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苦悩する心

 遥は苛々としていた。

理由はわかっている。

(あの男のせいだ……!)

それと奇妙な夢。




夢は毎日、遥の許を訪れる。








(またか)

嫌悪の中に甘い期待が忍び寄っていることなど、遥は自分でも認めたくなかった。




そんな事を云うな。


(己を甘やかすような、その響きに、ウットリとしていることなんてッ)

 気づかれてはいけない。

気づかれたら最後、この声の主に絡めとられてしまうから。




どうして絡めとられて困ることがある


『だってッ』




だって?


『×××××××なるからっ!』




俺はお前にそうなって欲しい。


『……どうして?』

 嬉しそうな声に。心が、魂が震えてしまう。答えはわかっているのに、聴きたい。わかっているから、訊きたくない。




俺がお前を××××××から、お前にも俺を××××ほしい。


(なんて?)

いつも、遥は肝心な部分を聞き逃してしまう。

耳をそばだてようとすると、そ、と抱きしめられてしまった。




『離せっ』


離れたければ、お前から離れればいい。お前は自由だ……


『イヤッ』






「!!」

悲鳴のような声で、遥は眼が醒めた。

(最悪……)


精神のコンディションも最悪だったが、寝汗をかいた躰をシャワーに打たせて、更に最悪な事を知る。

……躰が。準備が整っていた。


「……っ、!」



(サイテーだ、俺っ!)

思春期の餓鬼じゃあるまいしっ!!






とりあえず、シャワーで煩悩を洗い流した後、遥はのそのそと久遠家のダイニングへと直行した。

「はよー」

佑が明るく声を掛けてくれて、遥は一つのことに思い至った。

「あ。今日は俺の食事当番だった、ゴメン」


久遠家は、代わる代わる朝食を作るのだ、と佑が教えてくれた。






『え。俺料理なんか作ったことないよ』

ぎょっとして遥は言った。


 勉学(という名の遊び)が楽しくて、家庭的なことなどからっきしだったのだ。

 身寄りがおらず施設育ちだったが、遥は頭脳優秀だった。奨学生として東城学院の高等部に入学していたから、成績順位を落とせなかったという理由もあったし、住んでいたのが学院の寮だったから憶える必要がなかった、ということもあった。



『……ふーん』

佑は遥をじっと見つめた。


 年下なのに、まるで兄や年長者のように感じてしまうのは。佑の後ろにあの男の存在がある、などとは、遥は認めたくはなかった。


『とりあえず、試してみたらどう?遥の躰が憶えてるってこと、あるんじゃないかな?』

そう言うと、少年はにこりと笑って有無を言わさず、遥かにフライパンを握らせてきたのだ。

 

 ぶうぶう言いながらも、佑の予想通り遥はきちんんと朝食を作れた。

……3人分。

 その事実を認めた遥は、焦って慌てた。しかし、佑は。居もしない男の為に作った朝食まで、黙って食べてくれた。






「いいよ。明日と明後日、よっしくね」

佑が気軽に言ってくれたので、遥は感謝した。

「……おう」



 まろやかなフォルムの三角形のダイニングテーブルに、椅子が2脚。

当初は3脚あったと記憶していたが、あとの1脚は何時の間にか、片付けられてしまった。

--あの男の痕跡は、どこにもない。


 佑が一人だけで写っている写真はリビングに飾られていたが、男や遥を写したものは一切飾られていなかった。……壁に写真のフレーム型に退色し損ねた痕跡を見つけると、取り外して隠してあるのだと知れた。

 きっと。その写真たちには自分や、男。そして佑の関わりあいが写し取られているのだ。だから遥の眼につかないように外されたのだろう。

(俺に心の負担を掛けない為に)


 屋敷内と敷地を自由に探索することは赦されていたが。

一か所。

律の寝室と書斎だけは出入り禁止を言われていた。


(頼まれても行くか!)

そう思っていたのに。

 気が付くと、男が寝室や書斎に引き込もる後ろ姿をじっと見送っている。

訳もなく、男の寝室や書斎に一緒に入りたくなる。

--男が近づいてくると、逃げ回ってしまうくせに、だ。

(俺、猫みてぇ)

構われるとふい、と立ち去ってしまうのに、構われないと飼い主の足元で丸くなっている猫のような。


 最近、男の書斎についている暗証番号キーを試したくなるのだ。この前、つい誘惑に駆られて。そ、と手を触れたら。

ピーーーー……と音がして、なんと男の書斎のドアが開いてしまったのだ。慌てて、その後は逃げ帰ってしまったのだが。


(あの男の書斎が。俺には開かれている……?)


