平和と魔族道
“勇者カーズは魔族王に敗れたわけではない。かれは確かに魔族に対する人のありようにおいて一つの勝利を収めた。だが、哀れみたまえ。その勝利ゆえに彼は最終的には敗れることになったのだ。彼の後を襲う直近の勇者たち。皆、彼の後に続こうと懸命にもがき、そして、我々の祖先は莫大な損失を見た。魔族王の交代とともに時代は変わったのだろうか。魔族たちはその長命のうちに変わる世をどのように眺めたであろう。我々が抱く時代の勇者は、” 勇者の変貌(従者ムージム、時代の憂鬱)
私は、レイスの雷招札をひらひらと風に舞わすとそのまま辺りに撒き散る雷光を誘導する。肌がこげる匂い。対象である魔族の角が輝くと雷流ははじけふっふっと逆立つ髪の毛がもとに戻る。
「手を出すなよ、一騎打ちだから、な」
魔族領への侵攻は平坦なうちに始まった。魔族領。そもそも魔族が住まう土地は平穏そのものだと伝えられている。魔族王とその側近により張られる魔道封鎖の印が全土に施され、安寧と秩序とが約束されている。けれどその封印が解かれることがある。勇者による魔族領への侵攻がそれだ。私はヨギの手紙どおりに進み、トリスとフレイスラは現れては消えた。本当だったらフレイスラは常に私たちとにあるべきなのだろうけど、これも勇者カーズの先例があるから特に責められることではないように思う。そうしてヨギの指定した魔族の集落での奇妙な歓待。魔族王の圧政に苦しむ魔族の歓待という、ありえない話し。彼らのうち離れて見つめる幾人かがイクセスのそしてリエンラントを、あるいはマーズのヒトヤのあの綺麗に描かれた画盤を持ち、伺っているのを私は視線を交錯させ一瞥のうちに盗み見た。中位の位相魔道と下位の錬繭魔道の組み合わせなのかなとふと思うのだけど、その具体的なありようはとてもじゃないけど思い浮かばない。位相に対する記憶性を用いた魔道の力が魔族領においては私たちの歩みを越えていたのはとりあえず確かなことのようだ。歓待される勇者一行に、気にいらなさそうに近づく魔族の集団。そうして始まる一騎打ち。それがヨギと私が用意したお話しで、そうしてある程度までは上手くいったのだ。ある程度までは。そこまで接近すると平坦に見えていたものは少し凸凹を持ったその姿を現した。
ぶすぶすと衣類を焦がした一人の魔族が私に向かって告げた声はしびれのせいか少し震えていた。なぜ私なのだろう。普通なら勇者に向かって一騎打ちを挑むはずなのに。私はそう思いながらも、観衆たちは歓待してくれた魔族の方も、気に入らなさそうに近づいた方も、なぜか盛り上がるのだから、できる限りのうちはそのまま続けることにした。悪い傾向じゃない。それどころかいい傾向ですらあった。私とヨギとトリス。ボスは言った。我々の時代で魔族領への侵攻を一種のショーに完全に仕立てておこうと考えているのだと。私たち三人はそう聞かされている。本当のところはどこまでが本当のことでどこからがボスの描いている考えなのかは分からない。だけど何か新しいものの幕間に必要なことならやってみようと思う。
踊る炎をさけ横に飛ぶ。わざと派手な音を立てて家壁にぶつかっておく。歓声。「トウサ、負けないの」イクセスが心配そうに声を出すのを聞く私は、途端にいい気分じゃなくなった。微小に歪む唇は体の痛みのせいでは絶対になかった。位相を歪ませて一瞬のうちに盗んでしまおうとする。目の前の魔族が自慢げに操る炎の魔道力を。なぜなのだろうか。混乱する。そうして私には制御できないのだ。駄目だ、私には。奥歯をかみしめる。位相が強大すぎるのだ。相手の魔族の顔が困惑しているのに気づく。その操る炎の色が青く輝いたかと思うと、途端に不快な音ともに爆発する。仮想流体の制御を失わせたのだ。周囲を巻き込もうとする予兆。「あ、う、冷気、イクセス剣を」私は動転した。一騎打ちということさえこの場にあっては関係ないと思った。魔族、関係ない。しくじりだ。もしも倒してしまったとしたらもう盗み取るのは困難なのだ。ひんやりとした空気凍てつく肌が引っ張られる。イクセスの伸ばされた剣に位相が集極し、開放される。私の手にあった確かな時間がもれ出て抜けようとする。そうなることを避けようとしなければならないのに。
