王太子曰く
魔術法力国家ベルンカルト王太子リオン・リ・ラ・グラナート・ベルンカルトは、神様の特注品と呼ばれている。
世界でも唯一、魔術と法力を併せ持つ人種であるベルンカルト人の中には、高じた双方の能力によって魔法の行使が可能な者もいる。だが、当然その数は多くないし「使うことが可能である」という範囲が殆どだ。
けれども、ベルンカルトには魔法使いの称号を持つ者が実在する。
諸外国でも有名なのは、ベルンカルト魔術師団長のエンディミオン・サリエル、近衛師団副長アリエッタ・メイム、そして、王太子リオンである。
肩書きを思えば有名なのは当然で、その他にも魔法使いは存在している。ゆえに、リオンも肩書きで名が売れただけで、能力自体はその他に埋没しているかと思えば、そうではない。
恐ろしいことに、そして、守られるべき王族として心底無駄で困ったことに、有する法力量だけでいえばエンディミオンを超えている。
適職のトップにいることから察せるように、エンディミオンはベルンカルト最高の魔法使いである。ベルンカルト以外に魔法使いは名が判明しているだけで一人、そうではないかと目されているのが一人、あとは噂もきかない。その名が知れている魔法使いとエンディミオンは対峙したことがあるが、勝敗はエンディミオンに上がっている。ただしく、彼は世界最高の魔法使いである。その、エンディミオンよりも、リオンは法力量が多い。それ以外では経験、制御、応用、様々な分野が劣っているものの、ベルンカルトの魔法使いでは第三位に位置している。
これだけでは王族最強の魔法使いとでも呼ばれるだけで済んだだろうが、神様の特注品はこれだけで収まらないから特注品なのだ。
剣の腕は王太子に立つ以前、一時的に不在となった近衛長官の座に実力でついた。あくまで穴埋めだったゆえに許されたことだが、この王子様なら戦場に出ても勝鬨を上げただろうというのが、軍民問わず、王族神官合わせた総意である。
友人である他国の王子曰く、
「お前ばかなの? 守られる立場の奴が護衛よりも力持っててどうすんの? お前が戦場出ても前線なんてめったに出ないんだよ? むしろ、お前みたいな身分の奴が出たら、それこそ国の興廃かけた後にひけない決戦が起きてるってことだよ?」
辛辣ながらごもっともである。
魔法剣士ぷりんすリオンなどという、子供向けの劇が始まりそうなリオンだが、力があるからといって常にそれを使っているわけではない。むしろ、当然のことながら、リオンがそれを使うことはめったにない。心底宝の持ち腐れであるが、彼は王太子らしく王子らしく、常日頃はデスクワークや政務に勤しんでいる。部下が泣くくらい。
上が休まなければ下は休めない。上が適当に休めといったとしても、勤勉真面目に黙々と政務をこなす姿を見て、どうして「疲れたから休もうぜ」なんて言えるだろうか。下が言えるのは「お願いですから少し休んでください殿下」である。
時に執務室の引きこもり一歩手前になるリオンは、そのことでもう一つの宝ももったいないことになっている。
容姿だ。
灰がかった黒髪に灰色の目、表情は真面目、悪く言えば無表情に近い仏頂面と、華やかには欠ける要素にもかかわらず、それを補って余るほど造詣が整っていた。
逞しいというには細身だが、猫科の猛獣を思わせる引き締まったしなやかな身体はすらり、と背が高く、女性が嫉妬する気も起きない白皙にはシミ一つない。どちらかといえば女性的な顔立ちの、まさしく美貌である。
文武両道性格真面目容姿端麗。いったい、これはなんの呪文か。
人間として存在して欲しくないレベルを超越し「あれは神様が特注でつくったから、自分達とは立ってる場所がそもそも違うんだよ」と誰もが納得する境地に達している。
そこに付け足されるのは身分である。
古の生物が息づく原始林と、慈愛の女神が自らの子を亡くした時に流した涙によって出来たと伝えられる大河に囲まれた国土は侵攻するにも困難で、魔術、法力が軍事力の一角を担っている世界で、両方を併せ持つベルンカルトは当然のように大国である。その国の王子。
