労役苦役に益はなし(Cパート)
神父であるイオは、基本的に尊敬を集める立場である。
神に身を捧ぐ聖職者である時点で、イヴァンに住む臣民にとって素晴らしい人間と認定されるのだ。
しかし、彼は尋常ならざる女好き、色街で娼婦を買うこともするし、夫や子供のいる女性に手を出すことまである。本来、聖職者であっても、そうしたよくない評判が立つようであればその評価は当然に下がる。イオは、普段の紳士的な物腰と生来の顔の良さで、悪い評判と相殺しているような人間だ。皆、彼が女好きだが神父としては良い人間だと知っているのだ。
だから、今回のように付かず離れず気になった女の尻を追いかけている、というのも、イヴァンの人間にとってみれば見慣れた光景であり『何か事情があるのだろう』と推測するにとどまるのだった。
すでに日は落ち、魔導式ランプでも心もとない路地が増える。
「弱ったな。話しかける機会がねェ」
イオほどの女好きでも、ナンパを成功させるにはひとえにタイミングが重要である。第一印象は最初の一言で決まり、一度悪い印象がついたとき、それをひっくり返すには膨大な時間がかかる。正直言って、連れがいるのも問題だった。一人ならばそうした機会も増えたかもしれなかったが、グゼル嬢が連れている女は、独特な──人を寄せ付けない雰囲気を漂わせている。
ずるずると追いかけすぎるのも問題だ。焦って失敗しても無駄になってしまう。彼女のような条件の良い女はなかなかいないし、こちらは生活がかかっている。
「今日はやめとくか……?」
ふう、と呼吸を落ち着かせる。今のイオはいわば狩人のようなものだが、どういった狩りであれ、失敗するとわかって手を出すのは愚かな話だ。イオは踵を返し、その場を立ち去ろうとした。
その時であった。二人の女の前に、男が現れたのだ。腰に剣を帯び、顔をスカーフで覆い隠している。白髪混じりの男は、二人の前に無言で立ち──そのまま剣を抜いた。
「グラフィア・セルゲイ殿とお見受けする。……故あって理由は明かせぬが、お命頂戴仕る」
白刃が闇夜の中で月の光によって輝いた。
やべえ。どう考えても厄介ごとが目の前で発生している。しかも、暗闇の中──つまりはイオの後方から、ピリッとした殺気まで漂ってくる。重苦しい空気だ。
誰かがこちらを伺っているのだ。この剣士の仲間に違いない。
「無礼な! 何処の家中の者か知らぬが、このようなことをして……」
グゼルがいかにも貴族の娘らしい口上を述べるのを制したのは、グラフィアと呼ばれた黒いレースの女であった。
彼女は杖をつきながら、グゼルの前に出ながら言った。
「ど、どいてくれる? ……こ、殺し屋なの?」
マヌケな質問と取られても仕方がなかった。殺し屋にそう言ってそうです、と答えるわけもない。
男は何も答えず、剣を上段から一気に振り下ろした。鋭い剣であった。女の身でなくとも、容易に肉を切り裂き骨を断つだろう。
男の目の前で爆発が起こったのは、その直後であった。
イオはその目で、男が剣を振り下ろした瞬間、その刃が爆裂したのを見た。
爆風がグラフィアの顔を覆っていたレースやフードを吹き飛ばし、彼女の顔を夜闇に晒した。鼻から上の酷い火傷、引き抜かれたようにまばらな髪の毛──。
「て、て、テメェェェ! 進軍中に遊んでんじゃァねえ! ころ、こ、ころ殺す! 臓物ブチ撒いて殺す! 邪魔、邪魔しやがって!!」
「グラフィア! やめなさい! ここは戦地じゃない、イヴァンなのよ!」
「るっせえ! お、お、お嬢様が口を出すな!」
後ろから抑え込もうとするグゼルを肘鉄一発で吹き飛ばすと、グラフィアは地面に転がって呻いている男に両手をかざし──その身を文字通りに焼いた。聞くに耐え難い絶叫があたりに木霊したが、それもやがてすぐに消えた。
グゼルは叫んだ。尻餅をついたまま後ずさり、まるで喉が飛び出してしまいそうになるまで。
「ね、ねえ、姉さま。い、行きましょう」
一方グラフィアは何事もなかったかのように、炎を背にして笑った。
どんな顔をしていたのか、イオには見えなかった。ただ意に沿わないものだったことは確かだろう。差し伸べたグラフィアの手を、彼女は取ろうとしなかった。涙さえ流してでも、彼女はそうしようとしなかった。
いつの間にか、あたりの殺気は失せてしまっていた。
丁度いいぜ。何事も無かったことにするか。
イオは肝を冷やしたまま、その場をゆっくりと離れることにした。
「グラフィア。その話は真か」
テオドアは椅子に腰掛けながらそう言った。目の前の椅子に同じように座り、杖を握ったままの娘は、何がおかしいのやら笑うばかりである。
「こ、こ、殺しました。姉様の安全のため……わ、わたしの安全のためでもあります」
「しかし、殺し屋とはいえ街中だ。憲兵団の連中が見ているかもしれぬのによくもまあ……」
「連中は叩ける時に叩かねば、永遠にこの戦いが続きます。全員、全員……ぜ、全員吹き飛ばさねば……全員を……」
