第二節 I want you to come with me
「いらっしゃいませ」
僕は鏡の前でそう言った。でもだめだ。笑顔が嘘っぽい。そもそも、明るい声を出せている感じがしない。どうしよう。
「お〜すごくいいじゃん。かっこいいよ」
「わ、びっくりした。部屋入ってくるならノックしてからにしてよお母さん」
「ごめんごめん。...あ、そういえば今日、バイトだって言ってたね。でもね、挨拶なんてやりながら上達するものよ。今思い詰めて練習する必要なんてないんじゃない」
「この前のバイトのとき、うまく挨拶を言えなくて、他のバイトの大学生に笑われたんだよ。だから少しでも見返せるように練習しないと」
お母さんは僕の言葉を聞き、手を顔に当て、ちょっと大きめなため息を吐きつつ
「あなた、変なところで真面目というかなんというか...まあでもいいわ。無理だけしないように気をつけてね。あ、私もう行くから、しっかり授業を受けて、バイトも頑張ってね」
そう言ってお母さんは仕事に行った。さて、じゃあ僕も。そう思いつつ、僕はパソコンを準備し、授業を受ける準備を行う。今日は4時間くらい勉強しないと。お試しレポートも早く終わらせないといけないし。
そう思いつつやっていると時刻は13時を回っていた。もうバイトの時間か。僕はせっせと準備されてあったご飯を食べつつ、イアホンをつけ、お気に入りの「Star Palace」のプレイリストを再生する。しかし心のなかでは聞き慣れない音が再生された。
『とにかく一緒に楽しもうよ。この場所を、この人生を』
思い出したくなんてなかった。僕はこの言葉を理解することなんてできない。そもそも何もなければ僕は普通の高校に入っていたはずだ。それなのに今はどうだ。8時に起き、ちょっと朝ごはんを作るのを手伝うだけで、ほかは何も家事の手伝いはせず、9時から勉強をはじめ、たった4時間で終わる。これが落ちこぼれでないならどう言えばいいんだ。
心のなかに曇りを残しつつもバイトの時間は迫っていた。僕はさっさとご飯を食べ、玄関に向かう。重く硬いドアを開け、今日も少し天気の悪い外の世界へ向かった。
「お疲れ様です。今日もよろしくお願いします」
僕は深く頭を下げこういった。
「いやいや、こちらこそよろしくね。もうそろそろ夕ご飯を買って帰るサラリーマンが増えるからお弁当の準備よろしくね。あと、今日ひとり新しい子が増えるからその子に基本的な仕事を教えてね」
この人は東野さん。このお店「たらふく」の店長にして、こんな僕をかなり良い条件で雇ってくれた人。かなり明るい人で、いつも常連さんと話している気がする。まぁこのことは頭の隅に置いておくとして、今日の業務内容少し多いな。特に
「え、僕が仕事を教えるんですか。まだバイト始めて一週間くらいしか経ってないですよ」
僕は少し戸惑いながらそう答えた。
「ありゃ、天野くん知らない?人ってね他人に教えられるようになって一人前なの。でも大丈夫よ。あなたがわからないことがあったら教えるから」
「…分かりました、じゃあとりあえず新しい人が来るまで準備を進めておきますね」
「ありがとね。じゃあ今日もよろしく」
本当に優しくてかなりいい距離感でいてくれるすごい人だ。常連さんがいっぱいいるのも納得感しかない。それにしてもこんな早々に後輩ができるのか。知り合いじゃなきゃいいけど。一番最悪なのは星宮であることだけどきっとないと信じたい。今日まで登校の日でも会わなくてすむように頑張ってきたのにここで会ってしまうなんて嫌すぎる。
