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7.血盟士団殺し

 岩手県一関(いちのせき)市の大型拠点への移動中、後方座席で帝都が運転席を何度も軽く蹴飛ばした。

「茂水、事故るなよ?」

ルームミラー越しに映る、ハンドルを握る人物の目は非常に眠そうだった。何なら大きな口を開けて欠伸をする。

「茂水、本当気をつけてよ?」

さらに、後ろから天見が叱責を重ねる。

「しょうがねえだろ? 昨日、遅くまで会議してる奴が隣にいたんだ」

茂水は助手席のほうを睨んだ。千路はまだイヤホンをつけ、タブレット端末を凝視していた。画面には、オンライン会議の様子が映し出されていた。

「よく酔わないな。てか、長すぎだろ」

茂水が呆れたように一瞥し、前に視線を戻した。

「そんなに会議が長いってことは、次の赴任地、結構厄介ごと抱えていたりしません?」

渡会が恐る恐るといったように告げる。車内が沈黙に包まれた。

 何とも言えない微妙な空気が漂うまま、目的地に到着する。

 屋内に入ると、今までのどの避難所とも異なる雰囲気が漂っていた。異様な静けさと、張り詰めた緊張感。答え合わせをするように、渡会が口を開く。

「今回、団員しかいないんでしたっけ?」

「一般市民は他所に移動している」

千路が答えた。すかさず、渡会は質問を重ねた。

「何故わざわざ?」

「この辺、物騒な連中がいるんだよ」

突然、知らない声が会話に混ざってきた。全員が足を止める。

 筋肉質な体格の、三十代半ばから後半ぐらいの短髪の男性だった。薄い青色のシャツを着用している。厳格さと穏やかさの共存したその顔を見て、渡会が目を見開いた。

長浜(ながはま)警部!」

「何? 知り合い?」

帝都が訊ねる。

「職場の上司」

「えぇ? 渡会君、警察官だったの?」

「天見、知らなかったのかよ」

「逆に何で帝都は知ってんのよ」

天見と帝都が場所を忘れて言い争う中、千路と長浜が初対面の挨拶を交わしていた。

「初めまして、班長の千路です。しばらくお世話になります」

「長浜です。渡会が世話になってます、よろしくお願いします。来た人たちから、ここに集合しています」

長浜はそう言い、三階の大会議室に案内した。

 中に入ると、ちらちらと団員から視線を感じた。先程まで大声で会話していたせいだろうか? そう思ったが、その割には違和感のある視線だった。

 そこに、廊下から小さな人影がたどたどしい駆け足でやってきた。

「おじちゃーん、楽しいのなかったよ?」

長浜の腰の位置ぐらいの高さで、髪を二つに結う少女。場違いな人物だった。

「長浜け……さんの娘さんですか?」

「いいや、班員だ」

空気が凍るのがわかった。ひそひそという声が聞こえ、困惑や異物を見るような目が集まる。

 それに気づいたのか、本人は周囲を見回しながらこう叫んだ。

太白(たいはく)彩名(あやな)、小学二年生です! 好きな食べ物はカニです! よろしくお願いします!」

非常に元気のよい少女だった。場は途端にほっこりとした空気に包まれた。心なしか、長浜の表情も和らいだように見えた。

 彩名は自己紹介を終えると、目を輝かせて華陽に声を掛けた。

「お姉ちゃんも血盟士団なの?」

彩名の声が大きいせいで、他の団員たちからまたもや凍った視線が集中した。今度は華陽に。

「あ……うん、その……」

華陽がしどろもどろに答えると、代わりに、

「団長公認の団員です」

千路が全員に聞こえるよう、きっぱりと告げた。それを受けてというわけではなさそうだが、彩名が思い出したように声を上げる。

「あ! もしかして、めちゃくちゃ強い鬼さんでしょ?」

ますます否定できなくなった。集まる視線が険しくなる。班員たちは、皆文句を言わすまいと目で威嚇していた。そんな中、

「華陽ちゃん、お風呂行こ?」

天見が表情を和らげ、華陽に告げた。今にも逃げ出したい気持ちだった華陽には、ありがたい提案だった。

「彩名も行く! 長浜けーぶ、お着換えどこ?」

「部屋の入口のところにないか?」

「あれだ! ありがとう!」

華陽と天見に彩名がつき従い、併設の銭湯に向かうことになった。避難生活が続く中、入浴時間は設けられていたが、最低限の時間と設備しかなかった。ゆっくり湯船に浸かるというのは久々だった。

「すごーい!」

彩名は幻想的な湯気を全身に纏わせ、きゃっきゃとはしゃぐ。

「転ばないようにね」

華陽が注意するも、彩名の興奮は収まる気配を見せない。

「お姉ちゃん、早く早く!」

彩名は先に湯船に入っていった。華陽も身体を流すと、恐る恐る湯船に足を入れた。ちょうどよい温度だった。そのまま胴体まで浸からせていく。

「お姉ちゃん、名前は?」

彩名が首まで浸かりながら隣に来る。

「三橋華陽」

「いくつ?」

「一七」

「好きな食べ物は?」

「牛タンかな」

「知ってる! ベロでしょ、ベロ」

彩名が舌を出した。華陽が苦笑いする。

「華陽ちゃんはさ、彩名が何になれるか知ってる?」

のぼせのせいではないだろうが、最初、何の話をしているのか理解できなかった。ようやく、妖化した姿のことを訊いているのだろうと理解する。

「うーん……犬?」

「ぶぶー」

「猫?」

「違うよー」

「鳥かな?」

「えへへ。難しいかも。えーっとね、彩名がなるのは……」

彩名はそう言い、壁の結露した箇所に指で絵を描き始めた。角の生えた馬のような絵だった。華陽は、真っ先に連想された単語を口にした。

麒麟(きりん)?」

「えー! キリンじゃないよー。だって、首長くないもん」

彩名はそう言い、最後に足元に草か炎のようなギザギザを描き加えた。

「正解は、よくわかんない動物でした! えへへ」

彩名が鼻までお湯に浸かる。立った波が、描かれた生物のイラストを消去した。

「彩名ね、妖化すると強いんだよ! 本当はね、お父さんお母さんに見せてあげたかったんだけどね。そしたら、認めてくれたかもしれないから」

彩名の顔が途端に曇る。事情を察し、何も訊けずにいると、

「おねーちゃんは、家族と仲良かった?」

元の表情に戻り、無邪気な質問が飛んできた。

「うん。まあまあかな?」

華陽はなるべく表情を崩さないよう、何も考えずに答えた。

「いいなぁ。彩名は、家族仲良くなかったからね。彩名がポンコツだったから、お父さんもお母さんも喜ばなかったの。でもね、今はポンコツじゃないから、長浜おじさんも喜んでくれてる。だから、彩名も嬉しい!」

彩名は満足したのか、一番乗りで風呂を上がっていった。入れ替わるように、天見が湯船に入ってくる。

 お湯が静かに揺れる音だけが耳に届いた。

 気まずかった。先日、天見が樽屋を仕留めきれなかったとき。華陽が替わりにとどめを刺したこと。あれがまずかったのではないかと思う。

「天見さん……」

勇気を振り絞って声を掛けると、難しい表情を浮かべていた天見は、途端に普段の表情に直った。

「ん?」

「この間は、その……樽屋さんのことで、すみません」

「ああ、あれね。いいの。むしろ、華陽ちゃんには感謝してる」

「へ?」

意外だった。華陽は唖然としていると、天見は続けた。

「最期を討つべきは私の役目だった。樽屋さんも、それを望んでいたと思う。でも、私には命を奪う覚悟まではできてなかった。あの人を楽にしてくれて、ありがとう」

 それでもなお、天見の表情は晴れなかった。華陽に感謝しているという言葉は嘘ではないようだが、まだ何か心に引っ掛かっているように見えた。樽屋の死そのものに対しての喪失感なら、時間が解決してくれるだろうが、どうも違う気がした。