時折、彼女の目に理性が戻る時がある。グラフィアは家族の元にいる時だけ、僅かにまともな思考が芽生える。しかしそれも、工作部隊の小隊長──即ち軍人としての記憶と思考だ。貴族の娘などではない。時にはテオドアのことすら、上官として接することさえある。
殺しを厭わぬ女だとしても、娘なのだ。幽閉をすれば世間体に響くし、なによりテオドアはそんなことをしたくなかった。
タグロフは話を打ち切ろうと、軍人めいた──事実、彼は王国の歩兵連隊にいたことがあった──口調で、彼女に命令を下した。
「わかった。グラフィア小隊長、今まで通り城塞解体現場での監視任務を続行するのだ。不穏分子・反乱分子は貴殿の裁量で処分して良い。その後の作戦については、追って連絡する」
グラフィアは杖をつきながらも、機敏な動きで立ち上がり、杖を顔の前で構え敬意を示した。剣を携えた剣士が行う最敬礼のポーズである。
そのまま彼女は退出し──テオドアと、タグロフ社長のみが残された。
「あそこで働いているのは三十人。すでに五名『事故死』しています。遺族にもそれは伝わっているはず。今回の殺し屋とやら、それに関連しているのでは……」
「『断罪人』か? 馬鹿馬鹿しい。あのような連中、ただの噂話に過ぎぬわ。居たとしても、グラフィア一人で撃退できるのなら、大した殺し屋ではあるまいよ。……問題は、今回のことでいらぬ詮索を受けることだ。娘が現場にいることは、許可の関係で書類にも出てくる。あまり工事を長引かせたくない。来週までには計画を実行する」
魔法を使う者はライセンス制となっており、リストに登録されている。逆に言えば、無許可でライセンスもなく魔法を使えば処罰の対象になる。グラフィアは正式なライセンスを持っているし、今回の解体工事についても許可を得ている。
それを、無許可でイヴァンの中で、人を殺したとなれば大問題だ。もちろんテオドアにかかればその程度もみ消すのは造作もないが、工事が終わらないうちに、後から変に勘ぐられるのはまずい。
「では、申請書の用意をいたします。──素晴らしい花火になることでしょうな。セルゲイ家の恒久なる繁栄を約束する、それは立派なものになりましょう」
「……まあ、な。食い詰めの傭兵共が金になるのだ。錬金術のようなものだ。やめられんよ」
パンを半分、ワインを一差しが精一杯だった。
イオの信者集めは芳しくない。それに、グゼル・セルゲイ嬢の『後ろ盾』は期待できそうにない。そうでなくとも、あれはワケアリだ。
ただでさえ危険な稼業に手を出しているのだ。これ以上余分に綱渡りする必要はない。
「……わかっちゃいるがよォ……こんなんじゃ明後日には干上がるぜ」
扉が開く音がした。
大聖堂のカーテンが揺れて、誰かが懺悔室へ向かっていることがわかった。
仕事か。イオは膝を叩いて立ち上がると、懺悔室へ入り咳払いをした。
中は薄暗く、格子窓で仕切られているだけの空間だ。この中で話すことはお互いに一切他言無用である。懺悔とは罪の告白によって許しを得る行為であり、それによって裁きを下すのは死後であるべきだからだ。
「迷える子羊よ。人は誰もが神の子です。どのようなことでもお話しなさい。神は許してくださいますから……」
舞台役者のような大げさな演技である。おかしなもので、これくらい大げさに言わないと、人は権威を感じられないらしい。それは懺悔をした人たちにとって問題となる。相手は少しの間言い淀んでいたようだが、やがて口を開いた。
「神父様。父親と妹──家族の事が信じられなくなりました」
「それはどうしてですか?」
「妹は戦争に行っておかしくなりました。……既に終わって久しい戦争の中に、未だ心だけ残されてしまっているのです。今日も、私の目の前で、ひ、人を……」
殺した。イオの脳裏に、ほんの少し前──魔法によって爆殺された男と、グゼルの叫び声が混ぜ合わさって消えた。
この女は、グゼル・セルゲイだ。
「あなたは、どうなさりたいのですか。妹の罪を」
「どうしようもありません。どうしようも──父は妹のことを利用して、あの子に人殺しを続けさせているのです。全てもみ消して、無かったことにして──」
「わかりました。あなたはとても正直なお方だ。神は罪を認め償おうとするお方をお救いになります。お父様や妹さんも、そうなさることでしょう。だから、あなたにできることをして差し上げなさい」
「私にできること、ですか」
「罪を問い、懺悔するようお伝えなさい。それ自体が、あなたの魂を救う助けになりましょう」
グゼルはしばらく、暗い部屋の中で俯いていたが──やがて涙を拭い、顔を上げたのが見えた。
「ありがとうございます。……ここに来て良かった。妹に伝えてみます」
「神はあなたと共にあります。道に迷った時はまたいらっしゃいなさい」
グゼルの姿が見えなくなり、イオは一人、懺悔室の中でため息をついた。
神は共にある。
だが、神は救わない。神父たる彼が一番よくわかっている。
「しょうがねェじゃねえか、世の中はそんなもんなんだからよォ……」