文官が比喩でなく結婚、婚約を申し込み書状で溺れるほど、各国にとって優良物件である。
けれども、書状がわんさか、こりゃもう薪いらねーなという量で届いていたのは、王子時代のみである。王太子ともなれば、次期国王として決まったも同然で、余計に増えてもおかしくないにも関わらず、リオンがベルンカルトの王太子であるがゆえに、それらは勢いをなくした。
ベルンカルトの王が正妃とするのは、エレーレと呼ばれる秘された特殊な一族の姫君である、というのが各国に知れ渡っている情報だ。
元から正妃が決まっているなら、せめて側室に、と思っても、ベルンカルトの王が側室を持ったことは歴史を紐解いても殆どない。あっても、それはエレーレを正妃としていなかった場合に限っている。
連綿と重ねられた認識によって、王太子、エレーレを正妃とした王には、求婚も側室の献上もめったにない。どうせ無駄なのだから、他の力ある国に姫を嫁がせた方が有効なのだ。
けれども、諸外国は知らない。
リオンはエレーレを迎えたくはなかったのだ。
エレーレは異世界から召喚される「安定」と「理想」の象徴であり、名ばかりではなく、実際に存在するのとしないのとでは、国の在り方に変化があった。
建国に関わり、長くベルンカルトと共にある存在だから、当代では不在だと民が不安になる、という話ではない。
民は、エレーレが異世界から召喚されているとは知らない。占定によって選ばれた王妃がエレーレと呼ばれていると思っているのだ。だから、姫ではない存在がその地位にたっても、占定だから、と納得する。極稀に他国の姫が王妃として立った時代もあるが、やはり、占定で、と疑問に思わない。
(諸外国の間者はその差異をエレーレの所在を隠すため、と睨んでいるので、エレーレの真実は限られた王族以外誰も知らない)
エレーレは異世界の出身であり、その代の王の理想だとされている。
王となる者が愚者を望むだろうか、民を虐げ、国を傾ける者を望むだろうか。王でなくとも、よほど特殊な趣味をしていなければ、望むまい。
異世界の知識、視点は初代国王ユーリヒに与えたのと同じく、国に新たな切欠となる。その切欠をどう作用させるかはベルンカルト次第。
この世界の常識に染まり、時には国の思惑を抱えた姫君では決して成せないことを、エレーレならばできるのだ。
かといって、異世界からの召喚など誘拐も同然だ。エレーレ召喚前に正妃と望む存在が現れないとも限らないし、理想であっても恋とは違う感情に収まるかもしれない。エレーレが次期王以外に恋をする可能性だってある。
よって、ベルンカルトはエレーレ召喚に関して定めていることがある。
初代国王ユーリヒに従い、一度だけ無条件で次期王の生殺与奪権限をエレーレに与える。元の世界に帰すことはできないので、その後の生活も保障する。
次期王が既に正妃と望む存在がある場合、エレーレの召喚をしない。
エレーレを正妃に望まず、エレーレもそれを望まない場合、エレーレが嫁ぐまでの生活を保障して、国の問題には巻き込まない。ちなみに、エレーレが嫁ぐ相手が国外の人間だった場合、話が少し複雑になるのだが、そこは割愛する。
そこまでして必要か、とリオンは思う。
自分の国だというのに、自分の国の者以外に当然のように頼って、それでいいのか、と。
分かるのだ。たとえ、衝動で自身が殺されようとも、いいや、衝動で殺される理想などない、恨まれようとも、確実に国にとって害をなさない存在。いるだけで、新しい風を呼び込む存在。異世界の知識、技術、識者や能のある者ならば国にとって益となる結果を出す、そのための道を見つける。
それがほぼ約束されていて、どうして他国の美しい笑みの裏に思惑、欲を隠した姫君たちを迎えられよう。
民のために、より国を良くしなければならない。身をそぎ落としても、尽くさなければならない。
それが、自分が与えられてきた物の代償だと、リオンは理解している。
王族、貴族が食べたものは民の肉。飲むものは民の血。民に生かされる権利は、民のために尽くす義務を果たすことを前提に与えられているのだから。
