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異世界転生はもうつまらない  作者: 水中昌&槙宮みあ
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9話 『代替殺人』

 終わりだ。


 篤は逃げるように歩きながら、歯が欠けるほど強く噛みしめた。人通りの多い道をそれて、路地のゴミ箱の裏にしゃがみこんだ。近くのものにあたろうと腕を振りかざすが、止めた。


「何なんだよ――あの女は……どうして……」


 初めて殺しそこなった。傷一つ与えられなかった。

 日常での殺人で、命乞いや悲鳴は飽きるほど聴いてきた。それらの反応は、篤にとって決まった行為だった。機械の電源を落とすときに、「電源を切ってよろしいですか?」と確認のメッセージが出るのと同じだった。躊躇いなどせず、「はい」を選択するだけのこと。そう思い込んでしまうほどに、これまで彼が魂を〈押収〉してきた者たちは一様に拒否反応を示した。命が終わることを怖がり、言葉や力を使って首元の鎌から逃れようとした。それら数百もの反応に則って、篤は学習していった。


 死と直面した時、人間の正しい反射は、恐怖なんだ。


 その学習が誤りだったと知った。死を肯定するあの女の反応に篤は一瞬で心が空白になってしまい、未知なる世界に触れたかのような畏怖すら覚えた。目標が初めて、電源を切られる機械ではないものに見えた。ターゲットは人間で、血肉を持ち感情を備え、人生を歩んできた自分と同じ生物なのだと。まるで培ってきたものが音を立てて崩れるような感覚すら起こった。それは衝撃で、革命だった。手が震える。もう今までの様に仕事をすることができないのではないか。そもそも、今までの自分はなぜ平気だったのか。仕事を始めたばかりの自分はどうやってこれを克服したのか。いつからターゲットの殺害を機械の電源を落とすようなものと認識したのか。


 いずれにしても、仕事を失敗してしまった事実は依然としてある。キャリアに傷が付く、で済めばよかった。だが失敗したのは〈大倭通運〉の仕事。〈出雲〉に関する仕事だ。天命に等しい義務だ。過去、失敗を犯した社員の賠償内容を大倭側が掲示した例はない。だが通運は、失敗した社員の名を大々的に流布した。他の社員らが認識する頃には、とっくにその者はデスクと書類の両方から消えている。〝俺たちが最後に押収するのは自分〟、と社員たちが冗談半分の警告を飛ばしあうのはこういう訳だ。だからこそ彼らは天井からぶら下がる標語に織り込んである魔術を定期的に浴びて、その公式に体を浸す。そしてキャリアを己の命同様に扱う。よって失敗を犯した篤もまた、自分を責め続けた。内心見下していた、六課の松下――あのサボり魔の給料泥棒で、恐らく処理された男――よりも愚劣で恥ずべき存在になってしまったと。


「どうしよう、どうすれば……」


 篤は泣き叫びたいのを堪えて、拳を口元に押し付けた。ありとあらゆる知識、財産を投入する試算をした。幸い実行係は自分一人だけ。他のメンバーは実行場所ではなく、その外側に夢中になっている。だが解決策は浮かばない。事実、彼がどんな手を尽くしたとしても、この状況から失敗を覆すことは不可能だった。特殊運搬部の作戦の緻密さ、構造の複雑さから、一度の機会を逃した場合、作戦の再立案以外は認められていない――つまり追跡して殺害、は不可能ということだ。彼らが考える作戦が穴のない完成されたものであるが故の欠点だった。なぜなら一歩作戦の外に出てしまうということは、魔術による認識阻害や防護策の庇護下から離脱するということ。そのまま仕事をすれば、遠くに目撃者がいるかもしれない。音を聴かれてしまうかもしれない。という風に、あらゆる情報が洩れてしまう可能性が出てきてしまう。そして情報漏洩は〈出雲〉という組織が露見する足掛かりになるからだ。


