
なんとなく確かめるようにそう答える。伝説にマジックスは造化の種と玉梓の樹をもってマギストスと一体となり、マジックスたるマジックスと認められるのだという。自称大マジックス、ミラー=ラークは、「マジックスが嘲笑するのは畏れるものだけだ」、とそっけなく告げて冷たく燃える瞳で返答を待つので私は仕方なく口に出す。もう少しだけ私にそれがあれば離れてしまう前に、そんな隠しておいた思いを知らない内に言の葉が包み込む。
「マギストスを盗みたくて。勇気が欲しくて」
そう口にすると、かの自称大マジックスは悪戯っぽい笑みを浮かべて、それから、約束したはずなのに、思いっきり腹をよじらせた。マーズさん、ヒトヤさんは元より、勇者様にさえ笑われてしまう私は口に出した言葉の意味に赤面する。ああ、うん、そうだよね、とつぶやく自称大マジックス。
かの大マジックス列伝の冒頭にはこう記されている。「造化の種と玉梓の樹に誓ってマジックスは何者をも畏れない、例えマギストスを奪い取られたとしても、我らには勇気が残されているのだから」と。