8.ヘタレで悪かったな。
「…………何か、変りはない、……か?」
「うん? どういう意味だ?」
アンセルムが学園からの帰りの馬車の中で歯切れ悪く言い淀んでいる。何が言いたいのか、聞きたいのか要領を得ない。
「いや、……ファビエンヌの妹、メロディの事はどう思った?」
「どう? いや、別に。ファビエンヌ嬢の異母妹か、と思っただけだが?」
アンセルムが安堵したようにほうっと深い溜息を吐き出した。本当にどうした? なんか顔色も心なしか悪いのだが、何かあったのか?
そういえば帰りの馬車に妹と乗り込んだファビエンヌ嬢も顔色が悪かったようだが……。声をかけようかと思ったが馬車に乗り込んでしまったので声をかけそびれた。
「アンセルム、どうかしたのか? 顔色もよくないようだが?」
「ああ、大丈夫だ。……なぁ? ファビエンヌの事はどう考えているんだ? バルリングでは何と言われた?」
ファビエンヌ嬢の事を聞かれてぱっとアンセルムから視線を逸らせてしまう。今、ここで聞かれるなんて思ってもいなかった。
長い夏季休暇があって私は自国に戻り、昨日ギリギリでギルメットに戻ってきて、アンセルムとゆっくり話す時間もなく今日になったのでまだ何もバルリングでの事を話してはいなかったのだ。
「一応……気になる子が出来た、とは話して、きた」
「問題があるとは言われなかったか? 私の婚約者候補になっているから……」
こんな事を告げる私は恥ずかしい思いをしているのに、アンセルムは気にした風でもなく被せるように質問してきた。
「候補だから問題はない。……少し、ファビエンヌ嬢の事情を話して……母上や妹はすぐにでも連れ帰ってきなさいと騒いでいた……」
「そうか……」
よかった、とアンセルムが溜息を吐き出しながら背中をどんと背もたれにつけた。本当に珍しい。
「…………そんなにファビエンヌ嬢の事が心配ならやっぱりアンセルムが娶った方がよいのではないのか?」
「それは絶対にありえない。私も嫌だしファビエンヌも嫌がる」
アンセルムはマリアンヌ嬢よりもファビエンヌ嬢の方を多く心配し、気にしている様に私には思えてならない。だが、確かにアンセルムの目はマリアンヌ嬢には情欲の色を含んでいる所もごくまれに見える事があるが、ファビエンヌ嬢には向けられた事がないのも確かだ。
何故ここまでアンセルムがファビエンヌ嬢を気にするのか、事情があるらしいが私には教えてはもらっていない。
ファビエンヌ嬢も何かとアンセルムを頼りにしているところがある。しかしマリアンヌ嬢はいつも微笑ましいと言わんばかりの目で二人を見ているのだ。
確かに兄妹のようで微笑ましいのだが、実際に兄妹でもないのにマリアンヌ嬢は何か自信や確信があるのだろうか?
「それで? どうすのだ? ファビエンヌを連れ帰るのか?」
「い、いやっ! それ、は……まだだろう!?」
「……案外ヴィーラントは強引じゃないんだよな」
失敬な! 強引になどするか! 嫌われたらどうする! …………こんな私だから、フェリクスにはヘタレと呆れられているのだが。フェリクスだけではないか、母上にも妹にもヘタレと言われたのだった。なかなか私の事情もあって決定的な何かを言う事に及び腰になっている私に少しは強引にいけ、と言われたのだった。
ファビエンヌ嬢が表情をよく変えるのは私が相手の時だと一応気づいている。アンセルムやマリアンヌ嬢といる時も穏やかな表情はしているが、頬を染めたり恥ずかしがったりするのは私の前でが多いと一応気づいている。そこが可愛らしくて……。
「連れ帰っても、いいのか?」
窺うようにアンセルムに視線を送るとアンセルムは苦笑を浮かべた。
「本当は近くに置いておきたい。だが、ファビエンヌの幸せを思えばヴィーラントに任せるのが一番いいとは思っている」
「何故……」
そんなに私の事を信用している? 私は未だに自分の重大な事情を話せていないのに……。だが、これはわが国でもトップシークレットの事なのでおいそれと口に出す事は出来ない。
今回の帰国で、一応ファビエンヌ嬢には事情を話してもよいという許可は得たが。ただし、必ず嫁を連れ帰ってくるように! と強制されたが。
もし嫌がられたら? 恐怖で叫ばれたら? そんな事を考えてどうしても一歩が踏み出せずずるずると一年を過ぎたのだ。
こんな中途半端な気持ちであるのに、惹かれていく心は次第に大きくなっていくし。これでもしファビエンヌ嬢が私を拒絶しなかったら気持ちが振りきれてしまいそうで、今度は自分の暴走に抑えが効くかどうかが不安で仕方なくなっていくという連鎖に陥りずるずると過ごしてしまったのだ。
こんなだからフェリクスにも母上や妹にもヘタレと言われるのだろうが……。
それに本当にアンセルムがファビエンヌ嬢を可愛がり大事に思っている事も分かる。ごく稀に本当はファビエンヌ嬢もアンセルムを慕っているのではないか? と思ってしまう事もあるのだが……。
だが、アンセルムはそれをない、と断言するのだ。いつも。
「ヴィーラント」
「うん?」
「君だってファビエンヌが好意を向けているのは分かっているのだろう?」
「……一応、分かってはいる。だがそれがどんな種類かは分からないだろう?」
言い訳がましい事を言っているのは自分でも自覚があるが、アンセルムもやれやれと言わんばかりに首をゆっくり左右に振った。
「なるべく早くにファビエンヌを安心させてやりたいのだがな」
「どういう事だ?」
「ファビエンヌはずっと婚約者候補でいる事に負い目を感じている。小さい頃から公爵家を出る事を考えていたからな。妹のメロディの事が心配で留まっているのと……」
アンセルムが言葉を止め私を見た。何が言いたい? だが、アンセルムはそれ以上は何も言わずに再び首を横に振った。
「……小さい頃から家を出る事を考えていた、だと?」
「そうだよ? 詳しくは話してはいないけれど私達の話の内容から君だって色々察してはいるだろう? 怪我をさせられるとかそういう事はないが、一歩間違えば餓死する位の事はされていた。今は私の婚約者候補という名目があるからそこまでではないらしいが」
餓死って……まさか。
「今すぐ我が国へ連れて行ってもいいだろうか?」
「は? おい!? 極端すぎるぞ!?」
我が――が、餓死とかあり得ぬ!
