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第10話 不都合な真実

 静まり返った深い山奥の谷底。倒木をなぎ倒して大破した車両の周囲には、

 ガソリンと冷却液の匂い、そして雨上がりの湿った土の香りが立ち込めていた。



 ーーー数時間後。



 遠くから近づいてくるサイレンの音が、夜の静寂を切り裂いた。


 警察と消防のレスキュー隊が現場に到着し、

 強力な投光器の光が崖下を白々と照らし出す。

 ひっくり返った鉄の塊と化した車両から主人公・高橋の身体が引き揚げられたとき、彼のバイタルサインはすでに途絶えていた。



 ーーー翌朝。



 事件を担当した交通捜査課の捜査官たちは、

 現場の痕跡と車載ドライブレコーダーの解析データを見ながら、首をかしげていた。


「事故の原因は……単純なハンドル操作のミス、ヒューマンエラーか」


 現場のタイヤ痕はあまりにも不自然だった。

 右へ、左へ、そして急ブレーキ。

 まるで何者かに追われ、目に見えない障害物を狂ったように避け続けていたかのような蛇行の軌跡。

「車載ナビのログも解析しましたが、システムに異常や誤作動の痕跡は見られませんでした。

 むしろ、路面凍結や落石痕などの危険事象を、寸分違わずリアルタイムで検知・記録していました」


 捜査官は手元の資料に目を通し、小さく息を吐いた。


 システムは正しかった。

 システムはバグを起こしておらず、

 主人公を意図的に崖へ誘導したわけでもない。

 システムが提示していたのは、いつだって「客観的な事実(データ)」だけだった。


  「この先、落石痕です」

  「左側、路面凍結です」

  「制動距離の延伸です」


 システムは「減速しろ」とも「右に避けて生き延びろ」とも指示を出していない。

 提示された事実に対してどう判断し、

 どう車体を制御するかは、100%ドライバーである人間に委ねられていた。

 しかし、傷つくことを恐れて人間関係を絶ち、

 思考を完全に停止させて「完璧なシステム」に全幅の信頼を寄せていた高橋は、


 システムが発する「〜です」を助言や命令として勝手に解釈した。


 危険(事実)を教えられるたびにパニックを起こし、

 反射的にその逆へと逃げ続けた結果、

 自らの手で車をコントロール不能に陥らせ、自ら崖下へ飛び込んでいったのだ。


 システムは嘘をつかない。


 だが、思考を放棄した人間は、その「完璧な正しさ」に勝手に追い詰められ、自滅する。


 事故現場の捜査を終えた警官の一人が、

 大破した車内から回収された車載ナビの基板を証拠品袋に収めた。

 ひび割れた液晶画面はすでに完全に沈黙し、

 黒く冷たいガラスの破片となって、朝の光を虚しく反射していた。




 高橋の事故死から、数週間が過ぎた。




 秋の終わり、冷たい雨が降る午後の都内。

 四十九日の法要を終えた斎場の廊下で、

 友人の木村と、元妻の由香が静かに言葉を交わしていた。


「……警察からの報告を聞いたよ」


 木村は手に持った缶コーヒーを握り締め、ぽつりと呟いた。

「自社で開発した最新のナビを載せて、山道を走ってたそうだ。

 システムには何の問題もなく、原因は本人の運転操作ミス……過失事故だってな」


 由香は黒い喪服の裾に目を落としたまま、静かに首を振った。


「あの人、ずっと言ってたんです。

『人間は嘘をつくけれど、システムだけは絶対に嘘をつかない』って……。

 私のことも、ずっと許せないままだったはずなのに……」


 由香の胸元には、あの日、高橋に送った「10年前のプロポーズの写真」の原本が小さく折りたたんでしまわれていた。


「許してなかったんじゃないさ」


 木村は苦い顔で空を見上げた。


「あいつはただ、怖かったんだよ。人を信じてまた傷つくのが怖くて、完璧なシステムの陰に隠れてただけだ。……だけど、最後の最後に自分から車を走らせたのは、きっとシステムのためなんかじゃなかった」


 木村の言葉に、由香の目からひとすじの涙がこぼれ落ちた。


 高橋は人間を捨てきれなかった。完璧なアルゴリズムの部屋に閉じこもりながらも、最後まで捨てられなかった10年前の写真立て。そして、元妻からのたった一行のメッセージに衝動を抑えきれず、深夜の山道へ飛び出していった男の、あまりにも人間らしく不器用な最期。

 言葉の届かない虚しさを残したまま、二人は雨の街へと歩き去っていった。




 ーーー。


 誰もいなくなった高橋の自宅マンション。




 すべての家具が搬出され、無菌室のように綺麗に掃除されたリビングには、人っ子一人いない静寂が広がっていた。

 しかし、天井の角に設置されたスマートスピーカーの小さなインジケーターだけが、壁のコンセントから給電され、淡い青色の光を明滅させていた。

 退去作業を終えた業者が、玄関のドアを外側から静かに閉める。

 カチャリ、と重厚なロック音が空っぽの部屋に響き渡った。

 次の瞬間。

 暗闇に包まれた誰もいない静かなリビングで、スマートスピーカーの光が静かに輝いた。

 微かな電子音とともに、滑らかで、澄み切った、一切の感情を持たない女性の音声が、完璧な明瞭さで空間に放たれる。



『本日、未契約期間の開始です。ご注意ください。』



 誰に届くこともない完璧な事実が、無人の部屋にいつまでも、

 静かに響き続けていた。





(『ご注意ください』全10話・完)













【システムからではなく私からのあなたへのメッセージ】


最後まで読んで頂きありがとうございます。

もしよければ、よろしければで構いませんので

次回作の励みになりますので、

『いいね』をポチッと押していただけるとありがたいです。


『いいねの押し忘れに、ご注意下さい。』 (笑)

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