後編
妻子を一度に失った私は、生きる張り合いを完全に失くしてしまった。残された希望は、妻と子どもたちのところへ行くことだけ。なのに、それは許されない。まるで私の行動を予見したかのように、ミミは息を引き取る前に、「後を追わない」と私に約束させたからだ。
約束はしたが、外的要因による死なら「後を追った」ことにはならないんじゃないか。そんな後ろ向きな考えに支配されそうになった頃、葬儀の後片付けを手伝いに来ていた義父から、衝撃的な話を聞かされた。
それはミミの出自、およびミミと子どもたちの死因にまつわる話だった。
彼らは病死ではなく、毒殺されたのだ、と。
ミミと子どもたちの食べ残した菓子からは、毒物が検出された。その菓子は、我が家をたびたび訪れていた行商人から買ったものだと言う。その行商人には、私の異母弟が接触した形跡があったと、義父から聞かされた。つまりミミと子どもたちは、殺されたのだ。弟に。
私たちを陥れて王宮から追放しただけでは、飽き足らなかったと言うのか。それで私を狙うならまだしも、ミミと子どもたちに手を出すとは。私は怒りのあまり、頭がどうにかなりそうになった。
義父は続けて、ミミは実は平民の娘なんかではなかったと教えてくれた。
なんと彼女は、とある侯爵家の嫡子だと言うのだ。しかも本来ミミが継ぐべき侯爵家とは、あの自称「婚約者候補筆頭」の娘がいる侯爵家のことだった。
ミミの父は、現在の当主の兄。弟である現侯爵が現在の地位に納まったのは、ミミの父が事故死したためだ。しかし義父によれば、この「事故死」というのが嘘だと言う。公的にはそう記録されているが、実際には殺害されたそうだ。そのとき身重だったミミの母は、家令の手を借りて市井に逃げ延び、隠れ暮らした。
ミミの母が病死した後は、義父に引き取られ、男爵家の養女として育てられることになる。
何という因果だろう。
彼女の父は現侯爵に殺され、今度は彼女自身が私の弟に殺された。弟の妻は、彼女の父を殺した男の娘だ。この殺人にも無関係とは、とても思えない。
許せない。弟も、この女も、そしてもちろん侯爵も。
我が家に毒入り菓子を売りに来た行商人は、侯爵が懇意にしている商会にゆかりの者であることがわかっている。侯爵家の家令によれば、この行商人は何度か侯爵家にも出入りしていたらしい。
なぜ家令からこのような情報が得られたかというと、この家令が義父の従弟だからだ。ミミたち母娘は、義父と家令の連携によって生き延びてきた。それだけでなく、彼らはいつかミミを正当な地位に戻すために、これまで協力し合って着々と侯爵の不正の証拠を集めてきた。
彼らはずっと、ミミが成人するのを待っていたそうだ。
彼女が爵位を継承できる年齢である十八歳となったら、すぐにも申し立てをするつもりでいたと言う。しかし、その前に彼女は私と結婚してしまった。
ミミが十八歳になったとき、義父は彼女に出自の秘密を明かし、選択を迫った。私と離縁して侯爵家を取り戻すか、私との婚姻を続けるか。それに対して彼女は私を選んだのだと聞いたとき、涙があふれて止まらなくなった。
私はこれまでずっと、ミミを守っているつもりでいた。
でも実際には、守られていたのは私のほうだった。
彼女は私を見捨てることだってできたはずなのに、そうはしなかったのだ。
義父はこうした事情を語った後、これまでに調べ上げたすべての証拠を私に託した。
「これをどうするかは、おまかせします」
「私は、この者たちが許せない。不正を正すのを、手伝ってくれますか」
私の言葉に、義父は「もちろんです」と即座にうなずいた。
だがその様子に、私はふと違和感を抱いた。何かがおかしい。なぜそう感じるのだろうかとしばらく考え込み、理由がわかった。あまりにもすべてに滞りがなくて、不自然なのだ。まるで、以前から準備してあったかのように。
ずっと前から侯爵家に探りを入れていたことは、聞いている。だが、そこまでわかっていたのなら、なぜミミと子どもたちは犠牲にならねばならなかったのか。
私は苛立ちを抑えながら、義父に尋ねた。
「ミミたちが狙われていることは、ご存じなかったんですか」
私の問いに、義父はわずかに眉を上げ、それから満足そうに微笑んで「知ってましたよ」と答えた。だが、ここで笑顔になる意味がわからない。眉をひそめる私に、義父は一枚の封筒を手渡した。宛名には、義父の名前が書かれている。
いぶかしく思いながら差出人の名前を確認して、驚いた。そこには、子どもの頃に母の生国からやってきた、あの大使の名前が書かれていたのだ。
封筒の中から手紙を取り出して広げてみれば、そこには「ミミと子どもたちの滞在を歓迎する」という意味のことが書かれていた。そして「国王陛下は、ご令孫とお会いになるのを大変楽しみにしておいでです」と締めくくられていた。
どういうことだ。ミミと子どもたちが母の生国を訪ねるなんて話は、聞いていない。
私が眉間にしわを寄せて義父を振り返ると、彼は笑みを深くした。
「そろそろ到着する頃でしょうな」
義父の言葉が頭の中に染み渡るまで、私は呆けた顔をしていたと思う。
そろそろ到着する? 誰が、どこへ?
