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月光が照らす君が割ったのはアヤカシ者か俺の心臓か〜ありきたりな現代奇譚〜  作者: 貝月 恵芙


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第十九話 わからないことに揺れる水面

…ちゃん。…ちゃん。時間よ。起きなさい。」

なんだ。おれの名前じゃないけど…。

名前以外に違和感はなかった。閉じた瞳に届く朝の光と小さな鳥の声。

ベットの中の心地よさ。

「起きてるから。」

ただ、耳に入ってきたのは自分のものではない高い声。もぞもぞと布団から這い出る体の軽さを感じ、これは自分の体ではないことを実感する。

異住人の中。

さっきまでの記憶と今がつながる。

でも、なんだろう。何か違う気がしてならない。

「母親の異住人らしいの…。」

鈴葉の声が聞こえた。

そうだ。母親だって言ってた。でも、これは。

どう感じても、今おれがいるのは大人ではない。それにさっき名前を呼ばれて目が覚めた。

どういうことだ?

「ゆずきちゃん。起きてるの?」

ゆずきと呼ばれたこの子はその声にぴくりと反応する。

「起きてるってば。」

開きかけたドアのを内側から勢いよく開く。

驚いた母の顔があった。

「びっくりした。起きてるなら言ってよね。」

あの声では部屋の外までは届かないはずだから、当たり前の言い分だ。

「いちいち見にこなくていいから。寝坊したことないでしょ。」

母の顔を見ずに言う。手元は学校鞄を触って準備をしているような素振りを見せているがそんなの昨日の夜にとっくに終わらせている。

ゆずきの中にいる奏には手に取るように分かる。

中に入るとその人の思考を完全にリンクさせることができるのだ。

「でも、今日は寝坊するかもしれないじゃない。」

にこやかに言う。

ゆずきのこういった反応はいつものことなのだろう。

「ご飯出来てるわよ。」

なんでもない朝の会話の様子で母は部屋を後にした。

部屋に残ったゆずきが一言つぶやいた。

「また、でも。」

奏にその意味はわからなかった。

次の場面は夕食の時間だろうか。すでにゆずきは食べ終えているようで、リビングのソファで横になってスマホを見ていた。

やはり、異住人である母親のほうではなく、ゆずきの中に奏はいた。

「ゆずきちゃん。見て。今日ママが買ってきてあげたわよ。」

急に母がゆずきのスマホを奪いテーブルに置いた。いくらなんでも急すぎやしないか。そんな母が手にしているのはピンク色のスカート。ふわふわした素材が女の子らしいデザインだ。

ゆずきはスマホを突然奪い取られたことには反応しなかった。

「私、そんなの好きじゃないよ。知ってるでしょ。」

そう言うとさらりとスマホを取り戻し再び目を落とす。

ゆずきが今着ているのはピンクとは対照的な青いスキニーパンツだった。

「そんな無駄なもの買わなくてもいいよ。」

「でもあなたにはこれ、よく似合うと思うわよ。ママがそう思うんだから。」

ゆずきの心の中がチリチリと音を立てて軋む。

なんだろう。

何気ない親子の会話である気はする。こんなやりとりはどこの家庭でもあること。

でも。

この親子の間には、他の家族にある決定的なものが欠けている気がしてならない。

「今度の日曜日に着てね。」

そう言うとスカートをゆずきの隣に置いて離れていく。

ゆずきはそのスカートには目もくれず、スマホを見ていた。ただスマホを握っていた手は力が入りすぎて白くなっていた。

それからいくつか場面が変われど、同じようなやりとりが繰り返されていく。

ある時はお弁当。

ゆずきはその日は友達と食べたいからいらないと断りを入れていたにも関わらず、朝になると弁当が用意されていた。ゆずきが一言言葉をかえすと

「でも、栄養がちゃんと取れていいでしょ?」と押し付けられる。

ある時はスニーカー。

ゆずきが履いていた白いスニーカー。真っ白が嫌で少し汚れがついていてもあえて拭き取らずに置いていた。いい感じに履きこなせてきたと思っていたある日。朝学校へ行こうと玄関に行くと真っ白なスニーカーが置いてあった。驚いてゆずきは母に尋ねた。

