表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/16

1.日常と崩壊

 世界で一番寒い場所を知っている。

 暗がりの下、三月半ばにしては厳しい冷たさの外気が肌に刺さった。倒壊した家屋の瓦礫のわずかな隙間に収まるように、少女は身体を縮める。わずかに覗く外の様相は、歪んで見えた。

 前日の大地震から、何度も大地が揺れた。あまりに多すぎて、常に揺れているように感じる。時折、瓦礫の軋む音が耳に入るから、揺れが発生しているのは確かなようだ。その度に、また大きな地震が来るのではないか? 今度こそ瓦礫が崩れて、潰されてしまうのではないかという恐怖に襲われた。

 湿気を帯びた残骸に、何度目かわからない涙が一滴零れ落ちる。

 全身の震えが止まらない。知らない間に、彼女の体力は失われていた。同時に、生きる希望も枯渇していた。


三橋(さんばし)さん」

名前を呼ばれ、()(よう)は我に返った。黒板に書かれた数式が視界に飛び込み、続いて周囲の視線に気づく。

「珍しいですね。大丈夫ですか?」

メガネの女性教師が訊ねる。華陽はばつの悪そうに俯き、小声で答えた。

「はい。すみません」

慌てて、取れていなかった板書をノートに写す。

「体調悪かったら遠慮せず言ってくださいね。最近風邪が流行ってるのか、頭痛が酷いっていう人増えているようなので。まだ昼前ですけど、職員室でも三人早退しましたから」

華陽は黙って頷いた。

 クラスの中がわずかにざわめく。すでにこのクラスでも、二名が同じ病訴で早退していた。

 華陽は胸に手を当てた。動悸はまだ落ち着いていなかった。ここ数日間、原因不明の頭痛に悩まされることがあった。耳鳴りに始まり、視界が薄暗くなり、波のある頭痛がやってくる。発生頻度は徐々に増えているものの、症状は一分程度で収まり、痛みも大したことはなかった。しかし、今回の頭痛は違った。頭を締め付けられるような痛み。顔の火照り。激しい動機。突然呼び起こされる三年前の悪夢(きおく)

 普通じゃなかった。それに、また同様の頭痛が起こってクラス中の注目を浴びたくない。

 授業が終わると、華陽は保健室で休むため担任に断りに行った。

「保健の先生、確か早退されたんだよな。数学の授業で具合悪そうだったって聞いてるし、帰っていいぞ? 親御さん、迎えに来れる人いるか?」

華陽の俯いていた顔に、雲がかかる。

「祖母は病院にいると思います……一人で帰ります」

「大丈夫か?」

「はい」

そう答えるしかなかった。送迎できる家族もいなければ、華陽の自宅を知っているような親しいクラスメイトもいない。

「誰かつけなくてもいいか?」

「大丈夫です」

 ――誰も名乗り出ないから。昼休みの時間を奪うことになって申し訳ないから。

 続く言葉を口から出るすんでのところで飲み込む。

「わかった。気をつけてな」

「はい……失礼します」

華陽は一礼し、背を向ける。肩をすぼめながら、職員の席の間を抜けて行った。入れ替わりで、他クラスの女子生徒二人組が華陽の担任に話し掛ける。

「先生、まっちー帰ったの本当?」

「本当だぞ? 何だ、もしかして次の授業さぼるつもりしてたのか?」

「違いますよー。まっちーの車、まだありましたよ?」

背後から聞こえてくる話し声は楽しそうだった。華陽の背中はさらに丸くなった。

 授業中の静寂が嘘だったかのように、そこら中が騒がしくなる。その賑やかさが、余計に華陽の心の虚しさを掻き立てるのだった。

 教室に戻って荷物をまとめ、昇降口に向かう。途中、授業中に襲われた頭痛の気配がした。悪化の気配を悟り、近くのトイレに向かった。案の定、個室にこもる前に吐き気が込み上げてきた。

 便器に頭を突っ込む形で、吐き気に抗いながら呼吸を繰り返す。徐々に頭痛も押し寄せてきた。心臓の鼓動に合わせて痛みが脈打つ。全身に悪寒が走り、視界がちかちかした。明らかな身体の異常だった。

「一一九……一一九……」

カバンからスマートフォンを手探りで発掘する。画面を見るのもしんどかった。仮に通報できたところで、まともに話せるかも怪しい。スマホを握り締め、口から喘息を繰り返し吐きながら、ひたすら楽になるのを祈ることしかできなかった。