混乱する私に、義父が答えを教えてくれた。
「殿下には、すべてが片付くまで内緒にしておく予定でしたがね。あの子たちは無事ですよ」
毒入りの菓子は証拠品として押収し、ミミと子どもたちが口にしたのは仮死状態になる薬だったそうだ。それを聞いたときの私の気持ちは、何とも表現のしようがない。
まんまと騙され、胸が張り裂けるような思いをさせられたことを怒るべきだったのかもしれない。けれどもそんなことより、私の大事なミミと子どもたちが実は生きていると聞いて、安堵のあまりへたりこみそうになった。
「どうして事前に教えてくれなかったんですか」
恨み言を口にしながら、ミミの声が聞こえてくるような気がした。「だって、あなた大根なんですもの」と、彼女ならすました顔で言いそうだ。おそらくミミたちの最期を看取りに来た神官は、弟の息の掛かった者だったのではないか。その目をあざむく必要があったのだろう。
「あの子たちは、殿下の弱みになるからです。あの子たちがいると、あなたは強くなれないでしょう」
義父の言葉は、私の胸を鋭く深く突いた。「そんなことはない」と言いたかったが、自分のこれまでの行いを省みれば、とても口にはできない。
でも、だったらなぜ、無事を知らせてくれたのだろう。
私のもの問いたげな視線に、義父は苦笑をこぼしてから答えた。
「あの子を弱みにしないでいただきたい。あの子は、あなたの強みになれる子です。そのように育てました」
そして「うちの子はみんなそうですがね」と誇らしげに付け加える。
義父が危ぶんでいたのは、ミミと子どもたちがそばにいる限り、なすべきことをなすだけの強さが私にはないのではないか、ということだった。だが今の私は、以前の私とは違う、とも義父は言う。
以前の私は窮地に陥ったときに、誰に相談することもなく、ひとりで完結して答えを出していた。そう言われると確かにそのとおりで、返す言葉もない。
けれども、ミミと一緒になってからは、他人の話に真摯に耳を傾けることがどれほど大事かを学んだ。それと同時に、信頼できる周囲の人間を頼ることもできるようになった。
だから今の私であれば、妻子の無事を知らせても大丈夫だろう、と義父は判断したそうだ。その信頼を、決して裏切るまい。
私の決意を、義父は微笑んで受け入れた。
別れ際に義父は、ふと思い出したというように振り返る。
「そうそう、あの子から伝言があります」
私が続きをうながすように首をかしげると、義父は言葉を続けた。
「『ジョルジュ、愛してる』と」
それを聞いて再び、私の目に涙がこみ上げてきた。
義父は困ったように微笑んで私の肩を叩き、涙がこぼれ落ちる前に背を向けて去って行った。
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あの後、私はがむしゃらに動いた。愛する者を取り戻すために。以前、私が弱く愚かだったばかりにのさばらせてしまった不正を正すために。私たちに本来あるべき地位を回復するために。
私も頑張ったが、もちろんそれは義父の一家の支援あってのことだ。
義理の兄弟たちは、義父が誇るだけのことはある。ひとりひとりが優秀なのはもちろんだが、五人そろったときの機動力が並外れている。
義父が会頭を務める商会を通じて、情報収集の能力に長けた上の義兄。
敵を法的に追い込むための知識と手段を持つ弁護士である、下の義兄。
伯爵家に嫁ぎ、地味ながらも手広く人脈をつないできた義姉。
医者と結婚し、薬物だけでなく毒にも造詣の深い上の義妹。
新聞記者と結婚し、新聞記事を通じて社会的影響力を持ちうる下の義妹。
これだけそろっていたら、たとい王太子という地位に就いている弟が相手であろうとも、渡り合えないわけがない。しかもこちらは、相手の策に落ちたと見せかけておいてからの奇襲だ。負ける要素がなかった。
あのとき義父は、私に向かって「どうするかは、まかせる」と言いつつも、事前に父とは話を通してあったらしい。その後のやり取りは、非常に円滑だった。
最終的に、弟は王族の謀殺を企んだ罪で、処刑された。
しかも彼は、処刑の前にあらゆる身分を剥奪された。王太子でなくなったのみならず、王族でもない、父親のわからない私生児とされたのだ。ずっと彼も私も、互いを異母兄弟だと思っていたけれども、実は赤の他人だったらしい。彼は月足らずで生まれ、髪の色も濃く、家族の中でひとりだけ色が違う。
