第一節 イントロ
ザーザー
外は雨の音で埋めつくされている。憂鬱な朝だ。それでも体を起こさなければならない。ため息をついてしまう。
「正舞、起きなさい。今日は初めての登校日でしょ」
母の声が聞こえる。
「は〜い。今起きます」
なんとか体を起こし、部屋を出て、リビングへ向かう。今日から学校が始まるわけではない。しかし今日は顔合わせをするために春休みにも関わらず学校にいかなければならないのだ。
その学校は中学の頃とは明らかに違う。そして、この学校、通信制の昇騰高校に行くという事実が、自分が普通でなくなったことを認めるようで、嫌で仕方ない。
いや、嫌という言葉で片付けては良くないだろう。でも良い言葉が見つからない。
そんな事を考えていると、眼の前には朝食が並んでいた。どうやら頭がどれだけ考えていても、体は普段の生活をしようと勝手に動くようだ。
そのまま、いただきますとだけいい、朝食に口をつける。いつもの味を感じて少し安心できたような気がした。
「おはよう、正舞。体調はどう」
母が自分の目の前にも朝食を置き、優しく声をかけてきた。
「おはよう、お母さん。今日はあんまり良く眠れなかったけど、体は大丈夫だよ」
「そう。今日は無理して学校にいかなくていいからね」
少し視線を落としながら言う。
「大丈夫だよ。今まですんごく無理をさせてきたんだから。でもきっとこれからは大丈夫。お母さんとお父さんみたいになれるように頑張るから」
口角が震えながらも少し上げ、答えた。
「無理なんてしてないからね。お母さんが正舞のために頑張るのは当然のことなんだから。私達に気を使わなくていいのよ」
「分かったよ」
何度同じ言葉を聞いただろうか。確かにお母さんからしたら、当然のことなのかもしれないけど、僕からしたらそうはいかない。
「じゃあ、お母さんはもう行くから。何かあったら連絡してね」
いつの間にか朝食を食べ終えており、仕事に行く準備をしていた。
「うん、分かった。いってらっしゃい」
そう言って、僕も少し食べるペースを上げ、朝食を食べ終える。その後、皿を流しに置き、お母さんの分も含めて、洗ってしまう。4月に入ったとはいえ、まだ朝は肌寒いので、皿洗いは少し辛い。だからお母さんはいつもしなくてもいいというが僕からしたらそうはいかない。ただでさえ迷惑をかけているんだ。少しは親孝行をさせてもらいたいところだ。
ふと時計を見ると、出発予定時刻にかなり近づいていた。僕は急いで支度をし、今日のために母が買ってくれた洋服を着る。徐々にあったかくなっている中でのタートルネックは少し暑く感じるが、せっかく買ってもらった服なので、着る。
そして玄関の前に立つ。扉を開ければまたあの時の日常に戻ってしまうのではないかと心配になってしまう。だけれど、僕は変わらなければならない。お母さんやお父さんみたいな”普通”の人間になれるように。少しでも未来に向かえるように。なんとか心を落ち着かせ、僕は一歩、踏み出した。
慣れない電車と雨のせいで遅刻するかと思ったが、なんとか到着することができた。しかしそのせいでせっかくの新品の服が濡れてしまい、嫌な感触が体に当たる。軽く持ってきたタオルで体と服を拭きながら周囲を見回す。
これが同じ学年の人達か。意外と多いんだな。でもこれからこの人たちに積極的に関わろうとは思わない。どうせ、あまり会わないのだろうから。
「ようこそ、昇騰高校へ。私はあなた達の担任になる渡辺です。まあ私の名前はどうでもよくて、今日はここにいるみんなでゲームをして、仲良くなりたいなって思ってます。時間もないので早く始めちゃいましょう」
担任もいるんだな。話には聞いていたけれど、こうやって実際に見ると、少し驚いてしまうな。しかも、みんなでゲームをするのか。どんなものをするのだろうか。
「まずはこのくじを引いてください。そこには番号が書いてあります。その書いてある番号が書かれた班に移動してください」
渡辺先生は、そういいくじが入っているであろう箱を取り出した。
「では、近くの人から引きに来てください」
