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死後の世界




 ぎりぎりで生命時装置を免れた未熟児で生まれ、完成し切る前の内臓を抱えて育ち、遅々とした成長を重ねても健常にはならず、年々不自由になっていく身体。

 二十歳まで生きることは、無理だろうと宣告されていた。

「十七歳のお誕生日おめでとう」

 家族が慈愛の瞳で心から祝ってくれることはうれしかったけれど、家族の気持ちが大きければそれに比例して、美枝は申し訳なかった。

(わたしは、きっと……)

 十七年間付き合ってきた身体は、いつもと違う予感を美枝に告げている。恐らく、おそらくこれは――

 朝、美枝を起こしにきた母親は悲鳴を上げるだろう。しかし、美枝はその悲鳴も家族の涙も、決して受け取ることはできないのだ。

 榊美枝。十七歳。生まれついて身体に難を抱え、それが原因となって十七の誕生日の翌日に死亡。安らかな死に顔から、眠るように死んだと推測される。




 目が覚める。まどろむこともなく、ぱっちりと目が覚めたことに、美枝は驚愕した。自分の身体がここまではっきりと睡眠から浮き上がったことなど、終ぞない。いつもいつも、覚醒直後は重い身体と揺れる頭になれるまで、目を開けることも辛かったのだ。それが、長い瞬きをしたように、あっさりと美枝の意識は覚醒した。

 どうして、と思い、眠る前のことを思い出して「嗚呼」と声が諦観を吐き出した。

 美枝は自分が死んだであろうと予測している。

 布団の中、段々と鼓動が早くなり、それなのに呼吸は細くなっていくのを覚えている。走馬灯のように思い出を振り返り、最後に聞いた家族の言祝ぎに微笑んだ瞬間、一際大きく心臓が打ち、それっきり――

 けれど、あれは夢だったのだろうか。ただ(これも十分、美枝には致命的だが)脈が乱れただけだろうか。それとも、やはり自分は死んでいて、ここは彼岸なのだろうか。

 恐ろしい気持ちになりながら、美枝は身体を動かさないまま、視線を巡らせた。

 見慣れぬ天井、テレビなどで見た大聖堂のようだと思う。ステンドグラスから差し込む日差しが、カメラを趣味としている兄が見せてくれた天使の階段のようで美しい。異常事態だが、ほうっと見惚れた自分はやはり、はっきりとは覚醒していないのだろう、と頭の冷静な部分が分析するのがおかしかった。

 じっとステンドグラスを見ていれば、鳥が過ぎったのか影が通り過ぎ、それを目で追って首が横に傾けられた。

「あ……」

 少し離れた場所に足があった。

 艶々とした白大理石の床の上に、ブーツを履いた足が一組と、ローブに隠れた足元が複数。

 誰かがいたことに驚くのもつかの間、自分が大理石の上に横たわっていることに気づいた美枝は、急に寒くなって身を震わせる。

 腕は重く、持ち上げるのは億劫だったが、なんとか片腕で肩を抱えると、複数の足がぴくり、と動き、ブーツの足が弾かれたように近寄ってきた。

 響く微弱な振動を感じながら視線を上げると、やはり、見知らぬ場所に相応しく、全く見知らぬ青年が美枝を心配のあまり張り裂けそうな顔で見ながら、自分がつけていたマントを脱いで、美枝を抱き起こした。身体に巻きつけられたマントが暖かく、ほっと息をつく。

