第十一話 剣を振る理由
2026.10.10改訂しました
町へ入ると、荷車の軋む音が聞こえた。
店先で野菜を並べる人。
籠を抱えて行き交う人。
森では聞かなかった声が、あちこちから重なってくる。
ラグナは道の端へ寄り、懐の小袋を確かめた。
中の硬貨は、心もとない音を立てた。
「……少し、稼いでいくか」
「食べ物も買い足したいね」
リオンが頷く。
「あと、布も欲しいな。矢に使う分、少なくなってきたし」
エルの言葉に、ラグナも自分の荷物へ目をやった。
「ああ。じゃあ、何か探そう」
三人は広場の掲示板へ向かった。
荷運び。屋根の修繕。森での採集。
何枚もの依頼書の中に、魔物の討伐を頼むものがあった。
ラグナはその紙へ手を伸ばした。
「町の北に出る魔物、か……」
場所と報酬に目を通す。
ここからなら遠くない。
三人分の食料を買っても、しばらくは余裕ができそうだった。
その横から、エルが別の紙を指した。
「あたし、こっちの方がいいなぁ」
「どれ?」
「森の木の実集め。ほら、干して粉にするんだって」
ラグナは指された依頼書を読んだ。
拾う実の特徴と、必要な量。
報酬は、討伐の半分にも届かなかった。
エルもその数字を見て、少し声を落とす。
「……お金は、少ないけど」
ラグナは二枚の紙を見比べた。
それから、討伐の依頼書から手を離す。
「三人で集めれば、今日中に終わりそうだな」
エルが顔を上げた。
「いいの?」
「ああ。足りなきゃ、また別の仕事を探せばいい」
「僕も、これがいいと思う」
リオンが紙を覗き込む。
「集めるものが分かってれば、手分けして探せるし」
エルは嬉しそうに笑った。
「よし。じゃあ、いっぱい集めよう!」
「指定された分だけな」
「分かってるって!」
三人は採集の依頼書を持って、依頼主の店へ向かった。
森の入口近くには、大きな木が何本も並んでいた。
根元の落ち葉を払うと、茶色い実が顔を出す。
依頼主に見せてもらった見本と、同じ形だった。
「これだね」
リオンが拾い上げる。
殻に穴がないか、傷んでいないか。
教わったとおりに確かめてから、借りてきた籠へ入れた。
隣では、エルが早くもいくつか集めていた。
「こっち、いっぱい落ちてるよ」
「お、ほんとだ」
ラグナもしゃがみ込み、落ち葉の下へ手を伸ばす。
実は見つけやすかった。
けれど、拾ったものがすべて使えるわけではない。
「あ、ラグナ。それ、穴が開いてる」
エルに言われ、掌の実を裏返す。
小さな穴があった。
「……よく見つけるな」
「食べるものだもん。ちゃんと見ないと」
ラグナは実を土へ戻し、次のひとつを拾った。
今度は籠へ入れる前に、指先で転がして確かめる。
少し離れたところで、リオンが落ち葉をかき分けていた。
転がり出た実を拾い、エルに見せる。
「これは?」
「うん、大丈夫そう」
籠の底で、ころりと音がした。
三人は互いの姿が見える範囲で場所を変え、実を集めていった。
木の根の隙間や、落ち葉の厚いところに、まだいくつも隠れている。
やがて、ラグナが腰を伸ばした。
「……ずっと屈んでるのも、結構くるな」
「さっきから同じ格好で拾ってるからだよ」
エルが笑う。
「剣振るのとは、使うところが違うんだな」
「休む? もう、かなり集まったよ」
リオンが籠を持ち上げた。
ラグナは中を覗き込み、頷く。
「一回、選り分けよう。足りなかったら、もう少し探せばいい」
三人で布の上に実を広げる。
紛れ込んだ葉を除き、傷んだものを取り分けた。
数を確かめながら籠へ戻す頃には、木々の間を抜ける光が傾き始めていた。
「これで、頼まれた分はあるね」
リオンの言葉に、エルが両腕を伸ばした。
「終わったー!」
ラグナは籠を持ち上げた。
ずっしりとした重みが、腕にかかる。
「よし。町へ戻ろう」
森を出ると、空が広く見えた。
なだらかな坂の向こうに、町の屋根が並んでいる。
三人は籠を分けて持ち、来た道を辿っていた。
しばらく歩いてから、リオンが口を開いた。
「ねえ、ラグナ」
「ん?」
「どうして、旅をしてるの?」
ラグナが横を向く。
リオンは籠の持ち手を握り直した。
「まだ、ちゃんと聞いてなかったなって。どこか、行きたいところがあるの?」
「……ああ」
ラグナは前へ目を戻した。
「魔王のところを目指してる」
エルの足が、一歩だけ遅れた。
「魔王って……魔王城?」
「ああ」
「……倒しに行くの?」
ラグナは首を横に振った。
「俺は勇者じゃない。魔王は討てないよ」
淡々とした返事だった。
リオンとエルが、顔を見合わせる。
「じゃあ、何をしに?」
エルに尋ねられ、ラグナは少し黙った。