その言葉に従ってみんなくじを引きに行く。僕も、僕の番が来たので引く。さて数字は、5か。数字よりもどんな人が一緒の班なのか大事なんだけど。そう思いつつ、4つの机が集まってできている班の中で5という数字が書かれている班に移動する。同じ班の人たちはどうやらもういるみたいだな。
どうやらこの班は三人班のようだ。俺を除けば二人いて、向かい側に座っている。一人は、青のデニムに、白のインナー、そして青のトップスを着ており、あまり関わりたくないタイプの人間ではなさそうだと感じる。あと一人はラベンダー色のズボンに、黒のシャツを着ていて、少し大人っぽい印象を感じる。二人の顔はとてもじゃないが見ることはできなかった。
「それぞれの班に移動し終わったかな。それじゃあ早速、自己紹介すごろくを始めるために必要なものを配るのとルールを伝えますね。それぞれの班の番号が書かれている紙を裏返してみてください。それが、マップになります。そして今から各班にダイスと班員分のコマを配ります。これを使ってゲームを進めてください」
そう言って渡辺先生は、さっき言っていたものを手際よく配っていく。
「ルールは一般的なすごろくとあまり変わりません。しかしマスに書かれていることが、それぞれの個性を他の人に紹介するための質問になっています。ただ、いちばん大事なのは他の人の個性を笑わないことです。ルールは以上。質問はありますか?...ないみたいですね。では始めましょう」
渡辺先生の説明が終わり、みんな小さな声だが一斉に話し始めた。僕の班も例外なく、
「まず名前だけでも、言ったほうがいいよね。じゃあまず私から。私の名前は星宮燈。燈って呼んでね」
星宮と名乗った女の子は名前通りの明るい声でそういった。
「星宮さん、少し言いづらいんだけど、最初の絶対止まらなきゃいけないマスにまずは名前を言ってみようって書いてあるよ。だから、名前の紹介は今じゃないんじゃないかな」
少しモジモジしながらもあと一人の女の子はそう答えた。
「あ、ホントだ。またやっちゃったや。でも、もう私言っちゃったし、二人の名前をどう呼べばいいかわからないから、先に言っちゃお」
「うん、そうだね。それがいいかも。・・じゃあ私が言うね。私は風見...風見って呼んでくれると嬉しいな」
名前の部分は声が小さすぎてうまく聞き取れなかったな。でも星宮さんとは真逆に大人しくて、少し奥手な子みたいだな。でも次は自分の番か。第一印象というものはすごく重要だ。せめて変な人と思われないように頑張らないと。
「じゃあ、次は僕の番かな。僕の名前は天野正舞。天野って呼んでほしいな。よろしく」
うまく言えているだろうか。よくわからないがとりあえず言い切ることはできた。
「天野くんと、風見ちゃんね。よろしく。ふたりとも。じゃ、とりあえず順番決めちゃお」
星宮さんはそう言ってじゃんけんを始めようとしている。すごく積極的な人なんだな。僕も...いや今これを考えるのは違う。とりあえず今はゲームに集中して、変な人に思われないようにしないと。
僕の思いはうまく届き、特に何事もなくゲームが進んでいった。少し心配していた質問の内容も、『好きな教科は?』、『山と海はどっちは好き?』などかなり、よく聞く質問ばかりであった。残るマス数も10マスほど。必ず止まらないといけないマスがあるから、すぐには終わらないだろうけど、もう終盤だ。早く終わらせよう。そう思いつつ僕はダイスを転がした。
「え〜と、6だ。あ、でも必ず止まらないといけないマスがあるから進むのは2マスだけだね」
星宮は体を乗り出し、遠くに行ってしまったダイスを拾いながら、こういった。俺は拾ってくれている間に、コマを動かし、質問を読む。『趣味は何?』か。ここに来て少し難しいのが来たな。どう答えるかでそうとう印象が変わる。まあここは当たり障りのないように、
「僕は音楽かな。家にいるときはたいてい音楽を聞いてるよ」
「え、音楽が好きなの。なにか弾ける楽器とかある?」
「あ、ピアノを少し」
しまった。言う気なんてなかったのに、勢いにびっくりして言っちゃった。