自国のためならば、王は、王太子は、リオンはまったく無関係な存在の人生を奪うことも、躊躇ってはならない。
そもそも、誰が否定しても、直系の王族だけはエレーレの存在を否定できない。
母親を祖母を先祖の極稀な父であり祖父であった彼らを、いまさら無関係な存在だといえるものか。
見て育ったのだ、その得難さを。
だからこそ、リオンはエレーレの召喚を望めない――
リオンは複雑な心情を抱えたまま、エレーレの召喚を行った。
ローブ姿の魔術師たちに促され、魔方陣に力を込める。
理想、理想、りそう。願い。望み。
リオンの情報を読み取り、リオンの要求を読み取り、魔法は数多の世界から一致する存在を探し出す。
どれほど経ったか、ゆるく回転していた魔方陣が強く光り、渦のように激しく凝縮した。
目も眩む閃光の中、腕を翳して見つめ続けた魔方陣は消失。それと同時に一人の少女が横たわっていた。
小さい、あまりにも小さい少女だ。
幼いという意味ではなく、細すぎる、小柄過ぎる。人形のように力なく横たわる身体に生気はなく、ほんとうに人形だといわれても騙されそうだ。
ぴくりとも動かない少女に、魔術師の誰かが唾を飲み込んだ。
失敗したのか、少女は死んでいるのか、あってはならない想像がリオンの脳裏を過ぎる。その瞬間、唐突に少女の瞼が開いた。距離があるので色まではよく分からないが、暗色なのは間違いない。ああ、そういえば、髪も黒い。リオンの灰がかったそれとも違い、混じりけの無い黒のように思う。全ての光りを飲み込んだ色はいま、ステンドグラスから差し込む日差しにきらきらと七色を弾いている。
「ああ」
目を開けたまま亡羊としていた少女は、不意に短い悲鳴をもらす。悲鳴? いや、嗚咽かもしれない。とても短い音なのに、リオンの胸は締め付けられた。
どれほどの悲しみや遣り切れなさがあれば、あんなにも深い声音になるのだろうか。少女の鈴に似た声には不釣合いなほど、その嗚呼は老成したようであった。
少女の目がゆらり、と彷徨い、ステンドグラスの向こうを飛んでいった鳥に反応してか、さっと動く。奇しくも、それはリオン達のいる方向で、首ごと向いた少女の顔がよく見えた。
青白い、やはり生気に欠ける顔をしていた。
背筋に走った震えはなんだろうか。決して、少女を不気味に思ったわけではない。
こくり、とリオンが息を飲むのに反応したわけではあるまいに、少女は酷く重たげに片腕を動かし、自身の肩を抱いた。よく見れば少女は小さく震えていて、唇も僅かに血の気が失せている。
気づけばリオンは駆け出していた。
マントを脱いで少女を包み、冷えた身体を抱き上げる。
反応は鈍いものの、少女の目は僅かに見開かれ、黒曜石に似た瞳が水に映る月のように揺らめく。
「大丈夫か?」
唐突な王の招請に応じた時ですら、ここまで緊張しなかっただろう。気の抜けない状況に慣れた身体が、自然と声の震えを抑えたのが幸いだ。
少女の応えはなかったが、貧血でも起こしているかのように色の薄い唇が、小さく綻んだ。
視界が明滅する。
だめだ、と思う。
ずっと、蓋をしていたものが溢れてしまう。押さえつけていたものが溢れてしまう。
「あ……」
小さな音に我に返り、リオンは少女を見下ろす。
必死に何かを言おうとするのだが、言葉にならず、次第に少女はぐったりしてしまった。
召喚されたばかりで体力もないだろう。早く休ませた方がいいと判断して、少女を宥めれば、無防備にも少女はリオンの腕のなかで意識を落とした。
そっと覗き込んだ顔は安心しきっていて、リオンは泣きそうになる。母親の葬儀が行われる前夜を最後にした涙が再び溢れるかと思ったが、熱い目から雫が落ちることはなかった。代わりに、いつの間にやら口元が吊りあがっていることに気づく。
(ああ、蓋が外れた)
どこか投げやりに思い、リオンは少女を抱き上げて立ち上がる。
「宮へ戻る」
いまは早く、この少女をきちんとした場所に寝かせなければ。
少女は丸一日目覚めなかった。
一度、王宮治癒魔術師のニルギルを呼んだが、病などではないらしい。
