3 認知とラブコメの始まり
侍女長のキツイ声音に、玄関ホールの空気は張り詰めたものへと変わった。
ラナは怯えた小声をこぼした。
「え……だ、第一夫人?」
(どええええ!? ちょちょちょっ……! 待って待って、わたくしの見せ場作らないでいいから……!)
ドッと冷や汗をかきながら周囲を見回して、あ、これもう引き返せない空気だわ……と悟った。意図せず、サフィニアの登場シーンが用意されてしまった。
(クッ……仕方ない)
こうなったらしょうがないので、しぶしぶ歩み出た。
まぁ、でも、推しに認知される絶好のチャンスが来たのだと、前向きに考えよう。
(ひえっ、間近で見る推し、とんでもなく顔が綺麗だわ。美、可愛。尊い。すぅぅぅぅ……)
自分ができる最上の笑顔を作って、推しへの最大限の敬意を込めて、丁重に、丁重に、美しくカーテシーをした。
「わたくしはサフィニアと申します。聖女ラナ様、お目にかかれて光栄でございます。この後のお茶会も、ごゆるりとお楽しみくださいませね」
待機している侍女たちも、サフィニアに合わせて一斉に礼をした。
その様は、どこからどう見ても、『侍女たちを完璧に従えている見事な女主人』――というような光景だった。
イーヴァルはわずかに目を見開き、その光景を見ていた。ラナは後退りながら、小さな声を返してきた。
「あ、えと……そういう大袈裟な挨拶は困っちゃうから、普通に会釈とかでいいですよ」
ラナは苦笑いでペコリと会釈をして、そそくさとイーヴァルの背後に隠れた。
どこからかコソリとこぼされた『会釈でいいって、何様……』という声は、サフィニアの耳には届かなかった。
サフィニアはそれどころではなかったのだ。
(うおおおおおおおお原作漫画で見たシーンキタコレ!!!!)
漫画では、サフィニアのチクチク攻撃に傷付いたラナが、たまらずイーヴァルの背後に逃げるシーン。庇護欲を煽られたイーヴァルが、初めてドキッとする、『ラブコメ始まったー!』と顔が緩む場面である。
サフィニアの意地悪展開を省こうと思っていたので、まさか、このシーンを目の前で見られるとは思っていなかった。侍女長グッジョブ。ありがてぇ。ニヤニヤが止まらない。
「侮辱されても笑顔を絶やさない……!」
「さすがでございます、サフィニア様……!」
侍女たちは感動して口々に小声をこぼしていたが、サフィニアは次の展開への期待に意識を持ってかれていた。
(さぁ、イーヴァル様! ラナちゃんを庇ってあげて! わたくしのことを睨みつけて牽制してちょうだい!)
この後、漫画ではイーヴァルが背中に隠れるラナを守り、サフィニアを睨みつけて退けるのだ。
ヒーローの格好良いところ見せてちょうだいな! と、待ちわびてそわそわしていたのだが。イーヴァルは睨むどころか、まじまじとサフィニアのことを見ている。あれ? この人どうしちゃったの?
「え? どうなさいました?」
「あ、いや……」
思わず問いかけてしまったが、イーヴァルは慌てたように目を逸らした。
彼はそのままラナをエスコートし、歩いていってしまった。
「……わたくし、何か変だったかしら?」
「ふふ、イーヴァル様ったら」
「見入っていらしたのですよ。サフィニア様のご対応があまりにご立派だったから」
「所作も笑顔も、見惚れるほどお美しいものね」
侍女たちは、ほぅ、とため息をつき、うっとりした顔で言う。
「まさか。そんなわけないでしょう」
サフィニアは笑ってしまったが、侍女たちは未だ熱い眼差しを向けていた。
そんな中、一人、こちらに険しい目を向けていた人がいた。側仕えの老紳士だ。
「……ふん」
彼はサフィニアをひと睨みすると、鼻を鳴らして歩いていった。
(あの人は、やっぱりわたくしを嫌っているみたいね。警戒しておきましょう)
この側仕えは、物語終盤にサフィニアを修道院送りにする、断罪の実行者だ。ラナとイーヴァルが手を汚さないで済むように、と用意された断罪役。
常に険しい表情を崩さないので、何を考えているのかわからない。
彼の気分によっては、断罪の内容が『修道院送り』ではなく、もっと過酷な『収監労働刑』や『拷問刑』にもなり得るのではないか、と警戒している。
なぜなら、『聖女ラナと伯爵様』の作者があとがきで、『サフィニアというキャラクターはどう動かしていくか最後まで悩んだ。もっと劇的なラストにしてもよかったかもしれない』などと明かしていたから。
(破滅の退場はいいけど、わたくし、死ぬつもりはないのよね)
修道院送りの後、サフィニアは自身の処遇に絶望して、心を病んで死に至る。が、心を病まなければ長生きできそうなので、密かにそういうルートを狙っている。
側仕えの背中を見送り、廊下の先を見つめていると、侍女長が声をかけてきた。
「サフィニア様、この後は気晴らしにお出かけしましょうか? お供いたしますよ」
「え? あぁ、」
そういえば、漫画のサフィニアはひと悶着あった後、『民草女がお茶会に興じている屋敷になんていられないわ!』と苛立ちを露わにして、街へと出掛けていくのだったか。
でも、今この場にいるサフィニアにはやることがある。
侍女長の誘いを、にこやかに断った。
「わたくしはこの後、推し活がありますので」
「推し活?」
「えぇ。では、わたくしはここで失礼。おほほほほ」
首を傾げる皆を置いて、颯爽と玄関ホールを後にした。
推し活。そう。イーヴァルとラナのお茶会の観賞だ。陰からこっそり楽しませていただこう。
決してストーキングではない。決して。