「大丈夫か?」

 耳に心地よいバリトンは、はっと意識を惹きつけて、こういう人が演説などをしたら、さぞかし聞き入る観衆が多いことだろうと美枝は想像して、口元を綻ばせた。

 美枝を覗き込む灰色の瞳が見開かれたことにきょとん、として、美枝は青年の問いに答えていないことに気づく。

「あ……」

 声は出るけれども、言葉には程遠く、美枝はなんとか紡ごうとしてがんばるうちに疲れ果ててしまった。

 やはり、自分の身体はつかいものにならない。

 悲しい気持ちになった美枝を励ますように、青年はやさしく美枝を抱きしめて、細い背中をあやす。

「無理をする必要はない」

 あやす手つきは身を預ける青年の鼓動と同調して、美枝は安堵する。最期にきいた不規則な鼓動ではない、一定の穏やかな心音はなによりも安らぐ。

 身体の力が抜けると、意識まで穏やかに眠りへと誘われ、美枝は青年の心音を子守唄にうとうとと瞳を閉じた。

 今度は、永い眠りにつくわけではなさそうだ、となんとなく思いながら、美枝は見知らぬ青年の腕で眠った。




 二度目の覚醒は、やはり、全てが夢だったのではないか、と美枝が思うほど美枝の日常であった。

 意識は浮上しているのに、瞼が重い、身体が重い、頭の中が揺れているような不快感。呼吸をすれば大げさなほど胸が上下して、その起伏にすら疲労を覚える。どうしようもない、生まれたときからつきまとう美枝の身体の悲鳴である。

 生まれるは苦痛、生きるのは困難、死ぬのは面倒とはなんという哲学者の言葉だっただろうか。美枝は覚えていないが、美枝にとっては生まれることが困難で、生きているだけで身体は苦痛を訴えてきた。死ぬことは、自分を生かそうと必死な家族への冒涜である。

 未来のない身体を抱えて十七年生きて、ようやく終わったかと思えば、奇妙な安らぎを与える夢を見た気がする。しかし、自分の人生は終わっていなかったのか。だから、この身体は再び苦痛を訴えるのか。

 一度は解放されたと思った苦痛に再び囚われ、呻いた美枝の目尻から涙が伝う。それは皮肉にも、美枝の重い瞼が開く切欠となり、涙のせいだけではなく霞む視界に眉根を寄せた美枝はひゅう、と長く息をつく。瞼さえ開けば、落ち着くまでもう少しだった。

「っ殿下、エレーレがお目覚めになりました!」

 聞き覚えのない声に、耳慣れぬ言葉の内容を離れた位置から拾い、テレビでもつけているのかと美枝は首を巡らせた。目を凝らせば、視界はだんだんと晴れて美枝がまたしても見知らぬ部屋にいる現状を教えた。

 テレビで見た、外国のスイートホテルのような部屋だった。広々とした部屋にはアンティーク調の調度品がセンスよく配置され、ようやくまともに動き始めた頭は美枝がベッドにいるというところまで把握する。

「どこ……」

 普段よりも重い気がする身体を必死でお越し、ふかふかの枕を背もたれにして落ち着いた頃、彫刻の施された木製のドアが開いた。

「あ……」

 奇妙な夢は夢ではなかったらしい。

 見覚えのある灰色の目をした青年が、心配と安堵を混ぜた顔で美枝に駆け寄ってきた。

「具合は? 起き上がって大丈夫なのか? すぐに医者がくるから、無理に動かないでもらいたい」

 青年は口早に美枝の安否を気にして、美枝を呆気にとらせた。

「あの、あなたは、ここは……」

「おまたせしましたにゃー。ニルギルですにゃー」

 現状把握しようとした美枝を遮るように、こどもっぽい声がした。語尾に奇妙な猫の泣き声を付属して。

 青年から目を外せば、三歳児が引きずりこそしないものの、ぶかぶかの白衣を着てちょろちょろと近づいてきた。

「ニルギル、先ほど目覚めたばかりだが、その直前から苦しそうだった」

「あいあい」

 ニルギルと呼ばれたこどもは頷いて、呆然とする美枝に向き直った。アヒル口のかわいらしい顔立ちを綻ばせたニルギルは、背負っていたカバンから紙とペンを取り出す。

「初めましてにゃ、エレーレ。僕は医者のニルギル。この形に不安を覚えるかもしれないけど、腕前は国にちゃーんと認められてるから心配はノンノン。エレーレの主治医でもあるから、これからよろしくね」

