第22話 悪役聖女と裏の顔
骨董店の扉の向こうにヒロインが消えてから、十分ほどが過ぎただろうか。ぎい、と再び扉が軋み、彼女が姿を現した。
その顔には、先ほどまでの聖女の微笑みはなく、何かを成し遂げたような、冷たい満足感が浮かんでいる。彼女は再び周囲を慎重に窺うと、何事もなかったかのように、人通りの多い大通りへと紛れていった。
あの店の中に、彼女の「裏の顔」がある。私は確信し、ヒロインが完全に立ち去ったのを見計らって、意を決して骨董品店へと足を踏み入れた。
カラン、と寂れた鈴の音が鳴る。店内は薄暗く、カビと古い木の匂いが鼻をついた。床から天井まで、雑多なガラクタが所狭しと山積みになっている。だが、その中に時折、素人目には分からないほど巧みに隠された、微弱な魔力を帯びた品が混じっていることに、私は気づいた。
ここは、ただの骨董品店ではない。非合法な魔道具や呪具を扱う、裏の店だ。
「……おや、これはこれは。珍しいお客様だ」
店の奥のカウンターから、痩せこけた初老の男がぬるりと姿を現した。値踏みするような、いやらしい視線が、私のドレスや装飾品の上を這う。
「このような場所に、麗しきお嬢様が何か御用で?」
「単刀直入に聞きますわ」
私は、リディアの仮面を完璧に被り直し、毅然とした態度で彼と対峙した。
「先ほど、ここを訪れた聖女様……。彼女の目的は、一体何ですの?」
私の言葉に、店主は胡散臭い笑顔を浮かべたまま、肩をすくめた。
「さあ、何のことでしょう。人違いではございませんか?」
しらを切るつもりらしい。だが、こちらも、手ぶらで帰るつもりはない。私は、小さな革袋をカウンターの上に置いた。ずしり、と重い金属音が響く。
「これを、口止め料と受け取るか、情報料と受け取るか。あなたがお選びなさい」
脅迫だ。悪役聖女にふさわしい、完璧な脅迫ムーブ。店主は、一瞬ためらった後、そろりと革袋に手を伸ばし、中の金貨の枚数を確かめた。彼の目の色が変わる。
「……あのお方は、時々、ここへ『特別な品』を仕入れにお見えになります」
金貨の力は、偉大だった。
「『人の心を惑わす呪具』や、『特定の記憶を、本人も気づかぬうちに呼び覚ます香』などを、特に好んでお求めになられますな」
その言葉に、私は背筋が凍るのを感じた。慈愛の聖女。その力の源は、癒やしの魔法だけではなかったのだ。彼女は、こうした呪具を使い、攻略対象たちの心を、密かに、そして巧みに、自分へと誘導していた……?
「……もう一つ」
私は、核心の問いを口にした。
「この店の看板にある紋章。あれは、一体何ですの?」
その質問に、店主の顔から、さっと血の気が引いた。
「そ、そいつだけは……! あれに関わることだけは、どうかご勘弁を! 下手に嗅ぎまわれば、私のような小者は、いつの間にか消されちまいますんで!」
「わたくしを誰だと思っていて?」
私は、カウンターに身を乗り出し、彼の耳元で囁いた。
「あなたの命、今ここで、わたくしが消すこともできますのよ?」
私の紫水晶の瞳が、冷たく彼を射抜く。恐怖に屈した店主は、わなわなと震えながら、ついに、その名を口にした。
「……『アルカナの天秤』」
「なんですって?」
「その紋章は、『アルカナの天秤』と呼ばれる、秘密結社の印でさァ……。この国の歴史の裏で、人々の運命を量り、時にはそれを捻じ曲げてきたと、噂されております……」
アルカナの天秤。ゲームには、一度も登場しなかった、謎の組織。
ヒロインは、その組織の一員、あるいは協力者。彼女は、一体何のために呪具を集め、攻略対象たちを篭絡していたのか。私が考えていた以上に、この物語の闇は、ずっと深く、そして根深い。
「……今日のことは、誰にも話さないこと。次にわたくしがここを訪れる時が、あなたの最期だと思いなさい」
完璧な捨て台詞を残し、私は店を後にした。
王都の雑踏に戻っても、心臓は激しく波打ったままだった。一人で抱えるには、あまりにも重すぎる秘密。
私は、これからの戦いが、単なる破滅フラグ回避では済まされない、この国の根幹を揺るがす巨大な陰謀との対決になることを、確信していた。




