とある男のプロローグ
「はぁ....................はぁ....................」
地面に重なってきた雪を踏み潰しながら歩く。
足元のロングブーツから氷と水が混ざったようなジョリジョリという感覚が伝わってくる。
帽子とロングコートにはひらひらと雪がまとわりつき、手袋や袖の隙間から侵入してくる冷気がとても冷たい。
俺の口から吐かれる吐息は真っ白に染まっていて、俺がいかに冷たい環境に置かれているのかがわかる。
俺自身が俯きがちにあるいているのもあり、地面の雪と吐息と雪で視界は真っ白。
黒のブーツだけが異様に黒く見えている。
手袋越しではあるけれどさっき買ったホットミルクコーヒーの缶だけが温かい。
時間は深夜。
道行く人は少なくて、俺と、せいぜい見たこともない人が騒ぎながら歩いているくらいだ。
建物の電気もほとんどついていなくて、明かりの灯る部屋にもカーテンやシャッターがかけられている。
高い建物もあれば低い建物もあれば。
雑居ビルの看板には全く違うジャンルが立ち並び、マンションの最下層にあるコンビニからは【24h】と、煌々と光が放たれている。
「どこ見て歩いてるんだ、てめぇ!?」
「..............................すみません。」
「ったく、前見て歩けよな。」
明らかに酔っている歩き方をした通行者とぶつかるのも、もはや日常茶飯事。
金属製の柵を錆の音を聴きながら開け、門をくぐる。
目の前にはボロボロの白いアパート。
新築だった頃はこの降り注ぐ雪と照明でそれなりによい景色を作っていたのかもしれない。
まあ、今となっては汚れや"すす"のほうが目立ってしまっているけれど。
階段で2階部分の階段へと登り、その一番端の部屋のドア前で止まる。
昔ながらのカードキーでロックを解除し、俺は部屋へと入った。
よし。
これで命を狙われることがあっても大丈夫だ。
さて、足りない栄養を補給したいから食事を..............................。
あっ、急に吐き気が。
........................................うっぷ。
「....................ッッ!!がはッ!!オ"エッ!!」
気が抜けたせいなのか、口内から血が溢れ出る。
意識が薄くなり、視界が歪む。
身体中が痛い。
筋肉が痛いというよりも、臓器からの痛みだ。たぶん。
腹のあたりに手を添えて、今日負った傷を確かめてみる。
....................こっちは治っている。
だとしたら、まだ内部の傷が治っていないのか。
口に蔓延する鉄の味。
床にしみ広がっていく赤黒く粘っこい液体。
四つん這いになり、痛みを感じながら傷の再生を待つ俺。
「....................もう、辞めたいッ........................................」
手袋の中が湿って気持ちが悪い。
四つん這いの体勢から床に肘をつけ、手袋を脱いでみる。
これは防寒としての手袋、そして血を隠すための手袋。
「うわ....................。」
手袋の中は血でドロドロだ。
まあ、帰宅する度に毎回こうなんだけれど、いつになってもいつになっても慣れない。
返り血や自ら拭った血を無理やり閉じ込めているから、手のひらに結晶のように固まった血が関節の自由な動きを制御してしまっている。
ふと口内に意識を向けると、先程まで体内から滲み出続けていた鉄の味が薄まっている。
舌で口内をまさぐってみれば、空いていた傷はだいたい塞がっているし、痛みも引いてきた。
「よし。」
立ち上がれそうなので立ち上がる。
さっき崩れかけてた平衡感覚もほとんど元に戻っていて、スタスタと問題なく歩けそうだ。
俺はロングブーツを脱ぎ、室内用のラフな靴に履き替える。
そして玄関より少し奥にあるスイッチをオンにし、室内に灯りをともす。
相変わらず、とても狭い部屋だ。
リビングルーム、キッチン、トイレと風呂の3部屋しかない。
一応、クローゼットはあるけど、そこにはナイフやら銃やら常温保存がオーケーな毒が大量に保管されている。
まあ、俺にはこのくらいで十分だ。
部屋が狭いから、手に持った荷物を投げれば、普段俺の過ごす場所へと楽々置くことができる。
俺は居場所と寝床を兼ねている長椅子に倒れ込む。
腕に着けていた、そこそこ重量のある黒い腕輪を外して近くの机に置き、その腕輪の電源をオフにする。
ここまで済まして、俺は長椅子の前に吊り下げられている鳥かごの主に話しかける。
「ただいま。」
かごの隣にある餌の袋の中身をパラパラと無造作に鳥かごの中の皿に盛り付ける。
鳥がかごの床部分に降りてきて皿の餌をつつくのを見届けると、俺自身も適当に買ってきた栄養食を口に放り込み、水で流し込む。
そしてポケットから端末を取り出し、雇い主に仕事が終わった旨の連絡をした。
俺の意識はミルクコーヒーを飲む前に、ここで途切れた。
俺はとてつもない物音で目を覚ました。
目を覚ました俺は宙ぶらりんになっていて、首を何かに掴まれて持ち上げられていることを理解した。
「かはッ!!!」
せっかく再生した喉がまた壊れ、口に鉄分の風味が広がる。
首に巻きついたそれは、動物の尻尾のようでもあり、植物のくきのようでもある。
とにかくそれは俺の首をガッチリと締め空中に持ち上げることで力を込めにくいようにしている。
それを引き剥がそうと手をかけてみたり、足をばたつかせて暴れてみたりしてみる。
「....................どれだけ動こうが無駄だ。生身のお前にこれは引きはがせん。」
ハッとしてその触手のようなものの根元に目を向けると、そこには大柄の人間..............................いや、人の形をした何かが立っていた。
背中の方からだろうか。
この触手はやつから伸びている。
せめて、アレに手が届けば....................ッ。
俺は手を伸ばし、机に置いた黒い腕輪に手を伸ばそうとする。
すると、俺のその思いに呼応したのように、あの鳥が籠の隙間から抜け出してその腕輪を抱えて俺に飛んでくる。
しかし。
「アース様が懸念していたのはそれか。」
もう1本、新たな触手が伸びてその鳥を刺す。
俺の希望の星である漆黒の腕輪もコトンと落ち、俺は抵抗のすべを失った。
「さて。今から私はこの喉を捻り潰す。当然、貴様の生命はここで終わりだ。」
「..............................ッ、ゲホッ!
き、君は..............................ッ、誰なんだ?!」
「それに答える義理はない。」
俺の心臓の場所に、さっき鳥を突き刺してドロドロの血をまとった針のような触手が当てられる。
皮膚が少し傷つき痛む。
..............................あぁ、そっか。
俺。
「ここで死ぬのか..............................。」
「物わかりが早くて助かる。」
その刹那、一陣の風がふいた。
俺の恩人となるその人物とともに。