「私のスニーカー知らない?」

「玄関にあるでしょ。どう?とっても綺麗になったでしょ?」

まさかあれが自分のスニーカーなのかと絶望した。どうして真っ白ではダメなのか、自分の好みがどういうものかを説明した。

しかし、母は一言。

「でも、綺麗な靴じゃなきゃ。女の子なんだから。」

謝ることもなくそれで終わった。それどころかどこか誇らしい顔すらしていた。

ゆずきの心が更にささくれていくのが分かった。

それからもこの親子のすれ違う会話のシーンを何度となく見せられた。

服装をもっと暖かいものにしなさい。

ご飯の食べる時はこの順番が体にいいのよ。

そうやって母が言うたびにゆずきは自分の意見や意思を伝えている。しかし、返ってくる言葉はどれもそれを完全に否定する。

ゆずきに反論されても決して声を荒げたり、怒りを露わにしたりはしない。淡々とただ自分の意見のほうが正しいと疑わない。

ゆずきの言葉は耳に入らない。

ゆずきの中に入った最初に彼女が言った意味のわからない言葉。今なら完全に理解できる。

「また、でも。」

あれはなにを言っても聞き入れてはもらえないと言う意味だったのだ。

ゆずきは満足そうな母の顔を視線を向けずに心の中でいつも睨みつけていた。

しかし、そんな日々は突然に終わりをむかえた。

ゆずきの両親が親戚の付き合いで二人で出かけた帰り道、車で事故に遭い二人とも亡くなってしまったのだ。

ゆずきの父親が出てきたことはなかったが、ゆずきにとって大切な存在だったようでとんでもない程、心に穴が空いているのを感じた。

しかし、母親のことには一切触れない。心の中でその存在を思い出すこともなかった。

本当に母親を嫌悪していたのだろう。

奏の頭の中に直接そんな感情が流れ来るのは思った以上に辛かった。

あの不毛な問答から解放されたという安心すら感じているようだった。

親子の間にあった決して薄くない氷は割れる前に消えてなくなってしまった。

割れずに水になる可能性もあったかもしれないのに…。

そんなことを感じた瞬間。

きた。

いつもの、もういつもって感覚だよ。

ぐにゃりと世界というか奏の頭の中か?が曲がる。

意識が遠くなる。


「どうだった?」

すぐ近くで聞こえる鈴葉の声で意識を取り戻す。

目を開けると壁を背に座り込んでいる自分を鈴葉がしゃがみ込み覗き込んでいた。

近い…。

「見てきたの?あの異住人の可愛いそうな人生。」

もう彼女の嫌味にも慣れた。

「違ってた。」

「え?」

「あの異住人の中じゃなくて、多分娘?の中に吸い込まれた。」

「そんなことあるの?異住人の中じゃないなんてこと。」

怪訝そうに鈴葉が尋ねる。

「そんなに回数ないけど初めて。」

「そう…。」

経験が少ないことを馬鹿にされるかと思ったが鈴葉の興味はそこではないらしい。

「それでどうだった?」

「へ?」

「その娘の中よ。どんな感じだったの?」

「母親への恨みだらけだった…。」

思い出してしまう。嫌でも。あのピリピリとした空気感。

感じていないのは母親だけだったろう。

見たことと思ったことを鈴葉に話す。

「なるほどね。だからあの異住人は。」

鈴葉は納得のいった顔で上下に顔を振る。

奏には全く分からない。

「わかったのか?」

奏の問いかけには答えずに鈴葉はスマホを取り出し、電話んかけ始めてしまう。

「あ。鈴葉です。調べてほしいの。」

「おい。」

何も分からず進んでいくのが悔しい。

しかし、ちらりとこちらを見ただけで奏の不満を解決するつもりはないらしい。

「母親型の異住人の件。…そう。いいから。調べて。娘のこと。」

それだけ言うと一方的に電話を終える。

相手はなんとも不憫だ。

鈴葉にかかれば他人は全部なにかしらのツールなのかもしれない。悲しいが。

「吸っていい?あいつ。」

前方の異住人に視線を逸らさず見つめながら言う。

「なんでだよ。」

今の電話なんだったんだよ。

「適当にそんなこと言って。いいわけないだろ。」

なんとなくだけど、奏をからかっている気がする。わかる。

吸う気なんてない。

「そんなつもりないんだろ?」

鈴葉は表情を変えずに立ち上がる。

「わからないよ。そんなこと。」

両手を体の前に持っている仕草をする。それはあの時見せた異住人を手に吸い込む時のそれに似ていた。

「私はあいつらのバックグラウンドなんて知らないし、興味もないもの。

 私のすべきことは異住人をこの世の中から消滅させることなのよ?そのために理由なんて必要ない。

 だから、どうしてこうなったとか、どんな未練があってここにいるとかなんてどうでもいいの。」

ふっと息を吐くと、両手を下ろす。

「でも。」

視線の先はぶれないがその瞳の中が水面のように揺れている気がした。

「みんながあんたはすごいって言う。相模さんでさえ。どうして?わからないのよ。

 これまでそんな理由なんていらないって思ってやってきて、誰も反論してこなかった。

 みんなそれが当たりまえだって思ってるんだって。」

瞳の中と同じように鈴葉の心が揺れているのかもしれない。

「でもあんたが来て。特別な力で異住人を理解できるってわかったらみんなの考えが真逆になった。」

「おれのせいで?」

「あんたのせい・・・わからない。最初からみんなは私のやり方に疑問を持ってたのかもしれない。

 わからないのよ。」

うわっと前方で大きな声が上がり、鈴葉との会話は中断を余儀なくされた。

いつも間にか鈴葉の視線が異住人から外れていたことに今気がついた。

目の前では高校生らしい制服を着た男子二人が真っ青な顔でその場に凍りついていた。

怯えた目で見つめる視線の先にはさっきまでフラフラと揺れていたはずの異住人が二人の方を向いて

鬼のような形相で何かを叫んでいた。

「何が起こった?」

状況が全く理解できない奏。

しかし鈴葉は特に驚いた様子はなく

「またやったのよ。あの母親ずらの異住人が。」

やったとは?

「どこでも、誰にでもあいつは母親のように小言を言いながら悪意をばら撒いているのよ。」

鈴葉の異住人を見る目が険しさを帯びる。

「それを吸収し続けてるってことか。」

「そう。だからあいつは早く消さないともっと凶悪で私たちには手に負えなくなる。」

今にも高校生たちに飛びかかりそうなオーラを漂わせる異住人を奏はやりきれない思いで見つめていた。








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