第35話:『由奈の迎撃術と地球という名のマザー』
『――怜ッ! あんた、父親をどこへやったのよ! 家族を蔑ろにして、勝手な真似ばかりして……っ!!』
神殿の冷気すら一瞬で蒸発させるような、鼓膜を裂くヒステリックな怒号。
強制展開された大画面モニターの向こう側で激昂しているのは、間違いなく俺の実母――怜ママだった。ヘレナがジパング経由で歪んだ情報を吹き込んだのだろう。息子の世間体と血縁の鎖を振りかざし、濁流のような感情論を浴びせてくる。
国家制度すら冷徹にハックするマスターライセンス保持者。その俺が、生体CPUの処理リソースを無条件で奪われ、唯一確定でフリーズを起こす生得的バグ――それが実の母親だった。理屈も法規も受け付けない情動の嵐を前に、俺は眉間を押さえたまま言葉を失い、完全に機能停止に陥っていた。
その沈黙を「息子の屈服」と誤認した怜ママの鋭利な視線が、俺の背後で竦む歩実を正確にロックオンする。
『ジパングの行政の方から全部聞いたわよ! 国家最高峰の権限を持っておきながら、あんな得体の知れない女サピエンスに誑かされてるんですって!? そこのあんたよ! 普通免許しか持ってない泥臭いモブ女が、うちの息子のリソースに寄生して足を引っ張るんじゃないわよ!』
「っ……!」
『怜、今すぐそんなお荷物女をパージしなさい! 私がどれだけお腹を痛めて産んだと思ってるの! お願いだからこれ以上ママを心配させないで!』
剥き出しの罵倒に、歩実は息を呑んで青ざめ、自身のアパレルを痛々しいほど握りしめた。頼みの俺は母親特有の情動攻撃でメモリが焼き切れ、フォローに入る余裕すら残されていない。
「――介入します。回線権限、強制掌握」
重苦しい沈黙を切り裂いたのは、七瀬由奈の氷のように澄んだ声だった。
指先がコンソールをリズミカルに叩き、73Kの演算知性を湛えた怜悧な瞳がモニターを真っ直ぐ射抜く。由奈は感情論の暴風雨に対し、極限まで研ぎ澄まされた論理迎撃プロトコルを起動した。
「初めまして、漣怜さんのお母様。私は元同僚の七瀬由奈です。まず法的観点から申し上げます。お母様が現在発言された内容は、『名誉毀損』および『業務妨害』の構成要件を完全に充足しています。全トラフィックの法的保全ログはすでに完了しました」
『な、何よこの小娘……!?』
「穂波歩実は単なる同行者ではありません。彼女の存在による怜さんの精神的バイアス補正および認知リソース安定化係数は、定常運用時でプラス34.8%を記録しています。彼女をパージした場合、怜さんの判断力低下に起因する波及システム損失は国家予算規模に達します。これ以上の理不尽な誹謗は、私――七瀬由奈に対する敵対的宣戦布告と同義です」
息を継ぐ間すら与えない冷徹なエビデンスの連打。さらに由奈は、息を呑む怜ママの反応をコンマミリ秒単位でモニタリングしながら、残酷なまでの認知誘導を差し込んだ。
「それに彼女はWeb小説の童話という難関ジャンルで、すでに確固たるPV実績を叩き出しています。決して無能ではありません。……それと、これは私の個人的な観測見解ですが」
由奈はふっと、完璧に計算された柔らかい笑みを浮かべてみせた。
「怜さんは、お母様に驚くほどよく似ていらっしゃいますね。特にその気品ある目元など」
『……まぁ! よく分かってるじゃない。七瀬由奈さん、だったかしら? よく見れば私の若い頃に雰囲気がそっくりだわ。いいわ、今回はあなたの知性に免じて引いてあげる。……ただ、そこの歩実って子を認めたわけじゃないからね!』
ピッ、と乾いた切断電子音が響き、通信は強制アジャストされた。
嵐が去った統括室に広がる静寂。母親という名の最強トラップから解放され、ようやく荒い呼吸を取り戻した俺と、放心状態で立ち尽くす歩実。
由奈は「やれやれ」と肩をすくめ、小さく息を吐き出すと、歩実に視線を戻して残酷な現実を告げた。
「……歩実。この旅のグランドフィナーレを怜と迎える気なら、いずれあの怜ママを完全に納得させるだけのヒロインスペックを獲得しなきゃ駄目よ」
歩実は膝から崩れ落ちそうになりながら、涙目で神殿の高い天井を仰いだ。
「『クビになった派遣の床に落ちたのは、国家を私物化できる13のマスターライセンスでした』って……ほんっとうに泥臭い作品だよぉ……!」
完全な破滅トラップとして実母をぶち込んだはずのヘレナは、目の前で繰り広げられたあまりに生々しいドメスティック茶番劇に耐えかね、ついに額の青筋をピキピキと震わせて絶叫した。
「あんたたち、本気でヤクートを倒す気があるわけ!? それとも何、ここは婚活相談所なわけ!? わたしはあんたたちの仲人でも婚活アドバイザーでもないんだけどぉぉッ!!」
神殿の主による、完璧すぎるブチギレのツッコミ。
その瞬間、思考メモリを完全に再起動させた俺が一歩前に踏み出し、冷徹な声で場の主導権を力技で奪い返した。
「敵がキレ芸で自爆してんじゃねぇよ! 時間がねぇんだ、とっとと次のフェイズに進むぞ」
俺は端末を鋭くスワイプし、統括室の巨大な星間観測モニターへアクセスを叩き込む。映し出されたのは、この星の根幹たる循環システムデータ。
血縁のマザー一人にいつまでもリソースを奪われている場合じゃない。
俺たちが真に向き合い、システム監査を下すべき対象――それは、生きとし生きるすべてのサピエンスを生み落とした、『地球という名のマザー』そのものだ。
(第36話へ続く)