「ねぇ、華陽ちゃん。一つだけ訊いていい?」

唐突に質問が投げ掛けられる。華陽は驚きながらも、無言で頷いた。

「華陽ちゃんには、花押――先生ってどう見えてる?」

斜め上の質問だった。華陽はしばらく頭を悩ませる。

「えーっと……お茶目な人だなって思いました。なんかこう、研究者って、もっと堅苦しいイメージがありましたから」

「そう……ごめんね、変な質問しちゃって。ありがとう」

天見はそう言うと、先に湯船を上がり、更衣室へ出て行った。

 質問の意図がまったく読めなかった。華陽は、曇りガラスの更衣室のドアが閉じられるのを不思議そうに見送っていた。

 会議が長引き、長浜が不在の間、華陽が彩名の面倒を見ることになった。ドライヤーで髪を乾かしながら、会議の終了を待つ。

「ねーねー、彩名たちここで何するんだろうね?」

彩名が、ドライヤーの風音に負けない声で訊ねた。

 確かに、ずっと疑問だった。いきなり岩手に飛ばされたと思いきや、詳細は聞いていない。大規模な暴走人妖駆除の割には、拠点に団員たちが残りすぎている。

「彩名ちゃんは、何か聞いてたりしない?」

「わかんない。たぶん、化け物といっぱい戦う!」

おそらく、普段から長浜は詳しい話を彩名にはしていないようだ。そもそも、小学校低学年の子供に伝えたところで、理解できないのもあるだろう。

 一通り髪を乾かし終わり、くしで髪をとかす。

「おねーちゃんはさ、今まで戦ってきた化け物で強かったのいた?」

相変わらずの無邪気な声だった。

「うーん……ものすごく大きなイタチは大変だったかな?」

「大きいの? どのくらい?」

「学校の校舎の半分ぐらい」

「へぇ。確かにちょっと大きいかも」

「うん。しかも、外からの攻撃が全然通らなくてね。皮膚が堅いの」

「どうやって倒したの? 燃やした?」

更衣室をちょうど出たところで、茂水と出くわした。二人に気づくや否や、

「おお、ちょうどいいところで会ったな」

茂水は交互に見遣り、彩名で視線を止めた。

「おたくの班長からの依頼で、点滴を入れて欲しいと」

『点滴』の二文字が発せられた瞬間、彩名は踵を返し、逃げ出した。

「うぉ、待ちやがれ! 華陽ちゃん、捕まえて!」

茂水が後を追う。華陽も遅れて追い掛けた。運動が苦手なほうとはいえ、自分より小柄で足の短い少女を捕まえるのはさほど困難ではなかった。

「うえーん。おねーちゃん、離してー。離してよー、離せ!」

必死に華陽の腕を振り解こうとするが、力は及ばない。

「サンキュー」

茂水と二人がかりでベッドに寝かせる。彩名は涙目だった。

「嫌だよぉ! 痛いの嫌だ!」

「大丈夫大丈夫、死なないから」

「痛かったら殺す!」

宥める茂水に殺意の目を向ける彩名を見て、華陽が慌ててこう提案した。

「頑張ったら美味しいジュースあげる!」

彩名は頬を膨らませたまま、おとなしくなった。華陽は安堵する。

「華陽ちゃん、ありがと。もう大丈夫だ」

部屋から出て行ってよいという配慮だろう。ありがたく甘んじることにした。華陽は背を向け、保健室を出る。ドアを閉めると、背中で寄り掛かり、終わるのを待った。

「あい、終わり。お疲れさん。痛かったか?」

茂水の声が聞こえたところで、華陽はドアをゆっくりと開いた。

「痛かった! 殺す!」

彩名が食いつき気味に答えるので、華陽が思わず笑った。

 彩名がベッドから降り、約束だと言わんばかりに華陽の袖を引っ張った。

「ジュース。桃味のがいい」

 華陽は彩名を連れて、校舎外の自動販売機に向かった。彩名の望みのものがあるかはわからなかったが、少なくとも自動販売機はここにしかなかった。

 人の声が聞こえた。どうやら通話中のようだ。見ると、三十前後の男性が、スマホを片手に自動販売機の側面に寄り掛かっていた。顔合わせのときに部屋にいた人物だったので、血盟士団の団員に違いなかった。

「……がやったことにすればいい。何、大丈夫だ」

華陽たちが自販機の前に立ち、硬化を投入すると、男性は驚いたように振り向いた。それから気まずそうに、華陽たちとスマホをちらちらと交互に見た。

「……いや、何でもない。何故か子供がいてさ、舐めてるよな……んっと、片方は北側」

飲み物が出てくると、彩名はそれを拾い、通話中の男性に向かって表情を歪め、舌を突き出した。相手が見ていようといまいと、用が済むと彩名は満足そうに華陽と屋内へ戻った。

「彩名、絶対あいつより強いのに」

文句を言いながら、ペットボトルを開封しようとする。しかし全く開きそうにないとわかると、華陽が代わって開けてあげた。彩名は嬉しそうに受け取り、喉に桃風味の水を流し込んだ。

 廊下を歩いてくる団員たちの流れを見て、会議が終わったことを悟った。すれ違う団員の視線が冷たく刺さる。純粋な敵意というより、恐れの入り混じった複雑な疎外感を与える視線だった。精神が少しだけ抉られる感覚がした。団員たちが出てきた部屋を通り過ぎたとき、

「三橋」

背後から千路の声がし、足を止めた。隣の彩名も数歩歩いたところで止まる。千路に続いて長浜が出てきたので、彩名は帰宅した飼い主を待つ飼い犬のように目を輝かせて駆け出した。

「千路さん、お疲れ様です」

華陽が一礼すると、千路は持っていた会議資料を華陽に差し出した。一瞬躊躇いながらも、それを受け取る。

「今回の任務だが、いわゆる『血盟士団殺し』の捕縛だ」

物騒なワードに、一瞬思考が停止した。目の前の資料の内容が、少し遅れてインプットされる。

 大量の人妖と一緒に歩く若者。赤髪にピアス。ヒョウ柄の派手なコート。彼らはまるで軍隊のように集団を律しながら、それでいてゲームを楽しんでいるような狂気があった。

「この男の名前は(また)()(れん)。二二歳、学生。人妖だ」

 気づけば、彩名も華陽の資料を覗き込もうとしていた。華陽は資料の高さを下げると、顔を上げて千路に質問した。

「この人たちが血盟士団殺しですか?」

千路はわざわざ肯定することなく、こう答えた。

「避難所や拠点、人妖駆除中の団員の命と化元体を奪っていく連中だ。現状、五か所の拠点が被害を受け、壊滅状態になっている」

「壊滅――」

華陽が呟いた。以前、化元体を盗まれた避難所以上のことが、すでに五か所の拠点で発生したということだ。

 華陽が呆然とする間に、長浜が付け加えた。

「ここが次の標的になる可能性が高い。襲ってきたところを反撃し、捕えて事情を聞き出そうというわけだ」

「何を聞くの?」

彩名が首を傾げた。長浜が身体を折り曲げ、姿勢を低くした。

「血盟士団の邪魔をするってことは、そもそも今回の化け物化を起こしたのも奴らなんじゃないかってことだ」

「えー、じゃあボスってこと?」

「そう。ボスかもってこと」

彩名と長浜のやり取りを聞きながら、華陽は改めて資料の写真を見つめた。彼らがもし、今回の大規模人妖暴走事件を引き起こした張本人だとしたら。その動機は、愉快犯的なものなのだろうか? 得意げに上がる口角とわずかに覗く八重歯に、憎悪が湧いた。

