現在
2018年、西野監督の後を継いで日本フル代表、そして東京五輪代表監督に就任した森保監督。
その背景には、気難しい外国籍監督に辟易したサッカー協会側の思惑もあったとは思います。
とは言うものの、Jリーグであれだけの実績を残し、教え子も未だ現役バリバリ世代がいる森保監督の就任には反対の声も少なく、私を含めた「考察派サッカーマニア」も、早くチームのベースをまとめて、つまらなくても何となく勝ってくれる代表チームを作ってくれるだろう……と期待していました。
カタールワールドカップの開幕前までは、私も含めた「考察派サッカーマニア」の間の森保監督の評価は地に堕ちていました。
彼が歴代最高の勝率を誇る代表監督であったにもかかわらず、です。
その理由のひとつは、コロナ禍による強豪国とのマッチメイクが少なく、アジア主体の最高勝率に実感が湧かなかったから。
そしてもうひとつは、アジアカップ決勝での完敗、五輪代表候補で挑んたアジア大会での早期敗退、そしてワールドカップ本大会直前にこれまで積み上げてきたものを白紙に戻し、その思い切った改革も失敗している様に見える、ここぞという場面での印象の悪さからでした。
私は3年程前に投稿した、『何故サッカーU−23代表はアジアで敗れたのか?』というエッセイの中でも記しているのですが、当時の森保監督は「絶対に失敗出来ない地元開催の五輪代表監督」という立場に立っています。
その為、まずは勝つ事よりも負けないチームのベース作りの一環として、選手の得意分野を伸ばす事よりも、選手の苦手な分野を改善する為の選手配置と采配を重視していた様に感じますね。
その強化方針はフル代表にも継承され、万能型フォワードの大迫選手を確固たる軸に据えてボールを収め、同じく万能型の南野選手をトップ下のファーストチョイスに選択。
爆発的な突破力と得点力が魅力的だった中島選手は、守備面の問題と移籍トラブルで代表に呼ばれなくなり、所属クラブで既に結果を残していた鎌田選手も、当時は使い所がありませんでした。
そして、ワールドカップアジア最終予選。
後半日程の巻き返しで本選出場を決めたものの、一時は予選敗退の危機を迎え、怪我が増えた大迫選手基準の繋ぐサッカーから、サイドの伊東選手のスピードを基準にしたカウンターにフルモデルチェンジするのです。
しかしながら、一時期は完全な伊東選手頼みになっていたカウンター戦術は試合毎のムラが激しく、そこに前田選手や浅野選手のスピードとプレッシングを加えた、ショートカウンター戦術にマイナーチェンジ。
長らく期待されていた三笘選手もベルギー、イングランドのリーグで自信を付け、森保ジャパンがようやくワールドカップ本番で出した結果は予想以上のものでした。
ここまでの流れで注目すべき点があります。
私を含めた「考察派サッカーマニア」の間には、東京五輪を含めた遠藤選手や吉田選手の酷使や、負け試合でも交代枠を残す事がある森保監督に、選手は人間的な不満を抱いているはずだという共通認識がありました。
しかし実際は、勤続疲労に関する意見は出ても、試合に出た代表メンバーで森保監督個人を悪く言う選手はひとりもいなかったのです。
浅野選手や佐々木選手を始めとする、森保監督の愛弟子達のコミュニケーション能力のおかげもあるかも知れませんが、実力主義のスペインで揉まれ、日本的な価値観の薄い久保選手までが森保監督を慕っている言葉を残す点からも、どうやら森保監督の「面倒見の良さ、気配り能力」は本物の様です。
この選手との熱い信頼関係こそが、戦術や采配を超越した一体感を生み出し、時には目先の結果を逃す失敗を、そして時には歴史に残る成功を成し遂げたと言っても過言ではありません。