継母が父と結婚する前の婚約期間中に、元恋人と一夜の過ちを犯し、そのときに身ごもった子なのだと言う。すでに父と婚約していたわけだから、不倫である。だが父は哀れに思い、当時は目をつぶっていたそうだ。
その元恋人とは継母の元婚約者であり、父に嫁がせるために破談にさせられていたのだ。
王位を継がせるわけにはいかないが、王子として育てて身分を与えるくらいはしてやってもよいと、父は考えていた。だから暫定的に王太子の身分を与えはしたが、時期を見て私を呼び戻すつもりでいたそうだ。
だがその前に、このような凶行を企んだばかりか、実行してしまった。
継母の実家がこの件に何も関与がなければ、彼は処刑されるにしても、王子という地位までは剥奪されなかったかもしれない。
しかし直接的ではないものの、継母の関与を疑われる行動があった。毒入り菓子を我が家に売りに来た行商人が、継母の実家にも出入りしていたことが明らかになったのだ。通常、貴族は身元の確かな商会を利用するものであり、あやしげな行商人を屋敷に引き入れることは考えられない。何かあると疑われても仕方がない行動だ。
父は、彼が不貞の子であることを処刑前に明らかにした。これが、継母の実家に対する事実上の制裁だった。
彼が私生児であると公表されたことを受けて、継母と父の婚姻は彼女の不貞により無効とされた。したがって、自動的にその下の弟妹も婚外子となる。この二人は父の血を引く子ではあるのだが、婚外子となったことにより王族からは外され、当然ながら王位継承権も剥奪された。
継母と下の弟妹は、彼女の実家に戻された。
欲をかかなければ、王妃を輩出した家として、ある程度の政治的影響力を持ち得ただろうに。ところが不倫によって国王を裏切ったばかりでなく、その不貞の子が大罪を犯したわけだ。この先、王家から賠償も求められることになるし、政治的にも財政的にも厳しくなるのは間違いない。
ミミの父を殺して爵位を継いでいた侯爵も、前侯爵を謀殺した罪により処刑された。
弟と婚姻していたその娘は、離島への島流しとなった。ミミたちを毒殺しようとした今回の件では、直接の関与が認められなかったため、夫に比べて刑が軽い。だが、九年前にミミと義母がならず者に襲われた件では、改めて裁判にかけた結果、主犯と認められた。
弟夫妻の間には女児がひとり生まれていたが、この子も元王妃の実家に送られた。
爵位は、無事にミミが継承した。今や彼女は、王太子妃であると同時に女侯爵でもある。
こうしてすべてが片付くまでには、半年近くかかった。
すべてが終わるまでミミにも子どもにも会えないと覚悟していたのに、彼女たちは三か月ほどで帰国した。どうやら子どもたちが「おうちにかえる」と毎日のように騒ぐので、ミミが根負けしたらしい。
昼の間は、祖父母である国王夫妻に機嫌よく甘えているくせに、夕方が近くなるとルルとフィリップは二人とも「おうちにかえる」と言って聞かず、国王夫妻をがっかりさせていたそうだ。「はやく帰らないと、お父さまがかわいそう」と言いながら自分たちが泣き出すのだ、とミミは笑いながら教えてくれた。
この話を聞いたとき、私のほうが泣きそうになった。
ミミたちが帰国した日のことは、生涯忘れないだろう。
宮殿の正面玄関の前で馬車から降りてきた彼女は、初めて夜会で会ったときと同じように光り輝いていた。思わず駆け寄って抱き上げると、彼女は「こういうときは、子どもを先に抱き上げるものでしょう」と呆れた顔をする。でも子どもたちは、乳母と従者に手を引かれているじゃないか。
小言を聞き流して、キスをする。
「今日も女神のようにきれいだ」
するとミミは「当たり前よ。手間暇かかってるのよ」と真面目な顔で諭すように返してくるので、笑ってしまう。
ああ。ミミだ。ミミが帰ってきた。子どもたちも。
今回の事件を片付ける中で、私は初めて父の愛を実感することができた。橋渡しをしてくれたミミや義父には感謝しかない。
けれどもやはり、あれから一年以上も経った今でも、ミミを失ったあの日の絶望を思い出し、じっとりと冷や汗をかいて夜中に目が覚めることがある。そんなとき、隣に眠る柔らかな体にそっと手を伸ばす。彼女の体温を感じると、やっとホッと安心して眠りに戻れるのだ。
寝室の暗がりの中で健やかな寝息をたてる妻を起こさないよう、そっとキスを落とす。
ミミ、愛してる。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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