辞めたい理由は……
「お、お嬢様……! どちらに行ってらしたのですか?」
屋敷の玄関ホールに入ると、わたしの姿を見つけたマーシャが近づいてきた。わたしは駆け寄りマーシャの腕を掴む。
「ねえ、ミームはどこにいるの!?」
「ミ……ミームは……その……」
マーシャは落ち着かない様子で目を泳がせる。
「何の騒ぎですか?」
声の方を見れば、ちょうど戻って来た所なのか玄関ホールの扉の前にルイスがいた。
「ミームが今日で屋敷を出て行くと聞いて……」
「ええ。先ほど見送って来た所です」
「!!」
それなら、まだ近くにいるかもしれない。
ミームが変わってしまった理由は分からないが、わたしに何も告げずにこんなにあっさりと辞めてしまうなんて、納得できない。
扉に駆け寄り外に出ようとすると、それを制するようにルイスがわたしの前に割り込んで来て、後ろ手で扉を押さえる。
「どちらへ行かれるのですか?」
「それは……」
口ごもるわたしに、ルイスは静かに口を開く。
「ミームから、何も聞いていませんでしたか?」
うなずくと、ルイスは小さく息を吐く。その表情は何だか、とても疲れた様子だ。
「呼び戻して参ります。お部屋でお待ちください」
――数分後。
自室で落ち着かず、うろうろと歩き回っていると、窓の外から言い争うような声が聞こえてきた。
窓に近づきそっと外をうかがい見ると、ルイスがミームの腕を引っ張り、引きずるように屋敷の方に向かってくる姿が見える。
「放して下さい! 私は辞めた身で、関係ありません」
「辞めるなら辞めるで、けじめをつけてからにして下さい。お嬢様にご挨拶してからなら、どこにでも行けばいいですよ」
二人の剣呑な雰囲気に息をのみ、窓から離れる。
あんなに感情を露わにして言い争う二人を見たのは、初めての事だった。
しばらくして、自室の扉を叩く音がしてルイスと続いてミームが入って来る。
ミームはいつもの侍女服ではなく、彼女の私服なのか白い簡素なワンピースにショールを羽織っている。
ルイスに背中を押されたミームは、わたしの前に出ると深々と頭を下げる。
「お嬢様、このような格好で申し訳ありません。今日でお仕事を辞めさせて頂きます。長い間お世話になりました」
「……」
聞きたい事、言いたい事があったはずなのに、頭を下げるミームを目の前に何も言葉が出てこない。
胸元でギュッと手のひらを握りしめ、固唾をのんでミームの様子をうかがっていると、彼女はわたしに背を向け扉に向かう。
扉の前には出口を塞ぐようにルイスが立っていて、ミームは立ち止まる。
「……ルイスさん。退いて頂けますか」
「お嬢様、ミームに何か言いたい事があったのでは?」
ルイスはミームを無視するように、わたしに視線を向ける。
扉の前から動く気配のないルイスに折れたのか、ミームは小さくため息をつき、わたしの方に振り向く。
わたしは意を決して、口を開く。
「ミーム……辞めたいという理由を教えてくれないかしら」
「前世の記憶が戻りまして。ここにいては一生、私の望みが叶わないと思ったのが理由です」
「ぜ、前世?」
そういえば……誕生日の日も、前世は男だったとか言っていた。彼女の顔は大真面目だ。
「ミームの望みって……?」
とりあえず、前世とかいう単語は聞き流そう……。
「……言う必要あります? とにかく、もう私はここの使用人ではありません。失礼させて頂けますか?」
口調は穏やかだが、向けられる冷たい視線に苛立ちが伝わってくる。
「ミーム。前世とかいう話はともかく……考え直しませんか?」
ミームは驚いた様子で、ルイスの方へ顔を向ける。
「ルイスさん、何を言い出すんですか? どこにでも行けと、あなた今さっき……」
「言いましたっけ?」
口元を歪め軽く首をかしげるルイスに、ミームは一瞬、怯んだように固まるが――
「だ、旦那様へご挨拶も済んでますし……物理的にも私、ここでは部外者なので」
「お嬢様の様子を見ると、あなたが言っていた内容とは事情が違うようですね。少し話をしましょう」
「いや、ですが……」
まだ何か言いたそうなミームを部屋の外に押し出し、ルイスはわたしに向き直る。
「お嬢様。ミームのこれまでのご無礼をお許し頂けるなら、私としても彼女に仕事を続けて頂きたいのですが……よろしいですか?」
「え……でも……」
ミームははっきりと、辞めたいと言っていた。戸惑うわたしにルイスは深く頭を下げてくる。
「全ては私の力不足が原因で、大変恐縮ですが……人手が足りていない状態です。どうかお願い致します」
「え、ええ……」
わたしの返事を聞くと、ルイスはもう一度わたしに頭を下げ「失礼致します」と部屋を出て行った。