「あ、あの風見です。これからお願いします」
スマホに付いているキーホルダーをいじりながら少し小さな声でこういった。風見...初めて学校行ったときに一緒の班になった人か。星宮じゃなかっただけマシだけど同じ高校の人か。ちょっと嫌かも。
「あ、風見ちゃんね。今日からよろしくね。あ、そこにいる男の子は天野くんよ。あ、でも同じ学校だから知ってるかな?」
「あ、やっぱり天野さんだったんですね。これからよろしくお願いします」
少しホッとしたような様子を見せた。確かに通信制以外の高校生とか大学生が一緒だったら少し話しづらいだろうから意外といいのかもな。
「じゃあ天野くんよろしくね。おばちゃんはお客さんの対応してるから」
そう言ってカウンターの方に向かった。
「じゃあ、天野さんお願いします」
東野さんに続くように風見さんは深々と頭を下げた。
「あ、そんなに頭下げなくても大丈夫ですよ。そもそも同じ学校の同級生ですし。とりあえず、ロッカーに案内しますね」
かなり相手を敬う方なんだな。こんな人で世の中が溢れていたら、こんなことになることなんて…だとしても...いや考えるのはやめだ。とりあえず今は仕事。
「ここがロッカールームになりますね。ここで制服に着替えてもらいます。あと荷物を置く場所もここです」
僕は風見さんをロッカールームに案内しこういった。
「なるほど。制服はロッカーに入ってる感じですか?」
「そうですね。あと、ここがあなたのロッカーになります。スマホは仕事中も持っていてもいいですがマナーモードにするのを忘れないでください」
「分かりました」
そう言って風見さんは自身のロッカーを空け、制服を取り出す。ただうちの制服はエプロンのようなもので、私服の上にこれを着るような形だ。風見さんはエプロンを手早く着て、スマホだけ持って、僕のところに来た。相変わらずスマホにキーホルダーがついているがこれって
「たしか、前会ったときもそのキーホルダーつけてましたよね。もしかしてギターが好きなんですか」
僕は揺れているキーホルダーを指しながらこういった。
「あ、いや、これはギターじゃなくてベースですね。でも見た目は似てますよね」
風見さんは申し訳なさそうにこういった。
「あ、すいません。僕あんまりギターとかベースはよく知らないんですよね」
僕がそういった後、無音が二人の間を流れる。こうなるんだったらこんな事言うんじゃなかった。そもそも、風見さんが好きなことを自分から聞いたのが悪かった。これでもし、話したくないことだったら…
「あ、でも音楽は好きですよ。私昔からバンドを見てきていて。ベースもその影響で好きになったんです」
静寂という殻を、中が壊れないように慎重に剥くかのように、風見さんはこう言った。
「そうだったんですね。あ、話したいところですけどもうお客さんが来る時間なので準備を急ぎましょう」
僕はこう言って無理やり会話を終わらせる。どれだけ人と仲良くなっても…あ〜もうなんかだめだ。つい大きくため息を吐きそうになってしまう。とにかく今は集中しないと。
「ここで東野さんが作ってくれてる惣菜とかを詰めるのが、今日の仕事になりますね。どうやって詰めるのかは、すでに作っているやつを参考にしてください。わからないことがあれば何でも聞いて下さい。じゃあ早速始めましょう」
「分かりました」
