第七十三話 大橋の歴史
巨鳥が去ったという話は、驚くほど早く村中へ広まった。
谷底の村は大きい。
それでも噂というものは、風より速い。
朝には知らなかった者たちも、昼には皆知っていた。
魔物を傷つけず追い払った人間たち。
その中には、魔王ナタージャが認めた勇者がいること。
そして。
その人間たちと共に旅をしている白い魔族がいること。
村中がその話題でもちきりだった。
翌日。
ラグナたちは村長の家へ招かれていた。
谷底の村でも一際大きな石造りの建物。
応接室へ案内されると、村長は穏やかな笑みを浮かべた。
「改めて礼を言わせてほしい」
深く頭を下げる。
「巨鳥の件、本当に助かった」
ラグナは慌てて手を振る。
「いや、そんな大したことじゃないって」
「そういう訳にはいかんよ」
村長は苦笑した。
「村の者ではどうにも出来なかったのだからな」
ルミナスが静かに首を傾げる。
「なぜ討伐しなかったのでしょうか」
村長は少し考える。
「魔物もまた、この地に生きる存在だからだ」
その答えにライカが反応した。
小さく目を見開く。
村長は続けた。
「もちろん危険な時は戦う」
「だが、可能なら追い払う方が良い」
ラグナは笑う。
「俺たちと同じだな」
村長も頷いた。
「ナタージャ様の教えでもある」
その言葉に一同は静かになる。
やがて。
話題はユリウス領へ移った。
村長は窓の外を見ながら言う。
「お前たちは、ユリウス領へ行くのだろう?」
ルミナスが頷く。
「その予定です」
村長は本棚から一冊の本を取り出して言った。
「ならば知っておいても良い話だ」
「大昔、まだユリウス領がユリウス領と呼ばれる前」
「砂漠には人間の大国が存在していた」
エルが驚く。
「人間の国だったの?」
「ああ」
村長は頷いた。
「今も砂漠には強力な魔物が多い」
「だが当時の人間たちも強かった」
「魔物と戦いながら都市を築いていた」
リオンが静かに耳を傾ける。
村長は続けた。
「そして、その地で勇者が見つかった」
ラグナが身を乗り出す。
「勇者……」
「そうだ」
「その勇者を北へ送り出すため建設されたのが大橋だ」
谷を越える巨大な橋。
人間たちは何年もかけて橋を築いた。
その間。
魔族たちは橋の建設を阻止しようとした。
人間たちは勇者を送り出そうとした。
争いは絶えなかった。
それでも橋は完成した。
そして。
勇者は橋を渡った。
魔王討伐のために。
「その後どうなったの?」
エルが聞く。
村長は首を振った。
「勇者のその後は分からん」
「だが数年後」
「橋は壊された」
一同が息を呑む。
「当時の魔王によってな」
ライカが静かに俯く。
村長は続けた。
「だが今ある橋は別だ」
「ナタージャ様が再建した」
「必要なものだと判断されたからな」
ルミナスが呟く。
「魔王が……橋を」
「うむ」
村長は笑った。
「昔なら考えられん話だ」
話が終わった頃には昼になっていた。
ラグナたちは礼を言って村長の家を後にした。
外へ出る。
相変わらず村は賑やかだった。
市場からは笑い声。
鍛冶場からは金属音。
砂浜からは子どもたちの声。
谷底とは思えないほど明るい。
エルは早速走り出した。
「あっち行こう!」
「ちょっと待って」
リオンが慌てて追いかける。
ラグナは笑った。
「元気だなぁ」
市場を歩く。
果物。
魚。
布。
宝石。
見たこともない品が並んでいる。
ライカは足を止めた。
小さな店先。
色とりどりの宝石が並んでいた。
青。
緑。
赤。
紫。
光を受けて輝いている。
ライカは静かに見つめる。
そして。
無意識に胸元へ触れた。
深海色の刻。
自分たちにとって命そのもの。
だが。
ここでは商品として並んでいる。
その違いが不思議だった。
「綺麗ですね」
ルミナスが隣で言う。
ライカは頷く。
「……うん」
「好きですか?」
少し考える。
そして。
「分からない」
ルミナスは首を傾げた。
「分からない?」
「わたしたちにとっては、宝石じゃないから」
ルミナスは少しだけ考えてから微笑んだ。
「なら、これから知れば良いのではないでしょうか」
ライカは静かに目を瞬いた。
少し離れた場所。
ラグナは子どもたちに囲まれていた。
「剣士のお兄ちゃんだ!」
「巨鳥を追い払った人!」
「すげー!」
ラグナは困った顔をしている。
「いや、別に俺だけじゃねぇし……」
エルはそれを見て笑った。
「人気者だねぇ」
リオンも苦笑する。
「ラグナらしいよ」
夕方。
谷の上から差し込む光が少しずつ赤く染まっていく。
市場も店じまいを始めていた。
ラグナたちは広場へ戻る。
村の中心。
石碑のある広場だ。
そこから見上げる空は細く長い。
谷の向こうに小さく見える赤い空。
ライカはそれを見上げた。
遠い。
けれど。
海底神殿の天井よりずっと近い。
「どうした?」
ラグナが聞く。
ライカは少しだけ考えて答えた。
「……空が近い」
ラグナは笑った。
「そっか」
それだけだった。
理由も聞かない。
説明も求めない。
ただ隣に立つ。
ライカはその静かな優しさを感じながら、もう一度空を見上げた。
明日には関所を抜ける。
その先にはユリウス領。
そして。
リリアナの刻の気配を感じる方角。
胸元の刻をそっと握る。
不安もある。
怖さもある。
それでも。
今は一人ではなかった。
夕日に染まる谷底の村を見渡しながら、ライカは静かに目を細めた。