「え……」

「うんうん、状況が分からなくて混乱してると思うけど、別にエレーレに危害を加えるつもりはないのにゃ。ねえ、王子様?」

 王子様といって話を向けられたのは青年で、彼は真剣な顔で頷いた。王子様と呼称されてもまったく違和感のない整った顔立ちをしていると、美枝はようやくそこまで意識がまわった。

「じゃあ、質問はたくさんあると思うけど、それは王子様が答えるのにゃ。僕は医者らしく医者のお仕事するのにゃ。患者はエレーレね。問診だから安心するにゃ。いきなり服脱がして脈とったり、魔法つかってわんだふるなんてますますエレーレの頭がぱーんしそうなことはしないのにゃ。ここで服を脱がしたら、王子様と真剣な話し合いを一方的な肉体言語でしなきゃにゃらないし……」

 マイペース極まりないニルギルはぽそぽそと呟いたあと、美枝が何度も経験した問診を真面目に行った。


「あいあい、大体わかったのにゃ。あにゃー、それにしても、これは中々、大変な患者さんなのにゃ。でも、だいじょーぶ。僕はお医者さんで、ここはベルンカルト。きっと、エレーレを現状より良い状態にしてみせるのにゃ」

 持病は、現在の体調などを尋ねたニルギルは、カルテらしい紙にペンを走らせて何度も頷いた。

「最後の質問にゃんだけど、エレーレは魔法、魔術、法力のどれかに馴染みはある?」

 美枝はようやく三歳児に問診を受けていることを思い出した。見知らぬ場所に見知らぬ登場人物、そして三歳児が医者で魔法という単語。どう考えても非現実的である。

「あ、いいのにゃ。その反応でわかったにゃ。うんうん、これも王子様が説明してくれるのにゃ。

 王子様ごめんね。ひょっとしたらエレーレに完全な不審者とか頭が可哀想って認識されちゃったかもしれないけど、遅かれ早かれ歴代の王が経験してきたことだから、がんばるのにゃ。

 さて、お医者の僕のお仕事はおしまいだから、これから色々調べたり薬師と相談してくるにゃ。じゃあね、エレーレ。具合が悪くにゃったらすっ飛んでくるけど、できたら次の健康診断で改めて自己紹介してね」

 ばいばいと振られた手に反射的に振り替えし、そういえば自分の名を聞かれることも告げることもなかったと、美枝は自分を見つめる青年の視線とともに気づいた。

「あの……」

 声をかけたはいいが、なにから尋ねればいいのか。美枝は「普通の生活」とは無縁だったため、友人はいないし、身内以外の知り合いは医者と看護師と家庭教師くらいなものである。対人経験に乏しいゆえに、尚更この状況に相応しい言葉が見つからない。

 青年はそれを察しているのか、僅かにうつむいて考えると、すぐに顔を上げた。

「まずは自己紹介が無難か?」

「あ、では、それで、お願いします……」

 青年はひとつ頷いた。

「私の名前はリオン・リ・ラ・グラナート・ベルンカルト。後の説明のために先に名乗っておくが、ベルンカルト国第一王子というのが肩書きだ。

 貴方の名前を伺ってもよろしいか、エレーレ」

 青年、リオンの名前は長く、ニルギルにもそう呼ばれていたが、聞き覚えのない「エレーレ」という単語にもぴんとこない。間になにかとんでもない肩書きを名乗られた気がするが、それを深く考えると美枝は容易く失神するだろう。それでは話が進まない。

「え、と、わたしは榊……多分、リオン様……殿下に合わせると、ミエ・サカキです」

「貴方は私に敬称不要だ。

 ふむ、ミエ……エレーレの敬称でミエレーレか」

 確かめるように、リオンは美枝の顔をじっと見て「ミエレーレ」と呼びかけた。

 当然、馴染みのない呼び名であるため美枝は困惑するが、リオンが自分を呼んだことは理解できるので、小首をかしげることで応える。

「……さて、貴方の現状について説明しよう」

 長くなる、と言ったリオンは、ベッドサイドのテーブルに置かれたガラス製のベルを鳴らした。不思議とよく響く音色に聞き入ったのもつかの間、丁重なノックがベルの余韻を打ち消した。