「典型的な魔力法力に耐性のない人種ですにゃー。召喚とそれに伴う翻訳魔法を施されたこと、あとはこの世界の空気に含まれたそれらに馴染むために、身体が一時的に機能を休止させてるんですにゃー。この状態で魔術なり法力なり重ねがけしたら、ちょっと怖いのにゃ。自然に目覚めるまで我慢の子ですにゃ」
相変わらずのふざけた口調にも、慣れているリオンは特別指摘しない。ただ、ふとした瞬間に見た目と年齢の差異を思い出して凝視するだけだ。
「色々な話をきかないと、迂闊に薬も処方できませんのにゃ。目覚めたら、すぐに呼んでくださいにゃ」
「わかった」
部屋を出て行くニルギルを見送りもせず、リオンはベッドの中で眠る少女を見つめた。
可憐な顔立ちをしているのに、致命的に生気が欠けているせいで、ぱっとしないという印象を受ける。呼吸が静かなことも、ますます眠っているのではなく、死んでいるのでは、という危惧を訴えるのだ。
「早く、目を覚ましてほしい」
呟きをごまかすように、リオンは少女の髪を梳いて部屋を出た。
ぎりぎりまで粘ったが、これ以上、王を待たせるわけにはいかない。
「エレーレの召喚は成ったらしいな」
挨拶の口上より早く本題に入る王に、リオンは苦笑いをこらえた。
「はい。魔力耐性はないらしく、召喚の影響により現在は眠っております」
魔力耐性がない、という言葉に、集まっていた大臣の一部がざわめいた。大げさにならないのは、エレーレとして少なくない特徴だからだろう。
「ふむ、目覚めれば一度は出向いてもらうことになるが、急がなくていい。この国に慣れるまで、落ち着くまで気をつかってやれ。彼女にとって、ここは異世界なのだから」
王の口元が僅かな自嘲に染まったのは、過去を思い出したからだろうか。
王妃が存命のとき、リオンは時々、王妃と王の昔話を聞いたことがある。エレーレであった王妃は、突然異世界に連れてこられたことに怒り狂い、嘆き悲しみ、それでも王の命を奪うことはできず、当時、長く美しいと評判だった王の灰髪を、襟足から断ち切ったことで手打ちとしたらしい。
リオンの記憶の中の王妃は、おっとりとした箱入り娘、苦労に鈍い、そんなひとだったのだが、年月が彼女を丸くしたのだろうか。
「さて、王太子リオン」
「は」
「お前が当分、気を使う案件は、エレーレについてだ。王としていうが、彼女は我が国にとって重要な役割を持つ。くれぐれも、彼女を損なうような真似は許さん」
「御意」
礼をとったリオンに王は頷き、退室を促した。
「ああ、忘れていた。リオン――」
会議場を出る寸前に呼び止められ、リオンは振り返る。
「エレーレというのは鏡だということを、先達の言葉として言っておこう」
にやり、と笑う顔は王ではなく、破天荒な父親のもの。王妃が、母が没してからは久しくなったそれを懐かしく思うより、リオンは自嘲を堪える方が優先だった。
「肝に銘じております」
努力したが、声音の平坦さは隠せただろうか。
いくつかの政務を終わらせてから少女の元に戻れば、メイドが代えの水差しと、湯の入った桶、タオルを寝室に運ぼうとしているところだった。ドアが開く音に気づいたメイドは振り返り、慌てて頭を下げる。
「エレーレは目覚めたか?」
「いえ、まだかと。少々、寝苦しそうになさっていたので、これからお着替えをと思っていたのですが……」
「ああ、なら先にすませてくれ」
男の自分が眺めながら待っているわけにもいくまい、とリオンは寝室に入らず、ソファに腰掛けた。「かしこまりました」と頭を下げて、メイドは寝室に続くドアへと消える。しかし、すぐに慌てた気配がして、何事かとリオンは腰を浮かせた。
「殿下、エレーレがお目覚めになられました!」
飛び出してきたメイドの言葉にリオンは立ち上がる。
「それで、なにやら体調が思わしくないようで……っ」
「ニルギルを呼んで来い」
命じて寝室へと足を踏み入れたリオンは、苦しそうに顔を顰め、荒い呼吸の少女を見た。
生気のない顔だと思ったが、それは慣れない魔力に触れたことによる消耗ではなかったのだろうか。目の前の少女は紛れもない病人にしか見えなかった。
(病人? エレーレが?)
