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必殺断罪人Q  作者: 高柳 総一郎
労役苦役に益はなし
8/12

労役苦役に益はなし(最終パート)

「グラフィア、話があるの」

 部屋の手前で、グゼルは妹を引き止めて言った。

 確信は既に得ている。友人──その夫が、妹が仕切っているという解体現場にいることや、その彼が送ってきた手紙に書かれた凄惨な現場の状況、そして今にも命を失いそうだということを、彼女は知っている。

 それでも信じられなかった。

「な、なな、何か……?」

「とぼけないで。貴女の仕事のことは知っているわ。お父様がそれに関わっていることも。こんなことはやめなさい、グラフィア。罪のない人を殺して一体何になると言うの」

「姉さまにはわからないでしょう」

 不意に、グラフィアが笑った。それは、前後のなくなった哀れな狂人の表情ではなかった。戦争に出る前にも見た、穏やかな笑みだった。

「そうすれば、お父様は喜んでくれる。こん、こんな顔の、こんな私、わた、私でも……お前、お前は恵まれてんだよ! 結婚して、祝福されて、無いものばっかもってやがる! お嬢様がよ、軍務によォ、口出してんじゃねぇーよ!」

 妹は一瞬でかき消え、グラフィアの狂気だけが、もはやほとんど機能しない目に宿って燃えていた。部屋に入ろうとする彼女を引き止めようと、肩を掴む。グラフィアは杖を器用に使って、姉の手を叩いた。

 鈍痛が、彼女の絶望を物語った。

「どうして……? 戦争から生きて帰れたのに、どうしてこんなことになってしまったの? お父様だってそうよ! みんな、みんなおかしくなってしまった!」

「う、う、うるせえ! だ、だま、黙れ!」

 グラフィアが杖を振り上げ、姉の顔に叩きつけた。あまりの衝撃に額から血が流れ、彼女が膝をついたのを見て、続けざまに首に手をかけた。

 全てが霞がかった世界の中で、姉の体温が憎らしく感じられた。

 姉さまが与えられるものは、私にも等しく与えられるはずだったのに。

 せっかくお父様から私にだけ与えられる任務を、この女は奪おうというのだ!

 いかに足を悪くし、視力がほとんど失われても、軍人として鍛えた名残はあったし──女の細い首を両手で掴めば、充分に殺せるだけの握力はあった。

 むなしく姉の手が自分の腕を撫でたが、やがてそれもなくなった。

 彼女がどんな表情をして逝ったのかはわからなかったが、グラフィアは自分が笑っていることだけは理解していた。

「なんだ、さっきの音は──グゼル!? グラフィア、お前──」

 父親の悲鳴混じりの声が、グラフィアの耳に届いた。何もかももう遅い。セルゲイ家の娘は自分一人になり、父親に愛されるに足るのもまた一人だけだ。

「お父様、お、お静かに……姉様は計画のことをご存知でした。だから、これは仕方のないことなのです……」





 帝都社会学研究会の発表会場は、当然会が開かれない日には誰もいない。今日もそうだ。おぼろげなロウソクの光が一つだけ灯っていて、元締──独眼のリリアの顔が闇の中に浮かんでいた。

 闇に隠れるようにして、その後ろにメイドも。

「エル。すまんね、急に呼び出して」

「そりゃ元締の頼みだ、俺は構いませんがね。一体どういうことです?」

 エルはテーブルの下座に肘をついて独眼を睨みつけていた。彼は自由人である。必要に駆られない限り、たとえ元締であろうと呼び出されるのは不服だ。

「噂が耳に入ってるかもしれないが、この間の断罪、しくじってね。一人死んだ。他の連中はそれに尻込みして、逃げ出した。今はもちろん死体になっている。またふりだしさね」