「すでに偵察班が周辺探索に向かっている」

千路が淡々と告げた。華陽は資料から目を外した。

「私たちは、どうすればいいですか?」

「ここの警備だ。三橋は北部方面、私と一緒だ」

「帝都くんたちとは別なんですか?」

「今回に限っては、警備が堅くなるように適材適所で配置している。本来の所属班は無関係だ」

それなら、おそらく渡会はすでに偵察に出たのだろう。華陽は資料を返した。

「ありがとうございます」

「すでに他の団員は持ち場についている」

「三橋さん、彩名の面倒ありがとうございます」

長浜が礼を言い、彩名が手を振る。

「またね、おねーちゃん」

華陽は手を振り返し、千路についていった。

「大丈夫か?」

持ち場に向かい始めた途端、千路が訊ねた。何に対して言っているのか、すぐには理解できなかった。

「顔色悪いでしょうか?」

言った傍で、それが周りからの視線を指していることに気づく。

「少し気になりますけど、でも大丈夫です」

「嫌な思いをしたら遠慮なく言ってくれ」

 外に出ると、冷たい空気が全身に降り掛かった。風が衣服の裾と髪を揺さぶる。

「又日たちは北東方向から来ると予想されている」

ドアを閉めながら千路が告げた。

 華陽は、正面に見える疎らな住宅地を見つめ、右側に見える森林へと視線を移した。月明かりが照らす、のどかなはずの風景は、得も言われぬ禍々しさを放っていた。空を飛ぶ異形は、偵察班の団員だろう。何体か組になり、満遍なく散らばりながら上空を旋回している。まだ見つかっていないのか、特に合図らしいものはない。

 華陽は奥の森林や空から注意を外した。周囲で警戒に当たる団員たちは、すでに妖化しており、遅れてきた華陽に冷たい視線を浴びせていた。

 居心地の悪さを感じながら、華陽は妖化した。じろじろと監視するように眺められているのがわかった。

 そこに、一足遅れて中から団員が一人やってきた。先程、自動販売機の近くで通話をしていた男性だった。注目は一気にそちらへ移った。

 一体の魚面の人型が、中年男性の姿に戻る。

伊東(いとう)、遅いぞ。何してたんだ?」

「すみません」

伊東と呼ばれた男性は、ぼそりと呟くように謝罪した。注意した男性は溜息を吐き、魚面に戻った。

 空気がざわめくのを感じた。土の匂いが、化元体のような独特の臭いに掻き消される。よからぬものが近づいてくるのがわかった。華陽の意識は、自然と森林のほうに向けられた。

 堂々とやってくる銀色の狐の影。四本足で、後部で炎のようにゆらゆらと揺らめいている。月光に照らされた全身が、神秘的に映る。

「九尾――」

華陽が息を飲んだ瞬間、尻尾が槍のように伸び、周囲の人妖たちを貫いた。人妖たちは、痙攣しながらその場に倒れる。

 華陽はすかさずドアの前に立ち、侵入を防ごうとした。人妖としての力を察したのか、九尾は尻込みすると、侵入を諦め、引き返した。すかさず魚面が先陣を切って、追跡に向かう。

 その矢先だった。六本足の短足の牛が、魚面に馬乗りになり、喉を突き刺した。魚面が弱る間に、九尾は遠ざかっていく。

「伊東。何の真似だ?」

千路が臆することなく詰め寄る。牛の人妖は、理性を伴う赤く腫れた目で睨み返すと、頭部だけ妖化を解いた。

「彼女だけは死なせない」

 華陽に選択肢はなかった。血盟士団殺しに何らかの情報を持ち帰られる可能性がある。ましてや、団内に内通者がいるなら尚更だ。森のほうへと逃げ込む銀色のシルエットを逃さないように、森林の中を突き抜けた。

 九尾は何度かちらりと後方を見やっていた。華陽を撒けないと悟ったのか、尻尾を槍状に伸ばし、行く手を阻もうとする。華陽は飛び跳ねたり、金棒でいなしながら攻撃をかわし、追跡を続けた。

 今度は、周囲の木が尻尾で切り倒された。これも華陽は避ける。

 ――これじゃあ、そのうち仲間に気づかれるかもしれない。

 血盟士団殺しが、いつ増援にやってきてもおかしくなかった。

 そこに、行く手を阻むように炎が木々を燃やした。九尾の足が止まる。

 後方に、四本足の大型の馬のような人妖が空からそっと降り立った。ぱっと見は馬、角の生えた、龍に近い顔立ち。

「彩名!」

華陽が呟くように呼ぶと、応じるように不思議な咆哮を放った。追い詰められた九尾が、華陽たちに身体を向ける。周囲に延焼する炎との距離を測りながら、おどおどとしていた。

 突然、後方から複数の木の枝の折れる音がした。叢の揺れる音の直後、何かが地面に落下する。

 華陽が振り向くと、そこには組み合った六足の牛とコウモリが転がっていた。彩名と九尾がじっとその様子を見つめる。表情がなさそうに見えるが、驚いているのがわかった。

 二体が妖化を解き、化け物のときと変わらぬ目つきで相手を睨んだ。

 千路は腰から銃を引き抜き、伊東に向けた。伊東は両手を挙げつつも、鼻で笑った。

「オモチャなんて、脅しにならないが?」

「自決用の道具が玩具でどうする?」

伊東の顔が一気に青ざめる。

 九尾が尾を三本、鉄針のように固めて千路を貫こうとしたが、華陽が金棒で食い止めた。

 千路が銃口を近づけると、伊東は指先まで両手を綺麗に伸ばした。

「俺も裕子(ゆうこ)も血盟士団殺しとはいっさい関係ない。あいつらがやったことにして、化元体を分けてやりたかった」

「国家の危機より恋人優先か」

「当然だ。仮に平和が戻ったところで、愛する人がいなかったら意味がない。そんな世界は無価値だ」

「しかし、お前は血盟士団だ」

「団に入ったのは俺の意思だから、義務を全うしろと? 知るか! 国を守ることが大事な人を諦めることだと知っていりゃ、入ったりはしなかった!」

伊東が足元の枝を蹴りつけた。虚しい音を立て、数メートル先に転がる。

「俺にとって大事なのは彼女だけだ。国家なんてどうでもいい。彼女を選べないのなら、こんな組織なんてやめてやる。クソくらえだ」

「同士討ちしておいて、易々と見逃してもらえるとでも?」

「地獄行きか? 構わない、彼女と一緒に行けるならな!」

覚悟の決まっている顔つきだった。奥で待ち構える九尾も、異論はないとでも言うように静かに伊東を見守る。

 しかし、千路も怯むわけではなく、容赦なく安全装置に指を宛がった。

 最中だった。

「何、内輪揉めですかぁ?」

煽るような口調の、若い男の声が響いた。見ると、人間と異形の混在した集団が、周囲を取り囲んでいた。その中心にいる男は、やや長めの赤髪と金色のピアスを揺らし、八重歯を見せる。どこかの写真で見た顔と、まったく同じだった。

「血盟士団殺し――」

「又日錬――」

華陽と千路が呟く。伊東との悶着に夢中で、周囲の警戒を忘れていたことに気づかされた。

「え、何? 俺、有名人なの? やば」

又日はその場で軽くストレッチを始め、さらに華陽たちに近づいた。

「せっかく俺たちがいるんだからさ。争うなら俺たちにしようよー」

又日の足が止まった。同時に、周囲の人間が一斉に怪物へと姿を変える。

 千路は前を向いたまま、華陽たちに告げた。

「退散だ。勝ち目がない」

それからコウモリに化け、華陽を背中に乗せて飛び上がった。彩名も続く。とっさに伊東が千路の足を掴んだ。バランスが大きく崩れた。

 下では、多数の怪異が餌を待つ雛鳥のように待ち構えていた。

 伊東の申し訳なさそうな顔と、化け物たちの歓喜する顔、開かれる口が迫る。

 両者の間に、九尾の狐が身を挺した。地面の人妖たちの総攻撃を一身に受け、鮮血を噴きながら散っていく。

「裕子おおおおおおお!」

コウモリの上昇とともに、伊東の叫び声が大空に響き渡った。空から、雨とは異なる滴が垂れる。

 森を離れ、拠点が見えてきたところで、高度が下がっていった。伊東が地面に接触し、華陽がコウモリの背中から飛び降りると、千路は妖化を解いた。

 伊東の件があったためか、北部の護衛は華陽たちが離れたときよりも人員が増加していた。帰ってきた千路や伊東の様子を見て、只事ではないと悟ったようだ。崩れ落ち、泣き出す伊東に困惑しながらも、千路が告げる前に、一部の団員が報告に中へ戻った。