「一騎、打ちだと」あがる声に安堵する。次は過たない。手を開いて握り締める。位相の感覚を掴み、放つ。イメージ。想像を形作ることへ。ルカ工魔道技に似ている。形作るものの感覚と材質の感覚。物質と本質。確かめる。私はもう惑わされないだろう。ナイフを抜くと接近する。相手の動きが鋭い。いまだに焦げた匂いをくすぶらせているのに。高い力量だっただろう。魔族の力量が人と同じであればだけど。万全の状況だったら。私のほうにはそう仮定する余裕があった。魔族の腕を軸に回転するとひねり上げて首筋にナイフを突きつける。
歓声。動転とともに失われていた音が戻る。イクセスが親指を立てて腕を突き出すのに応えながら、私は、こげた臭いと肌にひどい腫れをかかえる魔族に向かってその療法をたずねていた。ヒトヤの天真爛漫な微笑みに私も笑う。マーズの苦み、リエンラントの不機嫌そうな顔にも私は気づいていた。その二つの顔にはある意味があるような気がして私の心は笑いながらも冷えてしまう。魔族を殺せ、そうなるのだろう。つまりいつかはそうなる。
魔族たちは契約を重視する。私とヨギにできるのは魔族たちのある荒れ果てた畑に道具を準備することまででそこから先は魔族自身の決断だ。いえ、違う。決して正しい比喩ではない。私たちは飢えた人に武器を持たせてかくかくのところに食料はある、と口にして去ってゆく武器商人のようなものなのだ。成功すれば彼らは金を払うだろう。失敗したなら彼らの襲った場所を訪れればいい。だめだ。このたとえも何だかおかしい。一体、私はどの立ち位置になるだろう。混乱し錯綜する。そこまで来て私は自分を納得させるための言葉を見つけ出す。いずれはそうなるのだ。私とヨギとトリス。できるだけ状況を劇的に彩ろうとしても、状況のほうがいずれそれを許さなくなるだろうから。
魔族の体を引き渡す。二つの肩が背負いその体を背負い、集う六つの手が傷口に向かって印を結ぶ。その背に声を。
「無事にすぎ今暦のこと、今のこと、話せるように祈っています」
白々しく聞こえるように挑発的な声を残す。いずれはそうなる。リエントラントなら今確実にそうしただろう。魔族の魔力は膨大だけれど、ふと思いを切る。イクセスに向かい合う。頭を下げる。「どうしたの」疑問だ。私も自分で行動しながら疑問だった。なぜこう思うのだろう。私は盗賊だ。そう思いながら盗賊らしくない言葉がついて出たのはどうしてだったのだろう。相手を助けてくれたお礼を言うこともできただろうに。それが勇者の名の重みなのだと言われたとして私は、私は笑えただろうか。「一騎打ち、規則を破り名に泥を」いいながら私はそのとき本当に悔しがっていたのだ。
「私、うん。それなら私もね」
己を振舞わせよ。私たちはその言葉を支配していたのだろうか、それとも支配されていたのだろうか。私たちの魔族領への侵攻。勇者の季節。イクセスは自然に適応していた。私は適応できていただろうか限定つきでならできていたのだと思う。リエントラントは適応する必要のない人だったし、幽霊は最も適応したひとつの要素だった。マーズは己の価値をあまり変えない人だったし、ヒトヤは分からない。ずっと笑っていたから。何があっても笑っていたから。
勇者の歓待式典を終えた集落の魔族たちは、笑いあいそうして、私たちに言う。私も、もう少し若ければ挑むところなのだよ、といった話しを。ヨギの語ったとおり魔族領の品物はひどくいい味がした。ヒトヤは魔道と農園の話しをしつこくたずねて、魔族たちを辟易とさせ、私は、魔族の位相を観察しその大きさに驚きながら魔族王交代の噂をたずねた。崩壊戦士は無言のまま料理へ手を伸ばし意外そうに舌鼓を打ち続けていた。あの類の食卓での会話で覚えているのはたいてい最も印象に残ったものだけだ。「あんたその帽子は本物かい」「ああ」「魔族王を本当に狙っているのかい」「ああ」それから笑う。「ほぉ、それじゃやってみせてくれよな」背を仰け反らせる。余り印象的ともいえない会話だったのになぜか一連の会話を覚えている。マーズは、魔道に関する史跡集めを怠らず魔族たちをずっと質問攻め。イクセスは勇者である前に記眺者であって、眺めながら話しを聞いては手帳記を開き何かを書き込んでいた。その点、かれら歓待する魔族にとって勇者イクセスほどありがたい勇者はいなかっただろう。魔族王の圧政を訴える彼らは全くありえないほどのどかで安穏としているのにそれでいて勇者は何の疑いもなく信じてくれるのだから。私はそのときそうは思っていた。