「入れ」

「失礼いたします。御用でしょうか」

「茶を……ミエレーレ、飲みたいものはあるか?」

 入ってきたメイドに茶を命じようとしたが、リオンは美枝を振り返って問うた。美枝としてはありがたいことだったが、その理由を思えば僅かに口が重くなる。

「わたし……お茶ならミルク多めのミルクティーしか飲めません」

 美枝の事情を知らない者はこぞって「お子様」のレッテルを美枝に貼るが、当然、そうではない。美枝の身体は、お茶という刺激物を受け入れることすら慎重にならなければならないのだ。アイスレモンティーなど飲ませようものなら、すぐに嘔吐するか、悪ければ胃痙攣を起こす。美枝がもっとも安心して飲めるのは、白湯くらいなものだった。

「そうか。では、そのように」

「かしこまりました」

 リオンはバカにすることも呆れることもなく頷いて、メイドを促した。なんのリアクションもないことは、美枝にとって安心もするが、不安にもなる。

「貴方の身体のことは、ニルギルとの話を横で聞いているから察しがつく」

 生まれ付いての身体の欠陥までは話さなかったが「どのくらい走れるか」という質問に「走ろうとすれば膝が崩れます」と返すやりとりを続けたのだ、さすがにつくりそのものに問題があるとは思わないだろうが、とんでもない虚弱体質だと理解しているのだろう。

 きゅ、と口を引き結んだ美枝にリオンが何事か声をかけようとした時、再びノックの音がする。

 案の定、メイドがワゴンでティーセットを運んできた。

 テーブルに置かれた繊細な細工物のようなティーセットに、少女らしく美枝は目を奪われる。

 注がれたお茶は不思議な花の香りがして、とても美味しかった。

「話を続けようか」

 メイドが出て行ってからリオンは切り出す。

「貴方が現在いる国はベルンカルト。我が国ではミエレーレ、と貴方を呼ぶことになる」

 聞き覚えのない国名だが、一々質問しては長くなるばかりだ。話を最後まで聞いてからまとめて質問することを選んだ美枝は、疑問を飲み込んで頷く。

「ミエレーレ、というのはエレーレである貴方への敬称を込めた名前だ。

 先ほどから気になっているとは思うが、エレーレというのは我が国の古い言葉で『安定をもたらす者』『理想の花嫁』という意味だ。それで、エレーレとは何か、といえば、はっきりと言うが次期国王の花嫁のことを指す。ここまではいいか?」

「…………花嫁ですか」

 話自体はなんとかついていけるが、花嫁を指す呼び名で自分が呼ばれることに、ある種の予感がしてならない。次期国王という単語にも、リオンの自己紹介で考えないようにした肩書きが頭の中で主張を始めた。

 美枝はほとんど外に出ることはなく、読書をして過ごしてきたが、本の種類といえばなんとか役に立てることはないかと学術書、専門書を中心にしていて、それ以外では画集や図鑑が好きだった。美枝が少しでもジャパニメーション系ファンタジーに興味を示していたら、現状に対する察しがもっと良かっただろう。閑話休題。

「ベルンカルトは創世神話がある程度には、古い歴史を重ねている。私は朗読など得手ではないのでつまらないだろうが、説明の一部として聞いて欲しい。

 ベルンカルトがベルンカルトとして建国される前、小さな集落同士の小競り合いは絶えず、集落同士が協力して、少しずつ大きな争いになっていった。

 それを憂いたのは、ユーリヒという聖騎士だった。ユーリヒが建国にいたるまでの道のりは、長編叙情詩が出来上がっているくらい長いので割愛する。

 様々な試練や苦難を越えて国をひとつにまとめたユーリヒだが、当然、国を建てれば全てが終わるわけではない。建国後も国のため、民のためとユーリヒは粉骨砕身した。まさに、命を削るように。