「え、そうなの。へ〜私も音楽好きなんだ。ねえ...」
「は〜い、そこまでで、一旦やめてください。今日はここまでです。少し、ここからは嫌かもしれませんが、これからの生活のためのオリエンテーションを行いたいと思います」
た、助かった。これ以上なにを聞かれるかわからなかったから、本当に良かった。
「えー。もう終わりか。あ、天野くん。オリエンテーションが終わったらちょっと待っててね」
星宮はそれだけ言って、先生たちが、案内するこれからオリエンテーションが行われるであろう場所に向かっていった。嵐のような人だ。もうこれ以上関わりたくないな。風見さんは紙を片付けつつ、ギターのようなキーホルダーを強く握っていた。
かなり長めのオリエンテーションが終わり、体は疲労に包まれていた。今日は軽く遊んで終わると思っていたので、メンタル的な疲弊も大きい。星宮さんと会いたくもないし、今日はさっさと家に帰って、早く寝よう。そう思いながら、駅までの道のりを歩もうとしていたとき、隣からすごくいい匂いがした。なんの匂いだろう。そう思ってしまったのが良くなかったのかもしれない。
「あ、やっぱり天野くんだ。待ってくれてたんだ。ありがとう」
まじか、会ってしまった。このままだと絶対変なことに巻き込まれる。でも、逃げるのは無理だ。前に人がいすぎる。しかたない。ここはどうにかして切り抜けよう。
「ああ、うん。そうだよ。それで、用事は何?」
少し無愛想に思われるかもな。眼と眼をあわせずに言っているし。それでも、なんとか自分の怒りは隠せていると信じたい。
「単刀直入に言うね。私とさバンド組まない?」
何を言ってるんだ。理解できない。こんな落ちこぼれが集まるような場所に来て、恩を返すために、少しでもバイトをして、家にお金を入れるでもなく、ただ迷惑しかかけないバンドをする?本当に何を言ってるんだ。こんなのを聞かれたとしても答えなんて決まっている。
「ごめん。これからはバイトを頑張りたいんだ。だからその話は受けられないな」
俺はそういったのに、
「えー本当にお願い。ほんとうの意味で、一生に一度のお願い。一緒にバンドしよう。楽しもうよ。高校生活を」
ちょ、近い近い。肩を掴まれて、無理やり眼と眼を合わされ、少し青みがかった、目が視界に入る。とても可愛らしい顔立ちをしているなと思った。
「すごくやりたい意思は伝わってくるんだけど、なんで僕なの?別にキーボード弾ける人なんてどこにでもいると思うけど」
僕は目を少し逸らしつつこういった。
「あ、ごめん近かったよね。それで理由か。正直、理由はほぼないかな。直感的になんか良さそうって思ったんだよね。それに、せっかく、こういう自由に使える時間が多い、よさそうな場所に来たんだから、ずっとやりたかったバンドしてみたいってのもあるかな」
「ごめん。そもそも考え方が合わなそうだ。この場所に来たからせっかく、よさそうな場所?冗談じゃない。こんな落ちこぼれが集まる場所に来て、何がせっかくだ」
しまった。つい感情的になってしまった。こんな事言うつもりなんてなかったのに。
「ごめん言い方が強かった。でも、バンド話は受けられないから。じゃあね」
僕はそう言って星宮さんに背を向け、足早に駅の方に向かおうとした。だけど、手首から柔らかな手の感触が、伝わってくる。
「天野くん、落ちこぼれが集まるって表現は良くないんじゃないかな。まだ、天野くんはここでの生活をほとんど過ごしてないのに、なんで落ちこぼれが集まる場所って、決めつけちゃうの」
先程までの明るい声とは正反対に、少し落ち着いた、いや、淡々と怒るように言葉を紡いでいる。
「というかそもそも、もしここが落ちこぼれが集まる場所だとしても、この場所にも良さはある。それにさ、絶対、人生をもっと楽しまないと、死ぬときに後悔する。あの子みたいに...とにかく一緒に楽しもうよ。この場所を、この人生を」
そう言って、僕に手を差し伸べてきた。俺はその手を取ることなんて、できなかった。僕は、星宮が差し伸ばした手を完全に無視し、人を押しのけながら、急いで駅に向かった。