集落を抜けた私たちは二度、一騎打ちを行った。一度目はヒトヤが指名され、二度目にはイクセスが指名された。
綺麗な湖畔だった。ヒトヤの印が数度結ばれると、魔族の体が跳ね上がり。そうして起き上がった魔族の短刀による鋭い斬撃が踊るように杖を軸にステップを踏むヒトヤの肌をなで、しつこく、しつこく、まるでいたぶるように切りつけるのを眺めながら、私は憤り、歯噛みし、地面に足が食い込むほどに踏みしめる。湖畔のやわらかい土に私の足は深く沈む。私にとって、おそらく盗賊一般全てにとっても、一騎打ちほど苦手なものはないだろう。見るにしてもやるにしても。こっそり位相をいじってやろうかと何回か思ったことを白状する。ヒトヤが再び印を結びながらその杖で湖水を大きく弾くと、それから踊るようなステップと共に空中に飛び上がる姿はまるで浮き上がったように見えた。身軽さを旨とする私が見とれたのだ。加速された体重が視界を奪われた魔族の短刀をかち割り、それと共にようやく私の足元は浮き上がった。ヒトヤの呪縛の呪文は大マジックス相手には通用しなかったけどこの魔族には通用した。私、ヒトヤ、イクセス。三回目の一騎打ちまでの相手はその程度だった。その程度の魔族が相手だったのだ。彼らの魔族道精神が女子供に優しかったのはいうまでもないけど、それ以上に参考資料として魔族側に配布されたレベル表が彼らの魔族道精神をうずかせたのだ。この魔族は淡白そうに「悔しいな」とつぶやくとヒトヤにサインを貰って帰っていったけどそうじゃなかったら私、どついてやるとこだった。だってヒトヤの似合いの服が台無しだったのだから。
イクセスが一騎打ちに応じたのは凛焔樹が広がる菜園でのことだ。イクセスの動きと剣の取り扱いは私が始めて“勇者様”を盗んだころから比べるとすごく上達していた。背後を取られそうになっても直ぐに剣先を返しけん制し、危ないと思うところに予測的に小さな動作で剣を突きつけすきを見せない。やがて相手の魔族が凍りついた剣を手放すとイクセスに「やられた、な」と大仰に両手を挙げた。サインをねだって帰ってゆく。イクセスの凍牡丹の剣と腕輪をまじまじと見ていたその魔族は「刀工だから」と照れながらサインを大事そうに抱えていたのが印象的だった。凛焔樹の周りでパチパチと爆ぜる空孔から鳴る音の下で刀工である魔族が一騎打ちの賭け物だと持ってきていた弧玲麗の実と経捉皇の葉をいただくのは優雅なひと時だった。
私たちが相手をした最初の三人。彼らは記念に一騎打ちの類で、そういうやつらをヨギがだいぶ整理してくれていたらしいことは後で知った。魔族領を進むこと3千ポインタ。そういう魔族が何度もやってきた。時折手強いのが現れて苦戦したけどおおむねあしらうことができた。フレイスラには友達がやってきて長々と談義に花を咲かせるだけだったし、マーズとリエントラントに挑むような魔族はそれまでほとんどいなかった。一人だけ、リエントラントに挑み追い散らされた魔族がいたよ、確か。死にそうな目にあっても何度も頼んでサインだけはしっかり持って帰っていったけど。
一度、私はなぜそんなものをほしがるのか聞いたのだけど、明確な答えは得られなかった。私はふと思い出した。むかしむかしあるところに何もかもある国がありました。そこには何もない人がいて、その何もないことが珍しくてつい様々な家にお呼ばれしたのでした。そんな童話を思い出した。全ての家に行きつくしてもう珍しくなくなった彼は、忘れられてしまいました。そうして今度は忘れられてしまっていることが珍しくてお呼ばれすることになったのでした。おしまい。確かそんな話し。大人になってもう少し残酷な結末になってしまうほうの話も私は聞いたことがある。だけど、そこまで思い出す必要もない。つまり私たちは物珍しかったのだ。勇者の一行は、私たちはそんな扱いを受けたのだろう。それは勇者カーズ以降の趨勢であって、あるものは勇者パーティーのサインを二十世代に渡って収集しているのだ、と嬉しそうに教えてくれる一騎打ち志望者もいた。
私たちの凸凹ながら平坦だった道はここで一旦坂道に入ることとなる。それも急激な上り坂。山すその坂。営々と続くように見える汗だくの坂に私たちは入ることになる。