 そんなことは知っている。ブン屋の新聞によって、各断罪人に情報共有があったからだ。

 組織の掟は厳しい。裏切りは死あるのみ。依頼を投げ出すのは重大な裏切り行為だ。

 ブン屋は、二人いた手練の断罪人を完璧に殺害せしめた。一人は首を切られて、即死だったという。もう一人は喉に何かを突き入れられ、やはり即死。

「この依頼──どうやら面倒なことになっていてね。新聞は読んだかい?」

「気が短えんだよ、こっちは。その気もねえのに仕事の話なんか読んでられるかい」

 リリアは仕方ないとばかりに、メイドに目配せをした。後は彼の仕事であった。

「タグロフ解体は、作業員を事故に見せかけて殺害することで見舞金を受け取っています。もともと、爆発魔法によって城塞の全てを破壊することになっているわけです。こちらの情報によれば、期限は後一週間ほどあるのですが、どうやら前倒しにするようです。現場監督として就任しているのは、グラフィア・セルゲイ。見舞金の便宜を図っている都市計画開発局局長の、テオドア・セルゲイの娘です」

「ヘッ、貴族のやりそうなこった。要はその見舞金とやらを懐に入れてるってんだろ。狡くて反吐がでらあな。……で、元締。この一件をどう決着つけるんだい」

「無論、やりきるさ。グラフィア・セルゲイは目がほとんど見えないが、手練の魔術師だ。これ以上余計な手間をかけたくない。……金貨三十枚であんたたちに再度頼む。……尻込みでもしたかね?」

「おい、流石にそいつは元締でも言い過ぎってもんだ。いつ俺が尻込みした? そこまで言われちゃこっちも後にゃ引けねえな」

 エルは不敵に笑うと、用はないとばかりに立ち上がった。

「貴族だろうが魔術師だろうが関係ねえ。銭勘定ばっかりのいけすかねえ悪党共だ。俺がきっちりぶっ殺してやる」




「それで引き受けてきたんですか。いや、僕は構いませんけど……なんか元締に良い様に扱われてるような気がしますね」

 妹の──セリカの学費は高い。卒業時、最後に支払う学費が足りなければ、卒業は取り消しになってしまう。ただでさえ実家から支援を打ち切られているのだ。あまり心配をかけたくない。こうして金になる断罪自体は歓迎だが、気分はよろしくない。先日、マヤから言われたことが脳裏をよぎる。全ての悪党を大小の別幕無しにブチ込むことなどできない。かといって、彼にように見て見ぬ振りもできない。

 結局、元締めのいいように扱われる。裁けぬ悪を闇へと葬る──つまり、断罪人として。

「ま、旦那のいうこともわかるがねェ。俺はまず、おまんまの方が大事だ。女のアテもなくなったしよ」

 イオは聖書をペラペラと捲りながら、ため息をついていた。エルはそんな二人を尻目に、無言で皮の袋を聖書台へ叩きつける。じゃらり、とひときわ豪勢な音。イオが飛びつくと、中からは金貨が川となって溢れてくる。全て本物を示すように、きらめいていた。

「金貨三十枚で一人頭十枚だ。ブン屋の情報によるとだな、明日にはグラフィア・セルゲイはまた城塞に戻っちまうらしい。今日、ちょうど姉貴の葬式だから、的のタグロフ社長とテオドア・セルゲイと揃ってんのは今夜しかねえ」

「ちょっと待った。姉貴ってのは? ……グラフィアの姉貴ってことか?」

 イオの心臓が大きく脈打った。グゼル・セルゲイは、父親に否定を突きつけただろうか。おかしくなってしまった妹にも。嫌な予感だけが、脳裏をよぎる。

「グゼル・セルゲイですよ。『事故死』で処理されましたがね。貴族が絡む捜査じゃ、憲兵団は蚊帳の外なんで、又聞き程度ですけど。……担当の騎士が言ったらしいですよ。首を強く締められて死ぬ『事故』ってどんなもんでしょうってね」

 イオは自然と首に下げた黄金のロザリオに手が伸び、いつのまにか固く握り締めていた。あの女性は、勇気を振り絞ったのだ──だがそれは、勇気を恐れた悪党どもに潰された。

 だが彼はそれ以上何も言わなかった。こんな世の中だ。そして俺はこんな稼業だ。ああして懺悔をしてきた彼女に、それ以上何ができただろう。

「グラフィア・セルゲイは俺が殺る」

「おいおい、断罪人が返り討ちにあってるような女だぞ。大丈夫なのか?」

 イオは笑った。なんの力もないお嬢様が勇気を振り絞ったのだ。俺にできないはずがない。それに、罪を問えと言ったのも自分なのだ。ここで何もしなかったら、彼女に笑われてしまう。

