過去
森保監督の人となり、選手時代の経歴などを知りたい方は、ネットやマスメディアを参照して下さい。
彼を知る上での重要なキーワードは、「面倒見のいい気配りの人」、「フィジカル的なハンディを、強靭なメンタルと鋭い読み、そして優れたポジショニング(位置取り)で補ってきた人」であると理解してくれると嬉しいですね。
選手、コーチ時代の古巣であるサンフレッチェ広島から監督キャリアをスタートさせた森保監督ですが、彼に課された最初の任務は、ミシャことミハイロ・ペトロビッチ監督(現北海道コンサドーレ札幌監督)が築き上げたチームのベースに守備力をプラスする事でした。
Jリーグを観ている人は皆が知っている事ですが、ペトロビッチ監督のサッカーはボールの支配にこだわった攻撃的なサッカーで、本来ゴール前を守る役割のセンターバックにも高いパス能力やドリブル能力を要求します。
プロになれるレベルのサッカー選手の視点に立てば、ペトロビッチ監督のサッカーは楽しいのですが、時にはそのこだわりが裏目に出て、センターバックに身長168cmの本職ミッドフィルダーを起用して頭上から失点を許すなど(笑)、勝利の爽快感と敗北の憤怒感のギャップが激しいのですよね。
ペトロビッチ監督の攻撃的サッカーに慣れた選手達を、その面倒見の良さと気配り能力でまとめ上げ、現役時代は守備的ミッドフィルダーとして鳴らした経験値を活かして守備を構築する森保監督。
その結果、ペトロビッチ監督時代の個人技はそのままに攻守のバランスを高めたサンフレッチェ広島は、森保監督就任4年目までに3度のJリーグタイトルを勝ち取りました。
その間、森保監督のサッカーに魅力を感じなくなった一部の主力選手がペトロビッチ前監督のいる浦和レッズに移籍します。
しかし、緊急事態にも動じない森保監督は下部リーグから塩谷選手、柏選手、佐々木選手などのハングリーかつ勤勉な新戦力をその人間力で適応させ、「余り面白いサッカーではなくとも、終わってみれば何となく勝っている」という、リーグ強豪の地位を保ったのです。
絶対的なエースストライカーだった佐藤選手の年齢的な衰えや、ゲームメーカーの青山選手が怪我がちになるとサンフレッチェ広島の勢いにも翳りが見え始め、森保監督ならではの「気配り能力」が通用しない外国籍選手を主力に据えたチーム作りにも失敗。
ひとつのサイクルが終わったサンフレッチェ広島を辞任した森保監督は、日本代表のコーチに就任して2018年のロシアワールドカップで「西野ジャパン」の躍進を支えました。
主力を温存し、ポーランドに敗れてまでも決勝トーナメントに向けた駆け引きを見せた西野ジャパン。
この経験が、現在の森保監督に強い影響を与えている事に疑いはありませんね。