籠の中で、木の実が擦れ合う。
「……何ができるか、探しに」
「探しに?」
「魔王のところまで行って、俺に何ができるのか。まだ分からないんだ」
エルはラグナを見た。
冗談を言っている顔ではなかった。
ラグナは歩きながら、ぽつりと続けた。
「俺、昔のことを覚えてないんだ」
リオンが顔を上げる。
「昔って……?」
「八歳より前のこと。生まれた村が魔物に襲われて、倒れてた俺を、育ての親が助けてくれたらしい」
語れるのは、聞かされたことだけだった。
どんな村だったのか。
そこで誰と暮らし、何をしていたのか。
思い出そうとしても、何も浮かんでこない。
「そのとき自分がどうしたのかも、分からない。誰かを助けたのか、逃げたのかさえ」
ラグナは持ち手を握る自分の手へ目を落とした。
「でも、助けてもらわなきゃ生きてなかった。それは分かる」
二人は黙って聞いていた。
「小さい頃は、勇者になりたかったんだ。魔王を倒して、魔物に襲われる村がなくなればいいって」
風が、道端の草を揺らした。
「……でも、なれなかった」
ラグナは言って、少しだけ息を吐いた。
「剣を振ったらなれるわけじゃない。それが分かってからも、やめられなかった」
「ずっと、練習してたの?」
リオンが尋ねる。
「ああ。十年くらい」
「十年……」
エルが小さく繰り返した。
「最初は、剣をまともに振るのも難しかった。けど、続けてたら、魔物を倒せるようにはなった」
ラグナの腰で、鞘が揺れた。
「勇者にはなれなくても、前よりできることは増えたんだ」
その声には、わずかな確かさがあった。
「だから、村を出てみようと思った。魔王を討てなくても……何か、できることがあるんじゃないかって」
「それで、魔王城へ?」
「ああ。魔物のことも、魔族のことも、俺は知らないことばっかりだしな」
ルナの顔が浮かんだ。
初めて見たときは、魔族だというだけで足が止まった。
けれど別れるときには、また会う約束をしていた。
「行ってみなきゃ、分かんないだろ」
ラグナはそう言って、二人を見た。
「……はっきりしなくて悪いな」
リオンは首を横に振った。
「ううん。聞けてよかった」
少し考えてから、続ける。
「僕は、ラグナが旅に出てくれてよかったよ」
ラグナは目を瞬かせた。
「あの城に来てくれたから、僕も外へ出られたんだ」
「お前が来たいって言ったんだろ」
「うん。でも、ラグナが一緒に来いって言ってくれたから」
リオンは笑った。
ラグナは何か返そうとして、口を閉じた。
それから、少し気まずそうに前を向く。
「あたしもだよ」
エルが横から顔を覗かせた。
「弓のこと、あんなふうに考えてくれる人がいるなんて思わなかったし」
「あれ、まだ直してる途中だけどな」
「そういうことじゃなくて」
エルは少し笑う。
「壊したくないって言ったときに、一緒に考えてくれたでしょ。それが嬉しかったんだよ」
ラグナは籠を持ち直した。
「……そうか」
返事は短かった。
けれど、二人の言葉を退けることはなかった。
少し歩いてから、エルが続けた。
「ルナも、嬉しかったと思うよ」
「あいつは……」
ラグナは道の先を見た。
「目の前で怖がってたから。放っておけなかっただけだ」
「うん」
リオンが頷く。
「そのとき剣を持って前に立ってくれたから、僕はルナを助けに行けたよ」
ラグナの視線が、腰の剣へ落ちた。
十年、振り続けてきた。
勇者にはなれなかった。
魔王を討つ力も、得られなかった。
それでも、ルナと男たちの間に立つことはできた。
鞘に触れかけて、手を止める。
今は両手に、木の実の入った籠を持っていた。
「……俺も、一人じゃ危なかったよ」
ラグナは言った。
「リオンに治してもらったし、エルの歌にも助けられた」
「じゃあ、お互いさまだね」
エルが笑う。
リオンも頷いた。
ラグナは二人を見て、ようやく少し笑った。
坂を下ると、町の入口が近付いてきた。
荷車が一台、三人を追い越していく。
道の端へ寄った拍子に、リオンの籠が小さく揺れた。
「重くないか?」
ラグナが尋ねる。
「大丈夫。もうすぐだし」
「落とさないでね。せっかく三人で拾ったんだから」
「分かってるよ」
リオンは笑って、持ち手を握り直した。
エルが町の方へ鼻を向ける。
「あ、パンの匂いする」
「まず届けるのが先だぞ」
「分かってるって。ラグナこそ、お腹すいてるでしょ?」
「……すいてる」
二人が笑った。
三人の籠には、選り分けた木の実が詰まっていた。
それを揺らしすぎないように歩きながら、依頼主の店へ向かう。
ラグナの剣は、朝から一度も抜かれないまま、腰で静かに揺れていた。