「女を相手にすんのは、俺が一番得意なはずだぜェ。そうだろ、兄さん」

 ドモンはそそくさと金貨を十枚数え上げると、マヤに教えてもらったやり方──口の広い憲兵団ジャケットの袖口を加工して、隠しポケットにする──で、金貨をしまい込んだ。

「なんだよ坊、おめえその入れ方は……んなことしなくても誰も取りゃしねえよ。みっともねえ」

 思わず眉根を寄せたエルに向けて、ドモンはやらしく口の端を歪ませ、にへらと笑うのであった。

「いいじゃありませんか。どっちにしたってあんまり褒められたような金じゃないんですから」

 最後に残った十枚を、エルが手でかき集めて皮袋に詰める。言われなくてもわかってはいる。汚い金かもしれない。だが、もう後はなく、退けないところに来てしまっているのだ。

「ちげえねえな」



 へばりつくような雨が降っていた。

 夜という名の闇は広がり、屋敷の外を覆い尽くしていた。

 セルゲイ家の邸宅は東区の高級住宅街に存在し、悲しみにくれる人たちが列を成し、しめやかに別れを惜しんでいた。グゼル・セルゲイは優しく貞淑で、夫を盛り立て家族を大切にする、まさしく貴族の奥方の鑑であった。人々は口々にそういう。

 グラフィア・セルゲイにとってそれは、呪文を繰り返し聞かされているようなものだった。しかしそれももう終わりだ。誰もが姉のことを忘れる。仕事で未だに到着できない次期当主である義兄も、父親も、いずれ姉のことを忘れる。

 こんなしみったれた葬式がおわれば、もう自分の事を役立たずの軍人だと考える人間はいなくなるはずだ。父親も、自分のことを無下にはできまい。

「グラフィア小隊長。いや、もう普通にグラフィア殿とお呼びするべきですかな」

 煩わしいお別れ会とやらで、人々は口々に姉のことを褒め称えながら酒を飲み、肉を喰らった。おぞましい腐肉喰らいども。その会場からこっそり抜け出したら、目の前にこの男、タグロフだ。

「な、なにか……」

 この男も姉と同じくらい腹が立つ。元軍人だからと、命令口調でなにかと口を出してきた。グラフィアも、父親が彼に利用価値を見いだしていることくらいは理解していたが、そもそも『そういう方法を取らねばならないような人間』だと思われているのに腹が立っていた。

「……姉君のことはテオドア卿から伺いました。ご安心ください。セルゲイ家はこの程度でこゆるぎもしません。私もそのお手伝いをさせていただきますので……」

「な、な、何も理解していないのですね」

 グラフィアは、小さく呟いた。タグロフの耳には届かなかったようだった。

 父は冷酷だ。

 彼が利用価値のない人間をどう扱うのか、グラフィアはよく知っている。いずれこの男も始末されるだろう。自らがセルゲイ家を裏切ろうと考える前に。確信を持って言える。少なくとも私は、姉のような平和主義者にはなれなかったし、父がそう願う限りなるつもりもない。

「こ、今夜は疲れました。これで失礼いたします」

「左様ですか。私も今夜は失礼をば」

 グラフィアが屋敷の廊下、その曲がり角の先に消えていく。タグロフもまた、それを見送って後ろを向いた。彼の後ろに誰が立っているかなど、その時は考えもしなかった。

「よう」

 銀髪の男が立っていた。上背のある男で、中肉中背のタグロフが少し見上げるほどの男だった。目線を下ろすと、胸元にたくましい筋肉が見え、これまたたくましい毛で覆われている。

 なにより不気味だったのは、男は何がおかしいのやら歯を見せて笑っているのだ。その目はまるで光が無く、ただ白い歯だけが闇に浮いているようにすら感じた。

「だ、誰だお前!」

「ごちゃごちゃうるせえ。……歌わしてやっから黙ってろや」

「歌? 葬式の場だぞ、何を……」

 男──エルは、手にしたギター・ピックを回転させると、金属の刃がついた側面をぎらりと見せると、その切っ先を支点にタグロフの胸に突き刺した。古木を折るように肋骨が粉砕し、心臓に到達──直後繋がっていた太い血管めがけて切りつけると、腕を抜いた。

