無力さと力。乙女の願い
“託宣術。天空の司書は去るにあたりマジックスにその術を伝え、マジックスがその術を人に伝えたのだと語られている。勇者カーズはその担い手であり彼の奇行の数々はそのためであったのだとも言われている” 超神秘主義入門(本当は面白い勇者の話)
私は焚き火から離れるとリエンラントの側で直接的にたずねた。猶予はない。魔族王を滅ぼす方法を持っているのかについて。リエンラントは持っていると答えた。「魔族は本来不滅だ」そう答えながら彼は続けた。「聖魂の流れを変える」そう。「魔族の長命はその聖魂の流れと密接にある」後で見せてもらったのは箱に収められた小さな小枝だった。これが彼の持つ切り札なのだと。DDLの至宝なのだと。私は今でもそれが本物だとは信じられないし、なぜ彼がそんなものを持っているかも疑った。それ以上に合わないのだ。違うパズルのピースが紛れ込んでいるような感覚。力を頼むものがその終局において道具に使われる部品となる。なにより綺麗じゃない。スマートじゃない。それでも保険のために借り受けた。眉根を寄せる戦士にイクセスのためだというと肩をすくめて笑う。苦笑という感覚。端正な顔の端が上がりながら目じりの辺りは動きもしない。
フレイスラを思念の波から捕まえて呼ぶ。あれができるのかたずねる。あの魔族が行ったような位相変化による移動を。あいまいな返事が返る。期待はしていなかった。『トリスと一緒にあんまり長くない距離ならやったことあるけど』答えにそういえばトリスがそんなことを言っていたことを思い出し、それから首を振る。とにかくヨギに手紙を書くと届けてもらう。魔族王を盗むのだ。ヨギ、もうつかまったのかも。相手がどの程度計画しているかもわからない。胸が張り裂けそうになる。そうなったとき、私はヨギも盗み返さなくちゃいけない。そんな方法があるのだろうか。私は考えながら準備する。夜はそういうことに相応しい時間帯だった。浮かんでは消える想像の泡を暗い天の海が隠してくれる。深い女王の衣が隠しているものが輝き明けるまでの間に全てを整えるのだ。輝きのときがくると静まり返った闇の時間は取られてしまうのだから。
ヒトヤに、あのつかまれていたのを外したのだと語ったことの真意を尋ねる。なぜだかたずねなければいけない気がしたから。ヒトヤの答え。
「あのね、あの怪物たちは風邪のようなもので、私たちが攻撃に向かうときに魔族、フィラ、フィラネストかな、あの魔族が何かを静かにつかむのを私、感じていたんだけど、攻撃の隙にやるでしょ、それで気づかなかったのね。あの魔族が私たちに怪物を通じて伝染させたのね。たぶん。あれはね、相手の魔道ではなくて私たちの力で私たちを攻撃していたの。だから私」
そうだ。連関点。魔族領の初め。私に挑んだ魔族の結末。あのときのことを思い出す。あのときは捕まえた魔道が暴走した。あの時は私がつかんだのだ。相手の準備が終わるころに。先に進めることができるだろうか。魔道が発する前に、その前に暴走させてしまえれば。
「魔族には効かない、のかな?」
ヒトヤの端正な微笑みをたたえる顔、絶対に今日という今日は無理をして笑っていたはずだ。話題を変えるとヒトヤがいつも浮かべている優しく少し首を傾けたような顔がほころび真剣な表情になる。目の焦点が遠くに向かい下唇が上唇を押さえては逆になる。緩やかに繰り返されるぷくりとした輝く真紅色の唇の動き。
「対策を考えたものを投入してきているのだと思う、けど」
元々部の悪い賭けだ。その上に乗せるものは。どう考えるべきなのだろう。分の数を分の数に乗算する無謀さ。無謀さに無謀さが加わるだけなのか。それとも無謀さにわずかな成算が加わったのかしら。分の数に正の数がかけあわさったのかな。私はヒトヤの瞳に光を認めた。ある色の潤いが。それこそは勇者イクセスの赤みを帯びた瞳に常にあったものなのかもしれない。私はふとそう思った。
「歴代の勇者も魔族と対抗できたのだから、私たちも既知の知識で対抗できるのだとは思う、よ、私は。違う、かな」
ヒトヤの一瞥。私も火の中央をじっと眺め続けているマーズを見る。二人の魔道士を見比べる。神官は微動だにせず考え込み、リエンラントの剣がタンタンと音を立てながら空気を切り裂く音が三度響いた。荷物の中から書き込みだらけの書籍を左手で支えて開くと、それから二度開きなおした火の神官は、かぶりを振る。
「二十暦以上の間、高位魔族との交戦は行われていません。仕官クラスとの交戦は四度。そのいずれも彼我の魔道技術差は」
そう言ってもう一度かぶりをふり、そうして書き込みばかりのページを戻る。