 空から一羽のワシが、千路と華陽の間に降り立ち、渡会へと姿を変えた。

「会ったんですね」

渡会が訊ねる。二人とも返答はしなかったが、肯定の意は伝わったらしい。

「例の虫の人妖は見つからなかった」

「そうですか」

渡会は難しそうに腕を組んだ。

「三橋。又日といた人妖の中に、カマキリとハチを足したようなものはいたか?」

華陽は数分前の記憶を引っ張り出す。言葉で聞くだけでも特徴的な外観だ。もしいたら、すぐに気づくし印象に残っているはずだった。

「いなかったと思います」

「班長。そうなると、又日たちが染谷合流を阻んだ奴らと仲間である線は薄れてきますね」

渡会が険しい表情で告げる。千路も、渡会同様に腕を組んだ。

 最中、華陽がふと気づいたことを告げた。

「千路さん。そういえば、最初に見せてくれた画像に、ネズミみたいな人妖がいたと思うんですが、さっきの集団の中にいませんでしたか?」

千路が眉を顰める。

「いや……見なかったと思う」

千路はそう答えてから、スマホを取り出した。相手が通話に応じたところで指示を出す。

「天見か? 屋内を探して欲しい、ネズミの人妖だ」

タブレット端末を起動し、例の写真を表示する。

「大きさは猫ぐらい、黒いマントを纏っている……始末してくれて構わない、よろしく」

千路は通話を切った。渡会と再び例の写真を眺め、何か話し始める。

 華陽は、一人で心配そうに建物を見つめていた。

「華陽ちゃん、さっきカマキリとハチを足したみたいな虫って言った?」

いつの間にか妖化を解いた彩名が、華陽の隣に立っていた。

「うわ! びっくりした」

華陽は驚きながらも、彩名がカマキリ様の人妖を知っていると言ったことが引っ掛かった。

「彩名ちゃん、その虫のこと知ってるの?」

「うん! それ、カマキリモドキっていうんだよ」

「カマキリモドキ?」

どうも華陽の想像するものと違っているような気がするが、念のため深掘りしてみる。

「うん。カマキリモドキ。ぱっと見ハチみたいなんだけど、頭のほうはカマキリそっくりなの! 鎌もちゃんとあるんだよ」

彩名はそう言い、スマホで検索し始めた。

「虫、詳しいんだね。好きなの?」

「うん! 脚いっぱいあるし、目はもっといっぱいあるし、頭潰しても動くし、意味わかんないから!」

「意味わかんないから好きなんだね」

「そう! カマキリモドキ、これ!」

スマホが掲げられる。確かに、そこには彩名の説明通りの生き物が映っていた。黄色と黒の警戒色で、一瞬アシナガバチに見間違えそうな見た目をしているが、前脚はカマキリのような鎌状の形をしている。

「これって、結局何なの?」

「えーっとね、カゲロウ!」

「カゲロウ」

華陽が反芻した。

「そう! トンボを弱くしたみたいなやつ!」

彩名は元気よく答えると、スマホでまた検索を始めた。

「あ、カゲロウなら知ってるよ?」

華陽がそう言い、止めようとする。しかし、彩名の指は止まらなかった。

「カゲロウにね、変な名前の奴がいるんだよ。ウスバカゲロウっていうの!」

「ああ、アリジゴクが成長するとなる奴ね」

「ウス・バカ・ゲロウ! ウフフフフフ」

彩名が笑いながら、スマホ画面を再び掲げようとした。

 ちょうどそのとき、屋内から天見が出てきた。その手にはネズミにしては大きすぎる獣の死骸があった。

「班長、見つけました!」

千路と渡会が同時に顔を上げる。

 天見は、迷わず二人のところに行き、見慣れない赤いケースのスマホを差し出した。

 華陽と彩名も、三人のところに加わった。

「何か持ってましたけど、どうしましょう?」

スマホの画面には、チャットアプリのメッセージを作成している途中の状態が映っていた。しかも相手は又日だった。

 千路は、軽くメッセージを遡ると、文面を打ち込み、送信した。

『化元体屋上でした~(蟹の絵文字)しかも見張りゼロ! 狙いめっスよ』

送るなり、千路は彩名に屈み込んで質問した。

「おたくの班長はどちらにいますか?」

「長浜けーぶ? 西側! あ、でもトイレ近いから、トイレかも」

「ありがとう」

千路は屋内に入ろうとした最中、その場で立ち止まり、華陽たちにこう指示した。

「屋上集合だ」

華陽たちは頷いた。


 又日たち一行は空からやってきた。拠点の屋上に降り立つと、周囲を見回した。

「化元体どこ? てか、安藤(あんどう)どこだよ?」

 そこに、空からぽとりとネズミの人妖の死体が降ってきた。直後、隠れていた団員たちが一斉に現れ、総攻撃を仕掛けた。

 集団を守るように、一体の巨大な蟹の人妖が姿を現した。すべての物理攻撃を一身に受けながらも、固い甲羅には傷の一つすらつかず、ビクともしなかった。

「サンキュー、よしちん」

又日が、蟹の脚をトントンと叩き、改めて団員たちを見回した。

「ちょっとちょっとちょっとさぁー、趣味悪くない? 何この歓迎。おかしいでしょ」

又日は、ネズミの人妖の死骸を見下ろし、再度団員たちを見る。

 答えるように、団側の中央に立っていた長浜が口を開いた。

「探し物を返してやったんだ。文句があるなら帰れ。二度、拠点荒らしはしないと約束してな」

「それはないよー。だって化元体、あんたらだけが占有してるじゃん。こっちにも回せって話。ま、与えられてもやめないけどね」

又日はそう言い、背後の集団に目配せした。途端に、人間たちが人妖に変わった。

「ほら、お待ちかねの時間だよ」

「あんたは妖化しなくていいのかい?」

「する必要ないでしょ。つうか、よしちんいれば足りるんじゃね?」

「後悔するなよ」

 戦いの火蓋が切られた。

 総力戦は、戦闘要員をたくさん確保していたお陰か、ほぼ互角か、団員側が優勢だった――蟹の人妖の存在にさえ、目をつぶれば。

 頑丈。強力。巨体。俊敏。欠点は、小回りが利かないくらいだが、そんなのが霞むほどの難敵だった。蟹は、敵味方関係なく死骸を踏み潰し、自在に歩き回る。

 離れたところから蟹の様子を観察しながら、華陽は打開策を探っていた。

 真っ先に連想したのは、イタチの人妖だった。外側から攻められないなら、内側から急所を狙えばいい。しかし、蟹の口は侵入できる大きさや形状をしていなかった。無暗に突っ込んでも、こちらが消耗するだけだ。