僕はこの言葉を聞いた後に、作業を始めた風見さんを横目にすでに作り終えていた弁当を店頭に並べに行く。お店はすでに常連さんが数人来ていた。東野さんはそんな常連さんたちとワイワイ話しているようだ。僕は机に弁当をすでにおいてあった分も含めて、見栄えが良くなるように並べていく。
カランカラン
「あ、東野さん。こんにちは」
「ありゃ、星宮ちゃんじゃない。今日もお弁当買いに来てくれたの。ほんと偉いわねえ」
ん、ほ し み や...星宮!え、星宮ってここの常連だったのか。まずい、今は東野さんと話しているお陰でこっちに気付いていないみたいだけど、お弁当を取りに来たら絶対にバレる。僕はとにかく持っている弁当をさっさと並べていく。
「もしかして、あなた新しいバイトさん?え〜いいなここで働いけてるんだ。名前は?」
やばい気づかれた。でも僕が天野であることは気付いてなさそうだ。だったらすることは一つ。顔を見せず逃げる。
「あ、その子?その子はね天野くんよ。素直でがんばりやさんだからおばちゃんすごく助かってるのよね」
東野さーん。なんで言っちゃうんですか。
「え、天野くん!ここでバイトしてたんだ。知らなかったなー」
「へーあなた達知り合いだったのね。もしかして同じ高校?」
「はい。あ、天野くんちょっと逃げないでよ。まだ返事もらってないんだけど。一緒にバンドしようよ」
くそ、どさくさに紛れて逃げようと思ったのに。前の反省を活かしてるのか手首をしっかりと掴まれてるし。というか返事はしたでしょ。できないって。
「東野さん。ちょっと天野くん借りていい?」
「もちろんいいわよ。風見さんが来る前から結構働いてもらってるし、これからやることなくなっていくだろうから」
なんで僕の意思を挟まず話がどんどん進んでいってるんですかね。もうわけがわかんない。
はあ結局東野さんと星宮の流れに負けて、結局、退勤させらちゃった。そしてどこに連れて行かれてるんだ。まだ手首を掴まれてるから逃げることもできないし。
「そろそろ、どこに向かってるか教えてくれない?」
俺はしびれを切らして、こういった。
「まだ内緒。って言ってもそろそろ着くよ。あ、見えてきた」
そう言って星宮はライブハウスのような場所を指した。意外と近かったな。バンドを見せて憧れをもたせる算段だろうか。でも、バンドに憧れがないわけではないんだよな。
「ん、何してるの。目的地はこのビルの三階だよ」
「え、ライブハウスじゃないのか。じゃあどこにつれていくつもりなの」
「ここだよ」
そう言って入った場所はライブスタジオのような場所であった。なんでここに。
「お父さん、来たよ」
そこには3人ほどで作っている途中の譜面を囲っている男性がいた。
「お、燈。お弁当買ってきてくれたのか。ありがとう」
その中心に何処かで見たことがありそうで、顔が少し怖い人が明るい声で言った。
「お父さん、使ってないみたいだしちょっと練習室借りるね」
「あいよ」
そういって星宮は僕を練習室の中に連れ込む。中には当然、二人しかいない。
「もしかして...ここお前の家だったりする」
僕は怒涛の展開によってショートしていた頭がようやく治ったことで、こう聞けた。
「流石に家ではないよ。ただお父さんがよくここで練習してるんだ。というかそもそもここはお父さんが作ったスタジオなんだけど」
ちょっと待て。一旦整理しよう。まず、お父さんはバンドマン。そんでもって自分でスタジオを作れるくらい稼げてる。ん、ちょっと待て、星宮のお父さんと思われる人、やっぱどこかで見たことあるんだよな。しかも、星宮って苗字分解して考えたら...