 彼の欲を孕まない献身はどんな祈りよりも強く神々に届き、応えたのは天秤の神だ。曰く『かの人間ひとりが背負うには釣り合わない苦難である』と。天秤の神はユーリヒに彼を支える存在を与えるための方法を教える。

 ユーリヒは躊躇した。辛い道だが、その辛さを誰かに分けてもいいものだろうか。ユーリヒは三日三晩悩み、このまま自分が倒れれば、再び国がばらばらになるかもしれない、それならば、と天秤の神の言葉に従った。

 現れたのは平凡な娘。どこにでもいるようで、どこにもいない、異世界の娘だった。彼女は剣も握れないし、魔術が使えるわけでもないが、笑顔が気持ちのいい娘だった。

 娘は異世界にいたことから、ユーリヒが持ち得ない視点で苦難を乗り越える切欠を与え、絶えない笑顔でユーリヒを癒した。

 国が落ち着いて、ようやくひとつの節目を迎えたとき、ユーリヒは娘に抜き身の剣の柄を握らせて、深く謝罪した。

『あなたの人生をわたしは奪いました。あなたから元の世界での家族や友人を奪いました。許してくださいとは言えません。謝罪してもし切れるものではありません。お望みならば、わたしをどうぞ、その剣でお斬りください』

 対する娘はいつもと変わらない笑顔で言う。

『では、あなたが私を幸せにしてください。元の世界でも、私の明日は確約されていたわけではありません。だから、あなたが私に幸せを約束してください』

 ユーリヒは娘を幸せにすると誓い、飢えることがないように、侵されることがないように国を強固にし、娘を幸せにする自分がいなくならないように建国前後の無茶を改めた。

 やがて、ユーリヒと娘は結婚、国に安定をもたらしたことで娘は『安定の姫』夫を支えるその姿から『理想の花嫁』と呼ばれるようになり、それはいつしか彼女の名前に置き換えられる。

 ――エレーレ、と」

 長く話したリオンは冷め始めた紅茶に口をつける。

 美枝はこくり、と喉を鳴らしてリオンを見つめる。頭が悪いわけではないのだ、ここまで話されれば察しがついてしまう。

「なぜ、ユーリヒ以外の王が異世界から女性、あるいは女王が男を召喚するようになったのかは、詳細が不明だ。けれども、ベルンカルトでは王になるものが異世界から理想の伴侶を求めることは、慣例となっている。

 ――貴方も、その慣例に則りこの世界に呼び出された。

 これも慣例には違いないが、それでも代々の王、そして私自身の覚悟だ。私は貴方から歩むはずだった人生を奪った。望むなら私を殺せ。今でなくてもいい。貴方にはその権利があり、私もベルンカルトもその権利を認めている。これは罪ではない、断罪だ」

 リオンは腰に隠し持っていた小剣を抜き放ち、美枝に柄を向けた。

 瞳にはなんの恐怖も、油断もない。

 断罪されるべきだという慣例を受け継いできた国とは、いったいなんなのだろう。

 零れた声が嗚呼だったのかは分からない。

 はらはら流れる涙の理由が、悲しみや怒りなのかも分からない。いや、分かっている。

 美枝は家族を愛している。迷惑と心配をかけ続けたことを詫びることもできないまま異世界にいることが申し訳なくて仕方ない。

 ほんとうなら美枝は殺すことに恐怖して、小剣を受け取るができずとも、リオンを言葉の限り詰り、美枝には難しいことだが整った顔が判別つかなくなるほど殴るべきなのだろう。