 同じく様子を見ていた千路が、華陽に気づいて妖化を解き、近づいてくる。

「千路さん。何か案はありませんか? 危険なものでもいいです」

「ここが学校だったら、理科室のものを使っていたかもしれないが」

「ないですよね。甲羅を溶かせそうなもの」

少なくとも、あの大きさの甲羅を溶かすことのできる量の強力な薬剤は置いてないだろう。

 手詰まりか。華陽の目から、希望の光が消え失せようとしていたそのとき、

「華陽、千路」

背後から声を掛けられた。

 帝都だった。単刀直入にこう告げる。

「長浜さんから、蟹を下に落とせだって」

華陽と千路が、再び蟹のほうを見る。すでに指示が下っているのか、団員たちが誘導しようと、隅のほうに寄っているのがわかった。

 二人の視線が蟹を捉える間にも、帝都は話を続けた。

「多分、落としたら殻が割れて、中身を攻撃できるってことだと思う。あの大きさなら、落ちたときの衝撃もすごいだろうし――」

「違う」

別の声が混ざってきた。三人がいっせいに振り向く。

 指示を出したという張本人がそこにいた。両腰に手を当て、前屈みになる。

「彩名に焼いてもらう。そのためには、屋上じゃ不都合だ」

「あ、そういうこと?」

帝都が訊く。

 華陽は屋上の端から端を見渡した。確かに、ここで火を放つのは危険だ。味方も巻き添えになるのは必至で、さらに建物自体が炎上してしまう可能性もゼロではない。

「そういうことだ。落としさえすれば、後は彩名が何とかしてくれる。人手が減る前に、ちゃっちゃと落としてしまいたい」

 再び蟹を見る。大きな鋏がハンマーのように振り下ろされ、六本の脚が足元の団員たちを踏み潰そうとしていた。

 華陽は返答の代わりに、蟹のところに向かった。帝都たちも妖化し、後についてくる。

 蟹の注意が他の団員に向いている間に、華陽はゴツゴツした甲羅に両手を当て、端に押し出そうとした。

 経験的に、妖化時の筋力が上がるのはわかっていた。金棒が軽く感じ、地面を蹴るだけでも高く跳べる。敵次第では、頚椎や骨をへし折ることも可能だ。

 それでも、目の前の蟹を押し出す力には届かなかった。

 さらに、血盟士団殺し側の人妖が脇から妨害してきた。隣の帝都は、背後から噛みついてきた黒い剛毛の獅子頭の相手を余儀なくされる。直後、頭上に降ってくる蟹の脚に気づき、一足早くその場から離れた。逃げ遅れた獅子頭は、背中を貫かれ血反吐を吐きながらへたり込んだ。

 蟹は、巻き込まれた仲間を蔑むように一瞥すると、どけた脚で邪魔だと言わんばかりに蹴飛ばした。獅子頭は屋上中央の仲間の死体のところに引きずられ、動かなくなった。

 帝都だけでない。他の団員たちも、蟹以外の人妖に気を取られ、蟹を突き落とすどころではない状態だった。

 華陽は蟹から視線を外し、他の血盟士団殺しの人妖を一体一体確認した。刀を抜き、隙を窺う。

 敵を一撃で仕留め、味方には傷一つつけないルートを探す。視界に映るすべての人妖の動きが、コマ送りのようにゆっくりになった。

 一体目の敵に向かって直進する。樹皮様の体表をした大型トカゲの首を切り落とし、団員の鶴の人妖の首に当たりそうになる擦れ擦れのところで、刃先の軌道を変える。泥を纏ったカメの敵の頭を刺し、甲羅の上で跳ね上がり、頭上を飛行する鱗翼のムササビの心臓を串刺しにし、すぐ脇を飛んでいた千路をかわして、そのままツチノコの人妖の頭に叩きつけた。

 時間の感覚が元通りになった。足元で痙攣するツチノコの頭部を踏み潰し、隣にいた河童の頭部に横から刀を刺す。

 蟹の眼柄が前に伸び、華陽を捉えた。気のせいか、口元が不敵に笑ったように見えた。

 次の瞬間、鋏が華陽の頭上に降り降ろされた。

 間一髪、直撃を免れた。目の前で床に窪みを穿った鋏が、重々しく持ち上げられる。今度は、もう一方の鋏が、横から殴り掛かってきた。華陽は上半身を反らし、ギリギリ攻撃をかわした。

