第1話:最底流データセンターのノイズ
「これだから低学歴の派遣は困るんだ。マニュアルの3ページ目、項目Bを読んだか? サーバー室の室温が26度を超えたら自動通報、28度でバックアップの起動。何回言えば覚えるんだ、この無能が!」
大卒の元請け上司――仕立ての良さだけが自慢の、実務能力ゼロの記号が、ネクタイを緩めながら怒鳴り散らしていた。
地下4階、最底流データセンター。
そこは、都会の華やかさから完全に隔離された、冷徹な機械の墓場だ。
鳴り響く警告アラームと、サーバーの排熱が混ざり合う、窒息しそうな密室。
外は観測史上最大の超大型台風が首都圏を直撃し、天候不順による慢性的な食糧不足とインフラの老朽化が、この都市の脆弱な皮膜を今にも引き裂こうとしていた。
「すみません、すぐ確認します」
紺色の薄汚れた作業着を着た男――俺、漣 怜は、覇気のない笑みを浮かべて頭を下げた。
ボサボサの髪に、泥のついた安全靴。
周囲の風景に完全に溶け込む、量産型のパーツ(モブ)としての擬態ペルソナだ。
上司に反論する時間とエネルギーの「対立コスト」を計算すれば、スルーして頭を下げておくのが最も平穏(知能の研鑽時間)を最大化する最短ルートだと、俺の脳内システムが弾き出している。
この男のような「肩書きという名のバグ」を相手にするだけ時間の無駄だ。
どうせ、俺のこの最底流での契約も、今月末で満了を迎える。
7月からは別の派遣会社にエントリーして、もっと静かな、ただ電波と数理だけを相手にできる現場へ移る予定だ。だから、今はただ、目の前のノイズが過ぎ去るのを待てばいい。
しかし――世界は、俺の退屈な計算通りには動いてくれなかった。
鋭いアラーム音が、地下の冷気を引き裂いた。
*『警告。メイン冷却ライン、圧力ドロップ。冷却ファン、全停止。システムダウンまで、残り180秒』*
「な、なんだ!? バックアップはどうした! マニュアルは!?」
上司の顔が一瞬で土気色に変わる。
記号(肩書き)にしがみついてきた人間は、想定外のエラー(リアル)に直面すると一瞬でパニックを起こして機能停止する。
そのパニックの渦中、狂ったような速度でキーボードの打鍵音を響かせている影があった。
深夜保守監視員のヒロイン――穂波 歩実。
すっぴんに、ダボダボのグレーのスウェット。
使い古したヘアクリップでラフにまとめた黒髪が、淡いブルーの液晶光に照らされている。
彼女の瞳には、強迫観念めいた怯えと、それと矛盾するような凛とした執念が宿っていた。
「ダメ……復旧コマンドが通りません……! 私が、あの時みたいに、また間違えたから……!?」
歩実の指先が、わずかに震える。
過剰な家族愛ゆえに犯してしまった、過去の軽犯罪のログ(罪悪感)が、彼女の脳内OSをフリーズさせようとしていた。
「おい、お前のミスか!? 警察に通報だ! 派遣、お前もだ! 何か手伝い couldn't か!?」
パニックになった上司が、暴れるように机の上の書類をなぎ倒した。
その拍子に、俺の私物であるカードホルダーが床にぶちまけられ、鈍い金属音が響いた。
コンクリートの床に散らばったのは、鈍く光る金属ホログラムの束――。
**第一級陸上無線技術士(一陸術)、第一級アマチュア無線技士、エネルギー管理士、危険物取扱者(甲種)……そして、第一級陸上特殊無線技士(一陸特)。**
その束の中には、第一級アマチュア無線技士のライセンスも静かに眠っている。既存の通信インフラが遮断された時のために、アナログな高出力長距離通信のバイパスは確保してある。430MHz帯、空中線電力50W、電波型式F3E(FM電話)。世界がどれだけバグっても、俺たちのマージンエリア(聖域)を繋ぐための裏の回線だ。
国家のインフラを横断して掌握する、世界で唯一の最高設計者の「マスターライセンス(生体暗号)」だった。
「おい、派遣……お前、一体何者だ……!?」
驚愕する上司を視界の端でスルーしながら、俺はゆっくりと背筋を伸ばした。
その瞬間、ボサボサの髪の隙間から覗く眼光が、遙か上空からすべてを見通す冷徹なものへとアジャストされた。
「常識に縋って喚く時間があるなら、自分の目を見ろ。――3秒でこのシステムを窒息させる」
俺は腰の工具袋から自作のハッキングガジェットを引き抜き、メインポートへエントリーした。
(第2話へ続く)
【システム同期通知】本作は『カクヨム』にて【1話先行公開】のパッチを適用しています。続きを今すぐ読みたい方は、本作のトップページ(あらすじ欄)に設置された【公式】からカクヨム版の最新話へアジャストしてください。