 個室のドアを叩く音で、我に返った。止まない頭痛に抗いながら、内側からどうにか断る。

「ごめんなさい……入ってます」

それでもノックは止まない。ここで休んでいても埒が明かないので、途中で倒れるのも覚悟して帰宅することに決めた。

 ドアをゆっくり開ける。

「すみません――」

幻覚だと思った。そこにいたのは、成人サイズを優に超えるザリガニだったのである。

 思考が停止した。ずっと苦しめていた全身の不調も、その瞬間だけは消え失せる。

 急いでドアを閉めた。再び激しいノックが始まる。ドアを叩き壊そうとしていた。ガチャガチャとノブが回されると、華陽は必死で動かないよう抑えた。

 楽し気に会話をしながら女子数名がトイレに入ってくる。その足音も止んだ。次の瞬間、耳をつんざくような悲鳴が上がった。駆け足が遠ざかっていく。

 ノックとドアノブの動きが止んだ。人間でないものの足音が遠ざかっていく。

 廊下から断末魔のような声が聞こえる。誰かの名前を呼ぶ少女の悲鳴が続いた。

「誰か助けて!」

その声で、何が起きているのかわかった。

 華陽は個室を這い出ると、トイレの窓のほうに向かった。廊下のほうは見向きもしなかった。

 窓を開ける。地面を見下ろした。三階からだとおよそ七メートル。生きて飛び降りることができる保証はない。しかし、先程の怪物に殺されるよりはマシだった。

 窓から足を出し、思い切って飛び降りる。

 最初に両脚に衝撃が伝わった。両手が地面に触れ、掌に地面の砂利が食い込む。命は助かったが、四肢に痛みが走った。とても走って逃げられる状態ではなかった。

 上を見上げると、ザリガニが追ってきている様子はなかった。

 華陽はゆっくりと這いつくばりながら、校門へ向かった。一刻も早く、化け物の出たところから離れたかった。

 それにしても、あれは何だったのか? 体調不良故の悪い夢なのか? そうであって欲しかった。しかし、着地したときの衝撃で怪我した箇所の痛みはやけにリアルだった。

 校舎の壁に沿うように、ゆっくりと這っていく。頭上の窓ガラスに、内側から何かが吹っ掛けられた。見ると、赤い液体だった。悲鳴と騒がしい足音が、危機感を掻き立てる。

 全身の痛みなど言い訳にして、ゆっくり逃げている場合ではなかった。

 校門目掛けて最大限足を動かした。走るたびに全身の節々が悲鳴を上げる。頭痛などどうでもよくなっていた。

 校舎が見えないところまでやってくる。視界に交番が見えた。校内で起きていることを伝えようと、華陽は立ち寄った。なかなかに勇気の要る行為だった。

「すみません!」

そんな思い切った行動も、空回りに終わった。何なら、むしろ自ら危険を呼び込むような結果になった。中にいたのは、警察官ではなく警戒色の縞模様をした大蛇だったのである。その口からは、二つに分かれた舌と一緒に、人間の足がはみ出ていた。

 黒い横縞に同化していた目が、華陽を捉えた。

「ひっ」

華陽はそっと後退りし、交番から出たところで踵を返すと、とっさに走り出した。運動が苦手で嫌いなはずが、勝手に両足が全力で進んでくれる。移動の間に、着地時に負った痛みは消えていた。

 脳内は恐怖とクエスチョンマークで埋め尽くされていた。

 ふと並走する大通りに目をやると、ちょうど車同士が正面衝突した。両者ともフロントが大破し、ぺしゃんこに潰れる。中は見たくなかった。そこに、上からヤモリのような怪物が飛び降り、片方のフロントガラスに張り付くと、頭突きしてガラスを破壊し、頭を無理やり捻じ込んだ。中から、血塗れの男性が取り出される。

 ヤモリは、空を見上げるようにして、男性を頭から喉の中に器用に落とし込んだ。最後に、口元からはみ出た脚を口の中に収め、舌で口元を舐め取った。

 車道のほうにも、不気味な化け物が闊歩していた。逃げ惑う車が怪物から逃れようと、反対車線や歩道に飛び出し、衝突する。その中の一台が、華陽のほうに飛び込んできた。夢にしては、あまりにリアルな痛みだった。

 忘れていた頭痛がぶり返した。それも、頭が爆発しそうな強烈な痛みだ。視界がぼやけ、鼓動が早まる。まるで、体内から自分じゃない何者かにのっとられていくような感覚だった。意識が朦朧としながらも、自分が自分ではいられなくなるような恐怖を覚える。

 急に、足元に何かが絡みついた。交番で見かけた大蛇だった。華陽はその場に躓く。まもなく、視界が大きく揺らぎ、上下百八十度反転した。

 怪物が大きく口を開く。悪臭と熱気を顔面に浴びた。びっしりと生え揃う牙の先端がこちらを向き、華陽の思考を更なる混沌へと陥れる。頭が張ち切れそうな頭痛が激しさを増し、鼓動に伴って視界が点滅した。もはや恐怖を感じる余裕すらなかった。

 視界の縁から、暗転した部分が中央へと徐々に広がっていく。痛みに意識が食い潰される。最後に見えたのは、怪物の前歯と糸を引く唾、その間から覗く喉奥だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