「魔族王テウソは開明的君主なので、ね。250年前、まだ勇者カーズを気取る勇者が存在できたころのことですが」
リエンラントが口をはさむ。「異なる意味を継ぐものどもだ」とだけ。マーズは炎を照り返し、赤みを帯びた冥府のローブを払うと「それは」と口を濁し、一礼し、続ける。
「ともかくも、その時は3000の精鋭部隊が200名程度の魔族部隊に敗れています。最後は魔族王テウソとの一騎打ちは行われたようですが、それまでに部隊は半壊した、と残されていますね」
いいながら炎に照りかえる影が綺麗な顔を鮮やかに彩っている聖魔道士の美しい横顔を見つめる神官。神官と乙女。はるかの乙女を敬う火の民ウグジードのレリーフを私はなぜだか思い浮かべて、そしてなぜだろう。その逆のレリーフである英雄と魔族王が視線を交える一騎打ちを連想した。
「あなたのお父上。ジルエルカ様クラスなら高位魔族と渡り合えるのでしょうが、魔道技術が霊都の中核魔術師たちが解析する速度を超えて進む可能性は常にあります」
「そうだとしても、原理、原則は超えることはできないのではないかしら」
はるかの乙女はそのはるかに透る美しい声で、火の民ウグジードが告げる煉獄のような事実に意義を唱えたようにふと私には見えたんだ。こういった奇妙な連想が続くのは予知を用いたせいなのだけど、ふと、そんなことに関係なくあるいは全ての行為が一種の象徴を帯びていることもありえるのだと、そんな考えまで抱くのは、どうしょうもなくその先にあるものを延ばそうとしていたのだと思う、私。
「今日、彼らがマジックスたちの造る怪物を真似てみせたのか、それとも独創的な手段を用いたのか。われわれはそれすら分かりません。とかく彼らの長命は深きものへの潜りを容易にしますから」
私は黙って聞いていた。神官の述べる魔族たちを飾る強大さの月並みな表現を私は最後まで聞いた。
「聞いてマーズ」続ける。「あなたには滅失魔法があるでしょう。どうしてあれを使わなかったの」一瞬で強力な魔道の使い手を葬った彼の魔道。私は怒りを抱いていたのかしら。この落ち着き払った火の神官がイクセスを助けることもなくただ見ていたことに。冷静なままのその姿に。激情を支配する神官の答えは沈黙と肩をすくめること。『同じ系統だからだよ』幽霊が思念で教えてくれる。魔族の構成する負の聖魂の流れと滅失魔法の組成が極めて似ているからだと幽霊は告げた。
「厳密に言えば異なるのですが、余りに近いので、結果を考えるとどうしても躊躇せざるをえなくてね」
なにか複雑なのだと神官は言う。高位魔族の存在を滅失する慣性に任せるなら脈動してしまう。聖魂の流れそのものに影響を与えてしまう。と。
「勇者エレノートの時代。ミオシツミサが要塞であったころにマジックスの残した秘道具により突出した高位魔族へ試された記録があります」
魔族側に甚大な被害を及ぼしたのだと、書物の始めのほうのページを繰りながら、火の神官は講義する。場合に似合わないことだけれど私は思った。彼は説教するために生まれてきたような人なのだと。平穏に知らずに過ごすところを知性の灯を点さずにはいられないのだと。マーズに対する印象の理解が私の中にとうとつに芽生えては消えていった。困難さを克服するための歩み。その先にある困難さを見据えて。私は見据えないだろう。位相と流れ。似ている。つかむことに。私にできることに。「使えるの、そうじゃないの」私は答えを求めてみる。
「イクセスがそばにいなければ用いる努力はしたと思いますが、動転して位相先をつかむことができませんでしたし、」
それはそうだ。イクセスが最悪の状態に陥っては意味がないのだ。最悪。その意味するものを表す月並みな言葉がいくつも浮かんでは消えた。動転、確かに私も気づけなかった。そうだ。火の神官は確かに答えた。ただ私が聞きたかったものとは、問いかけたものとは違うものへの答えを。言葉が足りなかったことにようやく気づく。
「違うマーズ。私についてたずねたの。扱えるかを聞いているのよ」
驚いたように私をまじまじと見る。火の神官は、悪戯をした子供を見るような目で私を見た。昔、ボスの前で強がったときにその目とよく似た目を見たことがある。ヨギに向かって私がマジックス伝承を警句代わりに語るときもよくその目に出会ったことがあった。見開いた目がまゆを押し上げ、破られるはずのない常識が破られたあと、飛び出してくるものに一瞬だけわれを奪われたような表情。それから舞い踊るものの無意味さにあきれたような表情。
悪戯に対しての反応は、薄ら笑い? それとも目じりを尖らせる? あるいは諭すようにはにかむ?