 咄嗟に浮かんだ考えは、遥の心臓を苦しくさせ、躰を熱くさせた。

訊けば機密情報がある為、佑ですら勝手な出入りは禁止されているのそうだ。遥については研究者として出入りを許されているのであれば、予め入室可能なことを告げられていただろう。

 なのに、無言のまま。表向き、出入りを禁じられている書斎が、遥には開かれている。


 その意味がわからない程、子供でもなかった。

(もう一度試して、開いてしまったら)

開いたドアの先に、男が両手を広げて待ち構えていたら。


自分はどうすればよいのか、遥にはわからなかった……。




 洗濯や掃除は屋敷のスタッフがしてくれるので、実際遥が行うのは、運動した時のウエアをランドリーで洗濯するとか。自室と備え付けのバスルームを綺麗にするくらいしか、この家で役立っていない。

バイトして食費を稼ぎたい、と言うとそれは、あの男に激しく拒否された。


『君は狙われている』

男は苦々しく言った。

『誘拐した実行犯たちは掃討したが、その親玉が控えている。頼むからこの屋敷で大人しくしていてくれないか。……大学へなら、ボディガードの随行さえ認めてくれれば、行ってくれて構わない』


 その言葉が命令ではなく。甘く切ないものを孕んだ懇願だったから、不承不承頷いてしまったなどとは、自分でも認めたくはなかった。




 そんな訳で、遥としては研究三昧の日々を、嬉々として過ごしていても良かった筈なのだが。

段々。

あの男を彷彿とさせるこの少年と過ごすことも、息苦しくなってしまった。

……佑が厭なのではない。

佑はむしろ、気鬱に陥りそうな遥を気遣って、色々な処に連れ出してくれる。

 スポーツ観戦に、対戦TVゲーム。

そして、彼との勉強は何時だって楽しかった。


 それなのに遥は勝手に、少年に男の面影を探してしまうのだ。



『佑はアイツの……なに?』

遥は再三、少年に問い質した。

あの男以外、佑の肉親者は姿を見せない。


(佑の母親は……?)


 男が40過ぎで自分も40近くという『事実』は、流石に脳に強制的に刷り込まれた。

カレンダーを見ても、ニュースを見ても。世界中が自分に対して芝居をしていないのであれば、少なくとも17年は経過していることを、認めざるを得なかった。

(17年。……佑が受精して生まれて過ごしてきた時間)



お前はアイツの息子じゃないのか。

そして。

俺の息子ではないのか。


(百歩譲っても。お前はアイツの息子で。……俺が後妻とか)

少年が誰かに懐胎されてこの世に生を享けたのだ、と思うと心の何処かが、ズキリと痛んだ。

(こんなに慕わしく思ってて、何かあったら自分の命を盾にして護りたいと思っているのに、他の誰かが産んだなんて)


 理屈ではなかった。



 すると、佑はひた、と遥を見つめてこういうのだ。

「俺と律は身内だよ。……遥が知っている通り」

少年の澄んだ瞳は、遥がいかなる視線で見つめても、揺るがなかった。


『お前は、俺の……ナニ?』とは流石に少年に訊ねることは出来なかった。佑が自分の身内だったら。残酷な問を少年にしてしまうことになる。


”アンタの息子だよ”と言われたかったのか。

”アンタとは赤の他人”と言われたかったのか。


遥は質問をして、どちらの答えが返ってきてもいい覚悟が出来ていなかった。




 あの男を毛嫌いしている自分を慮って、男が遥の目に付かないようにしているのを知っていた。

(だけど!)

 仕方がないではないか。

男が傍に居るだけで、ぞわ、と鳥肌がたち、毛穴が開くような心地がするのだ。

髪が逆立ち。

拡散していた血液が心臓と頭に戻ってきて、ガンガンと煩くなる。

耳も目も。

肌も、あの男の一挙手一投足を見逃すまいとする。


 万が一、あの黒曜石のような眼に捉えられてしまえば。

蜘蛛の巣にかかった哀れな蝶のように、生きている限り抜け出せなくなる。そして全てを貪り尽くされる。


そう感じる相手から、必死で逃げたい遥の気持ちを、どうしてあの男も佑もわかってくれないのだろう。




あの男が居なくて、ほっとするのも事実。

あの男が居なくて、寂しいのも事実。


遥は、どうしていいのかわからない。


(あの男は?)

訊きたくても、訊くことも出来やしない。

”どうして?”と訊ねられたら。どう答えればいいのだろう。



遥はそれにも答えを持っていなかった。


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