それならば私が! かっと自分の中の獣が暴れ出した。だめだ! 抑えろ!
ふーふーっと荒くなる息を整える。何度か深呼吸をし自分の感情を抑え込むとほっと安堵した。ここで私の中の獣が暴れ出しては困った事になる。
はっとしてアンセルムを見たがアンセルムは変わらず穏やかな表情で私を見ていた。何か不審には思わなかったのだろうか? 今私は感情が大分むき出しになり、獣の部分が出てきてしまったのだが……。
「ファビエンヌを君に託してもよいだろうか?」
「…………親族でもないアンセルムに頼まれるというのは違う様な気がするのだが?」
「まぁ、普通はそう思うだろうね。色々とね、こちらにも話せない事情があるんだ」
こちらにも、なんて……私に話せない事情が何かあるという事を知っていると言わんばかりの口調。アンセルムは何を知っている?
問いただす事も出来ぬまま王城に着き、いつものようにフェリクスとハーラルトが迎えに出てきた。
しばらく自国に戻っていたのだが、大分こちらの生活に慣れていたらしい。フェリクスとハーラルトが並んで出迎えている事に戻ってきたという感覚に陥った。
私が戻る場所はバルリングであるはずなのに、と苦笑を漏らす。
「お帰りなさいませ。こちらでこうしてお待ちするのも三か月ほどぶりですのに何故か懐かしい気になりました」
フェリクスがくすりと笑いながら言った。
「私もそう思っていた所だ」
「随分と慣れ親しんでくれていたみたいで嬉しいよ」
私達の会話を聞いていたアンセルムが馬車から降りながら笑った。
「こちらは本当に居心地がとてもよいのです」
「分かる。小うるさい妹や母上がいらっしゃらないからな」
「ヴィーラント様!」
咎めるフェリクスに私は笑い声を上げた。
アンセルムと別れ、もう見慣れた部屋になっているギルメット王国王宮の私の部屋に戻ってきた。本当に約一年この部屋で過ごしたからか居心地がいい空間になっているのが自分でもおかしい。
「ファビエンヌ様とはお話は出来ましたか?」
「……私の事情を、という事か? 今日から学園が始まったばかりだ! 出来るはずないだろう!?」
「またそういう言い訳ばかりを言って」
はぁ、とフェリクスに溜息を吐かれた。
「いや! 本当に! 今日は入学式もあったし、ファビエンヌの異母妹が入学してきたから」
「そういえば妹さんがいらっしゃるのでしたね」
「ああ。異母妹らしいがファビエンヌ嬢とは仲はいいらしい」
小さく手を振るファビエンヌ嬢も可愛らしかった。細い指、私と比べたら小さい手……。
「んんっ……」
なんか久しぶりにファビエンヌ嬢に会ったせいでどうにも落ち着かない気持ちになる。もし尻尾が出ていればずっと揺れているのではなかろうか?
「……帰り際、ファビエンヌ嬢の顔色が悪かったのがちょっと気になるな」
「ここでどうこう言っても仕方ないではありませんか。本当に、さっさとご自分のお気持ちを告げればよろしいのに」
「そんな簡単そうに言うなッ!」
はぁ、とフェリクスがこれ見よがしに大きなため息を吐き出した。自分でも言い訳ばかりしているのは重々分かっている! 私は怖いのだ。ファビエンヌ嬢からどんな目を向けられるかが分からないから。
もしケダモノが、みたいな目を向けられたら? 怖がられたら?
母が獣人とのハーフで母は人と何も変りはない。耳が出る事もないし、尻尾も牙も出ない。ただハーフというだけだ。
だが、俺には何故か獣人の血が濃く出てしまった。我が国では獣人との婚姻はもう珍しいものではなくなっているために特に問題はないのだが、ただ他国では違う。
特にここ、ギルメット国には獣人はほぼいない。歴史が長い国で獣人を人として最後まで受け入れる事を拒否していた国だ。
世界王族が集まる会議で獣人も人属であると決定されてもなお、獣人はギルメットにはほぼいないのだ。
だからこそアンセルムがわざわざ私に手紙をくれたのだろう。
アンセルムは柔軟な思考をしているので獣人に対しても忌避感もないようだが、ファビエンヌ嬢は分からない。
そこが私を躊躇させてしまっているのだ。それとアンセルムの婚約者候補という立場も。アンセルムはファビエンヌ嬢を選ぶ事はないとは言うが……。