 最後に、先端の尖った脚が振り下ろされる。刀を引き、弾き飛ばした。

 姿勢を戻し、華陽は蟹を睨んだ。無機質な黒い目が、こちらを覗き込んでいた。

 先程の血盟士団殺しの一掃以後、完全に目をつけられていた。何が癇に障ったのか? そう思ったが、どうも様子が違うとわかった。

 全身から漲る興奮。間違いなく敵は戦闘狂で、骨のある相手を欲していた。

 巨大鋏・通常鋏・脚が交互に華陽の身体を捉えようとする。華陽は刀で捌きながら攻撃をかわしていった。

 蟹の注意を引けたのなら、このまま下に誘導すればよかった。しかし実際は、攻撃から逃れるのでいっぱいいっぱいだった。

 時間の経過に従い、蟹の動きが読めるようになってきた。

 ――否。相手の動き自体が鈍ってきていた。疲労だ。やはり、この重量で早い動きを行うには、相応のエネルギーを消耗するようだった。

 次第に余裕が出てくると、華陽は地上へ誘う準備を始めた。後退する方向を変え、徐々に端へと下がっていく。

 蟹は、八本の鋏と脚で華陽を追った。

 まもなく、端に来るはずだった。華陽はそのまま、下に飛び降りようとする。

 蟹の脚が止まった。前のめりだった眼柄が戻り、その場で身体の向きを一八〇度変える。

 蟹は、何を思ったのか人妖の死体に近づき、肉塊を貪り始めた。

 何が起きたのかわからなかった。途中で策に気づいたのだろうか? 華陽は蟹のほうに近づいた。

 横から眼柄を見上げる。無機質で、感情のない目。

 まさかと思い、妖化を解いた。

 次の瞬間、蟹は勢いよく華陽のほうを振り向いた。

「――暴走?」

鋏が振り下ろされた。

 華陽は、妖化した千路によって直撃から逃れた。そのままドアを突き破り、屋内に連れ去られる。

 下ろされるのと同時に、千路が妖化を解いた。

「助かりました、ありがとうございます」

華陽はそう言い、入口から外の様子を覗いた。こちらに向かう蟹を、妖化した彩名が引き止めていた。

 視線を千路に戻すと、千路は息を切らしながら階段を下り始めた。華陽も後に続く。

「又日たちが中で化元体を探している」

言われて初めて、又日の姿が消えていることに気づいた。階段を下りるペースが上がる。

「あの蟹はどうしますか?」

暴走してしまった以上、華陽を囮としては使えない。使うなら人間の姿になる必要があるが、それではあの速さから逃れることはできないだろう。

 千路は前を向いたまま、こう答えた。

「化元体を下に持っていく。臭いに釣られて誘導できるはずだ」

「それなら、蟹だけ安全に焼くことができますね」

誘導役を使う場合、最悪誘導役ごと燃やすことになりかねない。化元体を囮にするなら、団員の命が犠牲になる心配はない。

 だからこそ、化元体を死守しなければならなかった。

 二階まで降りたところで、ちょうど長浜と遭遇した。華陽たちの顔を見るや否や、

「急いでくれ。思った以上にまずい」

そう告げ、踵を返して走り出した。

 化元体の場所は、長浜についていけばよさそうだった。華陽は妖化し、長浜・千路に後れを取らないように走った。

 二階の突き当りの部屋のドアは、すでに全開にされていた。漂ってくる臭いで、そこが目当ての場所だとわかった。

 三人は、ほぼ同時に中に飛び込んだ。

 化元体パックの山と、血盟士団員たちの無残な死体が散乱していた。

「あらあら、まだ生きてたんだ」

部屋の中央で、又日が出迎える。その背後には、血盟士団員の死肉を啜る人妖たちの姿が見えた。

「そろそろ、よしちんが全滅させてる頃だと思ったんだけどな」

「君のお友達なら暴走してるぞ?」

又日の目がわずかに見開かれる。

「わお。まぁ、結構時間掛かっちゃったしな。てか、安藤がちゃんと働いてりゃ、化元体はあっさり手に入ったんだよなぁ。あーあ」

又日は華陽たちをまっすぐ見据え、口角を上げた。

「ねぇねぇ。血盟士団さんって人妖に詳しいんでしょ? だったら、人妖としてのポテンシャルを一番発揮できる状態がどんなときか、わかるよね?」

「暴走状態だが……おい、まさか――」

長浜が手を伸ばした瞬間、又日は右腕を横に伸ばし、仲間の人妖に切り落とさせた。

「何してんだ! 暴走したら仲間も殺しちまうかもしれないだろ!」

長浜の叱責に対し、

「知らねーよ」

又日は即答した。さらに続ける。

「強い奴が生き残るのが、この世界のルールだろ?」

右肩からは、とめどなく血が流れ落ちていた。やがて、そこからパズルが組み変わるように変化していく。

 全身に炎を纏った、二メートルのスズメバチの姿に落ち着いた。

 まだ自我は残っているようだった。足元に散らばる化元体ではなく、華陽たち三人をじっと見据えている。

 華陽は千路と長浜のほうを振り向き、こう告げた。

「ここにいる血盟士団殺しは私が食い止めます。その間に、化元体を外に運んでください」

上にいる蟹を地上に隔離するには、暴走したままの状態にしても、華陽を認識できるように元に戻すにしても、化元体が必要だ。こんなところで食い尽くされてしまっては困る。

 声が聞こえたのか、さっそく又日が化元体パックの山を目掛けて火を噴いた。すかさず千路が妖化し、翼で風を起こして追い返す。その間に、長浜がこう言い残した。

「上に残ってる奴らを連れてくる。蟹は、彩名だけで十分だろう」

華陽が頷いた。

 長浜が部屋を出るのを見送ると、華陽は妖化した。

 視線だけを動かしながら、敵の数を数える。又日を入れて六体――否、一体は化元体を外に持ち出した千路だったので五体だ。黒い粘膜で覆われた人影のような生命体。無数の牙を生やした巨大ミミズ。蛍光色の小動物大のナメクジ。松毬を纏ったフクロウ。

 華陽は刀を抜いた。

 又日の扮したハチが高度を上げたのと同時に、華陽は飛び出した。ちょうど真正面にいたナメクジの胴体をばっさり二分する。血液とは異なる緑色の液体が噴出し、ミミズの尻尾に掛かった。その箇所だけ黒く炭化し始め、ミミズが低く唸る。

 華陽はミミズの頭部を鷲掴みし、ナメクジの断面から流れる緑の液体に押しつけた。その上に両脚で踏み込み、宙から黒のぬめぬめした人妖を縦に断ち切る。

 今度はミミズの背中の辺りを足掛かりにして跳び上がり、刀を金棒に変えながら上からフクロウを殴打した。血とともに松毬の断片がそこら中に散らばった。

 着地と同時に、目の前にハチが迫った。金棒を横にして顔の前に突き出す。

 目と鼻の先に、赤いスズメバチの顔があった。大顎がカチカチと音を鳴らす。周囲の炎には触れていないにも関わらず、直接熱せられているように熱かった。

 半ば反射的に、金棒で敵を押し出し、距離を取る。素手で額を拭うと、結露したコップを触ったときのように濡れた。

 又日は、喜んでいるのか羽を激しく振動させた。周囲の炎が、一段と激しく燃え上がる。ばっさりなくなっていた右前脚も、少しずつだが戻っているのがわかる。

 又日の眼は、華陽だけに集中していた。暴走はまだのようだが、時間の問題だ。

 最中、長浜たちが戻ってきた。全員妖化した状態で、部屋に入ってくる。

 又日の視線が、化元体パックの山を捉えた。大顎を開き、火球を蓄え始める。

 ――まずい!

 華陽は、何も考えずに又日に突進した。壁際に押しやり、カーテンごと窓ガラスを突き破る。緩やかな放物線を描き、二体は一足早く地上へと踏み入れた。

 又日が仰向けに倒れ、その上に華陽が馬乗りになる。

 直後、又日の身体から勢いよく火が噴いた。

「熱っ!」

華陽は反射で離れた。衣服の一部が焦げ、手足の直接触れていた箇所はズキズキとした痛みを伴い、赤く腫れていた。

 又日は起き上がると、尻の針を華陽に向けながら、ゆっくりと上昇していった。火花の散る音と、低く唸る羽音が不気味に混ざり合う。

 上昇が止まった。次の瞬間、赤く光った針が華陽を睨み、急降下した。

 華陽はとっさに刀を握り、振り払った。鈍い衝突音が鳴り、ハチの身体が軽く弾かれる。しかし、敵はすぐに体勢を立て直し、同様の攻撃を仕掛けてきた。華陽も刀で応じる。低い衝撃音とともに、細かい火花が散った。

 又日の身体が下がった瞬間、華陽が前に出た。刃先が炎を睨み、斜めに滑っていく。

 しかし、空を切るだけだった。

 再度狙いを定め、前進しながら刀を振り下ろす。敵は素早く真横に避け、攻撃をかわす。水平に振ると、上に避ける。「虫の知らせ」でも感じ取っているのかと思うほど、完璧に予測しているように見えた。これが予測ではないにしても、恐ろしく速く動ける査証にしかならない。

 額に玉のような汗が浮かぶのは、何も暑さのせいだけではないだろう。揺らめく炎に、目が眩みそうになる。

 ホバリングしながらこちらを静観する敵の複眼には、すでに人間の理性は残っていなかった。

 ハチが、守りから攻めへと転じた。顎を開き、火炎を吐き出す。

 華陽は慌てて脇に転がり込むようにして、直撃を免れた。先程まで立っていたところに、火炎が立ち込める。

 華陽が駆け出すと、後を追うように炎が吐き出された。軌道に沿って炎の道が生成される。

 振り向く暇などなかった。後方から迫る熱が、次第に近づいてくるように感じる。同時に迫ってくるチリチリという音が、恐怖を掻き立てた。

 熱気が背中に当たる。空気の流れが変わり、髪が靡く。魔の手が背後にまで来ているのがわかった。

 華陽は、勢いよく跳び上がった。

 上空から、華陽の身体を何かが掴んだ。眼下の地上が離れていき、火の手が捕えようとしているのが見える。

 見上げると、紫色のコウモリがじっとハチを凝視していた。建物のほうを見ると、ちょうど入口から化元体を運んで出てくる団員たちの姿があった。

「ありがとうございます」

華陽は、助けてくれた人妖に礼を言い、再びハチを見下ろす。怒り狂うように、全身の炎を燃え滾らせ、羽を激しく震わせていた。その目は、華陽たちではなく化元体運搬の列を成す団員を向いていた。大顎の中で、火炎のエネルギーが溜められる。

「千路さん」

華陽が告げると、言われるまでもなく千路は華陽を離した。落下しながら刀を軽く振り、金棒に変える。

 ハチの頭上目掛けて、金棒を振り下ろした。

 ぐしゃりと潰れる音と感触が、金棒を通して伝わった。空中で静止していた身体が、静かに沈んでいく。地面に針が当たり、虚しく転がり落ちた。全身を包んでいた炎が止む。

 呆気ない終わりだった。

 金棒を刀に戻し、鞘に収める。踵を返し、団員たちの援助に向かおうとした。

 背後から、羽の震える音がした。思わず足が止まる。

 華陽は、恐る恐る振り向いた。

 ホラー映画を彷彿とさせるように、頭の潰れたハチの身体がよろよろと立ち上がろうとしていた。周囲に残る煙のように、左右に揺れながら上昇を始める。

「生きて……る?」

驚愕している間にも、ハチの身体を纏う炎が復活した。生命力を指し示すように轟々と音を立てる。

 ――虫、詳しいんだね。好きなの?

 ――うん! 脚いっぱいあるし、目はもっといっぱいあるし、頭潰しても動くし、意味わかんないから!