 けれど、美枝にはできない。

 人生を奪ったとリオンは言う。

 けれど、けれども、奪われた人生というのは――

「わたしは、もう……死んでいます……」

 だから、貴方に奪える人生など、残っていなかった。

 泣きながら、美枝はわらった。

 死んだと思った、夢だと思った。けれども、人生を奪われたと言われ、真っ先に出てきたのはそんな言葉。

 異世界であるとか、花嫁として呼ばれたとか、死した者にいったいどれほどの意味があるというのか。

 会って間もないのに、リオンの目を見開く様が、そういう顔をするようには思えなくて美枝はわらう。

 おかしいのか、泣きたいのか、もう、よく分からない。泣きたいとして、それはなぜなのか。

「わたしは、二十歳まで生きられない身体で生まれたんです。いいえ、生きて生まれることすら奇跡でした。わたしの中身は生きていくためには不十分なつくりなんです……。

 わたしの身体は、決して健康になれません。健康というものが水だとすれば、普通のひとは、このティーカップ、わたしはこのティースプーン。同じ量は注げない……。昔は、ソーサーくらいはあったと思います。でも、年々、わたしの器は小さくなって…………ここに来る直前……誕生日の翌日か、その日のうちかに……寝具の中で、し、死にまし、た……!」

 最後は絶叫に近かったかもしれない。

 大声を出しただけで、美枝は激しい頭痛と息切れに見舞われ、ベッドにうずくまった。

 咳き込み大きく上下する背中を、母とも父とも、年の離れた兄とも違う手がさする。

「……ミエレーレ、無礼を許して欲しい」

 低い、なにかの感情がたくさん込められた声が終わるか否かで、美枝は抱き寄せられた。うずくまっていた体制からリオンの胸に抱え込まれたというのに、不思議なほど乱暴さも衝撃もなかった。

「私は死者に会ったことなどない」

 美枝の身体が震えるが、リオンは宥めるように背中をあやす。

 聞こえる心音に、大聖堂のような場所の時と同じだと気づく。

「けれど、死体であるならば、見て、触れたことがある。彼らは皆、冷たく、ぐんにゃりと重たかった。

 けれど、貴方の身体はとても、熱く感じている」

「でも、わたしは確かに……」

「ならば、貴方は生まれ変わったのだと、私は愚考する。ミエ・サカキが死んだとき、その魂がベルンカルトで生まれ変わったのだと。その誕生が、母親の胎を介するか、魔法かの違いがあっただけで、と」

 それでは、あなたはわたしの来世を、魂を奪ったとでもいうの。

 美枝がそういえば、リオンは躊躇いなく小剣を差し出しただろう。少しも、瞳に宿る覚悟と決意を損なうことなく。

「殿下は、自分から苦労を背負うといわれませんか……」

 泣き笑いで問えば、リオンの胸に寄せられる美枝の声がくぐもってしまったが、リオンは聞こえたらしい。

 いつでも真面目な顔という印象を崩すように、頭上から小さな笑い声がする。

「苦労を背負うのは、初代王から受け継ぐベルンカルト王家の伝統だ」

 なんて伝統だ。

 だから、断罪されるべきだといいながら、エレーレなどというものを求め続けているのか。

 安定と理想。求めた結果が拒絶ならば、死に繋がるというのに、それでも……。

「あなたたちは傲慢ですよ。そして、とても非道です」

「その通りだ、私のミエレーレ」

 傲慢らしく所有格をつけたリオンに、美枝は笑って、ひとつ、息をついた。

 穏やかな心音が心地よくて、感情の昂ぶりなんて久しぶりで、泣くことは体力をつかって。

 ほんとうに、自分の身体はままならない。

 まだ、話したいことがあるはずなのに、瞼が自然に下りてしまう。

「ミエレーレ?」

 力が抜け切った身体にリオンが声をかけるが、美枝は安定した呼吸を返すのみ。

「――おやすみ、私のエレーレ」

 おやすみなさい、とこえたえることは出来なかったが、美枝の口元には淡い微笑が浮かんだ。




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