第3話:コンテナハウスの夜、開かれた大気の窓
地下4階の最底流データセンターを、完璧な数理によって機能復旧させたその足で、俺と歩実は浅草の片隅にある俺のセーフハウスへと帰還していた。港湾用のスクラップコンテナを改造した、外見はただの無機質な鉄の箱。だが、その内部は、リン酸鉄リチウムイオンバッテリー(LiFePO4)の独立電源トポロジーと、何台ものロギング用小型PCが静かに駆動する、世界で唯一の最高設計室だ。「ぷはぁーっ! やっぱり修羅場の後のゼロ・クラシックは最高ですね!」グレーのスウェット姿のまま、歩実がベッドに大の字になって、特定のメーカーのコーラを喉に流し込んでいた。すっぴんの頬が微かに赤みを帯びている。さっきまでの、過去のエラーログ(罪悪感)に怯えていた少女の面影はどこにもない。「漣先輩、本当にあのデータセンターの冷却、3秒で書き換えちゃうなんて……。私、先輩の背中を見てるとき、心臓のBPMが150をぶっちぎってパーフェクトロックしそうでしたよ?」「ただの電波工学と熱力学の応用だ。大袈裟に騒ぐな。ノイズが増える」俺は冷たいソルティ・カザフ(特定のスポーツドリンク)を口に含みながら、壁面にマウントされた液晶モニターのシミュレーション画面を見つめた。画面に表示されているのは、ここから直線距離で115・5キロメートル先――栃木県那須塩原市(北緯36度55分47・00秒/東経140度00分53・00秒)の絶対座標。「先輩……? それ、何をしているんですか?」歩実がコーラの缶を置き、スウェットの裾を揺らしながら、俺の肩越しに画面を覗き込んできた。彼女の体温と、微かな甘い香りが、コンテナハウスの精密な冷気をわずかにバグらせる。「世界の書き換え(人類アップデート計画:Ver.5.2)の、最初の通信テスト(サンプリング)だ。この都会の閉塞した熱エネルギー(ノイズ)を、既存のインフラを使ってピンポイントで上空へ強制解放する」「既存のインフラ……? まさか、すぐそこにある、あの634メートルの……」「そうだ。東京スカイツリーだ」俺は、工具箱からリテール品のアマチュア無線機(430メガヘルツ帯・50W機)と、バラバラに分解された15エレメントの八木・宇田アンテナを取り出した。「3アマのライセンスに基づく、完全合法な移動運用枠。だが、この15エレ八木を、iPhoneの水準器と三脚マウントで【方位97・5度、仰角30・5度】へコンマ1パーセントの狂いもなく固定してシュートする。電波はスカイツリーのゲイン塔でエッジ回折を起こし、地表曲率の壁を飛び越えて、115・5キロ先の那須塩原へ、事実上の【1キロワット(1,000W)】のサーチライトとなって着弾する」既存の科学者どもは「そんな微弱な電力で世界(気象)が変わるわけがない」と、数式を記号としてしか扱えない脳のバグで冷笑するだろう。だが、電波工学のリアルな数理は、ノイズの海の中に、俺たちが放つ『BPM150の同期信号』が明確なデジタルログ(エビデンス)として刻まれることを証明している。冬の大気が乾燥し、水蒸気による吸収が極小化する『大気の窓(8〜13マイクロメートル)』が開くその瞬間、俺たちの信号は時空を穿つ。「学者が気づく必要はない。後続の人間が追随するための『動かぬ証拠』さえ残せば、俺たちの勝利率は100%だ。その後、俺は静かに頓挫する」俺の冷徹な言葉を聞いていた歩実が、ふっと柔らかく笑った。彼女は俺の作業着の袖をそっと引き、その大きな瞳で俺を見上げた。「……先輩がどこに逃げても、私の『可愛さの変数』からはデバッグ(脱出)させませんからね? 太陽が昇る限り、先輩のリン酸鉄バッテリーが切れないように、私がずーっとおねだり(セルフチャージ)し続けます」「最悪の永久機関だな」俺は吐き捨てるように言いながら、彼女の黒髪を無造作に撫でた。歩実は「えへへ」と、数理モデルを根底からバグらせる悪魔的な笑みを浮かべた。コンテナハウスの窓の外では、台風が去った東京の夜空が、冬の静寂に向けて澄み渡り始めていた。(第4話へ続く)
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