 彩名との会話が脳裏を掠める。「人妖」という生物とはいえ、虫と似た身体構造をしているようだ。

 火傷で唸る手で、再び刀を握る。刃先を向けながら、華陽はゆっくり後退した。

 そのとき、

「全員、化元体から離れろ!」

頭上から長浜の声がした。妖化中の渡会に乗りながら、化元体運搬中の団員たちに呼び掛けていた。

「屋上から奴が下りてくる! 燃やされたくなかったら今すぐ逃げろ!」

 団員たちは、一目散に退散した。華陽も、ハチを視界に留めながら、そそくさとその場を後にする。

 屋上から、化元体パックの山を目掛けて蟹が降ってきた。鋏を振り下ろし、乱暴に開封する。ハチも、不格好に飛びながら化元体に飛びついた。

 上から炎が吹き掛けられた。一瞬にして化元体の山と二体の人妖を包み込み、激しく燃え上がる。

 劫火の中で、巨大蟹が踊り狂うようなシルエットが見えた。やがて、それは動かなくなり、地面に伏した。

 煙が空に吸い込まれていく。化元体の山が炭と化し、ボロボロに崩れていくのがわかった。

 炎が消えた。こんがり焼けた蟹の死骸と、化元体の山だったものが視界に映る。

 化元体の山だったものの塊の中から、頭のないハチが姿を現した。焼かれる前と比べて無傷どころか、ふらつきが減っているように見えた。

 ハチの無機質な目が、一番近くにいた華陽を捉えた。周囲に炎を滾らせ、尻の針が赤く光る。

 羽音が大きくなった。

 離れたところに見えたはずのスズメバチの姿が、目の前に現れる。

 ――あ。

 思考が停止した。最期に備えて、恐怖や痛みを和らげようとすべての感覚が感度を落としていく。

 背後で、何かが跳び上がった。咆哮を上げながら、華陽の身体を追い越し、ハチ目掛けて突進する。

 地面に倒れるハチの上に乗り掛かる、六本脚の牛。釘のような足先を何度も何度も胸に突き刺す。

 身体を包む炎が消えても、動きが完全に止まっても、何度も繰り返し刺し続けた。それでも飽き足らず、蟹の死骸を一人で持ち上げようとした。

「伊東。もういいだろう」

後方から千路が呼び止める。

 伊東は千路を一瞥すると、妖化を解いた。目元を拭い、震える拳を下ろす。

「よくなんかない! こんな奴、滅多刺しにしてやらないと、気が済まない!」

さらに、右足でぐしゃぐしゃになった腹部を踏みつける。それが最後の一発になった。

 静穏が周囲を包んだ。飛行していた彩名が、徐々に高度を落としていく。

「一段落だな」

長浜が千路の隣にやってきて、告げる。その目は、俯きながら静かに涙を零す伊東を同情するように見つめていた。それから、近くに降り立った彩名を見上げる。

「お前もお疲れ。よくやったな」

首元を撫でようと手を伸ばす。

 長浜に火が吹き掛けられた。長浜は驚いたように、その場から離れる。

「おいおい、戯れがすぎるぞ?」

冗談口調で告げる。しかし、顔を上げた途端、その表情は強張った。

「――まずい」

彩名が口を開く。

 とっさに千路が妖化し、長浜と華陽を掴んだ。妖化したままだった渡会も、伊東を掴んで飛行する。

 足元を火炎が走っていった。

 地上から離れ、屋上に下ろされる。一目散に、屋内へ退避した。

 全員が入ったところでドアを閉める。息を切らしながら、華陽は締め切ったドアのほうを振り向く。

 彩名の暴走――最悪の事態だった。


 上空で炎を吐き散らしながら飛び回る、麒麟のような人妖。その姿を、三階の大会議室の窓越しに華陽が見つめる。

「窓割られて中から燃やされたらおしまいだけどな。ここが木造じゃなかったのが救いだ」

隣で同じく外を見ていた茂水が、田村とオンライン会議を進める千路たちのほうに向き直る。

「団長……いや、団員の皆様、本当に申し訳ありません。何でもします」

長浜が顔を真っ青にしながら、深々と頭を下げる。

 端末には、仏頂面の田村の顔が映っていた。

『お前のところにそんな人妖がいたとは聞いていなかった。爆撃機一機、手配中だが、遅くなるだろう。被害の状況は?』

「太白による人的被害は今のところゼロです」

長浜に代わって、千路が答えた。さらに続ける。

「現状、目に見える範囲に留まってくれてはいますが、他の拠点のほうに移動されたらどうしようもないです。三橋でも止めるのは難しいと思います」

『了解。狙いやすいように、脚を切るなり下半身を焼くなり準備をしといてくれ。以上、続報あったら連絡する。そっちも何かあったらすぐに伝えろ』

「了解しました」

千路が端末の画面の電源を切る。

 すかさず、帝都が口を開いた。

「彩名、どうすればいい……?」

「話を聞いてなかったのか? 航空爆撃だ」

千路が淡々と答えたが、帝都は首を横に振った。

「違う。元に戻す方法だ! 何で殺すことしか頭にないんだ?」

「戻せると思うか?」

千路が窓の外に視線をやる。広い駐車場が煙で包まれ、住民のいない街は火事を起こし、森林のほうまで延焼していた。

 帝都は悔しそうに唇を噛んだ。何も答えなかったものの、まだ諦め切れていない様子だった。

「本当に、申し訳ない」

長浜が、血の気の失せた顔で頭を下げる。

 千路は一瞥し、端末を机に置いた。

「そう思うなら、あの化け物の脚を二、三本もいできてくれ」

そう言い残し、窓を開ける。暴走した彩名の姿は、少しずつではあるが遠くに離れていくのがわかった。

「三橋、来れるか?」

千路が彩名を監視しながら訊ねる。

「はい」

「班長、僕も行きます!」

渡会がすかさず名乗り出る。しかし、千路は首を横に振った。

「渡会には残っていて欲しい。団長から連絡が来たら出てくれ」

渡会が机の上の端末を見る。

「……わかりました」

 千路が華陽に目配せし、妖化する。背中に乗れと言っているのだろう。

 窓を全開にし、華陽は千路とともに外に飛び出した。

 まもなく眼下に現れた光景は、怪獣映画さながらだった。炎と煙に包まれる住宅街。派手でありながらも、静かに崩壊していく様子が見て取れる。まだ被害を受けていないエリアとの境界線が、綺麗に浮かび上がっていた。

 一般市民が離れた避難所に移動していたのが、不幸中の幸いであったと痛感させられる。

 千路が止まったところで、華陽は地上に飛び降りた。頭上には開けた空が広がっているにも関わらず、煙の臭いと熱がそこら中に充満していた。

 飛行中だった彩名が、華陽の存在に気づいた。気ままに吹き散らしていた火の玉を、華陽目掛けて放つ。

 華陽は、慌てて背の高い建物の裏に退避した。物陰から、暴走した彩名の様子を窺う。

 汗が止まらなかった。長時間留まっていれば、脱水で倒れてしまうだろう――否。華陽自身も暴走してしまう。

 早いところ、目的を達成する必要があった。華陽は、地についた四本の脚を睨んだ。

 刀を抜き、何も考えずに劫火の中に突っ込んだ。巻き起こった風に、煙が進路を変える。四本足が目前に迫った。刀を構え直し、水平に切り込もうとする。

 頭上から、多量の火球が降ってきた。横に転がり込んで、かわす。火球は雨のように降り注ぎ、地上の残骸を燃やしていった。

 彩名から十分距離を取ったところで、再び建物の陰に身を顰める。とても、脚を切りに向かえる状態ではなかった。

 近くに千路が下りてきた。妖化を解き、開口一番にこう告げる。

「無理はするな」

その意図することはすぐにわかった。華陽は頷いた。

「そこは弁えます。ありがとうございます」

 ちょうどそのとき、着信音が鳴った。千路がスマホを取り出す。画面を見るや否や、すぐに通話に応じた。

「渡会、何かあったか?」

『先程、団長を交えた会議がありました。爆弾を搭載した戦闘機が、松島(まつしま)からそちらに向かうとのことです。到着まで約一時間半ほど掛かるので、それまで最低一キロ以上、できれば二キロ以上離れるようにとの指示でした。一応、場所は炎が上がってるところとはお伝えしました』