 だが偶然は、篤に一つの道を与えた。


「はい、そうなんですよぉ。これから出勤で」電話越しに誰かと話す女性が、ここなら落ち着いて話せると踏んだのか、篤のいる路地へ入ってきた。彼女は紅いコートをしっかりと閉じ、黒のファーマフラー、ハイヒールで飾ってあった。しゃがみこんで動かない篤には全く気付かず、壁を向いて話し込んでいる。「ええ。それじゃあ、また後で」


 女性は電話を終えると、手持ちの鑑を取りだした。それで顔をじろじろと眺め、角度を変えたり、表情を確認したりしてから、口紅で彩りを加えていく。

 執念か執着か、まだ握っていた刃物に篤は意識を流し込んだ。


 そうだ。そうだよ。失敗は覆らない。けど、時間稼ぎなら出来る。魂の中身を上が暴くまでの時間を――この女を殺せば獲得できる。


 その殺人は仕事でなく、組織の為でもなく、ひいては誰かの為になるわけでもなかった。

 音も無く、膝を伸ばして煙のように篤は立ち上がっていく。通りから路地へ、家電量販店とスーパーの喧騒が迷い込む。闇の奥から女性を観察し、頭の中でプランを練っていった。

 静かに。人に見られず。遺体の判別は不可能に。殺し方は知ってる。腕はある、心配ない。


「あ、そうだ」女性が言った。篤は刃物を内手に持ち替えた。瞳は限界まで大きく開き、中心には赤い小鹿を据えてあった。「すっかり忘れてた、まあくんにも電話しなきゃ」


 女性は上着のポケットに手を突っ込んだ。


 篤は走った。


 足音は小さく、相手が気付いた時――すでに彼はその首元を掴んでいた。引き摺り込む。全力で。重々しく垂れていた炭色の髪が一斉に浮き上がって、宙で踊った。彼女が声を上げた。靴で潰されるヒキガエルのようだった。でもそれは悲鳴に繋がらない。篤は叫びが女性の声帯から出て行く前に、その大部分を皮膚の上から切った。コンビニでいくらでも売っている菓子の袋を、ハサミやカッターで手際よく開封するように、一文字にナイフを通していった。中身が溢れてきた。路頭に迷った血が、篤の手を生暖かく包みながら流れていく。それをコートが吸い込む。ブチブチ、と絡んだ糸を断つ感覚がした。それは肉や血管だったり神経あるいは骨だった。


 女性の頭部が傾いて、長年連れ添った胴体から脱落する。


 ペチャ、と小さな飛沫が上がり、頭部は地面に顔をうずめた。


「…………よし。よし……」


 篤は感想を口にしてから、路地の最も暗いところへ女性の体と頭を運んだ。電話していた頃の彼女の見た目に近づけてから、ソウルカプセルを使った。路地裏に異界の魔物が花開く。トランクという檻から解き放たれた〈蛸〉は夢中で女の死体に絡みつく。母の乳房にしゃぶりつくように絡みついた後、魂を絞り上げる。赤子と違う点があるとすればそれは栄養を与えてくれる母体のことなどおかまいなしということだ。カプセルが一杯になり、女はミイラになった。待機している清掃部に連絡を取る。目標は達成した、〈物〉は完全に溶かしてくれ。と努めて機械的に要請した。清掃部が到着するまでの間、篤は刃物で女の顔をかき混ぜておいた。




「はは、こいつはひでえや。ドロドロだぁ。……そういえば関堂さん、実行場所は隣の路地じゃありませんでしたっけ?」 


「土壇場で作戦が変わったんだ。悪いな、これ以上は話せない決まりになってる」


 やってきた清掃部は実に見事な仕事ぶりで、五分後にはやり終えた。その始終を見届けるまで篤は離れなかった。そして頭の中は、魂の偽装が発覚するまでの時間の使い道で一杯になった。どうせなら有給を取得して、めいっぱい時間を確保してもいい。だが休暇に入るためには、上司を説得する必要があった。



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