どれも違った。火の神官は一瞬の放心の後、真剣に考え込んだ。そもそも誰もが子供だったのだ。同じようにマーズも始めは何も使えなかったはずなのだ。沈黙。規則正しい空気を切る音と川の静かな泣き声が夜の支配を逃れて私の耳を打つ。
「ただ呪印を覚えれば、というわけにはいきません」
私の直感は誤っていたのだろうか。神官の表情は険しかった。書籍のページをめくりながら、そう言った後、目まぐるしく目線が文字を追う。
「が、あなたは位相と静動の魔道を心得ている、そうでしたね」
うなずく。首を振るときに骨がコクリと鳴る音が聞こえた。大きく振りすぎて少し痛かったのがおかしかったのかヒトヤは上品に微笑むし、マーズはうむ、と少しうめいた。
「位相をつかむのですよ。流れこむ流れ、拡散流体を封じるのです。こつは負の波動をつかむことです。脈動させるのです」
そういいながらマーズは両手のひらを開くと、片方の手の平の前でもう片方の手をくねらせて波を示した。二つの手を接近させて、接近させて、波を速く見せるために手の平、甲、平、甲、表裏表裏と繰り返し、そして両手を思い切り握りしめてから開いてみせる。
「できるかな、私の力で」
分かっていることを聞くのはどうしてなのだろう。できなくてもやるしかないのだ。相槌を、うなずきを、肯定を、私は欲していたのかもしれない。人はよくそれを欲する。けれど、過ぎ去ってしまえば、実際に貰ってしまえば、有難がらなくなるものだ。沈んだ声を発した自分を恥じてしまう。
「できるよね。うん、できるはず」
そう答えて、そうしてマーズに向かってうなずくと私は実際に位相をつかんでみる。驚いた表情の火の神官の巨大な位相をつかむと流れを見た。渦巻く世界。かくように位相をずらすと叫びが上がる。「ちょ、やめ」「整えて」私の言葉に咳払いして落ちついた火の神官は位相を整える。綺麗に中心から螺旋状に渦巻くのが見える。中心点で拡散するのが確認できる。「中心を抑えればいい。そうかしら」渦を見つめながらなんて綺麗な動きなんだろうとそう思う。まるでちりばめた宝石が一つの大きな何かに集まってしまおうとチカチカと輝いてそれから小さな破片砕け散っていくみたい。「抑えては開くのです。それから流入する部分にも」言われたとおりにする。体の外から粉雪のように入っていた位相の輝きが宝石の流れが大きなものになる。
「絶対に実践に移すことはやめてくださいよ! これからいうことはイメージするだけでお願いします」
うなずきながらも波を感じる。輝く波動を。生命のうねりを。つい盗み取りたくなって、そうして首を振る。「いいんですね」もう一度うなずく。
「流れ込むもの、もや、光、闇、どう見えているかは知りませんが、それの量が最も増えたときに中心とそれから周囲を形作る外壁を閉じるのです。どうです。簡単ですけど、私に行うのは…」
そうしてなぜかそのままに言われたとおりにしようという誘惑が、慣性が働きそうになり私は危なく正気に戻る。とりやめる。と、位相が切れて視界が戻る。映ったのはヒトヤの覗き込む顔とそれから口の端を引きつらせたマーズの顔。
「止めてくださいって言ったでしょう。全く、危ない、危ない」
「防げるの」少し残念に思ったことは否めない。
「あなたの場合は慣れていませんし、位相をつかんだ後の時間がかかりすぎていますからね。ま、とにかく慣れることです。ただ、標的は変えてください。ほら」
そう口にしながら浮かべた汗をふき取る火の神官は闇の中でどこともしれない離れたところを指差した。
「あの川を流れている魚でも実験台にしてください。私は、断ります」
「マーズ、女の子を暗闇の中に一人にしておくなんて紳士的じゃない」
ヒトヤの反論に
「それならあなたが付き添ってあげたらいいでしょ、ヒトヤ」
そう言ってから「むむ、お約束が分からない男の子はダメなんだぞ」と怒られている厳粛な神官の姿にふと笑いを漏らしてしまう。そうしているとリエンラントが「もめているのなら、何か、ふん、手伝ってもいいが」と口を出し私は漏らした笑みを大きなものに変えてしまった。お約束が分かる男の子なんだ、と、そう頭の中で当てはめてしまうと、しばらく笑いは止まりそうもなかった。
「おかしなこと言った、のか」
そういいながら風を切ることをやめようとしないリエントラントにヒトヤが一言口にした。「それでこそ師匠ね」
「なんのことだ」
結局、私は、夜通し魚を相手に特訓した。つかんでは開閉を繰り返し盛り上がりの位置をつかむ。何尾かのお魚さんには可愛そうなことをしたと思う。フレイスラが『女の子は意外とむごたらしいんだね』と思考波を送ってくるのに『何が分かるの』と私は返す。位相の中の夢の宝箱はお魚さんが滅失するときにすさまじい量の聖魂を飛び散らせた。命は瞬く火なのだという。その輝きの破片が尽きて消えるのを私は見つめた。その火を一時的に盗むだけなのだと、私は、私は、そう自分に言い聞かせていた。相手を思う。人の似姿をした魔族に向かってこんなことができるのだろうか。私は傲慢にもそう考えながら、その日、川に向かったままの私は、船をこぎ、こくこく肯く、〈肯き人形トウサちゃん〉になるまで分の悪い賭けの上に乗せるものをまともなものにしようと努力した。