「了解」

『それと、大変申し訳ないのですが……帝都が消えました。拠点内は一通り探したのですが……天見さんと伊東さんが捜索を続けて下さっています』

「……了解」

『足止めは問題なさそうですか?』

「わからない。奴の気まぐれ次第としか」

『了解しました。拠点から団員が一部、そちらに向かっています。こちらからは、以上です』

「了解した、ありがとう」

千路は通話を切った。

 改めて、暴走した彩名を見つめる。

 低空を飛び回りながら、火を吹き、街を破壊する。脚を取ったところで、飛んで逃げられてしまえばどうしようもない。

 仮にこの場に留まったとしても、到着した戦闘機が墜落させられたら――あるいは、投下中の爆弾が攻撃され、機能しなかったら――それも問題になる。

「口と翼ですか」

華陽が呟いた。同様の結論に至ったのか、千路は小さく頷き、腕を組んだ。

 そこに、妖化した青い竜が、火の手を掻い潜ってやってきた。

「帝都くん?」

その口や背中には、先の争いでくたばった血盟士団殺しの死骸があった。

 二人の傍にやってくると、帝都は妖化を解いた。人妖の死骸が地面に散らばる。

「一人で持ってくるのは、これが限界だった。どれくらい食えば、彩名は戻る?」

「残っている死体を全部与えても無理だ」

千路が即答した。帝都は目つきを一段と険しくする。

「あとどれぐらい要る? 別の拠点から化元体を貰ってきても足りないか?」

千路が無言で睨む。帝都は小さく溜息を吐いた。

「やらねえよ。団員に行き渡らなくなるんだろ。その様子だと、仮にやったとしても厳しいんだろうな」

それから、思いつめたように俯いた。そして、持ってきた人妖の死体を担いで妖化し、彩名のほうに飛んで行った。

「帝都くん!」

華陽が呼び止めるも、無駄だった。

 空中を旋回する彩名の足元で、帝都は人妖の死体を地面に置き、妖化を解く。その様に気づいた彩名が、ゆっくりと降下した。

「彩名! 大好きな蟹、持って来れなくてごめんだけど、食べてくれ!」

まるでその指示に従うように、彩名は首を伸ばし、口を大きく開けた。しかし、食べようとしているのは死体ではなく、帝都だった。

 上下の歯がガチンと音を立てて噛み合わされる直前で、華陽が帝都を救出した。肩に担ぎ、元来た道を引き返す。

「帝都くん、妖化して」

華陽が告げた。帝都は頷き、化け物の姿に変わった。

 彩名は残された死体を貪ったが、足止めと称すには、あまりにも短い時間で平らげた。すぐに、華陽たちに向かって火炎が吐き出される。

 背中に高温の空気の塊が迫ってくる。

 直後、脇から黒い影が伸び、華陽たちを捕えた。そのまま引っ張られ、建物の陰に離される。

 華陽たちを救った黒い影は、一体の黒猫の尻尾に収まった。やがて、黒猫が天見の姿に変わる。

「天見さん、助かりました」

「無事で何より」

天見が笑顔で告げる。

 周囲には、拠点から増援で駆けつけた団員たちもいた。とはいえ、下手に手出ししても、焼かれるだけなのは目に見えていた。彩名を監視するだけで、まだ具体的な行動には移せていなかった。

 消えた華陽たちを探すように、周囲を飛び回る麒麟様の化け物。それを静観しながら、千路は時折時計に目を落とす。タイムリミットは着実に迫っていた。

 そんな中、帝都が口を開いた。

「千路。一緒に囮になってくれるか?」

 千路は顔を上げた。

「何をすればいい?」

「俺を乗せて逃げ回ってくれればいい。そのほうが、他の人が脚もいだりする隙を作りやすいだろ?」

 少しの間があって、千路が答えた。

「了解した」

「今の間、何だったんだよ? 俺にしては頭が回るってか?」

千路は何も答えない。そこに、

「ちょっと待ってください」

華陽が間に入る。

「もし二人に万一のことがあったら、千路班はどうなるんですか?」

その問いに、千路は表情ひとつ変えず、こう答えた。

「渡会がいる」

そのまま妖化した。その上に帝都が飛び乗る。

 二人は、ちょうど彩名の目線の高さを飛行した。

 狙い通り、彩名の注目はその場で唯一ヒトの姿を成す帝都のほうへ向けられた。飛び回る千路と帝都を追い掛けるのに夢中で、足元の団員たちにはいっさい気づいていない。

「今だ!」

団員たちはいっせいに妖化し、彩名の脚を攻撃し出した。

 瞬間、彩名の視線が足元に向けられた。攻撃を受けていない脚で、攻撃する団員を踏み潰そうとした。

 その脚を、華陽が狙いを定め、刀で切り落とす。

 ようやく一本、落とすことに成功した。今度は翼に狙いを定める。

 彩名は翼を大きく広げ、地上から飛び立った。

 華陽は、苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。これでは、高すぎて彩名の翼を切り落とすことができない。足掛かりにできそうな建物は、皆燃えてしまっている。

 額に、熱によるものとは異なる汗が浮かんだ。

 彩名は、上空を飛びながら帝都たちに狙いを定めた。口が開かれる。

「帝都くん! 千路さん!」

華陽は叫ぶことしかできなかった。

 一本の赤い槍状のものが、彩名の右翼を貫通した。穴が開き、彩名の身体が傾く。

 地上で、蟹の甲羅に乗った、緑色の毛のボス猿ならぬゴリラのような人妖が、彩名をまっすぐ見つめていた。その右腕には、赤い蟹の脚が握られている。

 もう一発、投擲された。同じ翼の別の場所に穴が開く。

 彩名は、バランスを取ろうと翼と脚をじたばたさせたが、体勢が復帰することはなく、地上に落ちていった。

 これで、足止めはできた。後は、口を封じるだけだ。

 地上で立ち上がろうと必死にもがく麒麟様の人妖を見定め、華陽は金棒を抱えて背後から近づこうとする。

「班長! そろそろ撤退してください」

後方から、タイムリミットを告げる渡会の声が聞こえた。華陽が足を止める。飛行中だった千路も、地上に降り立ち、妖化を解除した。

「まだ終わっていない。最悪、爆弾が不発で終わる」

「しかし、無事投下されたら班長たちが助かりません!」

渡会が緊迫した表情で言う。すでに他の団員たちは撤退しており、残っているのは、ここにいる華陽たちだけのようだった。

「延長してもらえないのか?」

帝都が訊くが、千路が即答した。

「その間に脚と翼が復活する」

それから渡会に向き直る。

「渡会、三橋と桜木を先に戻してくれ」

「え――」

華陽が声を漏らす。帝都も首を振った。

「待て待て。華陽はわかるけど、俺はまだやれるぞ?」

「無駄な犠牲を生む必要はない」

「何だよそれ……って、おい! 直兄!」

妖化した渡会が華陽を背中に乗せ、帝都の身体を足で捕まえる。そこに、

「千路さん、あんたも戻ってください」

声が掛かった。全員が振り向く。

 長浜だった。巨大蟹の死骸の上から飛び降りる。

「彩名が起こした問題は、保護者である俺の責任です。尻拭いは俺がやります」

千路は、疑う目で長浜を睨んだ。

「どうやって止めるつもりだ? 爆弾の投下が失敗したらどうする?」

「おい、千路」

帝都が、咎めるように声を上げる。

 長浜は、まっすぐな目でこう答えた。

「失敗はさせません」

 千路は、悔しそうに口を一の字に結ぶだけだった。

 他の団員の退避が完了し、まもなく上空に戦闘機が一機、姿を現した。

 唯一その場に残った長浜が、彩名に近づく。彩名が長浜に気づき、口を大きく開いた。長浜は笑みを浮かべ、受け入れる。

「彩名。お疲れ様」

 爆弾が投下された。地面に落下すると同時に、稲光のようなフラッシュが焚かれた。

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