「もしかして、お前のお父さん『Star Palace』のボーカルのHIKARUだったりする?」
僕は恐る恐る聞いてみた。
「うんそうだよ」
「...え。なんて言った?」
「え、お父さんはStar PalaceのHIKARUだよってこと」
いや、なんで自分の名字を英語にしてバンド名にした。え、というかさっきいたのが、あのHIKARUさんなの。まじかよ。ってことは星宮はHIKARUさんの実の娘なのか。もう何がなんだかわかんないって。というか、
「僕にこのこと言ってよかったの。普通だめでしょ」
「天野くんこういうの言わなそうだからいいじゃん。というか本題はお父さんのことじゃない。とにかく、二人きりで話したかったんだよね。部屋の外にはお父さんたちがいるけど、ここ完全防音だから何話してもバレないんだよね」
「話ってどうせバンドの勧誘でしょ。別にここじゃなくても...」
「いや、ここじゃないとだめ。今からする話は天野くん以外に聞かれたくないから」
星宮の表情からはさっきまでと一変して笑顔が消えた。その事に驚いていると星宮は近くにあった椅子に座っていた。
「ちょっと待った。なんで前に一回あっただけの僕にそんな大事な話をするの」
僕も近くにあった椅子に座りつつこういった。
「話したくないけど、話さないといけないからかな。天野くん、このままだとつまらない人生送っちゃいそうだし」
「勝手につまらない人生になるって決めつけんなよ。だいたい僕の何がわかるって言うんだ」
「あ、ごめん。つまらない人生って言う言い方は悪かった。でも、天野くんも知らないんじゃないかな。眼の前で『もっと人生を楽しめたのかな』って言われる辛さを」
何を言っているんだ。もっと人生を楽しめたのかなってなんだよ。こいつに何があったんだ。
「私ね。間接的にだけどね、いじめちゃったことがあるんだ。私がもっと言葉を気をつけていたら、他の友達に気を使っていたら、きっと起きなかっただろうけど。まあ、正直このことはどうでも良くて...いじめちゃった子が不登校になっちゃて、せめての思いで、贖罪をしようと思って、会いに行ったの」
言葉が出ない。これはきっと不用意に踏み込んじゃいけない領域だ。もうこれ以上この領域にいたくないのに、体が重い。
「でもその子はその子自身の部屋にはいなかった。代わりにベランダにいて体を投げ出そうとしていたの。止めようとしたけど、遅かった。急いで下に降りて近寄ったら、こういったんだよね。『やっぱり、燈は優しいね。なんで信じられなかったんだろう。こんなに心配してくれる人がいるって分かってたら、こんなことしなきゃよかった』って」
「...星宮さん、これ以上は話さなくていい」
星宮は話しながら、静かに涙を流している。なんで、辛いはずなのに話し続けるんだ。
「心配してくれてありがと。でも大丈夫だから。とにかく話したかったことを言わせて。私は天野くんに後悔してほしくないの。私がいじめちゃった子みたいに。まあでもこれは建前になっちゃうのかな。本当はただ、趣味の合う友だちが欲しいだけなのかも。でも、だとしても、後悔してほしくないっていう感情が嘘なわけじゃない。なんか、姿が重なっちゃうんだよね。天野くんとなおちゃんが......」
「......なんとなく状況はわかったよ。だけど、僕に過去を押し付けないでほしいっていうのが正直な感想かな。僕程度の人間じゃその過去を背負いきれない」
「天野くんってさ、自分を過小評価し過ぎじゃない?別にあなたは話の途中で逃げることもできた。そもそも、話す前だったとしても私の手を振り払えばいつでも逃げられたでしょ。なのに天野くんはしなかった。天野くんは優しいし、私の過去を必死に受け止めようとしてるよ」
星宮さんは涙を拭い、立って僕のもとに近づく。
「私はそんな天野くんだからお願いしたい。...改めて言わせて。一緒にバンドしよう。楽しもう、この世界を」
とても明るくとても強い言葉だ。僕はどうしろっていうんだ。ここで仲良くなっても仲違いするかもしれない。そうなったら僕はもう通信制高校すらいけなくなる。はあ、でも、こんな事言われたら...出さなきゃいけない答えは一つだ。
「僕は『たらふく』のバイトとしてお弁当を配送しなければならなかったのに、あろうことかお客さんに弁当を持たせて、直接道案内を受けてここに配送した」
「え、天野くん。何を言ってるの。そもそも...」
「と に か く、僕はあなたに恩を返さないといけない。だから付き合うよ」
「え、それって一緒にバンドしてくれるってこと。ありがとう」
へ、突如として僕の視界は星宮で覆われた。ちょ、顔に柔らかいものが当たってるって。
「あ、ごめんね。つい感極まってやっちゃった。こういうところがいけないのに」
そう言って星宮は急いで離れていった。
「とにかく、これからよろしくね天野くん」
そう言って、星宮は手を差し伸べる。
「こちらこそ」
僕はその手を強く、握った。
ここから僕の新たな物語が始まることになった。