国を担う一角になる可能性が高い存在が、病人。そんな、死亡率の高い存在が……。
疑問は駆けつけたニルギルの問診を聞いている内に解消した。病人ではなく、虚弱体質であるらしい。似たようなものに思えるが、病にかかっていることと、身体が弱いことでは大分違う。そして、やはり魔術や法力などにはなじみがない。
(しかし、他にもなにかありそうだ)
生まれた時から身体が弱いと告げた時、少女の瞳が僅かに翳ったのをリオンは見逃さなかった。
診察を終えればニルギルは説明を全てリオンに押し付けてさっさと出て行き、リオンは少女とふたりで残される。
「あの……」
聞きたいことは山ほどあるだろうに、声をかけただけで固まる少女は見るからにおろおろと困って瞳を揺らしている。
(人見知りでもあるだろうな)
状況がつかめないというのもあるだろうが、他人に対する接し方にまるで慣れていない。身体が弱いのなら、あまり家から出ることもなかったのかもしれない。
自分が話の主導権を握った方がいいとリオンは判断して、とりあえずは自己紹介を始めた。少女はリオンの肩書きに顔を引きつらせたが、追求はせずに自分も名を告げる。
少女の名はミエ・サカキ。彼女の国では家名を先にもってくるらしく、名は翻訳がかからないため、やはり独特の響きと発音だった。
(ミエ、ミエ)
口に出さずに繰り返せば、まるで染み渡るようにしっくりくる。エレーレへの敬意とはいえ、敬称を合わせた名で呼ぶことが、どこか無粋にも感じた。
これから話すことは長くなるので茶をメイドに命じようとして、リオンはミエの身体のことを思い出す。アレルギーなどはなくても、苦手なもの、受け付けないものはあるかもしれない。
問えばほっとした顔をして、美枝はやはり、刺激の少ないものを所望した。その後、不思議そうな顔をするので、あたりをつけて答えを返せば納得した顔をする。しかし、すぐに泣きそうな顔をする。
ミエは、身体が弱い自身に甘んじていなかった、甘んじたくなかったのだろう。
弱いのだから仕方ない、できなくても当たり前。それによって周囲の助けを当然とするなんて、ミエは望んでいない。結果そうなっても、罪悪感と申し訳なさで押しつぶされそうになっていたのだろう。
ほどなく運ばれた茶には、メイドが気を利かせたのか滋養効果の高いアカシェの蜜がはいっていた。独特の香りをミエは気に入ったらしく、緊張が解れたのが見て取れたので、リオンは話を切り出した。
ミエは話を遮ることなく、戸惑いはあるようだが真剣に聞いていた。物言いたげにすることもあるが、開きかけた口はすぐに閉じられて、話の続きを優先させている。
長い国の始まりを話し終えれば、一仕事終えたような心地になるリオンだが、重大な話がまだ残っている。
柄にもない緊張を茶で押し流し、リオンは強張った顔のミエを見つめる。
「なぜ、ユーリヒ以外の王が異世界から女性、あるいは女王が男を召喚するようになったのかは、詳細が不明だ。けれども、ベルンカルトでは王になるものが異世界から理想の伴侶を求めることは、慣例となっている。
――貴方も、その慣例に則りこの世界に呼び出された。
これも慣例には違いないが、それでも代々の王、そして私自身の覚悟だ。私は貴方から歩むはずだった人生を奪った。望むなら私を殺せ。今でなくてもいい。貴方にはその権利があり、私もベルンカルトもその権利を認めている。これは罪ではない、断罪だ」
ミエは、これが酷く八百長に近いと知らないだろう。
国を背負う王になる人間の理想が、自分を殺す者なんて、どんな酔狂だというのか。
けれども、歴代の王、リオンにとって、それは形骸化した儀礼ではない。自分の理想を押し付けたせいで無理やりつれてこられた、国のためとはいえ、自分のせいで人生を奪われた存在になら、どんなに責められても、受け入れる。いっそ、差し出した刃で殺してくれてもかまわない。斬りつけてくれた方が楽だとすら、思う。
だから、リオンはエレーレを召喚したくなかった。
(さあ、殺せ。剣を受け取り、私を責めろ)
リオンの口元に自嘲が浮かぶ刹那、ミエの目から涙が溢れた。
静かにしずかに流れる涙は留まることを知らず、ミエはやりきれないといったように声をもらす。
瞬間的にリオンの呼吸が止まった。
明滅する視界と、目の前の光景はエレーレの召喚を行った大聖堂での出来事をフラッシュバックさせる。
