第六話 外していた矢
夕方の光が、村の裏手の広場をやわらかく染めていた。乾いた土の匂いと、遠くで燻る薪の煙。その中に、一定のリズムで弓弦の音が響く。
ヒュン――。
矢が放たれ、木の的のすぐ横をかすめて地面に刺さる。
「……また外れた」
エルが軽く舌を出して笑う。
その少し後ろで、ラグナは腕を組んで立っていた。隣ではリオンが静かに見守っている。
「惜しいね、今の……」
リオンがやさしく声をかける。
「でしょ?もうちょいなんだけどなー」
エルはそう言って、次の矢をつがえる。姿勢は悪くない。足の開き、重心、弓を引く腕の動きも安定している。
ヒュン。
また外れる。
今度は的の反対側。先ほどとは逆方向に、わずかにズレていた。
ラグナの視線が細くなる。
「……なあ」
三本目の矢を構えたところで、ラグナが声をかけた。
「ん?」
「もう一回やれ」
「いいよー」
エルは素直に頷く。深呼吸して、狙いを定める。
弓を引き、止める。その一瞬、指先がほんのわずかに動いた。
放つ。
ヒュン――。
矢はやはり、的の外へ。
ラグナは小さく息を吐いた。
「やっぱりな」
「え?」
エルが首をかしげる。
ラグナはゆっくりと歩み寄り、地面に刺さった矢を一本拾い上げる。
「今の、当たる軌道だった」
「え、そう?」
「最後にズラしただろ」
空気が一瞬、止まった。
エルの表情が、ほんの少しだけ固まる。
「……ズラしてないよ?」
「いや、ズラしてる。三本とも」
ラグナの声は淡々としていたが、確信が混じっていた。
リオンが戸惑いながら二人を見る。
「……本当に?」
しばらく沈黙が続いたあと、エルはふっと視線を逸らした。
「……バレるんだ、やっぱり」
小さな声だった。
ラグナは何も言わず、続きを待つ。
エルは弓を下ろし、足元の土を軽く蹴る。
「だってさ」
ぽつり、と。
「当たったら、壊れちゃうじゃん」
ラグナが眉をひそめる。
「的だぞ?」
「的でも、やなの」
エルは顔を上げないまま続ける。
「なんかこう……当たった瞬間に、壊れる感じがして。木でも、石でも、なんでも」
リオンが小さく息を呑む。
エルの声は、さっきまでの明るさとは違っていた。
「だから、当たるって分かったら……ちょっとだけズラすの」
「……」
ラグナはしばらく黙っていた。
やがて、視線を落とし、足元を見回す。
転がっていた小さな木の実を拾い上げる。指で押すと、少し弾力があった。
「エル」
「なに?」
「次、それでやれ」
そう言って、矢の先に木の実をぐっと押し込み、布を巻き付ける。
「え、それ……」
「柔らかいだろ。これなら壊れねえ」
エルは少し戸惑いながらも、矢を受け取る。
「でも、これじゃ飛ばないんじゃ……」
「いいからやれ」
ラグナは数歩下がり、的の前に立った。
「え?」
「俺を狙え」
「はあ!?なんで!?」
「当たっても平気だろ、それなら」
「いやいやいや、でも人だよ!?」
「いいから」
短く言い切る。
リオンが少し慌てて口を挟む。
「ラグナ、それはちょっと……」
「大丈夫だ。痛くねえよ」
「これは壊れねぇ」
にやりと笑う。
「頑丈だからな」
ラグナは軽く胸を叩いた。
エルはしばらく迷っていたが、やがて観念したように弓を構える。
「……ほんとに知らないからね?」
「いいから射て」
深呼吸。
狙いを定める。
さっきまでと同じ動き。けれど――今度は、ズラさない。
放つ。
ぽすっ。
鈍い音とともに、矢がラグナの胸に当たり、地面に落ちた。
「……当たった」
エルが呟く。
ラグナは何事もなかったように矢を拾った。
「ほらな」
その一言は、妙にあっさりしていた。
エルは弓を持ったまま、しばらく動けなかった。
「……当たるんだ」
「最初から当てられてた」
ラグナが言う。
「外してただけだ」
エルの目が揺れる。
リオンがそっと近づいた。
「すごいよ、エル……ちゃんと狙えてたんだね」
その言葉に、エルの肩がわずかに震えた。
「……ありがと」
小さく笑うが、目の端が少しだけ赤い。
ラグナはそれを見て、ふっと視線を逸らす。
「次は的にやれ。壊れねえから」
「うん……やってみる」
エルはもう一度矢をつがえる。今度は迷いが少ない。
ヒュン――。
矢はまっすぐ飛び、的の中心に当たった。
軽い音が響く。
壊れたりは、しなかった。
エルは目を見開いたあと、ぱっと笑った。
「当たった!」
「だから言っただろ」
「うん!」
リオンも嬉しそうに笑う。
夕焼けの中、三人の影が少しだけ近づいていた。
壊さないまま、届くものがあると知った瞬間だった。
的に当たった矢を、エルはしばらく見つめていた。夕焼けがその背中を染める。
「……ねえ」
振り返る。ラグナとリオンを交互に見て、少しだけ息を吸う。
「二人、これからも旅するんだよね」
「ああ」
「うん。まだ行くところ、いっぱいあるよ」
エルは指先で弓をなぞった。さっきの手応えが、まだ残っている。
「……あたしも、行っていい?」
言ってから、少しだけ不安そうに笑う。
「ちゃんと当てられるようになりたいし。壊さないで戦う方法、もっと知りたい」
ラグナは肩をすくめた。
「好きにしろ」
そっけない一言。けれど拒む気はない。
リオンはぱっと顔を明るくする。
「大歓迎だよ、エル!」
その言葉に、エルはふっと力を抜いた。
「じゃあ決まりね!」
弓を背負い直し、夕焼けの空を見上げる。
外さなくてもいい旅が、ここから始まる。