 ただ一瞬の出来事。タグロフは激痛に口元を震わせていたが、そのまま後ろに背中から倒れ伏した。

「下手だな、おめえは……聞いちゃいられねえ」

 エルは男の服でほんの僅かピックについた血を拭うと、そのままズボンのポケットに仕舞い、葬儀会場へと戻っていった。



「この度はご愁傷様でございまして……」

「娘もこれだけの方がお別れを言いにきてくれたのです、本望でしょう」

 もう何十回と繰り返した美辞麗句に、自分でもうんざりしていた。テオドアにとって、娘は大切な存在で、貴族社会で立ち回っていくための駒でもあった。それを、よりにもよって同じ娘──いや、もはや娘とも思いたくない化け物──が。

 決心は固まった。グラフィアのことは娘とはもう思わぬ。世継ぎこそ生まれていないにしろ、死んだグゼルの婿が当主としてやっていくことだろう。なれば、穀潰しに人殺しの身内は要らぬ。計画が終わった段階で、タグロフと一緒に始末してくれよう。

「亡くなったグゼル様によくして頂きました。死者が天に迷いなく登れるよう、鎮魂歌を一つ演奏したいと存じます」

 葬式にはつきものである演奏家──どうやらギター弾きのようであった──が、演奏を始める。静かで、情熱的で、それでいて物悲しいメロディであった。

「や、どうも。この度はご愁傷様で……」

 全員がギター弾きに注目している最中の出来事だった。白いジャケットの男──憲兵団所属の憲兵官吏であることが、両胸のエンブレムでわかる──が、不意に後ろから話しかけてきたのだ。

「なんだ貴様、憲兵官吏か? どうやってここに入り込んだ?」

 収まりの悪い黒髪に、タレ目の男であった。彼は耳打ちするように手を添えて、話を続けた。

「は。イヴァン憲兵団憲兵官吏、ドモンと申します。実はこの中に賊が入り込みまして、僭越ながらこのように潜入を。しかるに、まずはテオドア卿に目通しをさせていただくべきかと思いまして」

「なんと……して、賊はどこにおるのだ」

「目の前に」

「……何?」

 既に腰に帯びた剣は抜かれていた。肩口から、ドモンの剣がずぶずぶと沈み込んでいき、その度にテオドアは苦悶から表情を歪ませた。もはや声も出ない。一体何が起こったのかも、わからない。

「あんたが賊で、裁くのは俺だよ……」

 ギター弾きの魂のこもった演奏が終わり、聞いていた観客達が涙を浮かべながらも拍手を送った。グゼル・セルゲイを送るための拍手であり、椅子の上でくずおれていくだけのテオドアには何一つ与えられないものであった。



 カーテンが揺れている。

 窓の外──葬式会場に併設された宴会会場から、拍手が鳴り響いた。それが何を意味するのかはグラフィアには分からなかったが、もはやどうでもよくなっていた。ベッドに寝転がり、ただ星を眺めていた。遠い星は、いくつあるのかは分からなかった。ただ僅かな光が目に届いているだけだ。

 明日また、城塞に戻る。その前に、父に話をしよう。今後の話をしよう。なんでもいい。私はたった一人の娘だ。父はなんだって聞いてくれるに違いない──。

「邪魔をいたしますよ」

 男の声がした。おぼろげな影が揺らいでいる以外に、グラフィアの目には何も見えなかった。

「誰……?」

「テオドア卿も、タグロフ社長も死んだぜ。後はあんただけだ」

 グラフィアの手に憎悪に似た血流が起こり、影を爆発させようとした。魔術師としてそうできたし、殺すつもりだったが──彼女は手を下ろした。父が死んだ? 父が死んだら、私はどうなる?

「……俺を殺さねえのかい」

「姉様も死んで、お父様も死んで、あのタグロフも死んだら、私は誰を恨めば良いのです? だ、だ、誰が私に命令を……?」

 グラフィアは起き上がれなかった。不安で、ぽっかりと穴が開いてしまったような気さえしていた。戦場をかけた自分が脳裏をよぎり──遥か遠くに去っていく背中が見えた。全てが爆炎の中に消え、去っていたのが理解できた。

 イオはロザリオを両手で握り、それぞれ別方向に捻った。黄金色に輝くロザリオの先端から針が飛び出す。それを首裏に合わせてから、彼女に囁いた。

「……おやすみなさい、迷える子羊よ」



労役苦役に益はなし 終

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