締め付けられた胸、背筋を這ったなにか。
同じものが、再びリオンを襲う。
ミエが口を開く。その先を聞いてはいけないと、リオンの頭を警鐘が打ち鳴らした。
はらはらと涙をぬぐうこともせず、ミエが壊れたように笑う。
「わたしは、もう……死んでいるの……」
リオンの全身が心臓になったように、耳に煩いくらいの鼓動が走る。
ざわざわと湧き上がってくるものに、露出の低い衣装の下は総毛だった。
「わたしは、二十歳まで生きられない身体で生まれたんです。いいえ、生きて生まれることすら奇跡でした。わたしの中身は生きていくためには不十分なつくりなんです……。
わたしの身体は、決して健康になれません。健康というものが水だとすれば、普通のひとは、このティーカップ、わたしはこのティースプーン。同じ量は注げない……。昔は、ソーサーくらいはあったと思います。でも、年々、わたしの器は小さくなって…………ここに来る直前……誕生日の翌日か、その日のうちにか……寝具の中で、し、死にまし、た……!」
これが彼女がニルギルに話さなかったことか。
理解と「歓喜」のどちらが早かっただろうか。
自分でも悟って間もない事実なのだろう。うずくまって激情に耐える姿が痛々しい。
ミエの震える姿を見て、リオンは心から笑った。
リオンはエレーレの召喚をしたくなかった。
けれど、エレーレが欲しくないかといわれれば否、断じて否!
欲しかった、心から求めていた。渇望していた。
自分の理想である。自分が無意識に求める存在である。どうして否定できようか。そして、どうしてその存在に否定、拒絶されることを望めよう。
エレーレを求めてもとめて止まないのと同じくらい、エレーレからの拒絶を受け入れ難く、理想に拒絶されるくらいなら出会いたくないとすら思っている。故に、エレーレの召喚をしたくなかったのに、理想はどこまでも理想だった。
ミエは死んでいるという。
つまり、それはリオンが召喚しなくても、彼女が世界から引き離されていたということだろう? 彼女は既になにもない状況で、リオンは彼女からなにも奪いようがない。家族から引き離したのはリオンではない。既に引き離された先にたどり着いたのがリオンだっただけだ。それを、彼女も理解している。理解しているから、葛藤はあれども、心のそこからリオンを責めることなどない。
それだけではない。ミエの身体はただの虚弱体質ではない。魔術や法力で体調を崩す、ということを回避できるようになっても、決して健常にはなれない。一人で生きることができない。必ず、誰かが必要だ。
できることなら、拍手喝采で喜びの声を上げてしまいたかった。
(ああ、もうだめだ。もう逃がせない)
哄笑がこみ上げて震える喉を押さえつけ、笑顔も押し殺すと、リオンはミエの背に手を伸ばす。
リオンが一言かけおわるより早く抱きしめると、ミエは驚いたように身体を跳ねさせる。
決してふざけている気持ちはないが、真面目に真剣に、異常事態に陥っている彼女を気遣っているように装い、リオンはやさしい言葉をかける。
生まれ変わったのだと、告げればミエの戸惑う気配。
出会うことを拒否するほど恐れたのに、いまなら「魂を奪い去ったのか」と詰られてもいいとリオンは思えた。
蓋は開いた、せき止められていたものはあふれ出した。もう、止まることはない。
傲慢で非道だと責める口調ではなく、ミエが言う。
「その通りだ、私のミエレーレ」
とても、正しい。
リオンは自分の中の何かが全て、ミエに傾いて注がれたことを自覚している。
大切、大事、どれも当てはまり、どれも適切ではない。一目惚れなどの、恋情にすら当てはまらない。
心底から欲しい。いいや、すでに自分のものにする、自分のものである、とリオンは決めた。
恋でもなければ愛でもない、恋より烈しく愛より深い執着を感じて、リオンはミエを抱きしめた。
心音が重なる心地よさに、気づけばミエの身体が重い。
「ミエレーレ?」
声をかけても反応はなく、安らかに上下する身体がリオンの腕に収まっている。
最初から、ミエはリオンの腕の中で眠ることができた。そこで眠っても大丈夫だ、と思われていると解釈したいのは、リオンの我侭だろうか。
「おやすみ、私のエレーレ」
ずっと、ずっとこの腕のなかにいればいい。
言葉にされない音に気づくこともなく微笑するミエに、リオンは一種の哀れみを感じた。




